ゲーム:刀剣乱舞、その32 †
11月20日めも。 †
おはようございます、咳が出るので相変わらず昼夜逆転気味です、現在11月27日で大阪城イベントが100階に到達しました、一応今後も1日1回だけは廻ろうと思っています、最近あれ、ボス到達任務が面倒なんですよ。
100階には【後藤藤四郎】と【博多藤四郎】がいるらしいしね。
それと噂のあれ、100階到達記念の景観貰ってきました。
一度目があれ「!」で二度目が「!!」です、ていうか、紙で貼り足してあるww
正直一度目の景観はさすがに微妙と言われても仕方ないだろうと思っていましたが、この壮大な手間を掛けてのネタは嫌いではありません。ここまで内容がどうでもいいと友人のももまんじゅう(人)にも容赦なく捨てろ! と言ってもいいもんね。
で、彼女が最近復帰したのでぽちぽちとどう編成を組んだらいいのかの話を。
私はずっと、短1脇1打2太2という組み合わせでだいたいのところは突破してきたのでその旨、まあたまに大太刀が混ざっていたり槍がいたりもするんだけどね。
ただだいぶレベルが高くなっているので、どこまで勘が鈍っていないのかは難しいところがあります、レベル90を突っ込んでいけば、そもそも特になんも考えてなくても突破出来るわよ、なんなら短刀6でも行けるわ、としか言い様がない。
うんまあ、かったるいから行きませんけどね!
ただ、太刀6もものすごくかったるいので行きません、やだそんなのろいの。
あと最近、今いない刀の話をすることが増えたのでその辺のネタをぽちぽちと気が向いたら入れて行く感じで。
それとあれです、現在も原稿中です、イベント申し込んだのが間違いだった…気も。
11月21日めも。 †
現在11月27日です、あと、ちょっとばかり締め切りが迫ったことがあるのですが、まあそんなことは気にせずに(進まなくなりました)、別の軽作業をぽちぽちと進めていこうと思ったのがこれです。
で、唐突ですが、最近よく子牛とかもものまんじゅう(人)と現在は実装されていない刀の話をすることがあるのですが、どちらかというと刀の史実に関してちょいちょいと調べることが常態化してきた、というのかな。
毎度間違える「天下五剣」の粟田口の【鬼丸】さんなんですが、あれですね、豊臣秀吉さんがなんか献上されたら一瞥しただけで帰っちゃったという。なにがあったのかがいまだにさっぱりわからない出来事の刀があるのですが。
これが混ざる、誰と混ざるって【童子切】とか【鬼切】とかと混ざる。
この二つの刀は子牛が教えてくれるまで知らなかったんですが、あれですね、お父さん同じだったんだね。切り切り兄弟か。
もう何回でも混ざるので、そういう斜めな方向に覚えて行きたいと思います。
覚える必要とかは別にないよ、どっちかというと資料でもたまに間違えてるのでメモ取ってると逆効果になったりするよ正直。
あとなんか、鬼切さんの茎(なかご)のところに「国綱」って書き換えてあるらしいです、お父さんは「安綱」さんらしいです。誰がやったんだよおおお、みたいな、ものすごい昔から由緒正しく混同されている!! みたいな。
そんな話をしていたら「あ、間違えられ慣れてるんで( ゚×゚)ノ」というキャラだといいねというももまん案が出て、大人だ、大人だ、という納得に至りました。お腹痛い。
11月22日めも。 †
嘘っぱち日付け引き続きですお気になさらず。
ところで大阪城、槍が痛かったです怪我人50人越えてたと思います、ただ、普段はあんまり怪我人が出ないのでこれを何日も掛けて直していくというのも、とは考えています、だが問題として、イベントとか【7面】がさっくり出てきたらどうしようってなってるんだよね!!
まあ、どうするもなにも、手入れ札が千枚くらいあるし、そもそも大阪城イベントが終わるまでもまだ日付けがあるのでそこまで困らないんですけどね。
で、昨日の話題に引き続きです、粟田口派の国綱の【鬼丸】と伯耆国の安綱氏の【鬼切】が混ざるんですけども、みたいな話なんですが。
あと【童子切】ってのが伯耆国の安綱さんが作ったらしいです。多分。
今の定説がそうなっているようなので違うと言われても少なくとも私のせいとかではないです、正直別の説でゲームに出てきても構わないと思うけども!!
