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ゲーム:刀剣乱舞、その23

Last-modified: 2015-09-04 (金) 02:08:36

ゲーム:刀剣乱舞、その23

8月22日めも。

読みなおす日本史の『安芸毛利一族』読了、正直このシリーズって時々見掛けるものの意味がよくわかってなかったんですが、古い本の刊行し直しってことでいいんでしょうか、ところでなんでこの毛利家の本を読んだのかというと【一期一振】がここから来て、【厚藤四郎】がここの分家に行ったからですよ!
ただ分家も本家もそんなに変わらねーなここ?
(何度か家が別れてるけど正直全部生き残り対策みたいなので徹底してる。)
ぶっちゃけこれ読んだところで前後の事情がわかるとかは特に期待していなかったものの、毛利家がなんかすごく独特の方針を貫いた家だったことくらいしかわからなかった気がします。鎌倉武士団の出って、なんで中国地方にいるのか忘れましたよさすがにそこは覚えておけよって気もするけど中央避ける方針のほうが徹底してんだもん!!
広島から九州に行ったのは知ってるけども、広島から引き剥がして九州の長州ってなんかすげー半端な力の削り方だよな、と思わないでもない。あれですね、江戸時代の初期の頃によくあった国替えだよね、でも他でも書いたけど、もともと中国地方なのにもこもこと大きくなった家をもっと地方に飛ばすっても限度があるよね。
まあなんなら東北の地に置くって手もあるけど、東北だと道で江戸まで直結してるから「わざわざ」置くってのもなんかねぇな。
むしろこの家、ど真ん中に置いて周囲との揉め事さすべきじゃなかったのかな。
ていうかあれですね、長州藩だよね、毛利家。倒幕じゃん、やっぱり駄目だったんだな!
 
で、なんで一期一振とか持ってたんだろうね(戦場では拾えないよね)、この刀ってそれ以前の記録とかねぇのかな、あと厚藤四郎も多分その引き換えだなやっぱ。

8月23日めも。

『ジュニア 日本の美術-復古と新風 鎌倉・室町時代』読了、昭和46年の刊行だから仕方ないけどいくらなんでも古すぎたので密林にデータ残ってないのも致し方ないよね! みたいな納得があったものの、本体である美術関係のところは特に古びてないのでちょっと勿体無いような気もしないでもないなぁ。
あれだね、読み終わってブックレビューを書く時点でもよくわかっていなかったものの、鎌倉時代の美術に関しては奈良(大和国、もしくは南都)の東大寺と興福寺がこんがり焼かれまして、その復興をわりと全国的に行った、みたいなことがあったようなんですがその時点での仏師が運慶・快慶とかなので、ああなるほど、みたいな納得が。
あとあれ、室町時代においてはどうも禅宗がかなり幅を利かせてたらしく、雪舟が禅僧ですね、あの人は「絵の上手い坊さん」という認識でいいと思うんだけどね。禅宗では生活の全てが修行なので別に絵を極めても問題ないというか。
 
で、一応日本刀の検索で引っ掛けたのでそれも載っていたものの、知ってる方が書いていたせいで新味はなし、まあ、こんな短いところで新味出されても困るけど。
鎌倉が刀剣としては最高峰であるという評価の理由くらいはちょっとくらい触れて欲しかった気がするんだけど謎なんでしょうかね、実戦で太刀が必要だった時代だと思うんですが昭和46年だとまだその辺を求めるのが難しいのか。
この本を読んでいて、権門寺社を調べるにはむしろそこが持ってる美術品や仏像などの本を見たほうが早いんじゃないかな、という結論になったのですが。相変わらずだな、物があるほうが強いんだよな常に!!
関係ないんですが東福寺と東興寺を勘違いしていて困ってます、東福寺ってなんだ?!

8月24日めも。

『図説 伊勢神宮』読了です、毎度御馴染みのふくろうの本です、いつもお世話になっております、時々なんか内容微妙だけど教科書的な意味なら許されるべきだと個人的には思っていますいろいろ。
で、正直いまいちかな、と思っていたんですが、よく考えたら伊勢神宮を取り巻く権力構造の変化みたいなものを主に語っていたのでまあなんだ、これはこれで。
でも、いまいち目当ての部分はないかなー、という気もする。
お抱え刀工とかはいるんですけどね、なんだろう、今までで一番遠いような。
とはいえまあ、今後はここを外して読んで行けばいいかな、という程度のことで済むかな、大雑把に斎宮の存在によって完全に天皇家と運命を共にし、中世の頃にはこの地域を支配していた伊勢国司の北畠氏(守護職も他にいたんだけどもあんまり定まらなかったみたいですよ、なんか鎌倉の有力な家がごろごろ並んでいたわりに)。
で、その北畠氏が織田信長に滅ぼされて、豊臣秀吉の時代には「山田(ようだ)奉行所」というのが作られて、まあまあ自治やっていたんじゃないのかなぁ。直轄地とかに時々置いてあるんだけど、行政+裁判の場所みたいな感じです、この奉行所。
(江戸のドラマとかで出てくる南町奉行所とか長崎奉行所もまあ同じ意味よ。)
 
