ゲーム:刀剣乱舞、その37 †
1月9日めも。 †
『趣味どきっ!開け!世界遺産』#6「江戸時代の富士山信仰」を見たのですがね、というかだいぶこれ書くのが遅れているのでそろそろ明日に最終回(9回)の本放送がある感じなのです、というか、第3回くらいまでは面白かったんだけども、そっからあとはまあまあ知ってることなのでそれほどでもないんだよね。
要するに私、宗教が大きな比重を持っていた時代がわからんのですよね。
(そしてわからんことが説明されているのを見るのが好き。)
で、ここは主に江戸時代の娯楽の一貫として触れられていたのでははないかなと思うのですがどっちかというと富士山は山岳信仰の要として、というより、大和政権が推奨した山岳信仰の要として作用していたらしいんだよね。
実際に当時の痕跡とか見てると微妙に逆らったあとみたいなのがあったりするらしいし。
ただどうもこの辺に関しての意識が現代まで上手く伝わってないのか、わかりやすいのが江戸くらいの産業絡みになってるってのがなぁ、ちょっと残念。
そもそもだいぶ前からもしかして、と思っていたんだけど、山岳信仰って神道と仏教の相の子みたいな存在と認識していいらしいことをこないだ確認したしね!
そこから進んでいないのでしばし反省です、どうもこう、鉱山関係に関してもここが関わってるんじゃないのかなぁ、みたいに思うんだけどどうなんだろう、修験道と源義経と奥州藤原が絡んでくるみたいなのちょいちょい見るんだけどもいまいち研究にまで踏み込んでいらっしゃる方がいない(いや本当に仄めかしまではしてんだよ)。
こういうのってあれ、対面して聞いてみると聞けたりするもんなんだけども、どこにいるんだ研究者、修験道辺りなんだろうかやっぱり…。
1月10日めも。 †
もものまんじゅう(人)と話をしていたのですが、応仁の乱に関してがどうもなんぼなんぼでも記述があちこち行くのでちょっとばかり現時点までのまとめを。
ていうかこの応仁の乱、足利8代将軍の義政の後継者争いであるという観点で「妻の日野富子が原因だった」と語られるのが通説になっているのですが、実際に後継者争いで起こった戦って一回しかなかったんだよね、まあただ、一度でもあったら間違いとは言い切れないのか、それにしても時空が歪んで語弊があるなぁ、と思ってたんですよ。
有力候補になっていた足利義視(義政の弟で義政が一度後継者に決めてる、そのために日野富子の息子が生まれたことで話が拗れたのはまあ事実だろうね)の息子を嫌い、別の義政の弟である堀川公方の息子の擁立を計った、と説明されていたので、その説明なら納得出来るのでまあ彼女のせいである戦もあったって思うじゃないですか。ただしこれがデマ。
堀川公方の息子を後継者押したのって細川家です。日野富子じゃない。
で、要するに日野富子+畠山政長(この人は義視サイドで固定)vs細川だったらしいです、なんだっけ、細川勝元から代替わりしてのちに暗殺されたあのドラ息子。
この戦って、日野富子のせいになるんだろうか…、一旦後継者として揉めた相手の息子を嫌って有力候補を退けたんならわかるし、そう説明されてたら確かにわかるよ。
そう説明されてるけど、実際には逆のサイドであり、自分の息子を亡くしたあととはいえ、夫が選んだ弟の子を後継者として選んだ場合、本当に「戦の原因」として挙げられなければならなかったんだろうか。
いや、だから時々逆のサイドとして説明されてるんだろうけど、まずそこを間違えたのちに彼女が悪いって言われても…前提全部消えてんじゃん、なんなのこの記述の混乱。
1月11日めも。 †
『日本の美術216 大宰府跡』読了ですねん、ところで私、最近太宰府(現代地名、昔の機関だと「大宰府」、なんでもこれも複数あったんだってももまんが)をなんで読んでいるのかを忘れつつあるんですが、えーと、いや、一応建築関係周辺事情でいいんだっけ?
