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ゲーム:刀剣乱舞、その20

Last-modified: 2015-08-07 (金) 16:45:11

ゲーム:刀剣乱舞、その20

7月23日めも。

シリーズ藩物語の『水戸藩』を読了しました、ところでなんのために読んだかというと燭台切さんのためと、あと前にぽちぽちと読んでいた明治~昭和の財閥の一つである「川崎金融財閥」というところがどうも水戸藩に関係あるらしいからってのもあるんですが。
ところでもものまんじゅうがなんでこれを知っていたのかがわからない。
(川崎金融財閥って多分あんまり知名度高く…ないよね、水戸藩から読めばそこそこ出てくるのかな、財閥扱ってる人が謎の存在って言ってるからな。)
 
まー、あくまで初心者向けっていうか初学者向けというか、土地勘がある人なんてのも読めるのかな、みたいなシリーズなのでこの程度だとなんとも言えないんですが、御三家の中で一番あとから作られた存在(それ以前って御ニ家だったの? 語呂わる、と思ってすみませんでした、だが語呂は悪い!)だとか、なんか石高を多めに見積もっていたとか、その分無駄に税金が取られたとか、いや税金って言わないよ江戸時代ってなんて言うんだったっけ思い出せない。
参勤交代が免除されたものの要するに藩主は基本的に江戸詰めになるので、その分副将軍ではないけど副将軍であるかのような意見役のような存在になるのだとか。
そもそも江戸で生まれて江戸で育つのが自然なので、あんまり国まで戻らないとか、そういうことがつらつらつら、と述べられてました。
てか、正直私、戦国大名とか江戸の藩主とかよく知らないんですが、こういうちょっと特殊な構造の水戸藩がいつ伊達さん家から燭台切さんをかっぱらったのか、なんでまたそんなことをしたんだかがさっぱりわからんのですか、なんか意味あったのかしら。
ああただ、江戸城詰めだと腰刀は普通より必要だったろうなぁ、くらい?

7月24日めも。

遺跡を学ぶ043『天下統一の城-大坂城』を読了、あれですね、ちょっと気になるのでこのまま岩波新書の『大坂城』を読むか読まないか迷い中、なにが気になっているかというとあれなんですが、江戸時代って結局一期一振ってここにいたのかなぁ? という。
正直なところ江戸時代の刀の本みたいなの全然読んでないので自信とかはないけど、確かどこかで大坂にあったって言われてた気はするんだよなぁ(江戸で起きた明暦の大火には巻き込まれないよね? みたいなニュアンスで)。
ところであと、大阪と大坂の表記がいつ変わったのかがわかってないので間違ってたらすみません、まあそのうち機会があったら調べよう、検索すればすぐなんだけど、検索したところでちゃんと動機がないと覚えられないんだよね…。
 
もともとわりとえぐい感じで豊臣大坂城が防御を剥ぎ取られて炎上させられた、というのは知ってはいたものの、江戸の終わり、15代将軍・徳川慶喜の時代に彼がこの城から逃げ出したあとにも燃えた、というのは知らなかったな。
多分言及はされていたと思うんですが、もうその時点で大坂城に主眼はなかったというか、聞いてても流し聞きしてたんじゃないのかなぁ。
で、あれ、その時点で一期一振がここにいたのかしらというのが気になる。
いたにしろいなかったにしろ、燃えなかったとは思うんだけどね、そもそもの火事の規模わからんながらそこまで大きくはなかっただろうと思うし。
あと刀関係ないんですがもともと大坂の地が本願寺によって発展したよ、というのも気になるんだよなぁ、でも堺商人なんてのはぽちぽちと聞いてるような気がするんだけど、どうだったのかしら、時代が前後してるのかしらわからない。未熟ですな。

7月25日めも。

今7月28日で、「7月27日」分からぽちぽちと遡っているんですが、どこからどこまでが一枚のページに収まっていたのかとか、そういう感じに不明です。これ以上書くなら古い日付けのほうで書いてったほうが無難なのかな感。
まああれ、DMMゲームの【かんぱに】をちょこちょことやっていたんですが、どうもこれ、武器作りみたいなところが一番重要になってくるような気がするなぁ。というのが今の時点でのあれでしょうか、なんかぽちぽちとキャラストーリーが慣れない。
(正直なところ擬人化でこのくらいやってくれたらいいのになぁ、と思いながら見てましたが、全員分でこれだけだと大変だよなぁ、ともしみじみ。)
艦これやとうらぶだとどうも飲み込みにくいものだと思うんですが、フィールドによっての傾向がだいぶ違って、レア出現アイテムを取るために同じ面を連続してクリアするということがよくあるだろうので、結構工夫のしがいみたいなものがあるね。
単純にレベルを上げて行ってもいいんですが、初期のところ以降でそれが難しくなって来る感じなんだよね。初期は本当に考えなくてもレベル上げでなんとかなるけど。
 
