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ゲーム:刀剣乱舞、その36

Last-modified: 2016-02-03 (水) 01:03:27

ゲーム:刀剣乱舞、その36

12月30日めも。

年末年始からやっていたはずの【御年魂】イベントがいつから始まったのかさっぱりと忘れていたのですが、うーん、1月1日(年越え2016年☆)の雑記を見ると「3日くらい掛けて編成を作っていた」みたいなことを書いていたのでこの辺から始まっていたのかなぁ。
この日は確か同人誌イベントがありまして、友人のところで座っていたはず。
いや、29日だっけ30日だっけ、というのがちょっと怪しいけどね! この辺。
なんか初日には【難】までしかステージが設置されていなくて、一周で手に入れる魂の数が200しかなくて、一日のノルマが! という計算が出回っていたのってこの前後のはずなんだけどもさっぱりと日付けの記憶はない。
そういやあれ、なんで最終ステージが来る前に計算して(そこまではいい)、それで間に合うわけがない! と絶望するのだろう、と呟きがあった頃ですね…。SNS特有の伝言ゲームだと思うんだけど、なんか始めた人はそこまででもないんだけど受け取った人までの間で中間要素がすっぽ抜ける。
てか結局、【超難】のほうが時間掛かるからって難ステージでやってた人も結構いたしなぁ、私は一応超難ステージで続けていたんですが、疲労抜きだなんだでどっちかというとさにわが疲労状態。
出来れば編成に関しての苦労はあってもいいので、周回が発生する場合は変化もしくは気を抜いても大丈夫かどっちかにして欲しいものです…。
結局あれ、本も読めなかった感じだからなぁ、それで変化あるのならばまだいいんだけど、目が離せないわりに単調なんだよおお、さすがに辛かった。
 
まあ早い段階で難ステージに移動したら良かったのかなぁ、と今となるとしみじみ、さすがに小判の消費とか隊の疲労とか考えてしまったものの、次は融通利かせたいなぁ。

12月31日めも。

昨日分雑記ともども、リアルタイムで年越し2016年1月24日です(*´∀`*)
まあ、さすがになんぼなんぼでも時間が経っているのでなに書くよ、ゲームにしたところでイベントが終了して、次のプチ大阪城が予告されてるよん、みたいな感じだし、年末年始に本読むのが減ってるのも多分あれ、御年魂イベントが「気が抜けなかったのに周回!!」だったからだよなぁ、みたいな感慨になるし。
まああれ、少し冊数を増やすためになにか、と思ったものの、冊数稼げるようなものは去年大概読み尽くしてしまっているしなぁ。
あくまでも遊びでやってるものの、ちょっと到達しないと悔しいものはあるよね。
(去年は年の前半に「1日1冊」、後半に「2日1冊」と設定してました、まだ去年の11月の半ばくらいの冊数にしかなってないんだよね。)
今まとめて予定しているのってのはだいたい『日本史リブレット』と同じくそこの『人』シリーズ、あと『日本の美術』と『遺跡を学ぶ』くらいだっけか、一昨年に読んでいた鉄道関係は今ちょっと読んでいないんですが、あれも結構まとめて読んでいたなぁ。
その時の嗜好によって読み進められる本とそうでない本がやたらと違うのでジャンルを変えるみたいなことをしているものの、今のジャンルになって1年くらい経ってるわけだし、そろそろ前のジャンルの本を読むほうがむしろ頭がすっきりしていいかもなあ。
 
うん、ちょっとその方向で考えてみるか、あと、神社とか寺とかで薄いブックレットのようなものがあるんですが、これをもう少し読み進めるかどうかを迷い中。
ただなあ、広く薄く読むのもいいんだけども、もうちょっと方針みたいなものが欲しいのできちんと考え直してみるのが先かもね。とりあえず2015年分雑記終了です。

2016年

1月1日めも。

あけましておめでとうございまーすヾ(*´∀`*)ノ
現在リアルタイムは日付けが越えて1月2日、だいたい丸っと10日ほどをすっ飛ばしまして、ページを切り替えていますが、まあ無理っぽかったら諦めて再編集なりとしていくつもりです、そして現在「30分置きにとうらぶイベント」をやっているのでだいぶ辛い感じです。間を空けつつやるってのがねぇ、駄目なんだ、やるならやるで完全に徹底して短期間でみたいなほうが気持ちが楽なんだ(その間にこういうものを打ってます)。
まああれ、多分攻略サイトとかでなんか編成例が出てると思うんですが、3日ほど掛けてだいたい妥協出来るところまで練り上げたかなー、て感じ。
 
