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ゲーム:刀剣乱舞、その15

Last-modified: 2015-09-09 (水) 22:37:31

ゲーム:刀剣乱舞、その15

6月3日めも。

こないだ友人の子牛(ついった@yui_Angelica)と話していたんですが(子牛は私だけが呼んでる愛称ですがw)、【刀剣乱舞】のカード推測みたいなものが適当にくっちゃべってるうちに結構な精度になっていたのでそのまとめみたいな。
当日のうちに彼女がまとめてた分もあるんだけど、まだアップされてないからなぁ。
一旦見せて貰っておけば良かったよ、まあ、そんな感じなので文責は私個人、彼女だけが知っていた知識も結構ぽちぽち含まれています(私が刀工とか刀派のほうの知識を持っていて、彼女はちょいちょいゲーム関連の刀本体のことを調べたりしてるみたいな分担)。
 
まず彼女いわく大雑把にだけど歴史順になっているよね、という点。
「新撰組というか幕末は刀工とは別にまとめられている」←これは一目瞭然というかまあ正しいよね。「刀工や刀派はどうもそのグループに含まれる一番後ろの子が準拠になっているのではないか」←話していくうちにだいぶ精度上がってった感じ。
で、刀工単位でない子たちはあとのほうにまとめて放り込まれてる。
話しているうちに妥当かな、となったのが「天下五剣が含まれてるグループは番号が早いほうにまとめられているのではないか」という可能性。
最初は私は【天下五剣】そのものが登場予定かどうかも迷っていたんですが、よく考えたら三日月じいちゃんが台詞の中で触れてる上に、最近時々見かけるとうらぶの広告でも天下五剣って単語が入ってるんだよね。
それと【1番】は時々言われている【小烏丸】ではないかと想定しています、これは異界から手に入ったという刀で、小狐丸の狐と共に作ったという話とセットになってるんじゃないかなー、と。異界や狐って要するに異民族の比喩だしね、いやマジ。

6月4日めも。

まず今剣のあとから鳴狐までの間の空き番号(1つずつ置きとして)が4つ、「天下五剣」が残り4振りなのでそこに一つずつ入るとするとにっかり青江の前の【17番】に古青江の【数珠丸】、鳴狐の前の【21番】に粟田口の【鬼丸国綱】。
【童子切安綱】は三条宗近と共に最古の刀工として名前が挙げられることがあるので多分【13番】、残りの【15番】が【大典太光世】ですかね。
(刀の名前は適当に処理してるので気にしないでね、結構表記ブレあるんだよな。)
 
藤四郎の短刀の番号抜けが【35番】【37番】【43番】。
知名度という意味では圧倒的な薬研藤四郎の前が同じく非現存の五虎退なので、これよりもあとには藤四郎は来ない、と仮定すると、博多藤四郎が出ると残りは2振りで多分現存。厚と前田の間が空いているのでそっちが知名度高めの名家の短刀じゃないかなぁ。
博多藤四郎は今の時点では43番かな、と思ってるんですが、どうかな。
まあここは所蔵の関係で来るんじゃないのかな、藤四郎の短刀は多いからなぁw
藤四郎のあとが【51番】【53番】で、古備前からだと思うんですが【大包平】はどっちかだろうね、一応鶯丸の隣になるのかなぁ?
でそこから3連続が来派(珍しくネタが刀工関係なんだよね、あそこの関係はちょっと他と違う感じ)。蜻蛉切さんは位置からすると村正で括りのようですが、誰が来るのかはさっぱりわからんですw 徳川に関わった事件絡みの妖刀しか知られてないんだもん村正ww
来派3人と蜻蛉切さんの間が【63番】、来か村正でしょうね。
燭台切さんが長船なのでその間が【67番】【69番】【71番】で村正or長船、で左文字の江雪さんの前が【75番】【77番】でまあ長船じゃないかな(続く。

6月5日めも。

村正が三人ではないか、というのは刀工単位だと三人という括りが結構多いから、というだけなんですけどね(でも槍除いて3人でもおかしくはないかなって)。
来派と三兄弟と固定されているのだろう左文字との間が6枠なので、村正を2枠と仮定すると残りが4枠。来or村正の可能性があるのが1枠、村正or長船の可能性があるのが3枠、長船だろうのが2枠、という感じなんですが。
山姥切国広くんの本科【山姥切】(長義)、へし切長谷部が黒田家で拵えの参考にしたというのが【安宅切】(祐定)(『しんけん!』のほうには出てくるそうよ)なので、まあこの二振りは出て来るんじゃないかな、という話をしていたんですが、燭台切さんが長船の初代もしくは2代目って言われてるのでこれが【75番】【77番】。
ごめん、ちゃんと時代順わかってるはずなんだけど私は知らなくて(ノ´∀`;)
 
