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ゲーム:刀剣乱舞、その27

Last-modified: 2015-10-11 (日) 16:43:01

ゲーム:刀剣乱舞、その27

10月1日めも。

『日本の美術78 運慶と快慶』読了、とりあえず源平の頃に南都焼き討ちで東大寺と興福寺が燃えまして、みたいな文章何度も書きすぎたんでちょっと飽きて来てるんですが、あと、平重衝もよく知らないよこっちも何度も打たせるなよ! と毒づきながらの感じです、なんかこの方も討ち取られたんだっけ首刎ねられたんだっけか。
まあ、なんとなく因果応報な感じに死んでらしたので、うんまあ。なんだ。
 
そういやあれ、初期の頃は京都から仏師? が出張って南都仏師の出る幕がなくて、みたいなことを聞いたことがあったんですが、なんとなくそれっぽいことが書いてあるような気もするんだけどもどうなんだろう、院派や円派などの京都からの仏師がまず復興の最初を担ったものの、すぐにその役目を譲ることになったみたいなの。
あと、興福寺も東大寺もそれほど復興に困るような身分だと思っていなかったんですが、藤原氏のバックがある興福寺と比べて東大寺は大変、と言われていて、おう、総国分寺なのにそんなものかー、とちょっと諸行無常の思いを。
国分寺なんて実際、単独でそれぞれ生き残ったみたいなものですけどねー。
総国分寺なんてのは存在からつい最近まで知りませんでしたよなんの話だ。
まあ、運慶とか快慶の仕事っぷりも躍動感あって嫌いじゃないんですけども(素人にもわかりやすいと思う)、とりあえず建築物のほうの修繕した人たちのほうが気になります、東大寺復興の勧進やってたのが初代が重源、2代めが栄西らしいのでとりあえずなぜかその本が手元にあるので次に読む予定です。
いや、なんか禅宗の日本の最初期の人なので借りて来てみたんですけども栄西さん、なぜか重源さんがセットで、ページ開いたら東大寺ってあってびっくり。おおう。

10月2日めも。

『東寺-京の玄関にそびえる弘法大師の教え』週刊 古寺をゆく03を読了、法隆寺と東大寺は行ったんだか行ってないんだかよく記憶がないのですが(修学旅行で連れて行かれてる可能性は低くはないです、日本人ならな!)、東寺は京都駅の近くにあって高速バスで早朝に付いて店も開かない段階でお世話になったことがあります。
なんかかなり観光客いたんだけども、どこまで入っていいか全然書いてないのでどきどきしたんだけど同じように高速バス組も結構いたのかなぁ、と思い出し。
 
この本の中で平安京が作られて2年のちに作られた、というのは京都八条の南、九条との間にあるという時点でなんとなく予想していたんですが、あれですね、藤原京よりもあとに作られた都ではそもそも建設の初期段階で寺を中核部分に置いてるんだよね。
これが今の私にはなんのためだかはわかっていないものの、まあ官僚機構と一緒に作られたって位置ではないよね、八条だと。
とはいえれっきとした官寺で、西寺と一緒に作られたのだとか。
ただ、今の私だと御所の位置もよくわかってないんですが、北です、数字が少ないんだ。確か。
あー、ひょっとしてだけど、都の入り口に対しての押さえみたいなものとして作られたって可能性もあるのかなぁ…?
でも、主要街道って三条を貫く形の粟田口(京都7口の一つ)だよなぁ。
すみません、まだほとんどうろ覚えな感じですよ、手探り感が半端ない。
それと弘法大師・空海さんには一体なんで全国に土木工事やったんだよ伝説が残っているのかとかそういう根本的なこともよくわからない。
そもそも寺ってなんのために作られてるんでしょうね、まずそこだよな。ううん。

10月3日めも。

イベントをぽちぽちとやってるんですが、えーと、1日2回、3枚ずつの通行手形が配布されて、小判100枚で3枚補充出来るみたいなイベント。
1枚10万ってのが相場だから、通行手形3枚で1千万円ですかね。
本番だと小判千枚になるらしいので1億円かなー、現実味ない。
【景観】を購入する時の定番である小判3万枚でも計算してもいいんですが、桁がかったるいので止めておきます。
ちなみにこの相場はまあ変動するのですが、金価格は基本的に変動しにくいものとされていまして、あと江戸はそんなに値動きが激しい時代でもなかったんだけども、小判のほうの金含有量が下がりましてみたいな事情もあるんだけどまあ関係ないね?
鋳物師って金座や銀座や銭座に属してたのかなぁ、とか今ぼんやりと。
あ、この辺は金融機関の前身を調べていた時のついでですが。
鋳物師(いもじ)って多分、江戸よりもちょいちょい前くらいに単語としてあんまり使われなくなってるんだろうなぁ、という気が。いや正規のネットワークが徳川政権で形成されていくにはいくんですけども、普段遣いはしなくなってるというか。
代替商人みたいな側面はだいぶ前になくなってるんだろうしなぁ。
 