1~2戦:打3、転換打1、脇差、短刀で打刀の一部以外は高レベル。
3~4戦:脇差、打2、転換打1、槍、大太刀。
5~7戦:短刀4、打1、脇差。全部レベルは低めです、60~70くらい。
8~10戦:脇差、転換打1、太2、槍、大太刀。
みたいな編成ですね、レベルは全体的に90前後くらいから96までですだいたい。
2が夜戦、5~7が室内2戦、通常夜戦2戦。
あと高速槍(金槍)が3、4、8、9に1体か2体いる感じ。
これをこう、30分経ったところで1回ずつぐ~るぐるぐる、みたいな。
だいぶ作業手順的には楽にはなったものの、神経のほうがちょっと辛いですよ、まあただ、その間にいろいろするよ、これ書いてる最中もそもそも隣の窓で夜戦やってます、B勝利になることはあっても怪我が深くなることないからねー。
で、今、えーと、1万2千かな、まだまだ先は長いぞー…。

1月2日めも。

今1月2日分の雑記を書き終えたところで、どうせなら取り替えてリアルタイム時間と近くするか、みたいなことを薄ぼんやりと考えています。
とりあえず1月1日と2日には友人たちが箱根駅伝を見ているので(全然違うところで関わったんですが、皆スポーツ好きだったんだよね)、それに付き合いがてら「30分ごと」にとうらぶのイベントを回す、ということをやっていたんですが。
正直、その間にあれやこれやとやっていたものの、だんだんさにわが赤疲労に。
あと今【かんぱに】もお正月イベントなので一応ぽちぽち回しているものの、うん、資材とかが回復しても放棄、気にしないということを徹底しないとなぁと。
ゲームで遊ぶのはいいけど、ゲームに遊ばれるなよ、というのが真理かなと思います。
まあとうらぶはイベントでも一日ノルマだと本当は大したことないんだけどね!
あと、早めに手に入れたい系の人間かというと別にそんなことはないものの、周囲がどんどん手に入れてると焦るという並メンタルです。
兄者が手に入ったので(1月4日時点)もうそんなに焦らなくてもいいとは思うものの、ある程度早くやっておいて毎日こつこつやらなくてもいいようにはしたいなぁ、と思う程度の駄目人間、例えそれがゲームでもやり方に人柄って出ますよね。
 
ていうか、結構さぼっちゃったのでゲームしててもいいから同時に本を読む生活を復活させたいんですけどね、その場合はむしろゲームと平行のほうがいい。
アニメとか特撮とだとさすがになんか混ざるしな!
去年のノルマ冊数がだいぶ足りないので(年の前半に1日1冊、後半が2日に1冊)、補填するかどうか迷ってる、もちろん冊数が偉いわけではないですただの性癖です。

1月3日めも。

現在リアルタイム1月4日ですおはようございます、お風呂入らずに寝てしまったので朝風呂にしようかなんか面倒だな、みたいなところで揺れています。
ところでイベントで兄者が来ました、髭だっけ膝だっけ!!
まあどっちかです、「丸」が付いた名前って微妙に覚えるまでに時間掛かります鶴丸さん以外(鶴丸はめっちゃ汎用の名前なので個人識別そのものが早かったわけでもない)。
世に物欲センサーという都市伝説があるのですが、友人のもものまんじゅうと今回は脇差が足りないよねー、みたいな話をしていたら【浦島虎徹】を2振りカンストしてる方がなぜか脇差が6振りしかないらしく、【物吉貞宗】くん取り損ねたの? と聞いたら「ううん、いないのは青江ー(*´∀`*)」と言われて腹抱えて笑っていた瞬間にイベント超難面から帰って来たのでおかげで気が紛れて兄者が来ました。
いや、兄者ってのも他の人がそう呼んでるから覚えたんだけどね!
その節はありがとうございました、ドロップのこと忘れてると来るんだよ、友人の子牛なんて6-2面で明石くんが来たの国外のテロルのニュースが流れて来た瞬間だったからな…、ちょっと止めてよぅ!! みたいに言ってました、ごめん語り継ぐ。
遠い日本からその節は申し訳ありませんでした、別に悪事はなんもしていない。
 
ところで今更なんですが今回のイベント名なんだっけオトシ魂…忘れた、今回のイベントはなんか一回廻って300個が集まるものを5万個要求されるということで絶望する人がいても無理はない、という程度で特に不満はないんですが。
オトシ魂の当て字だけはねぇだろおい、と思ってます。なんの魂集めだよ。
もう慣れたよって言われたけど、もうちょっと爽やかに笑い飛ばしたいんだ!