来派と長船派のどっちかが多分4振り、まあどっちでも特に問題はないんですが、燭台切さんがスタッフさんの中で「みっちゃん」とか呼ばれてると長船光忠の兄弟刀が出てくる可能性は薄くあるのかな、という気はするかな。全くありえないわけでもなさそうだけどね。
信長関係で名前を聞く【実休光忠】出てこないの? てのもあるよね、来国行もなんか信長絡みの刀があるって聞いたことあるんですが、こっちは可能性薄そう(明石国行の隣はもう塞がってるからね)。ただ来自体は有名どころ結構多いからなぁ。
あとはもう私の守備範囲と離れるんですが、大倶利伽羅くんと長谷部くんの前後に【相州伝】が入るのかなー、という気もしますね。五伝の中では結構関係が深いんで、他で言う刀派に近いみたいなところがあるしね(このニ振りの刀工が親類ってのはありえるよねー、ということも言われてます、家系図は別にアテにしてない)。

6月6日めも。

『異郷を結ぶ商人と職人』日本の中世3を読んでいたら鍛冶師が中世、神と交信するための職業であると思われていたものの、それが転じてのちに「自然に手を入れようとする存在」として忌避された、みたいなことが言われていたんですが、えーと。
鉄などの金属を溶かして形を変えるってことがわりと神秘的に捉えられるというのはわからないでもないんですが、なんかこう、山岳信仰との関わりみたいなものがないままで神秘とだけ言われると一段飛ばしされてしまったようで落ち着かないというか…。
鉄鉱石って基本的に山から出るって認識でいいのかなぁ。
金くそなどと呼ばれるその辺に鉄のくずが落ちている遺跡なんてのはぽちぽちと話を聞くものの、あれはあくまで初期段階の精鉄の痕跡って見てもいいんだよね?
そういや前に見た東北の製鉄所はどうもその鉄を使ってその周囲でなにかを作ったらしい痕跡がない、ということが言われていたんですが、てことはどっかに精鉄の段階で運ばれてたって認識していいんでしょうか。
みたいなことを頭に思い浮かべながら読んでました、東北の精鉄作業所は多分中世だったと思うんだけど、結構時代長かったような気もする(当時は陸奥国の前線地域)。
鍬などの道具はなるべく全国的に売りに回った、とか、職人があちこちを移動した、などと言われていたんですが、刀鍛冶の動向はなー、正直さっぱり掴めない。
 
上のあれ、鍛冶師や鋳物師が白眼視されることになった時代に、刀鍛冶も一緒にそうなったのかどうかもちょっとよくわからなかったからなぁ。
刀工が生活に困っているみたいな様子は日本刀の本ではよく見るものの、特に周囲から低い扱いは受けてなかった、と思うんだけど、今はなんとも言えないね。

6月7日めも。

『古城の風景(4 徳川の城・今川の城』読了したんですが、とりあえずあれ、今川義元は多分このタイミングで読んだのがぴったりだったなー、ということくらいでしょうか、今まで名前はっきりわかるの【蜻蛉切】さんのご主人の本多忠勝くらいだったしなぁ。
あの方はなんかこう、美徳の権化みたいなイメージしかないんですが、死ぬまでそのイメージしかないのである意味で一貫してていいんじゃないでしょうか、もともと少しくらいは名前見る方なんですが、ブレたの一回も見たことないことくらいは覚えてるwww
 
まああれだ、今川義元さんなんですが、どうも少なくとも著者さんと竹千代さん(徳川家康さんの幼名じゃよ、多分一番知られてるのこの名前だよね)はあんまり好きじゃなさそうです、正直今の時点でその評価そのものは鵜呑みにはしないんですが、少なくとも徳川家康がだいぶ嫌ってるのは確かに見たらわかるな。
竹千代の今川での人質生活も、その前の尾張での織田での人質生活があったからそんなに辛くなかった、というのはなんか根拠あるのかしら、と思ったものの、のちに織田家に寄ってったってのは、かなり相当だ、当時の織田家まだ強くないもんいやマジww
(それこそ今川家に勝ったあとなら全然わかるし、当然って感じだけどなー。)
そして義元さんが五男なのに長男次男が同じ日に死亡、三男と戦って勝利、跡を継いだ、というのはさすがにいくらなんでもきな臭いですね。うん、疑われるところまでは仕方ないよ。
ここの四男は生き延びて高僧になったとか、雪斎禅師がそもそも義元さんの世話役になった段階で相当無理やり押し付けられていたとかその辺見てるとまだまだなんか解釈の幅がありそうだなぁ。ていうかこの人何者でしたっけ? 天才なことはなんとなくわかった。
あと武田勝頼はだいぶ駄目ぽい、みたいなところで次の巻武田? あれ「北条」か。

