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ゲーム:刀剣乱舞、その30

Last-modified: 2015-12-01 (火) 07:14:17

ゲーム:刀剣乱舞、その30

10月31日めも。

京都の地形ってのが全然わからないのでぽちぽちと検索しているんですが、平安京って一応きちんと四角い形してるって認識していいのかなぁ(前に京都の地図見てたら南北に細長い形にされててありゃー? みたいなの)。
で、奈良と京都がなんかたまに結び付いてるっぽいんだけども、少なくともその場合には粟田口とか三条通とか使わんな? という結論にはなりました、というか、ここが主要街道ってのはよく聞いていたんですが東海道の終着点ってのは認識したことなかったなぁ。
そういや【三条大橋】ってのは聞いたことあったような気はする。
(とうらぶのゲームの6面で出て来る池田屋事件のマップの一つだよね。)
あ、こないだまで五街道ぽちぽちやっていたんですが、甲州街道メインで西側にあんまり興味がなかったのでちょっとうろ覚えなんですよね。あと時代で変わるしな…。
多分正確なところは変わってないんだろうけど、扱いがちょいちょい変わるとなんかわかりづらくなってしまうのですよ、江戸の日本橋(五街道の正式な拠点)だって実際には四宿から旅立っていたっていうから無理もないんだけどね。
 
で、うーん、粟田神社っていう、「三条派」と「粟田口派」両方の伝説があるっていうか、多分どっちかだと思う的なちょっと変わった表現されてた神社があるんですが(確定出来ないからってどっちかってなんじゃいみたいな)、これが街道の出発点で旅立ちの神社的なことが書かれてました。
【三条通】で検索してWikipedia見るとまとまって出て来ますこの辺。
で、粟田口派が暮らしてたのは三条通が京都から出たとこの南側にある山? と思っていたら東山でした、東山って足利義政(8代)の別宅があったとこよなわけわからん。

11月1日めも。

『東山文化-その背景と基層』読了、相変わらずなんとなく周辺事情の理解が茫洋としているので室町時代の本を読んでいるのですが、私が茫洋としているのもあるけども、研究のほうもいろんな手探り状態の中で進んでいるのかなぁ、という気も。
ちょっとこの本で興味を引かれたのが猿楽の音阿弥がその寵愛の主だった義教(6代)を自分の演目の最中に殺されていたということでしょうか、あー、なんか宴会に踏み込んだってのは聞くには聞いていたんですが。
そしていつ聞いても6代の殺害ってなあなあに済まされてるよね。
 
まああくまで刀興味の延長で読んでいるのですが、太刀がちょくちょく文章の中に出てくるものの単語だけなんですよね、多分元の資料のほうでは刀の固有名称だったんじゃないのかなぁ、と思わないでもないんだけども、かなり出てくる回数が多いことだけはわかる、贈答品の中の定番になってるのかな? という風情が。
それ自体は大したことでもないとは思うものの、他の贈答品が出てこないんだよな。
お礼に太刀、お願いに太刀、献上に刀みたいな感じ。
武器の専門で扱ってる研究者の人がいたらもうちょっとはっきりわかるだろうとは思うんですが、これどうも、やたらと物騒な時代だからなのかもなぁ、という気も。
名刀や古刀って合戦場で振り回すためにわざわざ用意することもないだろうものの、いつどこで狙われるかわからない時はむしろある程度の格上のほうが持ち歩くのに角が立たないだろうしなぁ、差して歩いてたら狙われる確率は減るよね正直。
あとやっぱり庶民がなんか刀持ってる、数打ち物らしいですが、それと「市」として語られてるのが東大寺や興福寺がメインで、なんで奈良? 同じ著者さんの庶民本読むか。

11月2日めも。

11月16日です、帰国しました、あと、イベント『秘宝の里』が【物吉貞宗】くんをゲットして終了しましたー。これからまたしばらく、検非違使を1日1回出してボス敵をぽちぽちと撃破しながら、あと怪我人…? 5人も出すの面倒だな、みたいな感じに進めて行くことになるかなって思います。
で、あと、なんだっけ顎下から具足の一部までを切り取った新キャラのイラストが公開されまして【後藤藤四郎】じゃないかなって噂になってました。
なんかねー、小判を三枚、ちょうど三菱みたいな形につなげたみたいな形状。
家紋でも見たことあるな、と思ったんですが「鷹の羽」っていうモチーフだったようでちょっと物が違うみたい。
 