1月4日めも。

『古代を考える-近江』読了です、前からちょいちょい出てくるものの、どうにもこうにもイメージが出来なかったのがこの近江なんですが、まあ、基本的には東海道や東山道(江戸の頃には中山道って名前になってますが)、北陸道などの合流点として交通の要所であっていわゆる古代の首都圏の東の端ってことでいいんじゃないのかなぁ。
なんかさすがに内容堅すぎるというか、ブックレビューみたいな内容だけど。
 
ていうか正直なところ天皇家の後継者争いみたいなところがよくわからんのでその争いに端を発した出来事をスルーするところがいけないんだろうなぁ、正直。
とりあえず近江は聖武天皇の時代(百済系がどうのってあの人)にこの土地で都を作り始めていたということでまず認識していたんですが、これを作っていたのが「造東大寺司」だったのでびっくり、え、いつからあるのこれ?! としか…。
友人は予算計上の問題じゃないかなー、と言ってるんだけど、私は技術力というか、一番気になるのが瓦の問題だったので(藤原京以前は瓦使った建築って寺院にしかないって言われてるんだよ)、主にそこに主眼があるんじゃないかなと、思ってるんだけどこんなこと素人がわかるわけないので専門家に語っておいて欲しいです。
というか東大寺ってもともと近江に大仏を作ろうとしていて、結局駄目だったからって奈良に持ってきたってあれなんですが、最初の名前違ったんじゃないかな、と思えてならない、友人はそもそも「東大寺」そのものが固有名詞ではなく普通名詞の可能性もあるんじゃないかな、と言ってるんですがどうなんだろう。
この造東大寺司はどっかで寺から天皇が巻き上げてるんですが、最初から都そのもの作ってたらなぁ、ううんこれ、どう読んだら正しいのかしら。

1月5日めも。

『京都謎とき散歩-古都1200年のロマンを訪ねて』読了、まあすごくざっくり、通説みたいなものをどこかで把握しておかないと本を読んでいる時に「なにが否定されているのかよくわからない」ことになるみたいな理由で読み始めたんですがわりと辛かった。
まあ、別のブックレビューのほうで悪いところはすでに書いてしまったんですが(さすがに応仁の乱に関しては言ってもいいと思ったしね、ただこの戦に関してはもともとの記述が全体的に酷すぎて著者さんの単独理由だとも思えないけどな!)、良かったところを繰り返すと千利休と細川忠興、それと中宮安子の話。
ちょくちょくと出てきた鬼退治話なんかも悪くはないものの、オカルト絡みに関しては得意な人が他にもいるからなぁ、及第点みたいなところでしょうか。
御霊信仰に関しては、仏教ならびに神道としての新しい潮流という観点で語られているのを見ていたので私にとって面白い内容ではなかったものの、単独で読むには十分じゃないのかな、過不足なし。
武士と鬼退治との伝説に関しては、私には評価していいものかどうかはわからなかったものの、確かになんか恣意的な流れは感じないでもないなぁ。
(どういう人物に伝説が仮託されることになるのか、ということを語ろうとしていたんだと思うんだよね、そこまでは至ってなかったんだけど、途中まででも価値はあったように思えます、源頼光ってこういう人生だったのね、不思議。)
 
まあ、あれ、なんだ、女性とか敗者とか、敗者に対してのシンパシーに共鳴を示しつつ距離を取り、強い女性に対しての嫌悪感に対してを軽く揶揄しつつ、でも爽快な嫉妬ってのもあるよねというスタンス自体は嫌いではないんですけどね、もちろん。

1月6日めも。

『秀吉の朝鮮侵略』日本史リブレット034読了、まあ秀吉の最大の愚行としては有名でただし教科書などでは数行で終わってしまうこの出来事なのですが、ちょうど他の本で読んでいた日本で同時期に起こっていたことを思い返しながら読むとちょっとあれかなぁ、趣が深かったかなぁ。
そもそもこの「朝鮮侵略」(と表現するのが妥当だと思います)、秀吉の死でようやっと止まったんだけども、どっからどう見ても徳川家康がなにやらかしてるのかを完全把握しながら止めなかったor止められなかったというのが透けて見えるので、他の戦国大名なんかがどう考えていたのか不安な気持ちになりますね、結構ぽちぽち行ってるよな…。
いやそもそも、対馬の属国と勘違いしていたので臣従の要求をし、明に攻め入るためのルートにしようとしていたって、地図見ようよ、なに考えてんだよ!? と思ってしまうのは現代人だからだろうか。
いやでも、家康どう考えても事態把握してるよね、なんだこの話。
 
