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ゲーム:刀剣乱舞、その21

Last-modified: 2015-08-17 (月) 21:06:52

ゲーム:刀剣乱舞、その21

8月2日めも。

『中世の鎌倉を語る』読了、まあ正直なところ図書館の返却期限が来てしまったので手元に本がないまましれっとブックレビューを書いていたものの、正直途中から平行で読んでいた『足利将軍列伝』とところどころで混ざってしまっているんだけども気のせいです、気のせい、時代は違うし主題や書き方も違うんだけどね…。
大雑把に鎌倉の本のほうは女性中心、足利将軍の本は見事なマッチョイズムでした。
マッチョが悪いわけでもないんですけども、流れがつながってなくても気にしない大らかさとか時代が逆行してても通説に従う頑なさがあるとちょっと読みにくいです。事態が本気で混乱してる時に一部分だけ切り取るみたいな時には断行していいと思うけどねー。
(でも足利将軍の本も結構良かったよ、時代を連続させると細かい人物にまで触れなくてはならないってのが多分いいんだろうね。)
 
いやまあ、鎌倉の本なんですが源平通しての共通項として「源氏と平氏以外の存在が極端に矮小化されている」という傾向があるのが正直なところ現状ではないかと思うんですが、関東武者が源頼朝に対して恭順を示したというよりもそれぞれが独立独歩であってお互いに利用したのだ、というのに賛成ですかも。
(平清盛がなんで源頼朝を助けたのか!! みたいな謎も、ただの一武士同士の小競り合いだと普通責任者しか殺さない、と見るのが正しいって聞いたことが、そうなのか。)
そして室町時代の本でも見かけたのですが関東が独立しているために伊豆までしか入れなかったという足利将軍の弟なんて存在もいる、まあ室町時代の関東がどうなっていたのかは全然知らないのですが江戸時代以前にも関東にはいろいろあったよ、てのは最近ぽちぽちと聞くよなぁ、あれ、本の話全然してないな…まあいいや。

8月3日めも。

現在8月8日です、最近これをいつにもまして日付けを意識せずにぽちぽちと書いていたんですが、ちょっと今日は本腰を入れて埋めていくかー、みたいな決意。
『足利将軍列伝』を読み終わったのですが、一番最後にあった足利15代将軍・義昭の章で信長が彼を敵に回したことが大失策だった! と書いてあるので、おー、新味、と思いながら読んでいたんですが、この人は一体どうして義昭氏に対してそこまで大らかに人が成し遂げた功績を彼のものとして、失敗は全て人のせいにして、どんどん落ち目になっていくともはや「生き延びる」という状況になってもそれでも特に触れずに終わらせる、みたいなせせこましい感じに展開させていくんだろう、と思ってしまったんですが。
おかげで義昭氏に対しての印象がいまだかつてないストップ安に悪くなってます…。
でもよく考えたら織田信長が嫌いなだけで、あと、足利将軍は「将軍という地位がある!!!」ということで全ての価値だと思ってるだけで、あとはそんなにどうでも良かったのかもしれません、でも贔屓の仕方は考えようぜ。
結局なんでそこまで信長さんをこの末代将軍を敵にしたことを大失策扱いしていたのかというと、本能寺もそのせいみたいな結論になってたのかな。息子を人質に差し出して豊臣秀吉に媚びて生き延びてたし、さすがにその時点で褒めてはなかったしな。ううん。
男性って結構こういう感じの人が多いんで正直時々読んでて疲れます。
いや女にいないわけではないんだけども、女は愛で贔屓するって言い切るし滅びの美学を語るの上手いし、相手のこともそこまで理論捻じ曲げて罵倒しないからな…。
 
あとあれ、日野富子関係のこと語る時に時空が歪むの勘弁してよおおお、足利将軍後継者争いがあとだよ、最初の戦全部理由違うよ、強いて言えば義教(6代)だろ?!

8月4日めも。

前日分雑記に続いて8月8日ですよ、『足利将軍列伝』続きですよ、なんというか愚痴だけで終わっちゃったしな!! でもこの本、わりと良かったんですよね、一人ずつつないでいく体裁の本って昔から好きなんですがなんというか知名度が低いが低い人がきちんと扱われてて、有名な人物に関してもあんまりゴシップに走らない傾向があるんだよね。
いや、ゴシップも別に嫌いじゃないんですよ?
ただ正直、あんまり細かい話だと読んでて書いてる人の品性に触れる感じがさすがに苦手だし、プラス面と一緒に読みたいのであって、マイナスだけ読まされるとうんざりするんですよね。好意的な人が「でもこれはどうかと思うのよー」みたいなのはいつも好き。
て、またなんの話になってるんだみたいな感じですが。
あれですね、兄弟関係にある程度きちんと触れられてたの良かったな。
あと、夭逝してしまった人物がかなり多いんですが、その辺りにもあくまでも「15代全員」を扱う体裁だったので生まれや母親から触れてるのも良かったです。
それ自体がそこまで知りたいわけでもないんだけど、母親は参考になるし。
前々から話を聞いていた「藤原氏の分家である日野氏」ってのはどうも足利家と娶わせるのが不文律みたいになっていたんだね、その理由まではちょっとよくわからなかったものの、別に日野富子だけが特別ってわけでもないんだろうなこれ。
(そして夫の義政(8代)が日野氏そのものにうんざりしていたってのはさすがに事実なんだろうね、確かに前後見ても気持ちわかるわ。)
 