それとあれだ【5-4】を検非違使マーク付けたので、レベル制限が特になしで行けるようになりました、レベル27の明石くんを放り込んでごめんなさい、刀装を壊されますし毎回大怪我されますが、正直そんなに気にしないです。
ていうか、もう他に消費するところがない!
イベントの時はさすがに少しくらいは減るかなって思うじゃないですか、訓練って仕様だと怪我もしないし刀装も飛ばないし、あと小判箱のイベントをやっていたのでぐるぐると遠征廻してしまうんですよ、小判箱100個以上溜まってるしなんとなく開けてないんだし意味がないだろうと思ったりしないでもないんですがそういう性癖なんですよ!!
こういうのを「エリクサー病」と呼ぶようです、なんか前にも書いたような気もします、ぎりぎりまで使ったほうが効率がいいというのはわかってるんですよ、足りなくならない程度に気を付ければいいんだよ、わかってるのに溜めるから病気なんですよね!!!

11月3日めも。

【秘宝の里】イベントをやっていてなんとなくわかったのは、どうも桜付けに反応しているのではないのかなぁ、ということなんですが。
えーと、カードの結果みたいなものがですね、玉カードばっかり引くこともあるし(敵2回でボス行ったのが多分最高)、敵カードしか引かないってこともぽちぽちあった。
というか疲労や桜に反応していたような気がするんだよね。
私の場合、短刀1、脇差1、打刀2、太刀2っていう編成を多用するんですが、これがもともと誉っていう「敵に一番ダメージを与えた刀」が分散する傾向があって、わりと調子がいい。太刀はその機動の遅さからあんまり誉を取らないんですが、太刀の場合はちょっとくらい調子が悪くてもダメージは特に食らわないしね。
(軽めの刀は調子良くしておかないとやっぱり結果悪い感じです、太刀は調子良かろうが悪かろうがブレが少ない、大太刀もそんな感じかな。)
で、私の場合ここに大太刀を入れると大太刀に誉を取られるので結果が悪くなっていくという傾向があって、この時点でちょっと勘違いしたんですが、このイベント中に流行っていたレア太刀&大太刀のみ編成でもそこまで調子は悪くなかったんだとか。
うーん? と思っていたんですが、編成全体のバランスが重要なのかもなぁと。
 
私は薬研くんを部隊長にするのが好きだったんですが(誉がすごく散る)、途中で敵薙刀を2回引くだけで落とされてしまうことがあるので断念、燭台切さんを部隊長にして、薬研くんを副隊長、時々ここを入れ替えることで対応みたいな感じにしてました。
が、やっぱりいろいろ面倒だったなぁ今回…、コンスタントに時間空けてやってくのが楽だったんじゃなかろうか。

11月4日めも。

そういえば今回の【秘宝の里】イベントでは通行手形が一日2回、3枚ずつ配布されていましてこれを補充しようとすると【景観】という庭の風景を買うためだけに使っている小判千枚を必要としているという主旨だったのですが。
まあ、大雑把に私はプレイ時間がとても限られていたので頼らざるを得ませんでした、ただ、なんかよくわからないながら14万枚ほど小判はあったのでそこまで深刻にはならなかったものの、さすがに迷ったのが「小判箱を開けるか」という部分と「秋の景観を買うか?」という部分です、ちなみに秋の景観は5分迷って買いました、おかげで10万枚(その時点で結構使ってた)になりましたが、まあまだ、小判箱があるし、みたいな感じでなんとか耐えました。
極めてなんとなくなんですが、一番最初のイベントが来た時点から小判箱開けてないんですよね、私。なんでかっていうとさすがに特に理由はないんですが。
が、よくわからないけども全部の景観買っても特に減らないので正直よくどこから貰っているのかがわからない、プレイヤーレベルももう99で上がらないしなぁ、レベルアップでは結構小判も貰えて、ましたよね? 記憶ないけど。
 
今は小判箱の小が100は越えてるけどよく覚えておらず、中が80個くらいだったような気もして大が17? みたいな記憶のなさです。
ちょっと気付いたんですけども、エリクサー病ってあくまでも「使わない」ことにのみ比重を置くというか、今自分がどれだけ溜め込んでいるのかという部分にはほとんど注意払ってないのね!?
あと、どの程度の収入があるのかも無関心です本当にありがとうございました。