なんか読み始めた事情とか違ったような気がするんだけど覚えてない。
読み続けてるのは九州産のももまんがいるからだと思うんですけどね。
あとあれ多分、比較的資料がまとまっていて研究が進んでるってのもあるんだろうね、とこれを読んでしみじみと。さすがにこの本だとほとんど進んでいないものの(水城って本当に水路なの?? というところから推論から始めて発掘が行われて決着が付いてた)、昭和59年だもんなぁ、こないだこの近くをぐるぐる歩いていたんですが、この本よりもさらに進んだものが見れたのである意味で発掘調査の流れみたいなものがわかって良かったかもねー、いや、それわかってると他の本読みやすくなるからね。
で、えーと、大宰府ってのは多賀城(東北)よりちょっと先に作られてて、各国の国分寺ーズはそれよりもさらにあとですよね。あと、美濃にあるムギ郡(字を忘れた)が多賀城とか大宰府とかと構造が似てると言われてるらしくて、瓦なんかは国分寺とか近い時代の寺なんかと系統が近いんじゃなかったっけか。
最近ちょっと多賀城が気になっているんですが(多賀って地名だと思ってたら多賀神社が先にあってこれが伊勢神宮と親子関係だったらしいんだけども、軽く読んでも踏み込んで読んでも「えっと??」みたいな調子になります、なにか説明が真っ直ぐじゃないというか、気のせいではないよね?)(で、そこの神社の多賀さんが足利将軍のところで刀目利きやってて本阿弥さんのところに養子に入ってて本阿弥光悦の父で…あれ)。また今後!
1月12日めも。 †
『趣味どきっ!開け!世界遺産』#7「富岡製糸場と明治・産業革命遺産」を見ました、最終回の第9回もなかなか楽しかったんですが、どうも私これ一回勘違いしていたんですが「明治の産業革命遺産」ってもう世界遺産登録されていたんだね。
富岡製糸場ののちに登録を目指すよー、みたいなところまでで記憶が止まっていた、わけでもないな、確か韓国への釈明だなんだということになって話まとまってたね?
(強制労働の件もなぁ、日本人のすぴりっつと明らかに合わないのでそんなことがあるわけがないみたいな、それ本当に敵対者に言ったんですか…ふざけてるのかどうかわかんないじゃないですか、みたいな内容をちょくちょく日常生活で聞くので、なんかもう、細かいことはともかく、とりあえず国内のほうをなんとかしなきゃならんとしか。)
(どの施設では何人抱えてましたん、というレベルで普通に展示あるからなぁ、近代関係で廻ってると結構ちょくちょくエンカウントするから、近代の日本に対して興味皆無ならなんで議論に口出ししてんだよぉぉぉ?! っていうか。まあ。)
なんかこう言ったらあれなんですけども、数年前の『龍馬伝』で岩崎弥太郎に光が当たってそれ以来その関係の本が増えて(ていうか著者さんたちがご本を出すきっかけに恵まれたというか、ガチで感謝述べてたんだよ)、そっから転じ転じて、みたいな妄想をしていますがもちろん妄想ですともさ。
富岡製糸場にも大河特需があったらなぁ、みたいなこと言われてたけど、まあ仕方ねぇべ、いやそんな話ではないですね、産業革命遺産は正直旧財閥の歴史みたいなところがあるのでもうちょっとこう、噛み砕かれてさぁ、財閥以前の資本家にも光が当たって欲しい…。
すみません我欲です、守備範囲がちょっと時代遡るので!!!
1月13日めも。 †
『武士と荘園支配』日本史リブレット24を読了ですよ、まああれ、武士ってのがだいたいどこから涌いて出てきて、どういう人たちが流入して、どうやって経済的に自立して、みたいな感じの本なんですが。
清和源氏は正直、清和天皇の親王からの家系というより、その子である陽明天皇からの家系だよねぇ、みたいな、どっかで聞いたことがあるような気もする、みたいな感じのことが語られていたりしました。
いやうん、陽明天皇がそんなに評価高くないから清和天皇からカウントしようぜ! みたいなのも別に1代くらいならいいんじゃないかって普通に思っちゃうんだけどね、別に陽明源氏と呼ぶべきだとか言うつもりはないよー、と著者さんも言ってらしたんだけど、とても正直「語呂わる?!」ってなるよねー。
語呂の問題じゃなかったらごめんなさい、でも、陽明天皇よりもあとの時代の天皇の名前を名乗ったのならともかく(実際にはそことはつながりないから)、1世代遡って父親から名乗るよーん、くらいいいんじゃね? と多分どの時代の人でも思ってたと思うww
あとはまあ、中世の頃にはそもそも武士はどこにでもいるらしくて、利権には必ず乗り出してくる、みたいなことを言われていたものの、その前提となる社会情勢みたいなものがちょっとピンと来ないところはあったよね。
そもそも商業、というより遠い土地との交易が一般的になるのが鎌倉だと言われているので昔からあった利権に武士が食い込んでいったというより、ほぼ同時代の発祥なんじゃないのかなぁ。あと、卑賤の中からかつての仲間を切り離して自分だけ卑賤から脱出した、と言われても「卑賤の存在」自体が中世初期にはなかったはず、となり、難しいね?