6月8日めも。

『刀工遺跡めぐり330選』を読んでいたのですがまあさすがにこの数なのでいろいろ載っていたんだけど古刀とか新刀とか新々刀って区分すら載っていないので自分で察するみたいな体裁でしょうか、なんの時代かわかる人もぽちぽちはいたけど、刀工の世界って基本的には狭いので周辺の生活で精一杯だったりするしなぁ。
その中でゲームの登場名が堀川国広さんは(受領名で呼ばれてた、受領名は覚えてないけどどっちかというと山伏っていう経歴のほうがわかりやすいかも)、大友宗麟のとこでせっせと刀作ってたら攻め込まれて息子のマンショを連れて命からがら逃げ出して、したら翌年だかに「天正遣欧少年使節」にマンショさんが選ばれたのでその後どうなったんだかよくわからないんだよね、って、ドラマチックだなおいwww
てか主が大友宗麟だったんだね、結構エンカウント率高いというか有力者なんでちまちまと覚えていたものの、どうするかな、読むかなぁ。
誰かゲームやってる人で読んでたり詳しかったりする人いないですかね。
正直、他の堀川派との関係みたいなものが微妙にどうやって展開してるのかがこの主従関係からはわかりませんでした、別の時期なのか単に略されていたのかなぁ。
 
あとあれ、京都に「粟田神社」ってのがあってこれが見た目通りに粟田口の故地みたいに言われているんですが三条宗近の屋敷跡だとも言われてるみたいです、あと井戸にも「三条宗近か粟田口吉光が刀鍛冶に使った」という伝承のあるものがあったんですが、ゲームやってるとなにその偶然?! みたいな気持ちになるけど、山城刀工の中では政治的に一番評価されてるのってこの二人なので、偶然じゃない気もするなぁ。
というか山城刀工のあり方そのものみたいな研究が読みたいです、無理かしら。

6月9日めも。

そういえば私、前に読んだ本で【五虎退】が消息不明になっていたので失われていたのかと思ったんですが(他だとともかく藤四郎の短刀は特別なので、そう簡単には情報途切れないんだよね、という意味でそういうニュアンスだったんだと思うんですが)、展示情報が回ってきていたってことは間違いですね、失礼しました!!
まあ、その本の中でも現在進行形に近い形で著名な刀が見付かったりしてたからなぁ。
この著名な刀の中でも「政治的に意味がある刀」だとさすがにそうそう簡単には情報途切れないと思うんですけどねー、三条宗近の刀ってのは、そういう意味だと戦国時代くらいにはそういうニュアンスなくなっていたのかなぁ。
(足利時代には多分その扱いの一貫だと思ってていいんだと思ってるけど。)
なんというか、おねさんのところにあった、とされてる【三日月宗近】の刀のルートってやっぱり不明なんだね。こないだ読んでた『応仁記』で「善包、鬼人大夫、包平、藤四郎、小鍛冶、鳩作」という「大小の刀」の持ち出し記録みたいなものがあったんですが、どうにもその持ち出しした人間がわからない。
それ読んでた時に私は足利義視じゃないか、と前後見て判断していたようなんですが、よく考えたら将軍って表記されてたけど、足利義視って将軍職になったことないよねww
そもそも将軍職になったことがない人が、将軍家所蔵の刀を持って移動していた、と読めたあの記録の読み方がどうにもわからない。
 
んで、ここで書いてあったのも、刀工と刀単体の名前がごっちゃみたいなんですよね、そもそも「藤四郎」って呼び方も単に愛称の一種っぽいな、「小鍛冶」ってのが三日月宗近、藤四郎が厚藤四郎かな、と思いつつ見てたんだけど、これマジでなんだろ…?

6月10日めも。

私正直、日本刀の本で藤四郎の短刀見てる時にいつの間にか【厚藤四郎】が筆頭だと思い込んで見ていたんですが(それで藤四郎の短刀載ってないな、とか思いながら見てたよ!!)、よく考えたら【平野藤四郎】がほぼ毎回載ってました…申し訳なかったです。
なんというか藤四郎の短刀を二振り紹介、という感じじゃないと厚って載ってなかったんじゃないのかなぁ、厚だけってこともあったかな、多分ないか数少ないです。
まあその勘違いしたのは見た目とか性格付けなどの兼ね合いだと思うんですが、刀番号でもよく考えたら厚より平野のほうが先なんですよね。
この辺の評価ってどうなってるのかな? と呟いていたらフォロワーさんが教えてくれまして徳川将軍家に享保年間に提出された『享保名物帳』では厚が筆頭(平野が控え)、提出されないまま訂正を重ねて本阿弥家に幕末まで保管されていた名物帳だと平野が筆頭、ということになるようです。
要するにこれ、厚が徳川将軍家の所蔵だから気を使っていて、本阿弥家の評価としては平野のほうが上だった、ということになるらしいです、ああまあ、そういうのあるあるw
ただ個人的には徳川家ってあくまで武家なわけだし、尚武って意味だと厚ってのも悪くはないんじゃないかな、鎧通し自体はそんなに珍しいわけでもなさそうなものの実用品であって鎌倉からの伝来って意味だと珍しいんだろうしね。
刀目利きとしてはそういう部分で評価しないってのもそんなに嫌いではないなw
 