さすがに14代、松永弾正に暗殺された義輝(13代)の次の義栄氏のところはほとんど松永弾正の紹介になってたけどね、仕方ないよな、治世短いし…。

8月5日めも。

歴史文化ライブラリー339『聖武天皇が造った都-難波宮・恭仁宮・紫香楽宮』読了、あれです、今複数の窓とテキストファイル開けてたら今書いてたの丸っと消しましたまあいいけどね!! えーと、刀じゃないです、少なくとも刀興味からじゃなくて神社寄りのあれです神社じゃなくて国分寺ですけども。
ここに出てきていた聖武天皇が国分寺と国分尼寺を全国に作るように命じたんですよ、んでどこで読んだかはちょっと記憶にないんですが、国分寺の親分が東大寺みたいです、東大寺って刀鍛冶でも鋳物師でもぽちぽち名前見るんだよなぁ。
多分単に有力寺院だから、というのと、座を持ってる関係だと思うんですが、意外と刀鍛冶と鋳物師の記録って被らないんだよね、片方の記録しかないの。
まああれ、最近神社をぽちぽちと読むの復活させていたんですが岩清水八幡宮と春日神社が刀鍛冶に関係あったらしいことは記録見つけまして(細かいことわからんけど春日神社はだいぶガチね?)、今は伊勢神宮を取り寄せ中。
刀剣が奉納されたという程度で関係があるみたいな話をしたいわけではないので、最低でも座もしくは市を通じて刀を売っていたみたいなところが読みたいんだけどちゃんと見つけられるかなぁ、とりあえずぽちぽちとはやってみるつもりなんですけどね。
 
寺と神社が特にそれほど違うわけではないのよねー、と言われたのを信じてとりあえず読んでるんだけども、さすがに刀関係まで辿り着くには時間掛かるかも。
ただ神社関係で資料出てきた時に読むための手づるにはなるだろうし、神社関係は前からやってるので駄目でもともとみたいな感じですね、少なくとも政治体制の中に寺が関わってるのはこの段階で確実だし、なにを読んでるんだろう私、今更だけどw

8月6日めも。

『日本の美術137 刀剣-大和と美濃』読了、ええと、これは要するに雑誌扱いということでいいのかな、最近刊行を止められてしまっていたみたいなんですが、図書館にある分はとりあえず借りました、漆器とか建築とか借りたくて仕方なかったんですが、今一からやるほど余裕がないんですよね…。
神社建築や収蔵品に関しての本だけでも借りておこうかなぁ。
わりと好きな方だったんで楽しみにページをめくっていたんですが、あ、大和から美濃への系譜の方だったんですね、道理でいつも山城や備前に対して冷静だと思ってたよ!! みたいな感じですね。起源伝説に大和からも参戦出来たんだなぁ、でも「天國(あまくに)」さんと小烏丸の組み合わせは時代的にありえないらしいね…まあ仕方ない。
よくあるんだよー、伝説の時代よりもあとの刀、仕方ないよ気にしないでいいよ!
とうらぶでそんなこと物ともせずに名乗らせてあげて欲しいです、気にすんな気にすんな、周囲にはそう言われて数百年以上過ごしてたんだから。
あと、美濃と大和の関係ってのは知らなかったんですがこれはなかなか説得力。
確かに美濃って時期遅いんだけど、大和鍛冶ってどうして一斉に消えてる節があるのかなぁ、ただ、時々触れてらしたみたいに華やかさには欠けていてちょっと退屈だったかもしれないです。あ、【獅子王】は大和ってことでいいのかな?
(この本では小鍛冶宗近よりもはるかに古い作風って言ってらしたよ知らん!)
 