とはいえ、こういう傾向は実は他のDMMゲームでもあるらしく、まあ他のゲームでも当然あるんだけどプレイヤーの選択のほうに経験値が付く、それによってだいぶ低いレベルでもクリアすることが可能になる、みたいなのはとうらぶでもあるよなぁ。
艦これでもあるとは思うんですがあそこは条件が細かくて、自分で考えるとかではなくてひたすら攻略ページ頼みだったからなぁ(なんでそれでクリア出来るのかという理屈すらわからなくなったら潮時かなぁ、と私にとってのね)。
短刀しばらく使うの控えてたら怪我人多出になったのを見て、ああうん、みたいな。

7月26日めも。

ええと、この日にあれ、燭台切さんのねんどろいどが原型が発表されまして(買うよー)、それと次がいち兄ってことが知らされて、その次が薬研くんってことになったのかな、ここくらいまではだいたい予測の範囲内って言われてるんですが、薬研くんのほうが早いかな、という程度だよね。
あとあれ、【大和守安定】と【へし切長谷部】辺りが来るかな、て感じ。
それ以外のところは正直わかんないです、この辺の機微に関してはもうあれ、グッズ展開の傾向とかそういう話なので、説明はだいぶしずらい。
 
あれだ、人気キャラと運営推しって言われてるキャラですね、二大看板って言われてるのが三日月じいちゃんと加州ちゃん、ここまでは見ればわかるだろうけど。
そのそれぞれの対キャラとされてるのが小狐丸と安定ちゃん。
見栄え的には確かに並べるとだいぶ収まりがいいみたいな話はしてたよねー。
で、初期から今に至るまで人気が高いのが燭台切さんと薬研くん。
これもある程度最初から予想されていたやつで、いわゆる艦これで言う「提督ラブ勢」みたいなものだよね、薬研くんは「駄目提督製造機」みたいな側面もありそうだけども(友人が第六駆逐隊が人気なの意味がわからんって言ってたけど、ボイス切っておいてなに言ってんだよ感、だいぶ甘やかしてくる系って有名だよね)。
あとはまああれだ、鶴丸さんが圧倒的とか、長谷部くんとかいち兄がじわじわと上がってるというか、それ以外は私だとわからんのですが倶利伽羅くんもかなぁ、わからん。
この辺くらいまではまだいいんだけど、あんまり踏み込むとレート(交換する時の優先度)があるので怖いのよ…、とりあえず燭台切さんといち兄と薬研くんは買うよ!!

7月27日めも。

なんかあんまり間が開きすぎて、間にあったことを忘れたのでとりあえず遡れるだけ遡るつもりでぽちぽちと打っております、あれだね、とうらぶだと【6-3】面が実装されたんですけども分岐のあとくらいからが強いしそこまでが長いし。
2回しか出陣してないのでなんとも言えないんですが、投石兵はとりあえず外してあと短刀に【銃兵】持ってって貰いました、これ兵数が少ないから削られるものだと思っていたんですが、そんなこともなかったなぁ。
まあ付けてたのが小夜ちゃんだけだったのでなんとも言えないんだけどね。
(短刀の中で小夜ちゃんだけは露骨に強いからなぁ、あとは愛染が弱いくらい?)
 
それと7月26日に『百刀繚乱』っていう同人イベントがありまして、だいたいそこの原稿とかあと【かんぱに】とかやってました、DMMゲームの。
いっそこのかんぱにのことでも書けばいいのかなぁ、と薄ぼんやり。
さすがに暑い通り越して熱いもんでアカデミックな方向の頭が働かないんだよね…。
そういやあれ、東京国立博物館に行ったのはいつでしたっけか、生まれて始めて会った妹ちゃんと行ってきました。【三日月宗近】はえっらいこと並んでたので見れなかったんですが、よく考えたらあそこで刃文とか見るのがあんまり好きじゃないのは表面がぺっかー! と輝いてるからだ…。
今は確か【厚藤四郎】が展示されているのでそれは楽しみに見に行きたいです、あれはだいぶ形が違うらしいからね。前に模造刀の比較写真がついったで流れて来てたんですが「これが刀??」というレベルとは思わなかった。
なんとなく刺身包丁を思い出してしまう人がいるらしく、ああうん、わかる。