(ていうか、刀剣業界で定説があって他の説が否定されてるのってそんなに数が多いわけではないよね正直。)
「天下五剣」は童子切と鬼丸だそうです、鬼切さんの立場はどうなるの? と登場する前から言われていますが知りません。で、前日分の雑記でも書いたけどもさらに鬼切さんの茎のところのお父さんの安綱って銘が入ってるのに「国綱」って上から書き直されてるっていう、酷い、いくら名前がややこしいからってそんな酷い。
しかもあれ、童子切鬼切の安綱さんのほうが刀工としては古いのに。
まあでも、鎌倉刀のほうが、さらに言えば粟田口のほうが知名度高いかったんだと!
11月23日めも。 †
思い切りよくぐだぐたした内容なので、自分でもよく読めません気にしない。
ええとまず、刀剣乱舞の中に「天下五剣」が意識されているのではないかというのは友人とも前に話していたことがあるのですが、刀帳の番号によってだいたい、ああこれ、入るね、というような同意に至っておりまして。
そういう意味でその中の一つ【童子切】は兄弟刀の【鬼切】も一緒に実装されるのではないのかなー、いう話題が実は前提としてありました。切り切り兄弟。
で、同じく天下五剣で粟田口に【鬼丸】という刀がありまして。
切り切り兄弟が安綱、伯耆国ってどこでしょうねと調べたら島根と鳥取の境い目の辺りにあった小さな国らしいよ、ああ、なんとなくわかる。平安時代の刀工。
鬼丸さんが国綱、粟田口のかなり早い時期に名前が挙げられていて、事実の如何はともかくとして鎌倉幕府に呼ばれた刀工ってこの人ではなかったっけか。
安綱と国綱、なんで鬼由来の刀なんだよややこしいよ混ざるよ。
そしてかつても混ざった人がおられるのか、天下五剣ではないほうの平安の切り切り兄弟の鬼切さんの茎の「安綱」が「国綱」と書き換えられたりしました。
うん…どうもなんか戦国時代にやられたらしいんですけどもね、あの時代は確か鎌倉時代の刀工のが評価高かったんじゃなかったかな、粟田口だし。
が、ややこしすぎてもうそんなことした人を埋めたい。
大変失礼ながら埋めさせていただきたいのですがという気持ちになっております。
同じ内容で3日連続書き換えて書き続けるってなんだよ、それでもまだそんなわかりやすくはないよ、一応はまとめたよ!! ということでさすがにこのネタは終了。
11月24日めも。 †
さらに鬼勢(まとめすぎてる)の話なんですが、まあまず【鬼丸国綱】はにっかりさんのあと、鳴狐の前の21番に来るんじゃないのかなぁ、刀帳。
で、【数珠丸】ってのが青江扱いらしいんで17番。
今剣のあとの空いてる13番が【童子切安綱】、15番が【鬼切安綱】(not天下五剣、兄弟刀扱い)ではないのかなみたいな話をしているのですが。
あれ、あと「天下五剣」もう一振りなんだっけか。
待ってくれよく考えたら子牛の言うとおりに鬼切が来ると【大典太】の位置なくなるんじゃなかろうか、あれ勘違いかなぁ…。一応あれ、薬研藤四郎のあとが一つ所属不明で空いてるんだけども、どうなんだろうこれ一体。
1番が空いてはいるものの、うーん、大典太がそこに入るとは(時代的に)ちょっと考えにくい感じだよねぇ、ていうかこれ実際のところどうなるんだ一体?