11月5日めも。

相変わらず日付けは嘘っぱちです、さまざまな事情で「ここに書くようなことでもない」感じの日々を過ごしていたのでその分とか特にすっ飛ばせばいいんだろうけども、まあこのくらいの日数ならなんとかなるんじゃないかな、的な発想でぽちぽち書いています。
友人の子牛がわりとゲーマーというか、最近わりといろんなDMMゲームをやっているのですが、私がかんこれが休眠中、かんぱにを他にやっていまして、子牛がそこに花騎士っていうゲームとしんけんを文句をにゃーにゃーと言いながらな感じ。
さすがに5つってちょっと多いんじゃないかなって気もするんだけども子牛。
DMMゲーム以外だとわかんないんだけども、とにかく時間が掛かるからなぁ。
で、ざっくりさっぱりと一番批判が多いのがしんけん。
評価って意味だととうらぶですね、これは何回も話してるんだけども、あくまでも操作性です、「この要素は悪くない」「この要素は本来はとてもいい」「だが組み合わせると喧嘩すんだよ馬鹿じゃねーか!!?」みたいなスタンスです。
正直、私はこういう類の批判だけは聞いたほうがいいと思うんだよね…。
UI(ユーザーインターフェイス)って意味に限っては、私もとうらぶが一番評価高くなるべきだと思います、ゲームが面白くなくても負担が少ないから許す! レベルでストレスがない、やり込んでるとちょいちょい面白いしね。
 
というより、【任務】選択制のゲームに戻る自信がもうない、あの辛かった日々、辛かった日々、ミスったのは私だよ、だが辛かった、辛かった…。
かんこれはあと、「札」が辛い。イベントにおいて時間制限と羅針盤と複数回撃破と「ゲージ回復」が来ると、さすがに折れます。いつかは帰りたいんだけどね…。

11月6日めも。

現在12月1日早朝なので、この日付けを見ると「おおう、帰国前」と感慨に耽ります、そういや今回の旅程は成田空港出発のLCC、帰りは船便(わかる方にはこれでわかるんだと思うんだけど、わかる方には別にわかってもいいんだ)、みたいなルートだったんですがすごくいろいろ考えました。
ていうか九州からだといろいろ安いんだよね、いろいろ。
ところが関東民が九州に行くまでが結構高いんだよみたいな。
あとなんというか、あわよくば羽田行きたい、とか、九州で展示されてる刀とか見たいみたいなの、まあ、実際には九州では前々から友人と話をしている大宰府(博多近辺にある国外との前線基地みたいなところ)を優先したためにそっちまでは廻れなかったんだけどね、有意義な体験でしたよ、やっぱり中央から見た言い分と全然違うなって意味で!
 
ていうか大宰府の資料館の一つにお邪魔して、地図見てたらそこのボランティア・ガイドの方にお声掛けていただいたのですけども、元寇の時代の話がさらっと出てくるんだけど正直私の脳内では地理が全くわからない。
大宰府の最盛期にはどこからどう人が来てたかくらいはわかるよ、でも、元寇の時代、要するに鎌倉末期の日本の貿易から防衛からなにからせいぜい京都とか奈良、鎌倉近辺を中心に脳内展開してしまっていて何一つわからない。
一応他の情報をつなぎ合わせて話は聞いていけたものの、なんだろう、教養部分の欠落みたいなものをひしひしと感じたなぁ。資料なんかで状況が欠損してることがあるから、仮説を頭で立てていけば話の流れはわかるにはわかるんだけども。
しかし、やっぱりさすがに知っておくべきことが欠けてるってのは切ないよなぁ。

11月7日めも。

嘘っぱち日付けですが(11月の中旬くらいの出来事ですかね、だいたい)、まあ一応少しズラすという意味で九州2日間の話をつらつらと、メインとなっていたの【大宰府】という北九州の防衛拠点に関してで、これでなんというのかな? 他の日本の防衛拠点と連動してるような気がするんだけど、みたいな話をつらつらともものまんじゅう(人)と話していたんですが、彼女が九州産なのでちょいちょい内地視点の資料と食い違う。
というか、前々からなんか九州において鉄器に関しても刀に関してもむしろ近畿よりもずっと盛んなのでは、という仄かな疑問があるのですが。
この「仄かな疑問」というのは現在目指せアマチュア! という段階の私の持論などではなくて本を読んでるとたまに出てくるあれです、大和伝風の刀なんだけども時代が古い時には九州で作られた刀でしょうね、みたいな。
鉄器は埋めておいたら腐るから実際にはあったはずなのに出てこないだけっていうけど、どう考えても出てくる絶対量が全く違うだろ、みたいな。
そんなような潤沢な資料ときちんとした裏付けのある控え目な記述と、いいえ、近畿が明らかに技術力一番という大前提で話を進めます! と、なんの資料も裏付けもない本とを交互に読んでいるとだんだんと目付きが悪くなるのでそろそろなんとかしたい。
ていうかこの辺の攻防ってざっとかれこれ20年くらいは続いてんだねからい。
 