というか一応岩清水八幡宮とか春日社とかと括られていたので読んではみたものの、よく考えたらめっさ煩い他の2社と比べて特に自己主張してる様子もないというか、やっぱり天皇家と一心同体っぽいので特に勘定に入れなくてもいいのかなぁ。
江戸時代になると「伊勢詣で」が盛んになるのでつい忘れるんですが、正直特に動向に気を払う必要もなさそうかな。まあ収蔵美術品を読むとかの時には数に入れよう。

8月25日めも。

『日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本』読了、そういや私別に、【日本号】が正三位だからこの本を借りたわけではなかったものの(鋳物師とか刀鍛冶が結構官位持ってるからその意味を知りたかったというか)、今まとめてて気付きましたけど、山とか神とか動物とかの官位には触れてたけど槍のはなかったよ!
わりと話としては面白いだろうと思うんだけども、取り入れられ損ねたかしら。
あ、あとわりとどうでもいいんですけども、【蜂須賀虎徹】さんとこの蜂須賀さんのところが正三位でした、従三位はそこそこいたけど、正三位はかなり少なかったしそれよりも上は一人しかいなかったからやっぱり蜂須賀家ってだいぶ偉いよね。
(まあ近代史読んでるとわりと頻繁に出てくるので知ってる人は知ってると思うけど。)
ただしなんで偉いんだかがよくわかってないですすみません、ていうか、蜂須賀さん家って松平氏なんだけどもこの「松平氏」がよくわかってない。江戸の始めくらいに名乗ることを許されたとかそういう話だったっけ、前田家も松平氏だったりとかそんな感じ。
多分検索すればざくっとわかる部分もあるのですが保留にしておきます、最近ますますネットがあてにならなくなったというか、本がわりと信用出来ない。辛い。
 
基本的にはわりとこの程度なら知ってるかなー、という内容が多かったものの、「神」に官位を与えていたというのを知らなくてびっくり。順列付けてるのはわりと知ってたんだけども、これ要するに神社に対しての官位ってことでいいのかなぁ?
中国の官位は官職とセットなのであんまりそういう例がないらしいんですが、日本だと個人なのでいろんなところに付いてるよなぁ、ものすごく盛んに切り売りされてるし、値崩れと資金回収のシステムの瓦解が問題視って本も読んだことありますね…。

8月26日めも。

『日本の美術460 光悦と本阿弥流の人々』なんかこう釈然としないんだよなこの著者さん、みたいな感じにこの本のブックレビューをぽちぽちとまとめていたんですが、書いているうちに、この著者さんってひょっとして本阿弥光悦に体制への反逆者であって欲しかったんじゃないのかなぁ、と考えたらわりと頭がすっきり。
あー、そう受け取るとそんなに悪い内容でもなかったんじゃないのかなぁ、これ。
とはいえ、なんというか本阿弥さんところってずーーーーーっと刀目利きなんですよ、足利将軍に仕えて、現代まで刀目利き、なにかあると呼ばれる系。
歴史に疎いって言われてるわ、どうも自覚があったらしくて自分たちはちょっとそっちは苦手とか本当に言ってるわ、なんとなく受け答えもぽやんとしてて不思議系。
なんだけども、なんかこう、媚びないというか、権力者の機嫌よりも刀のほうが大事なんじゃないのかなぁ、と薄っすら思わせるようなところがある。で、それはどうも刀だけじゃなくて美術品だろうがなんだろうが美しいものに対してはそういうスタンスだったんじゃないのかなぁ、て私も考えてしまうんだよね。
この本でも歌仙三十六選の人選はそのままだけど和歌は一般的なものでなくて選び直し、並べ方もその時代に始めてされたもの、とか地味ながら冒険している。
 