7月28日めも。

遺跡を学ぶ040『中世瀬戸内の港町・草戸千軒町遺跡』読了、この本の中で「侘茶」という言葉が出てきまして、これは主に室町時代中期の東山文化の、とだらだらブックレビューを書きながらこっちの雑記に持ってきたんですが。
間違えた、茶が東山文化の時代に始まったんじゃなくてあくまでも現在の侘茶が始まったのであってそれ以前には「闘茶」って文化があったのねぇ、みたいな。
なんでもこれは茶葉を当てるみたいな催しだったらしいんですが、本の中でも触れられてたけど今の香道みたいな感じよねー、侘茶が出てきたのはわかるんだけども、なんで闘茶ってなくなったんでしょうね、産地が細分化しちゃったのかなぁ。
  
そもそもこの本はさすがにゲームをきっかけで読んだわけでもないんですが(中世は鎌倉時代や室町時代の周辺事情を知りたいなと思ったんだけどね、別に好きで範囲を広くしているのではなくて目的のものが見付からないための処置ですのよ)、ここの遺跡によって中世の研究に対しての物証になったんだよん、てのは面白かったのでまあ一応。
広島県の福山市、瀬戸内海に面した港町だったようなんですが(とはいえ古名だと湊って言われてたのかしら)、伝説にはあったものの、どうも実際の歴史と兼ねあわなくて伝説のように思われていたとか、洪水によってその地が沈むよりも前に自然に廃れてしまっていたのではないか、ということが語られていたんですが。
あれだよな、まとまった遺跡として発掘される場所ってどっちかというとわりと早い段階で廃れてしまったパターン多いよね、この草戸千軒町も全盛期に洪水に遭ってたら正直流されてしまったんじゃないかなぁ、廃れて半世紀以上経って、埋もれたから綺麗な形で出てきた、みたいな話だよね、うん、中世関係ないけど中世の遺跡って難しいからね!!

7月29日めも。

『中世鋳物師史料』を読了、現在8月3日です、正直なところ夜9時近くになってもまだなんとなく暑いです、ちまちまとこの雑記の日付けを進めています、あと図書館に返す期限が過ぎていたので今大急ぎでデータをまとめています。
で、この本はあれでした、名古屋大学の科名が著者名になっていたので論文集なのかな、と思ったら原文でした、読めなかったとも…!
そのまま返すかどうかもだいぶ迷ったんですが、解説と交互に一応眺める程度には。
ちまちまと気になったのが鋳物師たちがわりとあちこちの国を行き来していたのが前提としてあるものの、どうも自分たちの作ったもの以外も運んでいたらしいこと、真継家がどうも江戸時代に鋳物師たちを統括していったようなのですが、これって結局国とか藩ごとに人員配置をしていくみたいな形だったのかなぁ?
これ読んでて思い出したのが江戸時代に刀鍛冶たちを全国的に調査して、どの国どのくらいいるのか、ということを記録していったみたいな話なんですが。これ、鋳物師とか刀鍛冶以外にも全国的にこういう風潮だったってことなのかしらね。
薬売りについてこういう全国的な支配が、と語られていたような気もする。
 
あとあれ、なんか知らないけど鋳物師が「打鉄」とか「熟鉄」を持っている、これがなにか詳細は不明ながらまあ鉄の原材料よね? と言われていたんですが、これがいつくらいからでどういう用途に使われていたのかは気になるなぁ。
刀鍛冶はある程度の時代から鉄を他所から買っていたらしいみたいなこと言われてたしね、それが鋳物師以外と認識する必要もないだろう、ていうか大工職とちょくちょく連ねて書いてあるのなんだろうね、東大寺とか神社のは座関係だろうなとわかるものの。

7月30日めも。

東洋文庫810『本阿弥行状記』読了、んーと、今ちまちまと調べていたんですが、まず本阿弥光心という人がまずいてそこに多賀豊後守高忠の息子を光ニとして養子として受け入れ、長女である妙秀さんと娶わせたところ実子である光刹が生まれたので家を独立することに、ということが語られていたんですが。
この養子の家のほうが光悦、実子のほうが光徳、という感じで要するに同世代。
本家筋という意味では光徳のほうになるのではないかと思うんですが、この光徳があれ、豊臣秀吉の時に刀目利きとして全国から「刀狩り」で集めた刀を片っ端から鑑定したみたいな話があるんだよね。
 