前に刀帳のカード番号の話をしていた段階では、私は鬼切(童子切の兄弟刀)は特に視野に入れてなかったんだな。
ただ、安綱を国綱と書き換えられたなんて話を聞いてしまうとなぁ、ううん…。
ちょっとまあ、私が迷っても意味がないので保留にしておこう。
1番に天下五剣の一つが入ってもいいようなものの、切り切り兄弟が来ると枠が2つ必要なわけだし、数珠丸と鬼丸は所属してる刀がすでに別の場所に納まってるし。
大典太はなんというか、ちょっと違う気がするのですが、どうなんだ。
子牛はわりと鬼切さんが来るものと思ってるようですがやっぱり保留で、ていうか、やっぱり刀帳のルールって完全にはわかってないかもねぇ。
11月25日めも。 †
さらに続きます(21日くらいから)、まあ少なくとも来るだろうと思われる「天下五剣」の話になるのですが、【鬼丸】はあれです、豊臣さんとこの秀吉氏に献上したらばなんか一目見ただけで帰りました、なにがあったの一体。
どうもこのあとで本阿弥家の預かりになったらしいんで、そうそう間違えとも思えないんだけども、理由とかがさっぱりわからない。
というか、こんなに中身すっからかんの話を作っても仕方ないんで、まあある程度はあったことだと捉えてもいいんじゃないでしょうか、変な言い回しになりますが作り話ってもうちょっとちゃんとしてるよね。
なにか不吉なことがあるのではないか、というわりと信じやすい徳川家もちょっと心配して本阿弥家に預けっ放しだったんじゃなかったっけか。
この辺のエピソードが一体どのように処理られてるのか楽しみです。
楽しみ、ていうか、秀吉氏は思いっきり影響が露骨に出てる【一期一振】さんがいるので親類同士で揉めたりしないですかねー。
粟田口の系譜はともかく、ここは時代が団子状のガチ親類だかんな。ガチ。
私わりと善良な気質だと思うんですけども自分で言うのもなんですが、ゲーム内の世界でまで平穏は特に望んでないですというか、揉める時はきっちり動機付けしようぜ! くらいしか求めることはないです登場が楽しみです。
で、さらに【童子切】はこれ酒呑童子らしいんですが刀工の時代が酒呑童子の伝承よりもあとらしいです、私のせいじゃないですこれも定説です。
実に実装が待たれるところです、なに、ゲームは史実じゃないから大丈夫!
11月26日めも。 †
『江戸のミクロコスモス・加賀藩江戸屋敷』遺跡を学ぶ011読了です、なんか子牛が前から加賀藩加賀藩と煩く(ゲームの中の愛染、平野、前田がここの刀で、「天下五剣」の一つも持ってたらしいです、大典太だっけか?)、正直知らない、さすがに前田家くらいなら薄っすらわかるけども全く興味がない!! と何度宣言したのかをすでに忘れてしまったんですが、延々と語られまくったのでさすがに覚えました。
たまに○○に興味はない、という宣言をしている場合はほぼ同じ理由なので、あんまり気にしないで下さい、定期的に言わないと復活するんです…。
というかなんか両親の故郷らしくて興味があるとか言われたので、なんか薄い本くらいなら読むけどそれ以上は付き合わん、みたいな約束してたんですよね。
この本はそもそもシリーズを読み進めているし、まあ江戸だとわかりやすいので読んでみましたよ、みたいな理由だったんですが、江戸時代の大名屋敷の生活に関してはわりとわかりやすくて面白かったんじゃないでしょうか。
とりあえず裕福なことは伝わって来ました、あとなんか、東大赤門として現存していることでわかるように、この地域あんまり燃えなかったんだろな、ということもわかりました、そういや前田家の西洋風の屋敷もうちの近く残ってたわあれ。
正直いまだにこの「加賀百万石」の前田家というのがよくはわかっていませんが、徳川家にとっても大事で無駄なお金使わせないようにしていたみたいなのは伝わってきてたよ、ただそもそも、屋敷内の武士が北陸からの直送で故郷の魚食ってたとかそういうのを見るとそんなに気にしなくても良かったような気もするよ!!
