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ゲーム:刀剣乱舞、その24

Last-modified: 2015-09-16 (水) 05:38:48

ゲーム:刀剣乱舞、その24

9月1日めも。

一昨日、昨日に引き続き、わりと内容が固まらないんですが、小太刀というわりと謎の集団のことを話したり(歴史上に確かにそう分類するしかない刀があるんだけど、目的が不明ってされてるんですよね)、丸棟とか平棟の話をしたり。
あー、凛風さんがこないだ【江雪左文字】がどっちか気にしてたあれか。
なんか平棟だと中央、丸棟だと地方の傾向があるらしいんですが、どうしてですかって聞いたらば不明らしいです、あくまで傾向、よし次!
あと、今回実物は見たものの全くわからなかったのが葉と足、すみません、これあんまりまとめるものではないのかもしれないけど科学鑑定の本では併記されてたんだよ。
肌はとりあえず今回は保留で、刃文に関しては前期の展示と比べてだいぶ増えてるなー、というか、そうだ、忘れてた、長船が相州伝の影響を受けたのではないか、と言われている時期があって、確かに前期とは全く見た目が違う。
(大雑把にそこに関しては焼入れのあとが急速冷却で炭素が少ない鋼が形成されるってことでいいのかな、相州伝はあまりお肌が綺麗って気がしませんが初期だとそうでもないとか、わりといろいろ言われてるみたいですね、新藤五国光は確かに綺麗な気がする。)
 
で、そのことについて細かく考えてもしょうがないので、もうそこはそういうもんで!
少なくとも前期と後期が引っ繰り返る気は全くしないので「見ればわかる」という状態の一つのわかりやすい例かなぁという気もします。
てか、長船はわりと系譜きちんとしてるんだよね、誰の刀かってのがいろんな事情で銘が失われてるせいでわかりにくいだけで。あと、銘の形が三条とか粟田口とか来とかと違って揃ってやたら上手いのなんででしょうね? 見ただけで長船って気がするなぁ…。

9月2日めも。

基本的にこの会で感じたのはやっぱり素人はバレるなー、という部分、そこ知ってるのにそれ知らないの?? という部分が大量にあること、拘り方が独特なこと。一つのものを極端に特別な例として捉えてしまう部分、辺りかな。
私は最初のが特に強くて、2番目3番目はさすがに本読んでるからそんなにはないんだけどもね(覚えてる本を間接的に述べればいいしね)、でも、そんだけ興味あるのにあんまり見てないの? みたいなのはわりとわかるよなー、という、まあ、さくっと自分に関しては自己申告したほうがいいかなって思いますやっぱり。
そんなに見てないのは財政と時間的な理由なんですけどね;><ノ
正直ゲームから入られててもお触り会とか鑑賞の場に行かれた方はもう全然わからない、触ったものをメインで語られてるしねー、でも、あそこまできちんと基礎から押さえてる方だとむしろどこから入ってても触れても問題ないだろうしなぁ。
うんいや、たまに隠してわからないだろうって感じで語ってられるけど、横で聞いてるだけで、みたいなことあるしね。ネット由来の知識ね、特にわかりやすいよね…。
 
まあ鑑定に関しては、ずらっと部下を引き連れた将校に自分の刀を褒めろって言われて逆らえないよね? みたいなことを某刀目利きのお家の方に言われたらしく、時間経ってたからかもしれないけど、それを語れる辺りがすんごく可愛いと思いました、あのお家の方現代でもいい人なんだねなんか良かった!!
あと、戦後の大家の方はあれ、どこの地域のどの家系だ、と言われてたらしいです、厳しいな、厳しいな! もう一方は見せて貰えないという、研究も進まないわけね!
また機会あったら参加させて頂きたいです、無責任なことだいぶ言いました(ノ´∀`;)

9月3日めも。

そういやもものまんじゅう(人)となんで刀の本拠地が備前? みたいな話をしていたような気もしたんですが、話し始めの時点ってどこだっけ、ええとあれですね。
まず『ところで全く関係ないけど、天岩戸で鏡作ったイシコリドメのミコトって、あの時代に鋳造金属の鏡があった示唆になるが、その神社が大阪、岡山県津山(創建713年)、岡山県新見(勧請1313年)、奈良、にあるのね』って言われたんですよ。
で、実際にそれ以前の会話は全く違ったんですが(鋳物師と東大寺の話してた)。
そこで前に読んだ刀工関係の論文で「熊野に結構備前の刀工の記録が残ってるんだけども熊野信仰があったのかなぁ??」みたいなのがあったよ、という話をしたら、どっちかというと近場の出雲信仰(剣・武・火)があって、そことの関係で同系列の熊野三山にも参拝したんじゃないのかなぁ、的なことを言われたんですよ。
 