そういうもろもろのところに対して反骨精神の持ち主だったんじゃないのか、という前提に立ってしまうのはわりとわからないでもないや。
でも、徳川家に睨まれていたんじゃないかってのはうーん、どうかなぁ?
光悦氏が徳川さんに貰った土地が不便だったからとか書かれていたものの、そこにあんまり褒められない人たちがなんとなく溜まってたんじゃないのかなぁ案外…。

8月27日めも。

『たたら製鉄と日本刀の科学』読了していたのですが、そこからもものまんじゅうを巻き込んでごたごたと理解のために時間掛けてました、彼女から貰った情報はまたまとめることにして、とりあえずあれですね、炭素鋼っていうものがあって(炭素鉄とも言うのかねわからん)、これが日本刀を形成しているみたいです。
まず心金に炭素が少ない鉄を用い、そこを炭素量の多い鉄で覆い。
火を入れて冷やす時の状態によってさまざまな模様が出たり強度が出たり、などの違いが語られていたんですが、まああくまで表面の話であって心金と皮鉄に関しても古刀は「まるで一体になってつながっているように見える」などの違いもいろいろ。
備前伝と相州伝がだいたいずっと出てきていたんですが、備前伝は鉄を冷やす時の速度が遅く、相州伝は冷却が早い。備前伝は表面がわりとマルテンサイトという、わりと炭素が多い状態になっているのでは、ないかな、きちんと読めてる気はしませんが。
炭素が多い鉄だとどうなるのかというと硬くて脆いものになるのだとか。
友人が言ってましたが、ダイヤモンドは硬い、でも叩けば割れるような状態。
が、刀の場合はこの状態が複雑に変わっているので強度に関しても有利ってことになるのかなぁ。ただ、刀の刃の部分に関しては均一なほうが美しいとされ、強度もあるということになるみたいです。
茎とか峰とか刃文などでも違う、科学変化による模様と、それとは直接関係のない模様とがあるようで正直読んでてちょっと分類がいつもと違って混乱したかも。
 
鉄から刀を切った本は何冊か見てるけどたたらのほうが入りやすかったかもなぁ、なんというか繰り返したり実験したりする強みがあるみたいだもんなぁ。

8月28日めも。

遺跡を学ぶ046『律令国家を支えた地方官衙・弥勒寺遺跡群』読了、さすがに全く刀に関係ない本は省くことにしようと思った(1冊省きました)矢先にこれですね、美濃地方でした、そこに「多賀柵」とか大宰府などの構造に似てる官衙があったって!
えーと、官衙ってのは何度か見てるので一般的なものかどうかわかりませんがざっくり国衙の国ではないバージョンです、国衙ってのは要するに国府のことです。国府ってのは律令制の頃の国の行政機関のことです。
前に読んでいた本では国府と国衙がどうやって使い分けられているか謎、ということを聞いたんですが、遺跡の本とか読んでると遺跡を扱ってる人たちがすでに国府と国衙を使いわけているっていうか建物や構造に関してを国衙、外から見た行政府としての存在を国府って呼んでいることが多いんじゃないかなぁ。
あれだね、東京都庁と東京都みたいな感じ、取り替えることも全く不可能でもないし例え話だと混ざることもあるけども、どっちかだけの表記のこともあるみたいですね。
まあそんなことはいいんですが美濃国の国衙ではない、なにか弥勒寺を抱え込んだこの武義郡(むぎぐん)というのが正直よくどういう存在なのか正確にはわかっていないらしい、でもこの官衙はのちの美濃国の国衙と酷似している。
さらのその美濃国の国衙はどうも九州にあった大宰府や、東北にあった多賀柵(のちの城です、防衛拠点)と似た構造をしているらしいんですが。
なんじゃい、多賀柵や大宰府って最前線じゃねーか?! みたいな。
 
