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ゲーム:刀剣乱舞、その28

Last-modified: 2015-10-30 (金) 12:14:15

ゲーム:刀剣乱舞、その28

10月11日めも。

【6-4】クリアしましたー、ええと、実装から、4回出撃しました、2マップめで1回逸れました。イベントの時点で日本号さんが来てくれていたので、別にどっちでもいいなっていうか、国外に出るのでしばらくゲームはおやすみです(*´∀`*)ははは
ていうか3日に別けたんですけどもね、ボス任務が地味に面倒でね。
なにが面倒ってレベル制限が面倒っていうか、いつの間にかだいぶ上がってて、まあ【5-3】だけは行けるものの、あとがもう考えるのが面倒みたいな。
 
ええとね、編成はあれ、1マップめで短刀4、打刀1、脇差1のだいたい【6-2】と同じ編成ですがだいぶレベルは高めにしてました、95か94みたいな。
(気付いたらほとんどそうなってたの、レベル制限のために下の子をあんまり積極的に育てる気がしないし、カンストさせるのも趣味じゃないし。)
で、2マップめで一回逸れたので打刀2、短刀2、脇差2の編成にしました、特にボスが強いわけでもなかったので3マップめもこれで行ったんですが、特になんてこともなかったような、6-2の橋渡ったあとみたいな感じ。
打ち洩らしが2人で攻撃が2回、刀装が短刀の乱ちゃんのが飛んだんで心配していたんですが敵ボスの太刀に真正面から攻撃入れられてたけど数ダメだしねぇ。A勝利。
強いっていう噂はあったんですが、友人ともどもえー? みたいな感じ。
雑談掲示板で話してた時も強くないよねって人もかなりいたしなぁ、が、駄目な人は全然駄目っぽくてあれー、みたいな。確かにまあレベル低めの短刀4人だとちょっと心配だけどねぇ、刀装も普通に軽騎兵に軽歩兵、弓と盾でいつも通り、としか。
梃子摺ってる人とそうでない人って一体どこで分岐してんだろ?

10月12日めも。

そういえば妹のところに行くんですけどもね、で、ネット環境はあるんですけども、確かなにか噛ませないと国外からはゲームには接続出来ないらしいので(駄目ってルールも前はあったらしいんだけど今は曖昧なんだって)、まあさすがにそこまですることもないわいな、みたいな感じで、そこまで特に急務もないしなぁ。
帰国までの間にイベントが急遽立ち上がって、さらにそれが終了するようなことがあったらさすがに悔しがるので同情して下さい、まあでもあとからなんとかなるだろう。
絶対ありえないと言えないわけでもないところがあれ。
どっちかというと【6-4】が設置されたばっかりだから可能性薄そうって方向。
今一番気になっているのが7面でどの時代になるのかなぁ、みたいな部分なのですが、どうなるんでしょうね、本襲撃ではなかったみたいなこと言ってるから(一応やんわりとネタバレ回避)、文脈からすると近い時代ってこともありえないでもないし、さすがにこれより先の時代に進みすぎるのはないとして(刀がなくなっちゃうし)、過去に遡るってこともあるよね、わりと有名な事件なのかなぁ? という気もするけど。
あれだな、今いる刀が関わっていて、4分割して設置することが出来る程度に知られている事件って考えたほうがいいのかなメタ視点ですけども。
幕末か戦国か、源義経辺りじゃないかなぁ、妥当なところ行くとどうしてもね…。
もう1面進んだらある程度は知られてない話でもいいとは思うけど、その上で複数の刀絡んでて、となるとすごく大変そうだよなぁ、ううん。
 
あとあれだ、【大阪夏の陣】って可能性もあるかー、1面と6面の関係を落とし込んでみました、細かい順序わからないけど、時代順で行くとこうなるんじゃないかな?

10月13日めも。

『日本刀全集(3 日本刀の流派の見どころ〈古刀編〉』読了、私今の時点で一番情報の取りやすい(どうも江戸初期くらいまでの評価が現代まで続いているんじゃないかなー、と推測してる方がいましたが)山城伝や相州伝、それとかなりしっかりした研究者の方がおられる美濃伝、ちょいちょい頑張って備前伝も読んでまして。
大和伝は、一応ざっくりと特集していた雑誌は読んでたんですが周辺事情にまでは触れてくれてなかったんだな、みたいな感じですかね。
まあお寺関係だけどその寺との関係がよくわからないってのは仕方ないしな。
それこそ日本刀扱ってる人からすると完全な専門外だしねぇ。
(前に「座」を前提になんで複数の寺に所属してるんでしょうね、と言っていた別のジャンルの方が「いやいや、僧兵の必要数が」と返されて、なんともまあもにゃもにゃもにゃって話が流れてた対談とかも見たことがあります、だよねー、仕方ないよねー。)
(大雑把に座ってのは各国移動の身分保障なんかのためのものなので、複数属しててもあんまり意味がないんだよね、ある程度の見返りが必要だっただろうし。)
 