ええと、これですね。
『熊野は修験系だが、…熊野三山の元宮説がある(出雲の)熊野大社が火系の神社で祭神がスサノオなの。創建は神代ね。修験系というよりそっちの可能性感じるなあ』
それを受けて備前と出雲の関係を調べようとしたらもともと「吉備国」が分割されていたことが判明、そこでさらに吉備・筑紫・大和・出雲が一大勢力だった時代、というのが出てきたので「これは吉備国の出雲信仰の可能性低いよなぁ」「むしろ敵対してるみたい」という感じの話になりまして、そこから大和国の軍事活動の話になって、そういや日本海側に海賊がいてワニって言われてたりとか、ヤマタノオロチって出雲のたたら場の隠喩? 頭8つってことは本拠地複数? みたいに盛り上がりました。備前どこ行った。
とりあえず、出雲さんは脳筋技術者だな! という両者合意で〆たいと思います。

9月4日めも。

イベント終わったら貞ちゃんへの言及お願いします、せめて来年実装でもいいから!!
あと、設定としては短刀が萌えるんだけど、脇差が欲しいです、他の脇差実装して下さいでもわりと全体的な予想だと脇差って望みが薄いんだろうか、よく考えたら刀のデータ読む時に短刀と脇差はそれとなく言及されてることもあるけどあんまり拘ってなかったなということを思い出します、全体的に何の話だ!!!
 
【日本号】来ました、友人が「ぺどのてごめ」に萌えるみたいな話をしていたので、正直女子小学生からの趣味っていうには業が深いなぁ、みたいなこと考えていたら物欲センサーが切れました。多分。
物欲センサーというのは都市伝説の類です、欲しいと思ってるものほど来ない。
忘れてると来る、つまり頭を空っぽにしてゲームに挑めみたいなやつです。
頭空っぽにして無心でゲームしろってなんの修行だよ?! と今ぶち切れ掛けましたが、都市伝説です、信じたところで誰にも責任はないぜ。
『細かいことはよくわからないけども、1041枚の手伝い札が1001枚になりましたなんでこの枚数だかよくわからない。出陣が12540から13595になりました、多分40回くらい逸れたんじゃないかなぁ。記録の取り方が下手でなんもわからん<日本号来ました』みたいなこと直後に書いてました。
この特になにを伝えるつもりもないスタイル、記録に意味を見出せない杜撰さ。
まあ1万戦くらいしたってことは伝わるか、明日からはえーと、竹やぶの向こう側のものでも回収しようかと思います気が向いたら。
とりあえず手伝い札使わずに数日掛けて治療するよ、深い意味はないです。

9月5日めも。

そもそも話の始めは前に読んでいた鎌倉美術関係の「源平合戦の中で東大寺・興福寺が燃えた」という文章と、その直後くらいに読んだ「粟田口派は興福寺の関係と名乗っていて」という文章の複合なんですが。
あれなんだよね、粟田口の1代目が非鍛冶、2代目が刀を作ったものの現存していない、3代目以降にいろんな系譜図があるってのが現在の認識と状況なんですが。
これ、3世代(場合によってはもっと多く、傍系も含めて)が一気に移住したって認識したほうがいいんじゃないかなぁ、というのがね。
というより、興福寺とだけ述べられていてその前後の説明が特になかったのであまり重要視されてないと思うんですが、鎌倉の初期に京都のだいぶ目立つ位置(粟田口は主要街道の市内入り口)で興福寺と名乗ってたら嘘とか本当とか通り越してリアルタイムだから、正直これ、よほどのことでないと事実って考えるのが妥当なんじゃないかなぁ。
京都と奈良の位置関係でそんな同時代の出来事で偽るのってちょっと考えにくい…。
(で、そのくらい明白だと前後の説明省くこともあるんじゃないのかと。)
というかそもそも、粟田口ってのは防衛的にも結構重要な場所なので、この名前を名乗ることを許された集団がいたとしたら最初からかなり特殊な存在だよねぇ。
 
で、とりあえず粟田口派の初代が「非鍛冶」と言われているものの、一朝一夕で金属加工の技術を手に入れるのは難しいので鋳物師か金工(金細工師)などの寺院にいる職工の類じゃないかなー、と仮定した上で、当面東大寺・興福寺の復興に関して調べてる状態。
あんまりウェルダンに焼けてたので日本の鋳物師が無理だ!! と投げたので中国から技術者が来ました、みたいな展開でどきどきしています、続きの資料どこおおお!?