1月14日めも。 †
『京都のお寺神社謎とき散歩-歩いて訪ねる古都のご利益さん』読了ですよ、私前から大将軍神社(全部で8個あるのかな? で、大将軍八神社)が謎なんですが、正直申し上げて何度読んでも謎です、なんのことやらわからない。
太白(金星)信仰ってなんかで聞いたことはあるような気もするんだけどなぁ。
えーと、道教だよな要するに…、で、ちょっと待てよ、八柱かなぁ、これ。
あれです、7本の柱に先祖が一人ずつ入っていて、それ以前がまとめて8本めには行ってるみたいな儒教に回収されているものの土地のもともとの供養じゃないかなって言われてるやつです、そういや靖国神社なんかにもあるよね「八柱」。
なのでまあ、同じ家では8代遡るところまで同じ字は使っちゃ駄目みたいなこと言われてるんですよね(こないだ伊達家が完全にそれやっててびっくりしたな)。
で、これを桓武天皇が平安遷都の時に大和国春日から呼んでいて、八個の神社ってことは各方位の守護にしたってことなのかなぁ。
春日って地名かね、正直春日社を思い出してしまうんですが。
いや、なんとなく気になってるだけなので、まあ太白信仰でも調べればいいか。
と、いう本ではないのですがさすがにこの寺とか神社とかばらばら語られてる本でそこまで新味もないんだよね。
この手の本をわりと読んでざーっと睡眠学習みたいに記憶していくみたいなところがあるのでまあそれだけの意味ですかも。結構悪くなかったんだけどね、私の普段読んでる本って曖昧な伝承とか逸話とか「そう信じられている」という観点で語るのあんまり上手くないからなぁ、多分厳密さと大らかさと両方必要なんだろうな、客観性って。
1月15日めも。 †
現在リアルタイム3月9日です、で、よく考えたらこの日付けの一日前の段階でとうらぶ一周年の「2016年1月14日」でしたね。私は初日参加組だったので当日に同じように一周年を迎えていたのですが、正直ちょっとズレてるほうが良かったね! と言われるとそんな気がしてたよー。
公式の一周年とさにわの一周年が混ざっててどっちがどっちか…微妙に。
あとあれ、この前後で公式イラストレーターさんのキャライラストがわらわらと一日何枚みたいなペースで出ていたので、ああでもないこうでもないみたいな話してたなぁ。
友人の子牛の言うには担当キャラ全員、で、他のキャラは描かないみたいなルールだったのかな、みたいなこと言っていたんですが。
他所のゲームだとなんか揉めてしまうことがあるっぽいね?
私は薬研くんが好きだったので、主に鯛に目を奪われて他が飛んでました。
なんでか鯛を掴んでたんだよね、薬研くん、白衣で眼鏡でにっこり笑って(主観)黒手袋で鯛の尻尾を鷲掴みしてました。おめでたいけど!!
なぜ鯛、今ついったのアイコン(みかん猫)に乗っかっているのはその時の名残りの鯛だよ! なんかちょうど折り合いよく前に使った鯛が、みたいに紹介されてね!