なんの話だマジで。
まああれです、【超難】まではクリアしたのであとは適当に通行手形をぽちぽち消化しつつ、適当に玉を集めてくつもりなんですがいち兄を部隊長にするとめっさ敵出る。
燭台切さんや薬研くんの時はこんな感じではなかったんだけども、なんだ一体。
小判減らないのであんまり気にしないんですけどもね、なんか減らない。

10月4日めも。

ゲーム本体の話を引き続き、わりとあれです、真面目なプレイヤーだと思います、任務わりとこなしてるほうだと思うし。資源はだいたい常に自然回復よりも下回るようにしてまして、【手伝い札】は千枚超えまして、今は【依頼札】を集めてます。
別に集める必要ないんですけども、なんか5百枚くらいしかなくてなんとなく…。
1日3回の【鍛刀】は攻略Wikiさんのところの検証に参加してまして、【刀装】は独自でやってる総当り検証の一覧をぽちぽち埋めてるみたいな感じ。
 
こないだのイベントで来た【日本号】さんはレベル1の段階でまず【錬結】をMAXまで上げたんですが、これを1日2回みたいな感じに。なるべく被らずに+1だけ上がるみたいなことを心掛けています、特に全くメリットはないよ!!
最近やっと完了したのでレベル上げするのにくるくると遠征を回してます。
経験値5ずつの10分遠征だとさすがにそう簡単にはレベル上がらないよね。
日本号さんを高レベル面にぶち込めば刀装壊れるかな…、みたいなこと考えてます、レベル上げがどうも面倒なんですよね最近。レベル制限よく覚えてないし。
(総当り検証やってるけど、無意味に装備壊すことは出来ない系プレイヤー。)
でもよく考えたら最近さっぱり【回想】回収してなかったわ、それまずやりましょうか、日本号さん、イベントに放り込んでやっとレベル4だけども。
やる気がないわけではないんですよ、正直わりと上手いほうじゃないかと思うんですけども、なんか独自ルールが多すぎて、効率的とは言い難い面が。すごく。
ていうか小判も資源もなんで使ってるはずなのに減らないの? と思ったんですけどもよく考えたらウチ【手入れ部屋】入れるの短刀メインで、資源減らないね?

10月5日めも。

『鉄の古代史1-弥生時代』読了、結局なんの本かというと面白い内容ではあったんですが日本の全ての中心が西日本にあった、そこから全国になにもかもが広がっていったんだ、という信念は多分寝言だ、みたいな内容の鉄器版ですかねこれ。
正直鉄器以外でもいろいろ最近読むようになっているのですが、今ある歴史認識の中のどれだけがその概念から始まってるんだか計り知れないものがあるなぁ…。
いやまあ、政治に関してはいいんじゃないの西日本で、みたいなの。
技術に関して見るべきところがあった可能性とかあるのかなぁ、なんかほとんど寺が持っていた技術が主で、寺を抱え込むようになる以前はどうも特にないような、としか言い様がないです。だったらなにで支配していったのかと言われるともはやよくわからなくなるような勢いですが。
あと、「日本に青銅器時代はなかった」というのはどうも鉄剣vs銅剣に関してのみで受け取ってしまったほうがいいような気がします、さすがにこの二者を組み合わせるのは不味いんだ、武器ばっかりは鉄じゃないと不味いものの。
鉄があっても青銅器が普通に併用されていた可能性は高い、どうも祭事器のみって雰囲気じゃないよね。あと石器も併用だそうです、なんだったら石器を鉄器で削ってた可能性もあるんじゃないかなみたいな、あー、ありうるありうる。
 
いや鉄器が手に入るならともかく、すごく限られてたら確かにその利用法もわかる。でも鉄器そのものはわりと広く知れ渡っていたはずで、中国ではそのはるか以前に民衆に広まっていたはずの鉄加工技術がなんで日本に入らないのかっていう。
なんか日本人の独特の気質のせいじゃなかろうな、と今ふと心配です…。心配。