9月6日めも。

『日本の美術171 国分寺』読了です、まああれ、国分寺とはわりとよくエンカウントするんですが(前に武蔵国府を調べていた時とか、こないだ聖武天皇がわらわらっと作っていた都の本を読んでいた時の年表とか)(都複数と大仏と国分寺って、そりゃ建築予算も尽きるだろ目的なんだったんだろ一体?)、今回はあくまで建築関係の本をまとめて借りる時の前哨戦みたいな感じです、『日本の美術』の中に結構それ関係があってね。
で、実際当時はあんまり瓦屋根は一般的じゃなくて寺院くらいしかないみたいな話がされていたりとか、まあ瓦焼くってのもそうそうどこでもってわけにもいかないか。
あとあれ、武蔵国分寺がやっぱり破格にでかいとか、しかしなんでや武蔵国。
そういやどういうわけか友人が九州の大宰府の近くだからそっちの武蔵国分寺の話も聞いてるよー、みたいなこと言ってくるんですが、大宰府も一緒、なの? 大宰府だと防衛拠点って意味だと思うんだけど、国府は一部そういう防衛拠点的な意味もあるんだよね確か、国分寺って実際どういう運用されていたのかなぁ。
 
まああれですね、少なくとも気乗りしないで既存の寺院を作り変えていたケースなんてのはあったみたいだよなぁw この時代に巨大建築を行わせることでの弱体化なんていう目的ってのはありうるのかしら、いやでも、資金はともかくとして、技術力って意味ではむしろ上がりそうだし、なんか微妙。
そもそも、聖武天皇って複数の都を作っていた人でもあるんですが、中国の複都制を形だけ真似してその意図は把握してなかったらしいからなぁ(貿易拠点と、災害によるリスク分散だったらしいね、あと食糧倉庫、そっちは結構柔軟だよな)。
国分寺もねー、どうだったんだろうね、まあ寺院疎いから今はなんとも言えないな!

9月7日めも。

アート・ビギナーズ・コレクションの『もっと知りたい東大寺の歴史』読了、とりあえず取り急ぎ東大寺が燃やされたのは1180年(治承4年)の平重衝(しげひら)が大和の攻撃をした時のようなんですが、なんで攻撃したん?
大仏燃やしても特に意味ないような、気もするんだけどよくわからない。
で、藤原行隆(ゆきたか)が翌年1181年に検分した時点で鋳物師が同行していて「人力の及ぶところに非ず」と言っていたようなんですが。
さらに翌年1182年(寿永元年)に南宋の工人である陳和卿と弟の仏寿が来日。
1216年(健保4年)に鎌倉の源実朝に渡宗を進言、大船の建造をしている、みたいに書かれているんですが、その間は東大寺の復興に関わっていたのかなぁ。この時代の技術だとそう簡単にはいかなかったんでしょうね。
ううん、この辺の復興関係の記録が読めるようなら読みたいんだけどどこかにあるかな。
てか、どう考えても陳和卿って聞き覚えがあるんだけどどこで出てきたっけこの人。
あとあれ、源実朝って暗殺された最後の将軍ですね、この船も沈んだんだよなあ。
 
わりと漠然とした印象なんですが、もちろん権門寺院なんでそこまで天皇の影が薄いわけでもないものの、なんというかどっちかというと距離あるような。
なにしろ応援してくれてるのが源頼朝に織田信長(有名人だからじゃなくて、戦国時代に燃えた時に結構親身になってくれてました、あと、大仏殿の向かいの山にあった松永弾正の多聞城も壊してくれたよ、さすがに位置的に辛いわあれ!!)に、江戸時代に入ったばっかりの頃に毛利家だものね、うん、よくわからない組み合わせ。
あと、なんの恨みがあって燃やすの勘弁してあげてよ東大寺がなにしたの。

9月8日めも。

『日本刀物語』福永酔剣読了です、眠い、とりあえずこの方は故人みたいなので著者名伏せずに載せてみることにしました、なんというか嫌いではないです、「女は不浄だと言われていたものの、生理はなんら不浄な現象ではなすいことが現代ではわかっている、女刀鍛冶が出るのが夢!!」みたいなこと言っておられる時点でもう嫌いになれない。
というかあれですね、ある程度冷静な立場で突き放しつつ、刀にまつわる伝承に関しての本が読みたいな、ということで手に取ったものの、女と日本刀というテーマでした、男って逸話もあるけど女って逸話があるからこっち採用したからね! みたいな感じで全体的に物語り調、でもそんなに下世話でもないのがちょっと不思議。
 