というか美濃国の武義郡官衙が弥勒寺に抱えられるように存在しているのもたまに国府にある構造だよなぁ、特別な豪族らしいんですが、なんだろうねこの遺跡。

8月29日めも。

『日本の美術107 山城鍛冶』読了、正直やっぱり地域単位のほうが面白いですねここの特集、備前鍛冶に関しての号も読みたかったなぁ…(密林で「山城鍛冶」で登録されていてちょっと笑ってしまいましたが、いつ入れ替わったのかw)。
で、特に本では重要視されていなかったものの、面白かったのが粟田口のルーツで国頼さんを始祖として、2代目が国家、でこの人が刀鍛冶を始めたものの刀は残っておらず、と書いてあったんですが「つまり実在しているのは誰それからで」という書き方は感心しないなぁ、実在が確認取れるのは、だよね。
大雑把に記録が間違ってるとすべきなのはその意図が明確にわかってからで、それまでは保留にしておくべきなんだよね。作り話は実話よりも数倍明確な意図があるものなので、全然違う時代に作ってたりとかはあるけど、作った時代の事情が盛り込まれてる。
で、この粟田口の人たちが大和国(奈良)の興福寺の子孫なのだそうですが。
これはあれですね、国分寺の大親分である東大寺とくっ付いて存在している藤原氏の氏神・氏寺であるところの春日寺と興福寺の片割れですね、ああ、粟田口が藤原姓なのそれでか。
ちょっと今は記憶が蘇ってないんですが、興福寺はわりと鋳物師か刀鍛冶かどちらかで名前が出てくるはず、どっちだったかなぁ。
春日社と興福寺って微妙に被らないんだよね登場箇所、むしろ東大寺と被る。
これはもうちょっと興福寺をきちんとやったほうがいいなぁ、というより、藤原氏って一体なんなんだろうね? 東大寺とくっ付いてるのもどういう意味なんだろ。
 
あと面白かったのが来派の相州伝に近い作風に関してが見れたことですね、いつも本ではそっち系の人たちじゃなくて初期ばっかりだからなぁ。

8月30日めも。

前日分から書くべきだったかな、と思わないでもないですが、【刀剣博物館】に行ってまいりました悠樂菴(澤田康則)さん(ついった@gouyosihiro)の企画されていたもので、そちらのお仕事をされている人なのですが。ブログ見てわかる範囲のことはいいよね。
(対面だと前にしたお仕事の話とかちょいちょい聞いてはいたけどねw)
ええと、ざっくり言うとゲームから入った初心者オーケーの説明会。
で、正直なところ私はそこそこの座学の知識はあるものの、正直なところ単語の使い方が覚束ない。見てわかるものってのもほとんどないしねー。
ただまあ、歴史趣味暦はそこそこ長くて一応家族に研究者がいたような感じです。
昔になりますけど、学会にも何度か連れて行かれたんだよね。
大雑把に言うと趣味で読んでたら連れて行かれました面白かったけどね…。
 
で、ばらばらと気になったことを述べると、倶利伽羅龍が刀の表面に彫ってあるんですがあれの形が違うよ、と言われてもよくわからない。
刀だと決まった形があるのかもしれない! と思うんだけど数を知らないww
で、実際に彫られた時代がよくわからない。
樋が入ってるものがどうも多いような気もする、あと護摩箸っていう2本線(樋と似たような位置に入ってるやつ)があるんですが、「爪付き護摩箸だと思ったいたものが素剣」だとか…いやちょっと待てよ、漢字これでいいのかな、あ、大丈夫みたいですね。
同じものなのか違うものなのかは今も謎に包まれています、見分け付いてない。
というかまず備前伝そのものの特徴から話し始めていただいてたのにそのことすっかり忘れてたな、ということで翌日分に続きます。

8月31日めも。

ええと、備前伝とかここで書いても仕方ないので、私は今まで長船を鎌倉初期としてる本や情報をわりと見ていたんですが(粟田口の吉光なんかと比べるとちょっと前になるあれね)、ここではそもそも長船を鎌倉中期、一文字を完全に長船よりも前に置いていて、光忠個人としてはともかく、派としての活動は中期以降で間違いない、とのことだったんですが。
私が読んでいた本だと長光(初代の光忠の息子)の官位と所在銘とか日付けのある刀が証拠として出されていたので、どうなんだろう、どう認識すれば…、というのが正直なところです。
というか長船って初代って名前別の人でもいたよね、刀残ってるのが光忠さんからだよね、という薄っすらとした記憶なんですが、どうも刀残ってないと認められないようです(他の派でもちょいちょい見ました)、ふ、普段記録メインなのでそういう態度がちょっと慣れませんが郷に入っては郷に従え!
まあいいや、どこかで見たら記録としてはって別立てにしておこう。
あと長光さんが3人いるとか、いやいや2人だろうとか、多分私が聞いてもそういう論争があるんだろうなとしかわかりませんでしたが、面白い方もいたと思います。
  
ていうか私、一部の写真になってるのとか博物館に来る系のしか知らないからどういう基準で話し合いが行われているかわかりません!
そもそも鎌倉初期と鎌倉中期っていつのこと指してるね? というのがまず疑問になったのでそこからですね! 粟田口の末期だと中期って表現しててもいいのかな、うーん、なんかゲームメインで考えててすみません。だがまずそこが気になるもので!

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(ゲーム:刀剣乱舞、その23)