10月6日めも。

『重源と栄西-優れた実践的社会事業家・宗教者』日本史リブレット人027読了、実はこの本は【日本史リブレット「人」】ではなくて【日本史リブレット】を読むつもりで取り寄せたんですけどもね、うん、わりとどうでもいい違いですが。
で、私は実は栄西を目的で取り寄せたんですよ。
なぜかこう、「東大寺復興」がくっ付いて来たみたいな次第です。
この本自体が面白かったとはちょっと言いがたかったんですが、この当時の日本の僧侶がわりとほいほいと大陸と行き来をしていたこと(この時代の中国って南宋だっけか?)、重源がわりと政治色が強い僧侶だったらしいこと。
あと、重源が東大寺の大勧進の初代で、2代目がこの栄西さんなんですが、この間にどうも間が空いていて、東大寺側がそれほど大勧進を置くことに熱意があったとは言いにくいんじゃないかな、という辺り。
 
てかあれだよね、栄西氏って東大寺でなんかけったいな感じの釣鐘堂かなんか作って、それから禅宗寺院を作ってたら京都寺院勢から迫害されて、鎌倉殿(源頼朝の時代かな)の援助を受けての反転攻勢をしたって人ですよね。
これ、大勧進の地位に栄西が着いたって時点でどう捉えるべきなのか。
正直なところ、前後の時代軸がよくわかってないものの、そもそも東大寺そのものの復興にも鎌倉の援助があったみたいな話はあるしなぁ。
そもそもこの時代って、京都と南都(奈良)の関係ってどうなんだろうという疑問。
というか、あんまり技術者の移動って記録されていないものの、この時代だと大陸に送られていてもそんなにおかしくないんじゃないかなぁ。どうなんだろ?

10月7日めも。

もものまんじゅう(人)に話を振ろうと思ったらば、前後が思った以上にややこしかったので、まとめていく感じでまとめたら主題が変わってったんですが。
大雑把に足利13代義輝(暗殺された将軍)の時代のことらしいんですが、なんか多賀守かなにかに骨喰と薬研藤四郎を下げ渡した? みたいなこと言われてるらしいんだよね。預けたんじゃないかぁ、と思うんだけども、いや一振りならまだともかく、そのニ振り一度にってちょっと…。
というより、足利初代の尊氏の腰にあったらしいんだよね、骨喰。
(薙刀が? みたいに思うかもしれないけど小薙刀は結構小さい。)
 
で、実際に別の寺にあってこれが暗殺された時点で奪われたらしいんですが。
それやった松永秀久もどうも大友家から返還要求があって骨喰は返したらしく。
その後まあ、数年で死んでるんですが、別にここまではいい。その後、豊臣秀吉に大友家から再度骨喰が献上されたものの家臣の手に渡り、その家臣も戦場にて死亡。
そして一旦行方不明になっていたものを本阿弥光悦が回収し、徳川家康に見せたところ自分はいらないけども、息子からまず見せてってくれ、みたいに言って、息子のものになるみたいな経緯があったんですが。
骨喰を「粟田口吉光」ではないかと極めた(鑑定みたいなやつ)のって光徳か光悦ではないかと推測されていたんですが、まあこの流れだと光悦なのかなぁ。どの道この二人って同時代人なんですが、なんかこう、上手く言えないけど変な感じの流れががが。
徳川家、ちょっと危なかったんじゃないかな、とそこはかとなく息子を見やり。
薬研藤四郎とよく混同されていたのにその順なの?! とか、不思議がいっぱい。

10月8日めも。

『興福寺-猿沢の池に映える五重塔』週刊 古寺をゆく05読了、前に奈良に住んでいるのだろう人の発言がついったで流れて来ましてね、「興福寺の鹿はやっぱり立場が弱い」みたいなことが言及されていたものの、正直外の人間には意味がわからない。
あれ、奈良の人はなんの疑問もなく受け入れていたようなんですが近畿の人でどのくらいまでわかるのかなぁ、一応東海出身で関東よりは近いんですがそこはさっぱり…。
 