ただこの本を読みながらひたすらやっぱり周辺地域から中央を眺めてる人は詳しいし冷静、ただしご自分の領域さえ語らせなければ、とみたいなことを再確認していました、ところで市に出す刀に銘を打つって説あるのね、面白いなー。

8月7日めも。

あれですよ、いつ発表されたか覚えてないんですが【日本号】さんの実装が…いつになったんだっけイベントと一緒で8月11日だっけ? 基本的に最近何をしていたのかというとなんだろう、とりあえず刀装をひたすら作るために刀装を壊すためにせめても任務をこなしていたとかそんな感じです。
出撃を最小限にして手入れ優先させようかなぁ、でもそれもそこまで何人もいなかった気がする(数日前には2ページ分くらい並んでたんですが、多分慣れた)。
そういや延々と忘れてたんですが、「おにぎりの庭」の存在を忘れてました、出来れば次の小物実装は別の庭にして欲しいな!(既存のでいいから) みたいな気持ちはあるんですけども結局買ってないですね、単に忘れてたんですよ…、小判箱見てもいない。
前から同人イベントとかで「団子ー(*´∀`*)ノ」みたいにお皿用意されてる方がいるのでああいうのが好きな方っているんだろうな、と思ってるんですが、私は正直なところ細かいものを見てもどこになにがあるのかよく意識出来ない。
最近細かいもの見てもなにがなんだかよくわかんないんですよね、歳です。
なんだろうねあれ、若い頃は小さい字が格好いいと思ってたんだよ、なんだろうねあれ、最近は文字の大きさが容赦なく変えられる以上に素晴らしい機能ないと思ってる。
 
まああれ、なんの話だよみたいな感じなんですが、とりあえず日本号が「ひのもとごう」じゃなくてどうも「にほんごう」らしいとか、あんまり気にしないです。
あと、史実と異なるって書いてあってゲームだろ?! と思ってたんですが、よく考えたらあれなのかな、最近の日本刀の本でどんどん削られてる歴史的年代が合わない伝承の類が実装されるかな…? あれ一回は復活して欲しいと思ってたんだ。

8月8日めも。

当日でーす、なんかもう8月3日分くらいからちまちま書いてます、なんかあれです、中鉢美術館で【小夜左文字】が…なんて言うんだっけ、所有者の方が個人的に見せて下さるという会が開かれていたらしいです。
なんか他にもいろいろと情報が流れてるんだけども、まあさすがに結構あとまで残るのはちょっと避けておくべきかな? ただえらい面白い方だったようですねwww
重文だと申請が60日前だとか、施設のほうの設備がどうだとか、おかげで個人で持ち歩かないと違反になってしまうとかいろいろ大変です…実に大変です。
国宝だと前に読んだ本でがっつりと住所と名前が載ってたもんなぁ、少し古い本とはいえ、あれ防犯上大丈夫なのかとちょっと考え込んじゃったよ。でも実際のところ、ああやって本で一覧にするのはさておいて、誰が調べてもわかるようになってるんだろうなぁ、とは思わないでもないよね。
重文だとあれです、いろいろ管理上の問題があるとかの話もしてらしたみたいです、勝手に研ぐのも駄目だと、お手入れはどうなるのかなぁ。あれです、打ち粉ぽんぽんと油塗るやつは普通に構わないんだと思うけどね(打ち粉は使わないのも最近多いとか)。
 
ていうかあれだよな、中鉢美術館もそうだったと思うんですが(と思ったら提携関係にあるんだって)、うちの近くにある刀剣博物館と同じ財団の企画なのかなー。
他でもぽちぽちやってくれると嬉しいんですけど、て、【備前刀剣王国】のこと忘れてたよ、8月23日までですよ、渋谷区ですよ、代々木から近いんだっけあそこ(私は初台から行くよオペラシティの近く)、ていうかその気なら歩いて行けるよ!!
子牛が行けないならもう他に同行者募ろうかなぁ…、ももまんと一緒に行きたい。

8月9日めも。

『日本の美術431 日本刀-藤澤乙安コレクション』読了、とりあえず「短刀」という呼び方がだいぶあとなのはどこでも共通しているものの、いつも見ているのが懐刀だったんですがこの本では腰刀でとてもこう微妙。同じものか別なのか。
それとあれ、小刀って認識してたんですが「小さ刀」と表記されていて、ああうん、そっちのほうがあるいは自然かなって気もしないでもないけどちょっと困るね?!
 