で、光悦、というよりその父である光ニが徳川家康がまだ今川義元の人質だった竹千代時代にどうも深い交流があったらしく、いつも細工を見ていたとか義元から刀をニ振り用立てるように言われて一振りずつ竹千代と光ニで別けたとかそんな話が。
(そのおかげで光徳が屋敷貰ったりいろいろ便宜図られたりしてるんだよー、みたいなことがあちらこちらに話として散らばってました。)
さらに言うと光徳も徳川家康にはお目見えしたものの、いい刀だろ、と話を振られてばっさりと否定したらしくていまいち反りが合わなかったような話も。
このあとどうなったかはわからんですが、光悦と光徳が微妙にどっちが上か下かわからん理由はよくわかりました、為政者の変化で上手いこと変わったのね。
まああれだね、両家をつなぐ妙秀さんがまず語り始めだった理由もなんかわかるわ!
ところで行方不明になってた骨喰を献上するよー、みたいな話があったんだけど、秀吉、魔剣の骨喰とか普通家臣に下げ渡す?! みたいな驚きがね、あったね。

7月31日めも。

前日日付け分の続き、なんかもうわりと急いでるはずなのにこんなに悠長なことしてていいのかという気もしないでもないんですが(図書館の期限が、まあ今日中だと変わらないんですがポストに返してくるのですよ)。
骨喰はあれ、なんか木村長門守重成という人に与えられていたそうなんですが、やっぱりあれですよね、それで討ち死にしたから行方不明になった、というのは普通にどこぞに持ち去られているって解釈でいいんですよね? 違う経緯の可能性もあるけど、まあ基本的にはそういう話だと思うんだよね。
で、徳川家康さんにお目に掛けたら高値で売っちゃっていいんだけど、まず秀忠(2代徳川将軍やね)から見せて欲しいな、とか言ってる機微がよくわからない。
 
あとさっきから記述に混乱しているのですが「鬼切」と「鬼丸」って刀があるよね? 鬼切はちまちまと出てくる粟田口の鬼切国綱で、なんか知らんけど豊臣秀吉さんに嫌われて以来なんかいまいちな感じの刀。
(渡辺綱が酒呑童子を切ったよ、、とか言われてるけど時代合わないわねぇ、と言われてたアレ、というか髭切丸から鬼切った時点で改名したの? ややこし。)
鬼丸というのが北条時政が苦しんでる時に小鉢の足になっていた鬼を切ってくれたよ、みたいな感じの刀ですかね。たまに混ざって気がするよ…。
それとついでにメモですが「古刀の三作」が吉光・正宗・義弘、「五人の上手」が吉光・国吉・正宗・貞宗・義弘。ここで参考文献として『日本の美術』佐藤寒山編「山城鍛冶」が挙げられていたのでそれが読みたいですね、この本ってあれたまに見るんだけども雑誌なのかムックに近いのかちょっとわからない、探せるかなぁ。

8月1日めも。

イチから知りたい日本の神さま3の『八幡大神-鎮護国家の聖地と守護神の謎』読了、特にここには載せなくていいかなー、と思いながら読んでいたんですが、岩清水八幡宮の中に小鍛冶(ていうか小狐丸?)の伝承に沿った稲荷神社があったのでさすがに「おお?」と思ったものの、え、あれ、小狐丸を作るのを手伝ってくれた狐って稲荷の狐って解釈になるんでしょうか…今までそう説明してるところあったかなぁ。
(そもそも稲荷神社のお使いが狐なのってのもその時点で諸説あるのよね。)
ぶっちゃけこの稲荷一体いつ作られたのかしらね? さっぱりわからん。
岩清水八幡宮の本なりで調べればわかるような気もするんだけどねー、ていうか、ここが天皇やら為政者ががっつり詣でる関係でかなり偉いことは知っていたつもりだったものの(それこそ天皇が詣でた回数ランキングとかもあるで)、伊勢神宮に次ぐ第2位、2本の柱みたいに言われていたのはさすがにびっくり、えええ、いつからいつまでだろ…。
さすがに神仏習合のメッカみたいなところがあるので、廃仏毀釈以降の地位が微妙なのは当然なんですが、そもそも関東に行政首都が来てるしなぁ。
そもそも伊勢神宮もそんなにずっと強いわけでもないよね、庶民向けのプロデュースしてる時代なんてのも思ったよりかなり長いし(天皇家が弱いので仕方ないけど)。
で、第3位が春日神社と言われたんですが、これもよくわからない、聞いたことがない、わけでもないんだけどもこの本で神道or神社の本が24冊めになるはずなのにそう認識したことがない。
 
鶴岡八幡宮に関しても…、まあいいや、これはまたにしよう、あと宗像三女神と八幡の関係ってなんじゃろうね、正直まとまってなくて苦手なんだよなぁあの辺。

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(ゲーム:刀剣乱舞、その20)