相変わらず源平の頃の東大寺と興福寺の炎上の本なども読んでいるので(あと、さすがにこの二つの寺の本でも燃えたことはきちっと触れてますね、被害よっぽど壊滅的だったんだろうなぁ)、まあよく燃えてるんですが。
興福寺はあれですね、室町時代の末期には燃えなくて良かったよね!!
そもそも、どうも平氏側にも特に燃やす意図とかなかったみたいなんだよなぁ、東大寺が元ってわけでもなかったらしいしね。
まあそれはまた今も別の本を読んでいるのでそちらで触れるとして、法相宗の総本山ってことでいいのかなぁ? ていうかなんで山で表現するんだうね、あ、「大本山」か。
私の祖父が史学科の講師だったんですがその資料の中に薬師寺の「玄奘三蔵図」ってのが残っていた記憶がありまして、ここはそういう関係って見ていいのかなぁ。
てか、法相宗と玄奘三蔵で直接の関係があるものなのかどうなのか。
薬師寺の本を読めば解決するような気もするものの、どうしよう、もうちょっと迷おう、この同じシリーズはこの興福寺が目当てだったのでこの後を読むか読まないかは決めかねているんですけどもねー、信長さんが燃やした比叡山延暦寺とか、本願寺とか、なにしろ薄いのだから読んでもいいものか、とか、いろいろ迷い中ですよ。

10月9日めも。

『筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳』遺跡を学ぶ022読了、正直なところ私はどうにも地理に疎いので(いや普通って気もするけど、なにしろ時代ごとの変遷が必要な身なのでそういう意味では圧倒的に情報量が足りないから努力が必要なのは単に事実なんだよね!!)、ええと、筑紫ってのはあれですね、九州です。
ていうかえーと福岡県で「豊前国」って表現したほうがわかりやすいかな、と書いてあるんですが、どうも九州って国名単位で扱われてることがないので覚えられないんだよなぁ、なんか港の名前とか町の名前とかが多いというか…。
私の読んでいるものの種類って気もするんですが、中国地方なんかはわりと国名もぽちぽち触れられてるんだけどなぁ、まあおいおいですかね。
近くに見える地名が大宰府とか、下関とか、宇佐神社とか、あら宇佐神社ここにいたの、確か八幡神社の元神? なんだっけ、まあ前身みたいな触れられ方していたんですが関係がよくわからない、難しいんですよ何回読んでもわからないんだよあれ!!
 
で、こちらの地に前方後円墳がありまして、それが大和民族との関係がなんだ、ということが書かれていたんですが、うん、とりあえず物と傾向だけ覚えておこうかなみたいな気持ちになっています。
どうもどっちが先かとかあとかとか、今の時点で断定するの無理っぽいね?
関東というか、東国の前方後円墳が時期がなんか遅いものが多いのは事実なものの、明らかに妙に大きいのがあって完全に謎、とか匙投げられていたし。
そんなに西国からっていうのが固定ルートとして捉えられてないっぽいのは最近幾つかの考古学関係読んできてよくわかりました。130m級で把握されてない時点でなぁ。

10月10日めも。

『武家の古都、鎌倉』日本史リブレット021読了、あれですねー、なんとなく「日本史リブレット」の読み潰し企画を、まだ立ててないんですけどもー、あとあれ「日本の美術」だとか「遺跡を学ぶ」とか、全部で何百冊くらいだかも把握出来ない。
あと鉄道関係でも幾つか読んでいる気もします。
なんか昔からリストをちまちまと埋めていくのが好きなんですよね、でも無意味に読むのは好きじゃないんですよ、ある意味で物欲を満たすためにやってるみたいな。
(ちょっとゲームやる人なんかの目的と被ってるかもしれない。)
 
で、正直に言うと結構面白かったです、鎌倉時代とか、室町時代とかそれっぽいものをまず読もうかなー、でも「日本の美術」とか寺院関係の本と被るのは頭が混乱するので避けて(どっちの本に書いてあったか混ざっちゃうんですよ)、みたいな感じで選んでいたらばなにぶんにも宗教色が強い鎌倉時代なので非常に茫洋としたタイトルのものになってしまい、このタイトルでなにを扱っているのかは正直わからないw
どんな本だったのかというと、遺構(生活の中に残ってるみたいなもの)とか遺跡(掘って見つけるよ!)と断片的な資料からかつての鎌倉の姿を再現するよー、みたいな感じなんですが、あー、はいはい、すごく寺院、すごくお寺さんが重要。
私、中世に寺院関係がなんとなく重要で政治に関わってくることは薄々わかってはいるものの、どういうことなのかがわからなかったんですよね、この本を読んでいるとむしろ寺院を作ってからその周辺に町を作ってるような気もしないでもない。
あと、鶴岡八幡宮(神社)が寺院と全然見分けが付かない、ごめん、でも他の神社はともかく君だけは見分けられる気がしないよ、自覚してるよね、わかってる!!

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(ゲーム:刀剣乱舞、その27)