てか実際、藤四郎だの来だのわらわら持ってたんならそら裕福だわな。
11月27日めも。 †
『興福寺』日本歴史叢書の読了ですの、えーと、このWikiではえらいこと何度も書いたような気もするのですが、実際のところそこまで知名度が高いわけではないんだよねここ(私も最近までほとんど存在知らなかったし、地元の方は知ってるよね、あと、聞いたことくらいはあると思います、ただ似た名前の寺は正直大量にあって自信ない!)。
で、えーと、ストレートな説明としては「粟田口派が興福寺の関係」と書かれていたらしいよん、みたいなのが、直接の理由になるのかな。
で、ところがここの関係を裏付けるような正規の資料が皆無らしく(さすがにこの辺に関しては専門の方を疑う気はないよ)、ただ、時代を考えると粟田口派の登場がこの興福寺と東大寺の炎上からの復興期とだいたい重なっているので、このタイミングでそんな嘘を付くことも考えにくいだろう、と判断。
とはいえ、もちろん状況証拠しかないので、客観的につなげることが出来る資料でも出てこないかなぁ、と周辺事情を読むことにしました、というのが大雑把な流れ。
ただ、この本でわかったのは興福寺が非常に貴種の受け入れに積極的だったらしいことや、内部に大きな集団がいて、そこがなにをしていたのかは記録にはなさそう、という証拠にはならないけども、状況証拠の一つにはなる程度の内容でしかなかったかなあ。
というかそもそも、炎上からの復興に関しても多少は触れられていたものの、そっちの事情はどちらかというと藤原氏や国の支援が主で、そんなに特に拘るほどのものでもないのかな、という気もしないでもない。
東大寺の場合はそれこそ支援が受けられないこともあって民間からの寄進メインになってたってのに、あれだよな、こっちは政治色全然薄れてる感じないよなぁ。
11月28日めも。 †
『日本刀全集(4 日本刀の流派の見どころ〈新刀・新々刀編〉』読了、友人の子牛が新刀に興味があるらしくて時々質問を投げられるのでどうかな、と思って借りて来たものの、うーん、どっちかというと「新々刀」のほうが良い内容だったな。
てか、源清麿も水心子正秀氏もさすがに新しい時代の人だけあって弟子との関係なんてのもちょくちょく書かれてて面白かったなぁ。
清麿ってあれ、要するに【長曽祢虎徹】さんのお父さんってゲームの中ではなっているらしいですが、他でも「贋作の中でまともなのは清麿くらい」という表現を見ているのでまあまあ、違和感はないかな(これ刀帳で喋ってたのね、把握してなかった!)。
他にも水心子正秀氏も贋作に関わっていたことがあるとか、有名刀工の子孫が時々祖先の名前で刀打っていたらしいとか、新々刀もなんか厳しいなぁ。時代的にしょうがないんだけどね、まあさすがに。
あと鑑定書である折紙についてとか、贋作に関して、「つくろい」っていう刀本体に対して施す作業などは正直なかなかわかりやすい内容だったと思います、これ、どっちかというと初期に読んだほうがいいんじゃないのかなぁ。
正直つくろいの内容でどこが評価されているのかがわかるし、贋作について早い段階で聞いておけば全体の情況わかりやすくなるだろうし。
いわゆる贋作と真作(って表現もなんか妙な言い回しですが)の間にグレーゾーンみたいなものが思ったよりもかなり広範囲にあるってことを前もって知っておいたほうが、踏み込んだ資料読みやすいと思うんだよね。
新刀に関しては良かったのは江戸刀工くらい、新刀メインの本どこにあるかなぁ。
11月29日めも。 †
『中世日本商業史の研究』の再読、なんでこれを読み直したのかというと要するに中世ってのはざっくり鎌倉時代から室町時代くらいまでなんですが(時代区分で別けるわけではないので物によって区切り違ったりするよ、平安末くらいから江戸以前くらいが一番広い幅かな)、日本の商業史の最初の一ページがそもそも「鋳物師」なんだよね。
京都三条のところに釜座だの鎌座だのが出来たそうですよ。
(ただしこれは資料がよく残ってないらしくて、まあ初期の頃だろうね、的な感じでいろいろ曖昧、お寺さんが持ってる座とかもよく出てくる。)
なんかあれ、地方に鉄製品持ってくんだけどもそのついでに別の物産品も持ってくよん、みたいな記録が残ってるらしいです。これは友人も言ってたけど費用対効果の問題や、消耗財ではないのである程度同じ地域に売りつけたら移動したほうがいい、という理由などによるんでしょうね。
で、読みたかったのは鋳物師兼大工に関してなんですが、ものすごくしれっと「東大寺や興福寺の周囲に住居していた」とあったよ、あったあった! これ、そもそも鋳物師の移動そのものが概ね中世になってからという事情を考えるとどう考えても平安末期の源平の時代に燃やされた東大寺と興福寺の復興作業とどんぴしゃの時期のはずなんですが、残念ながら著者さんにその知識がないみたいで触れられていない!
あと、東大寺にやっぱりいる、鋳物師兼大工。
もともとの国の管轄だと鍛冶と大工の省が合併してたはずなんですが、民間とか藤原氏がだと鋳物師と大工のペアリングなんだよね、次はこのイメージ掴みたいなぁ、と思うんですが、もものまんじゅうは「自然だヨ?」と言うんだ、ちょっと待ってくれ!!
Tag: とうらぶ
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