(アイコンの一部に大きさとか傾きとかを調整して元データを残して遊ぶのがありましてね、もともとそこでサンマを咥えさせてた。)
わりとどうでもいいんですが、今までサンマ咥えてたこともあって、ゲームもなんも知らない人も誰も疑問とか思ってくれませんでした。
うん、我ながら見事な調和してると思うけどね、なんの話だったか忘れてるけど。
1月16日めも。 †
3月9日引き続き、ですー、一応プレイ日記みたいなつもりで始めたものの、別のところにプレイ記録みたいなものを個人的に残してるし、どう見ても関係ないところがたくさんあるし、みたいな感じで、とうらぶも含めた感じの日記に移行する予定です。
今メインで遊んでるのって正直【かんぱに】だしね。
雑記のタイトルだけ適当に変えて番号は通しにして、タグは一旦取り替えるみたいな感じでいいかな、1月19日分のところから切り替え予定です。
よく考えたら雑記のタイトルが実質変わるだけだな。
あとあれ、歴史以外のネタも入ってくるね、という程度のことか。
(刀関係ない時代に関してもぼこぼこ入れてたしねぇ、さすがに金融とか鉄道とか、前にやってたのは入れてなかったけど。)
なんかまあ、今後ほとんど単純な日記っぽい感じになりますみたいなの。
今まではとうらぶは関係なくても一応歴史系だったしね。
で、同人関係みたいな話も今後はぽちぽちと入れていくつもりです、ニトロプラス管轄なので二次創作は基本的に許可されているので(私は一応そういうジャンルしかやらない類の人間です、ネットでちょっとだけみたいなことはしたことあるけどねー)。
いやさすがにさわりにしか触れないけどね、もともと別のことに使ってた場所だしね。
というか最近ちょっとまとめて原稿だなんだとやっていたので、あんまり完全に別けてしまうと書けることなんもないし、あくまでも自分のために書いているのでとりあえず仕切り直しての立て直しみたいな感じです。
ゲーム関係ぽちぽちをどっちかというと最近ついったに書いてるせいもある気はする。
1月17日めも。 †
リアルタイム3月9日引き続きです、だいぶ前に読み終わった本なので正直いろいろ自信はないのですがまああれ、『地形で読みとく合戦史』読了、ところでこの本を書かれた方は中世史がどうも専門らしいんですが、内容は時代ばらばら、文章も内容も悪くなかったと思います、ただ構成がいまいち、が、「応仁の乱」がなんか説明すっきりしてたんだよね。
私、【薬研藤四郎】の持ち主と言われている畠山政長氏にわりと重点を置いて読んでいることが多いのですが、これは同時代視点の本だと普通に庶民人気が高かったと言われているせいなんですが、どういうわけかまずそこのところを認識してくれてる本が少ない。
あと、応仁の乱の時間経緯とか陣の張り方とかがわちゃっとしていてそういう陣の張り方しててどうしてそうなる?? みたいなことになるんだよね、なんで陣が二つあるねんとか、畠山政長が神社を焼き払ったと言われているものの、自宅を陣にして神社を焼き払うことによって一体どういう意味があるのかとか、すごいいろいろ。
要するにこの混乱は「畠山政長が陣を張っていたのはどこか」「自分の死を装うために焼き払ったのは神社ということで正しいのか」ということに要約出来ると思うのですが、神社を焼き払ったことがまあ正しいのだとしたらあれだな、陣を張ってたのは神社、焼き払ったのは神社! でいいんだ、今後そう読みます。
だから「陣の場所」と「焼き払った場所」が違うって説明があったりなんだりでややこしかったけど、きちんと読むとそれ以外の可能性はごく薄い!
そもそももともとこの畠山政長は養子の家系で、実子の家系から自宅帰せー、的に言われていてその後自宅を奪われたみたいな話があったから、ややこしくなった可能性もあるように思います。てか、自宅わざわざ出て陣張ったのか…なんでだろう。
1月18日めも。 †
『奈良時代MAP-平城京編』読了です、3月9日引き続きです、だらだらしております、そういや雑記のタイトル変えるからなんか適当にでも考えないと駄目なのか…なんにしようか。この平城京MAPを借りて来たのはもものまんじゅう(友人)に平安京の構造くらい把握してないと今後困るよ! と言われたことが遠因です。
そこまでで突っ込み待ちしてもいいんですが、どう見ても平城京です本当にありがとうございました、あ、大丈夫です、同じシリーズで平安京あります、なんか図書館の本棚に並んでいたのでなんとなく借りて来てみたみたいなのが動機です。
まあ大雑把に平城京ってあれなんですけどね、興福寺とか(粟田口が関係とか書かれてる)東大寺とか春日大社とかあるんですけどね。これの前が一応藤原京ってことでいいんですよね、間違ってないよね確か。
というか平安京とか平城京以外ってあんまり都のサイズがなくて固定化されてる様子がない、宮と呼ばれる建物を建ててその周囲に幾つか補足的なものがあるだけ、みたいな認識でいいんだよなぁ、いまいち自信はないけど、他に余地ないよね。
個人的には瓦の研究者の人が藤原京で瓦屋根が始めて寺院建築以外で導入されたよん、ということを断っているのでそのつもりで読んでいたんですが、地図も地図でなかなか面白かったなぁ、特に目新しいことになくてもわかりやすいし勝手に関連見えてくんのね。
ちょっと残念だったことは、藤原氏があまりにも権勢欲が強すぎてこの周囲の時代で辻褄が合わないことは全て彼らの意思によってなんか歪んだ、みたいな説明になっていて研究する意図がかなり薄そうな部分でしょうか。
そんなんで済ますなよ、藤原氏主体でいいからきちんと説明してくれ…。
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