で、ざっくりこの本読んでて思ったのが今まで曖昧だなー、と思っていた刀工の流れが各国という単位になるとかなり説得力がある内容になっていた辺り。
あれですね、絶対年代はよくわからないもののあくまでも地域の流れに関してはちゃんとまとまって語られてるんだろうなこれ…。
この本で書いてる方がそもそもどこの刀工が最古かってことに全く触れない類の人なんですが、要するにわからんのだな? 鎌倉以前はそれぞれが独立していて、客観的な資料はないのかもなぁ、そう認識したほうが正直話がわかりやすいのかもね。

10月14日めも。

『伊達政宗』人物叢書読了、あれですね、主に【燭台切光忠】さんの主ってことで読んだのですが(えっらいごつい資料まで引っ張り出されてるよね、羽田空港にも飾ってあるらしいですよなんかすげえww)、実にこう、実にあれでした。
そもそもなんで延々と豊臣秀吉氏から逃げ回ってるのかがよくわからないし、会ったら会ったであっさりと重要人物扱いされているのかもわからない。
というか、この関係で刀(燭台切さん)盗んだんか、みたいなのがもうお腹痛い。
ここが作り話だとすると、実際に存在する刀に対して誰がどういう意図で話を作ったのかがあまりにも意味不明になるのでその可能性が薄いとは思うものの、実話だとしても一体なにを考えてそんなことをやらかしたのかがさっぱりわからない…。
どっちかというとこの話の場合、話が作られた場合と実話の場合とあんまり変わらないんだよね、なにこの記録!? みたいな記録単位の問題になるんだよなんぞこれ。
 
あと、この本を読んでいてわりとしみじみと感じたのが豊臣秀吉が秀頼を跡継ぎから外したのってかなり重度ダメージだったんじゃないのかなぁ、と。
そもそも庶民系の奥さんであるおねさんも大概人気高かったんだけど(私も好きです、なんか好きです)、この人が秀頼寄りだったらしいからね。彼女の世話になった武将たちがすっげえ反発したって言われてたのも見たことあるんですが。
なんかだいぶ妙な雰囲気で父親から逃げ回ってた政宗さんと、あっさりと仲良くしてくれる秀頼氏ってやっぱりなんかすごく人徳あったような気がしてならない!
この跡継ぎならいいかー、と思ってたら切腹したんだからな、特に理由なくても徳川付くよな、君の後半生は全然間違ってないぞよくわかるぞ。でもなんで逃げてたの?

10月15日めも。

ただいま異国におります、なのになんでこんなふうにぽちぽちと打っているのかはそういう性で生まれて来たからではないかと思うのですが、無理そうだったら普通に休むつもりはあります、ただ日本でちょっとまとめて打っていた分がまだ残っているので、まあその分くらいは放流されると思います(魚みたいな)。
一応3週間くらいみたいな予定で、妹狸(周囲の人のことを変な呼び方をしているのは気にしないでください、多分なんかの予防装置みたいな)のところにいる感じで、来た翌日の段階ではそんな調子になってました。
ただまあ、いつ帰っても大丈夫なように船便のルートとかは確認してあります、ていうか飛行機で帰国する場合に事前にわかっていないとどうにも高く付くので船になるんだよ、日本横断しなきゃならなくなるのでどうせなら九州で日本号? さん辺りとか見て来られたらいいなと思っています、常設なのってあの人だけだよね、人じゃないけど。
 
というか、刀において九州って重要らしいんだけどもどうも本土の資料に頼ろうにもいまいち正確さを欠くらしいのでちゃんとやってないんだよね(友人が九州産なのでよく指摘される、読んでいて意味が取れない時もきちんと整理されてないんじゃないかと)。
まあでも、今現地にどんな刀があるよー、みたいなのを知らないのは単に九州に行く機会というものがあんまり現実味を帯びてなかったからだけだと思います。
一応あれだ、静岡までは調べたんだよ【蜻蛉切】さんの展示の時に!
時々蜻蛉切さんっぽい展示品を見るものの、どうもよく考えたら写しだったんじゃないかなって思います、なんか聞いた話と状態が違う気がするし。きちんと移動を意識していないので今度見たら調べる予定です、写しも複数ある可能性もあるかもなぁ。