そもそも大宰府に関しても関東の図書館だと特に興味がないらしく本がなく、おかげで日本の国の歴史そのものが曖昧もこっとした感じになっていて、よくわからないことになっているような気もするので、まあなんとかしようぜなんとか。
みたいなことをなんで目指せアマチュア! が考えているのかだが仕方ない。

11月8日めも。

11月6日分から続いております九州2日間の話、なんですが全然関係ないところにわりとすっ飛びます、そもそもなんで大宰府行ったねん、とかいろいろあるじゃないって意味で仕方ないんだなにしろ私は東海育ちの関東民。
で、今回は船便で九州入りしましてまずはバスで福岡駅、そこからバス100円区間を利用しての天神駅、そこからドミトリー・ホテルに宿泊して、概ね天神~大宰府の間で過ごしていたような風情なのですが。
あれま、西鉄ってあれ、福岡駅までつながってないんだね、てのが今更ながら。
間違ってたらすみません、天神駅始発だったような気がするんだけども。
まあいいやそんなことは重要ではないので次なんですが、そもそも大宰府ってのは今はほとんど【太宰府天満宮】のことだと思われてると思うんですが、ええと、神社だっけ寺だっけ、ていうか「宮」ってなんだよという話を資料館でもしました、神社にも寺にも付いてるんだけども、という話をしていたら友人の子牛に「神宮は?」と言われたけどそれはいいんだよ神社だから多分!(しかし多分だ
 
そもそもは大宰府ってのは異国からの貿易船をその地に留め、中央まで行っていいかの裁可する場所、というのがだいたいどこからも問題のない解説。
で、なんか結構内陸にあるんだよね、それがまあ、西鉄の支線の終点なんだけどね。
そこにある理由は「一回ぼこぼこにやられたのでびびって奥に逃げ込んだのです(*´∀`*)」と説明して下さった資料館のガイドさん本当にありがとうございました、もう少しだけ丁寧だったんだけどほぼママww
あと、元寇の頃に古い防衛施設を蘇らせたんだよねというお話も、なるほど。

11月9日めも。

11月6日分からの大宰府話(記述は12月1日、出来事は11月中旬)、大雑把に歴史の教科書の中に出てきた内容との絡みとしては「防人(by東国)」の赴任先がここだったんだよー、という、辺りなんですが。
あの庶民で武人って触れ込みのわりに各地で記録書き散らしまくってる防人、関東視点で見るとそこまで違和感はないものの、下手するとこの地域に関しては近世に至るまでの文字記録が防人のものだけしかないんですよね、と言われている防人。
防人が供給できなくなったら大宰府が維持出来なくなり、すまない、現地にいる赴任終わったあとの東国武人に頼んでなんとか持ち応えて欲しい!! みたいなことが記録に残っている程度には軍事力が専門的に強かったらしい防人です。
悲しき田舎の庶民じゃねーなこりゃ? としか言い様がありません、教科書もうちょっと踏み込んで欲しかったよ、で、その赴任先が異国からの窓口であったという大宰府で、ここが近畿圏にお伺いを立てて貿易を行っていたらしいんだけども。
中央政権が「駄目だ金ねぇから追い返せ」という答えを返してからもだんだん規模を大きくして毎年毎年やってくる商業団の記録を見て、あ、やってんな? これ密貿易完全にやってんだろそれ以外に解釈ねーだろ常識的に考えて、という米国著者さんの大宰府本で読んだ内容を現地の資料館の方にしたところ大変にこやかに場が和みました。
証拠はないけど、状況証拠は十分です本当にありがとうございました。
みたいなのが大宰府です、そういう伝統の場です。
 
で、ここに時々左遷されてくる中央政権からの有名人がいらっしゃるという伝統について語るにはもう行がないので翌日分になる予定ですだらだらと長い。

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(ゲーム:刀剣乱舞、その30)