あれですねー、【小夜左文字】の刀に関しては夫が左文字の短刀を残して死んでしまい、妻がその短刀を売りに出たところ盗賊に殺され、その息子がその敵討ちのために砥師になって短刀を探し出して敵討ち、という話にさして不可思議要素はないものの、なんというのか「いつ?」という問題があったのね…確かに時期的にちょっと変なのかも。
たまにあるらしい、逸話と刀が別のバージョンかもな、うううん。
あと、鬼を切ってる系の刀がもう頭の中で混線していてなにもかもがわからなくなりつつあります、酒呑童子を切ったのが「童子切」のはずなんだけどもそれすらよくわからない…時々他の刀が切ってる気がする。
前に読んでた病気が治る系の話も、なにがどうなっているんだか大概わけがわからなくなりましたが、このまとめて聞いてるうちに目が回るくらいにややこしいというのをまとめてぶった切って載せない、というのも正直仕方ないんだろうと思ってます。
頼むから綺麗に切り取ってまとめて実装して欲しいですとうらぶさん…。

9月9日めも。

『日本の美術158 塔の建築』読了、建築目的で同じレーベルの『国分寺』を読んでの2冊めなんですが、さすがにあれですね、形状がものすごく多彩だったり(多宝塔って私、塔の分類だと思ってなかった、倉庫かなんかみたいに思ってたよww)(実際塔に物を収めてたりするのでそんなには見当違いでもないんだけどね)、収めるものがころころ変わっていったり、なんのために作るのかという説明まで変化していくので正直なにがなんだかわからないというのが、素人でも玄人でも同じなんじゃないのかな。
もともと仏舎利を収めるためってのは聞いていたので、仏舎利そのものが数に限りがあるから「仏舎利の替わり」なのかなー、と漠然と思っていたんですが、顕教の四仏を奉るだの密教では「四方四仏」を祭るだの。
(ところで顕教ってなんだよって感じなんですが、密教以外って意味かわからん! いや「優れた教え」って意味らしいんですが、顕教と密教とを別けてるとそうとしか見えないじゃないですか…うううん。)
ていうかこれ読んでて始めて気付いたけど、なんで神社にあるんだよ!! みたいな。
いやまあ、昔は神社も寺も似たようなものだったってのは知ってるんだけどねー。
ていうかよく考えたら大國魂神社に多宝塔があったような気がする…、明治の廃仏毀釈の段階で寺関係のものが廃棄されたって聞いていたんですが、ううん、どうなんだろう、そもそもなんのために作られていたのかすら曖昧だとなんとも。
あ、大國魂神社ってのは東京の府中にある武蔵総社です、細かいこと略る。
 
とりあえず建築のルーツ的にはさすがにあんまり得ることがなかった気がしますが、作ってたの誰なんだろうねこの辺。宗派関係なしにあるからなぁ、塔。

9月10日めも。

『武蔵の古代史-国造・郡司と渡来人・祭祀と宗教』読了、そういえば昨日分の雑記で書き忘れてましたが、建築に関して読み始めたのは単なる趣味です、まあ下心を言えば建物の様子がわかったら創作に生かせないかなー、みたいなのはあるんだけどね、室町時代に関して知りたいのですよ。
ていうか、いっそ京都の資料読めばいいんだろうか、「室町殿」ってどんなのだ。
(もともと建物の名前なのですよ、建物で人を呼んでたんだと。)
 
死ぬほど全く本と関係ないんですすみません、ええと、武蔵は私が今住んでいる地域です、東京+埼玉です。この本の中では南武蔵って呼ばれてるような地域が多分概ね東京ではないかなという気がします。
そして本の中では主に北武蔵が扱われていたんですが、確かになんとなく別ける意味はわからないでもないんだよなー。
基本的に面白い本ではあったんですが、南武蔵に相当する地域、府中にあった武蔵国府が語られていなかったのでこう、釈然としない本でした!
でもよく見たらそもそも出版社が埼玉寄りだったので仕方ないのかな、という気持ちになりました、が、さすがに国府に関しては触れて欲しかったよー。南武蔵完全無視ってわけではないんだけども、なんか見てる限りでは争いが北武蔵に集中してるような、気もしないでもない、あと国造ってのがよくわからない。
武蔵国にはニ系統いたんじゃないかってのはたまに聞くんだけどどうなんだろう。
あと渡来人がいたってのは賛同、それと軍事関係の人間は確実にいるよね(大宰府まで防人出してるし)、揉めたのってその辺の絡みかなぁ、相性悪そうな。

Tag: とうらぶ
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