で、この時期に「醍醐の花見」だの秀次(甥で養子)の死などの出来事が起こっていたらしいので、なんかこう、溜め息。そういや弟も死んでるんだっけ確か。
なんかこういうの見てると小さくて特に人物の年表には出てこないのだろう出来事とかと、こういう歴史事件とを年表作って並べてみたくなるよねー、面倒いけど。
いやだって、秀吉はそんなに特に守備範囲でもないんだもの…燭台切さんがどの時点で伊達政宗のとこに行ったんだっけとか、どの時点でどの城だっけか、みたいなことは把握しておきたいんだけどね、てか、関係ないけど名護屋城ってなんじゃい多分博多の辺りに作っていたんだろうあれ、あと、黒田さんたち本気だったのマジで!? てのも気になる。

1月7日めも。

リアルタイム2月2日です、そろそろ日付け越え近辺です、どちらかというと「やらなくてはならない原稿」があるのを手を付けていないのが問題なんですが本を読んだりこういうものを打ち込んだり、テレビで城題材の番組を見たりしています。
別に切羽詰ってるわけではないんですが、早く始めないとならないのになんで逃避するんだろうか、なにか計画の立て方間違っているのか飽きて来ているのか…。
 
ええと、ここのところちまちまと平城京の本を読んでいてそこに「外京」という場所があったんですが、どうも藤原氏が平城京が作られる前に押さえていた私有地だったらしく、そこの中に前からぽちぽち見る興福寺(藤原氏の氏寺)がありまして、さらに外京の外側に東大寺と春日社(藤原氏の氏神)が張り付いてて、へー、こういう位置関係だったんだな、と思っていたんですが、なんでか三条宗近さんのご子孫って言われてたお店がなんかもともと興福寺だった土地にいらっしゃるみたいなんですよね。
で、興福寺って粟田口が関係してるよん、と軽くだけ触れられてるお寺。
(個人的にはクドいエピソードは作り話の可能性が高いけれど、軽くしか触れられていないものは否定要因が出てこない限り保留にしておくべきだと思っております。)
それでまあ、興福寺が接してたのが「三条」で、うん? なんだろみたいな感じに首を捻っています、さすがに平城京の三条が刀工の名前の可能性も低いだろう、とも思わないでもないものの、よく考えたら別に平城京の土地自体はずっと残ってんだよなぁ。
藤原氏がちょいちょい技術者押さえてる記述はあるから、そこにいても違和感はない(お抱え鋳物師なんてのは実際に公的文書に残ってるしね)、ただ、平安京の三条もそれがそのまま東海道だしなぁ、うううん。読み方わからんです、保留。

1月8日めも。

平城京の本(<『奈良時代MAP 平城京編』)を読んでいたのですよ、の続き、そういや昔、藤原不比等さんが「中臣氏とは思えない」「半島出身の王族ではないか」的なことを言われていたのを見た覚えがあったんですが、ここでそういうことを言われていたのは天武天皇でした、えーと、いや、天武天皇でいいんだよね。
まあ、いくらなんでも兄弟でこんなに「天智系」「天武系」でばっつりと別けられて長々と争いが続くはずもないと言われたらそれまでだしもっともなんだけども、そこまで今更のことが根拠になるとなんとも判断しようがないよなぁ。
なんというか、どちらかというと当時の天皇家のあり方みたいなものがよくわかっていないのではないかと受け取るのが妥当なのかしらね、これは。
兄弟の血統が完全に別のものとして延々と争い(兄弟間の争いはまあわかる)が続いてる段階で、確かにイメージしにくいところはあるからなぁ。
私、持統天皇というのもよくわからないところがあったんですが、あの時代の都が藤原京って呼ばれてるのも後世の他称だったのね…。持統天皇と藤原不比等との二人三脚だったから、みたいなことが言われていて、そこまではまあ信じてもいいのかな。
そのあとにいかに藤原氏の影響を排除するかが天皇家の主題となって、と言われると、ううん、ううん? 説明されてた範囲で私が素直に受け取るのは無理だったかなぁ。
 
これ書いてて正直「これ常識の部分も結構あるのかしら?」みたいな気持ちになってしまったものの、まあ、常識でも知らないものは知らないからしょうがないやね。
ていうか持統天皇ってあれよな、『古事記』『日本書紀』に介入したのではないかと言われてる女帝だよね、ううん、情報だけあってもつながってないねあかんww

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(ゲーム:刀剣乱舞、その36)