ただ、それを踏まえてキャラ付けとか刀番号の並びなどを考えると、意外と細かく考えられているんだな、ほぼこの話を踏まえたほうが納得行く感じに設定されてるよね。
しかし【薬研藤四郎】が現存してたらどうなったんだろうね、ちょっと難しいな。

6月11日めも。

そういやわりと最近虎徹兄弟が来たんですが、【錬結】だけしてわりとくるくると遠征要員に、みたいな感じの使い方していたので大阪城イベントの50階まで結構頑張って貰いました、二人ともレベル9から浦島くんがレベル23、長曽祢さんがレベル18。
ちょっと51階からはキツいかなー、という感じなんですけどね。
浦島くん一人だけならまあそこまで問題もないのかな。
 
なんとか【博多藤四郎】はお迎えしたものの、正直疲労が目に見えないの辛かったww
だいたい5階単位で戻ってたんですが、それで正しかったんじゃないのかな、一回間違って6階分一気に降りた時に4人が赤疲労になってたしね…。
ちょっと前に書いてたカード番号予想で博多くんは43番じゃないかな、と予想していたんですが、当たった、ちょっとほっとしたw
ざっくばらんに言うと厚藤四郎が徳川将軍家所蔵、で、2つ枠が開いていて前田藤四郎、特に確認してないんだけども前田家でいいんだよね? あれです、加賀百万石と言われる外様大名の雄。だいたい徳川御三家の次くらいに挙げられていることも多いので、その前に来るのは御三家でなくてもまあ相当の名家じゃないのかなー、みたいな感じです。
あんまり厳密に考えてたわけでもないんですけどね、残りの藤四郎もある程度調べたら推測出来るだろうし、そういう人いるよね多分。
今の時点で12日分から遡って書いてるんですが、10日分でこの間フォロワーさんに教わった厚と平野の立場の違いみたいなものを軽く触れておこう。
そういやイベントで久々に岩融引っ張り出したんですが、これ私がレベリングしないせいですね、6-2に出す前にしても良かったか(レベル39短刀を6-2に投入☆)。

6月12日めも。

前日11日から【大阪城イベント】が始まったのですが、なんだろうこの単調さ、なんだかすごく地下空間っぽいです、なにがどうとは言わないんだけどね!!
(51階すぎてからかなりガチで怪我入れられるようになりましたよ。)
そしてDMMデイリーパチンコがまた「ビジー状態」で止まっちゃったよ(2回め)。
同じページ内でリロードだけ受け付けてくれればいいんですが駄目なんだよなぁ。
 
いつもは怪我状態では出陣しないんですが、イベントは太刀とか打刀はもう怪我状態で出してしまってます、短刀はレベル低くてレベリング兼ねてるんですが、もうちょっとレベル高い子入れたほうがいいのかも、なんかよく刀装が引っぺがされる感じになったなぁ。
というか高速槍がとにかく倒せないんですが、これひょっとして短刀じゃないと駄目なパターンか…、大太刀でも短刀でレベルあれば倒せるから、ええと、重歩兵を付けて、みたいな感じになるかな、遠距離攻撃系を脇差や打刀に付ければいいかしら?
ありゃま、やっぱりレベリング兼だと駄目か、長曽祢さん18一撃重傷ー。撤退。
ただ、短刀あんまり入れてくと刀装が剥がれるから、今回は槍の出番はなさげかなぁ、薙刀の岩融がそろそろ微妙に通らなくなってきてるので外して太刀増やすか。
太刀の場合はレベルが高くても低くてもあんまり変わらない気がするかな、適正があるかないかってほうが重要っぽい、獅子王がわりと向いてる気がするんだけど、もうちょっと試してみよう、あとじいちゃんも良かったような、いち兄がいまいち、かなごめん。
まああくまで雑感なのであれです、ぽちぽち試して行く感じですよ、あと48階分残ってるしな!! さすがに2回連続で52階がクリア出来なかったのは切ない。
もうちょっと引き締め気味に行きますよ、虎徹長兄どこで鍛えようかな…。

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