あと、粟田口に関してがっつりしっかりと年代も系譜も記録もあるよ、ということが語られているというのは正直初めて見たのですがあまり細かく気にしないようにしたいと思います。まああの、こないだ読んでた本では「本当に、本当に粟田口の辺りに刀工いたって当時の逸話集の中に残ってたやったよ!!」みたいな感じだったんで…。
後鳥羽院が番鍛冶を置き、自分でも焼き入れをしていたのだとか、ここに名前が挙げられているのが国友、久国、国安の三兄弟。そして国清、有国、国綱の三名工がいてそれが粟田口六兄弟(たまに見るのこれかぁ! 始めて読んだ正直)。
で、次の代が国友の子の則国、さらに則国の子に国吉、国光。
さらに国吉の弟子に藤四郎吉光がいるよん、みたいに語られてました。
で、国綱に「建長5年」、国吉に「正元・弘安」の年紀があるらしいですよ。
てか因幡小鍛冶って始めて聞いたんですが、因幡の景長がが粟田口吉正(上の系譜にはいねぇな?)の子らしく、鎌倉末期から室町時代に掛けて継続したらしいです知らん!
それとなんか左兵衛尉藤原国吉銘の【鳴狐】って、あれ粟田口って藤原なの? みたいな感じです、なんか1ページの内容でほとんど済んでるよ。
山城伝の中の綾小路派ってのも始めて聞いたなぁ、と思ったら現存が定利だけか。

8月10日めも。

『穢れと神国の中世』読了、今更ながらこの本の中て語られていたのは主に平安時代以前って考えていいのかな、まあ中世だと平安より遡ることはほぼないですが(私もきちんと把握してないけど、時代区分ってのもそんなに厳密なものでもないんだよね)。
ただ正直、これ、院政になってからは「こう」ではなかった気がするのよね。
 
大雑把に「穢れ」というものがあるのはわかる、例えば大臣の公務中の頓死なんてのはわかりやすくて、ここで行われていたようなことは現代でもありえるんじゃないのかなぁ、祭事を行っていいのかどうかの話し合いですら行われることはありうる気がする。
でもこれ、ほとんどのものはまず「障り」が出てから穢れを探すんですね?
要するになにか上手く行かないことがあったから、どこかでルールを破っているはず、みたいな原因探し。しかもその上手く行かなかったという部分の本当の原因追求とは全く関係がないっぽいよねー、これ。
でもそもそも天皇がこの時代にやってるのが祭事ばっかりだと(ひょっとして現代もだね?)、まあなにか上手く行かないことがあっても追求しても仕方ないとも言える。
で、その原因は権門寺院に求められてその中から「はーい、うちです」と名乗り出て責任を取るみたいなシステムがあったらしいことが語られていたり。春日社はざくっと引き受けたけども岩清水八幡宮は「えええ、うち?!」みたいな態度だったり。
あと清目という寺社が雇っていた非人が出てきて、著者さんは重要な役を担っていると自称しているものの、なにかことがあれば切られているし、場を清めるのではなく穢れの発生源を外に出すだけ! と言っているものの、ルールを全て記憶して裁可の場で語る役だよね、普通に特殊技能者って考えるべきだと見えるんだけど…違うのかなぁ。

8月11日めも。

日本の中世8の『院政と平氏、鎌倉政権』読了、とりあえず政権運営に関しては「一体こいつらなにをしていたんだろう、他所の争いの裁定に参加したり、経済を回したりするのは少なくとも平氏辺りからだよな…で、その次が源氏の鎌倉幕府か」みたいな感じで終了! でいいんじゃないかと思うんですが。
(天皇には政治をさせない、譲位をすることでどの方向に継承していくかをはっきりさせる、というのが院政のメイン目的だって、ああ、なるほど。)
 
とりあえず別の本で読んでた粟田口の庇護者とされていた後鳥羽って確かこの時代だったような、と思ってみたらぶっちゃけ鎌倉幕府が立ち上がる前からあとまで延々とこの人でした、これなら記憶していても良かったじゃない、とも思わないでもなかったものの、なにをした人かというと、なんだろう、よくわからない。
源実朝(最後の源氏の将軍、若くして殺された人)にやたらと地位を上げさせて生き急がせたのだ! みたいに言われてもなー、結構離れた土地の第一人者に地位欲しいって言われたら断る選択もないわけでもないけど、受けてもそんなにおかしくもないじゃん。
それと公家を杖でぶつ行事の時に実際にぶっていた、とか藤原定家を連れて熊野御幸に行ってた時が記録に残ってたよ、とか、まあそれなりに悶着を起こしてはいるもののどうも意図がわかりにくいというかそこまで妙なこともしでかしてないしどうも弱い。
ただ、だとしたらこの後鳥羽さんが番鍛冶を置いていたってのはなんかしらの根拠みたいなものがあるはずだよなぁ、あとから徳を慕って話を仕立てたいという感じの人でもないし、でもわざわざ喧伝したいほどの人でもなさそうだし。
粟田口には鎌倉幕府に呼ばれた話もあるよね、両立するのかなぁ? わからん。

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(ゲーム:刀剣乱舞、その21)