10月16日めも。

『日本の美術75 書院造』読了です、正直早まった感じでした、というか日本の建築様式って前にもものまんじゅう(人)と話していたんですが「書院造の前って…寝殿造?」「そしてその前が高床式」「あっはっはっは(*´∀`)」「いやマジで」「マジか」みたいな感じになってしまうんですが少ない、めっちゃ少ない。
ただ、この本のまとめを書いていて気付いたんですが、欧州の建築だとそもそも屋根作るのにかなり苦労していて、そこが一番重要視されてるんですよね。
日本の場合、なんというんだろう、寝殿造ってのが部屋の仕切りっていうか壁のない建築のようなもので、御簾とか障子で部屋を別けてるんですよね。書院造になると部屋そのものは分離してそれぞれの役目は出来るものの、仕切りが襖に障子っていう、プライバシーの皆無感はわりと相変わらずな感じな気がする。
しかもこれ、この本に出てくるところから二条城に本願寺に銀閣寺に個人の住宅みたいな、いやもう少しあったけどまあだいたいこの分類で、そもそも日本ってこれ以外分離しようがないんだよね。城も寺も個人住宅も同じ建築様式ってどういうことだよ、外から見たら全く違うじゃんかよ、みたいな。
 
私、中世のフランスから建築に入ったので屋根に拘る癖がありまして、続いて日本の近代建築を読んでいたので骨格、壁材辺りが気になるんですよね。
あとあれだよ、日本の中世やってるとちょいちょい出てくるのが造庭。
部屋とかそんなに拘らなくてもいいじゃない、とついつい思います。
でもある意味で、こういう空間さえあれば良いみたいな生活スタイルだからそんなに屋根に困らなかったってことなのかもなぁ。だいたいなんでも床の上に置けるもんね。

10月17日めも。

そういや私、11日の雑記で【6-4】の3マップめ(敵ボス撃破の3回め)をS勝利って記述していたんですがA勝利でしたので書き直し、多分これかんこれとちょっと混ざってたよ、かんこれは「SS」と「S」なんだよね。
大雑把に私はかんこれでもとうらぶでも、多少の傷が入っても敵を撃破すればいいという方針なんですが、敵が残っても勝利数がこなせればいい、みたいなところはあんまりないんですよね。とうらぶは検非違使戦がそんな感じですし、かんこれでも高難易度マップだと勝利数そのものが問題になっている部分があったので、撃破は目指さなくてもいい仕様だと思うんですがなんかあんまり好きじゃない。
 
で、多分その方針の表れが脇差が常に出陣メンバーに含まれること、これは盾兵を使うようになってからどこでも全く問題なくなりました、盾兵は刀装総当たりしてるとぽちぽち増えるし、滅多に出て来ないけど投石兵と違って減りにくい。
あと結構な確率で短刀が出陣していること、よほどでないと一人です。
そもそも短刀を含めて回れないような余裕のないところで周回しないってのもあるし、守備力は高くないものの、攻撃力って点で特に遜色ないしね。
(かんこれの駆逐艦だとちょっとその辺は難点ではあるのですが。)
あ、ただ、検非違使戦に関してだけは短刀はあんまり連れて行ってません、攻撃入らないし、6面ではむしろ主力だけどもね!!
で、あと、打刀が二人常にいる辺り、検非違使戦では主に刀装を減らすことを担当して貰っています、刀装が少なければ倒せるしねー、本体は強くないのよ大して。
太刀は守備力強いし本体そのものが堅い時はいいんだけどね…、まあうん、そんな感じで。

10月18日めも。

もものまんじゅう(人)宛のあれです、「松永秀久って足利義昭(15代)寄りの存在だったんじゃないのかなぁ」ツイートが「無理ぽよ、四文字の人間が全部同じに見える!!」と返されたのでその辺の補足説明的な。
ところで松永秀久氏はどっちかというと松永弾正と呼ぶほうが馴染みがあるんじゃないかと思うんですがこれは地位の名前、どうもかなり高い確率で庶民の出。
三好家の裏切り者、足利将軍を手に掛けた者、東大寺大仏殿を燃やした者、というスリーコンボを決めたせいでかなりイメージが悪くなったそうなのですが。
(でも戦国時代はこのくらい別に普通だよな、江戸の儒教混ざり教育みたいなのが敗因だよなぁ、儒教は反体制なら悪くはないけど権力に利用されるとなぁ、ううん。)
 
が、そもそも三好長慶個人の臣下であって、彼には生涯忠実だったらしく。
三好家が彼の死後は「三好三人衆」と呼ばれるよくわからん感じの集団になるんですが、要するにあれだ、誰が頭領だか判然としない状況になったって意味らしいです。誰と誰と誰、みたいに覚えても仕方ないみたい。
一旦この三好三人衆と結び付いて足利義輝(13代)を討ち取るのですが、その後三好三人衆と分裂して東大寺を巻き込んでの戦闘になり(大和国を治めてたのが松永秀久なので、要は攻め込まれたんだよな)、で、将軍殺して東大寺燃やして裏切ったよ、という3コンボ。
そしてその三好三人衆との分裂の前年くらいから織田信長とどうも通じていたらしいんですが(さらにこの翌年に織田信長とともに行動してるので、信憑性薄い記録でも特に問題ない)、その時点で差し出したのではないかと思われるのが【薬研藤四郎】。
足利義昭(15代)の上洛ののちに織田信長に差し出したのが九十九茄子。続きます。

10月19日めも。

【薬研藤四郎】は足利伝来刀、足利尊氏(初代)の腰にあったとされている骨喰としばしば併記されているような刀なんですが(なんで足利伝来なのかは知らん! ただ所蔵記録にはあるよ普通に)、「九十九茄子」は茶器で足利義満(3代)のお気に入りだったとされていて、足利義政(8代)が臣下の山名氏に渡したのちに所在を転々し、いつの間にか松永秀久が持っていたとされているのですが。
要するに松永秀久って人物は織田信長に「足利義昭(13代)の上洛の前々年に足利刀、上洛の時点で足利茶器を進呈した」みたいな流れになるんだよね。
上洛ってのはあれです、京都入り、将軍位に着くための準備。
で、織田信長ってのはあれ、わかりにくいんだけども室町幕府の三管領(一番偉いって考えると楽)の家の細川、畠山と並ぶ斯波家の分家なんですよね。
三好氏が争ってたのが細川や畠山で、斯波氏はそれ以前に没落していたんですけども。
要するに織田氏が足利将軍の後見人になるのは家柄って点ではそこまで無理はない。
 
で、この後も松永秀久が織田信長に対して何度も裏切りを働いた、と言われているものの、足利義昭(15代)と織田信長がこの後に対立関係になるんだよね、松永秀久はわりとずっと足利義昭サイドってことになるようです。
裏切りを許さないと言われていた織田信長がなぜか何度も裏切りを見逃した! みたいに言われていたものの、なんだ、単に同じ主君に着いているだけの相手に対して粛清もなにもないよね、ていうか足利義昭を裏切ったって言えるのは織田信長だよなこれ。
(足利将軍が評価されていないので認識されるべき状況とされてないのです。)
結局あれ、松永秀久って三好長慶の死後、足利義昭に仕えただけの人じゃね? ていう。

10月20日めも。

現在年表を作っているのですが、まあ、気付いたら足されるみたいな感じになるんじゃないのかなぁ、刀関係で年数がはっきりしてるのってだいぶ破格な存在だからね。なんらかの事態に関係していてそれで確定されるってのがまあ大多数。
年表それぞれにぽちぽちと文章を打っていたものの複数の年に跨っていたり複数の出来事に掛かっていたりする場合に、ちょっと年表の中からトピックを飛ばしておこうと書いているのが今のやつです。
 
大雑把にまずなんで東大寺と興福寺の炎上が年表にあるのかというと、この東大寺の復興が日本の技術ではどうにもならないから、ということで中国(南宋でいいぽい)との技術交流があったところまでが現在確認が取れまして。
そこの関係の記録が残念ながら残っていないんだけども、わずかに残っている揉め事からして公的存在である鋳物師以外にも参加していたのではないかという推測がされていること、みたいな感じに進んでいるところです。
で、これも随時書き換え、前に中世商人の本で東大寺に所属し、大工職を兼ねた鋳物師が複数いたという記録を見たことがあったんですが、今から考えてみるとほぼ多分鎌倉時代の記録で東大寺で鋳物師と大工…、復興事業だよねこれ? みたいな。
上手いことするとそこらの研究をしている人も見付けられるのではないかなー、と思っているのですが、東大寺関係の『大仏再建』の本を書いた人がわりと知られている中世学者さんだったからなぁ、まあただ、仏教事情と商業事情が結び付くのに時間掛かる可能性はまだちょっとあるかなって。
あと私は、その中継の地となった博多関係をぽちぽちと調べ物。収穫あるかな。

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(ゲーム:刀剣乱舞、その28)