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雑記:とうらぶその他、54

Last-modified: 2016-09-08 (木) 19:12:12

雑記:とうらぶその他、54

8月16日めも。

『日本古代中世史 '11』#9「中世のはじまりと院政というシステム」、の放送大学、あれま、やばい、この前の回の第8回をなんとなく薄っすら見たような記憶がないでもないんだけどもほとんど全く記憶に残ってないな!?
みたいなことになったんでなんとなくの記憶ででっちあげる予定です。
いつものことなんですがそれでなんの意味があるのかとかそういう正しいことは気にしないで下さい、実際ちまちまと記憶が戻ってるとかちゃんとした説明も出来ないわけではないんですけども基本的にはただの趣味です。
 
で、この回で説明されていたのでせっかくなので参考にさせていただきたいんですが院政を行っていたのが白河→後白河→鳥羽→後鳥羽で良かったでしたっけか。
そういやこの天皇のお名前って普通に地名なんですね、醍醐天皇の時に醍醐寺の方が「うちの寺が名前の元ネタなんですよ(*´∀`*)」と言ってまじかぁぁ?! とびびった方はとても多かったと思うんだよね、てことは他も地名でいいのかあれ。
それで今、白河天皇で良かったっけか? と思って検索してみたんですが、あれだね、天皇位そのものはもっと間にいろんな人が挟まっているので上皇として政治を行ったラインナップのことなのかもなぁ。
他のところでは「治天の君」って言われてたんですけどね、そこそこわかりやすい。
しかしまあ、見事に人名とかぐだぐだだけで済んでますが要するに荘園制になると天皇の税収がなくなるからまず荘園の回収をし、さらにそれをばら撒いたんだよ、ということが説明されていたんですが、そこからなぜか武士が出てきてたんですが。
院政と武士ってやっぱりセットでいいんだろうか、もうちょっとまともなの書こう。

8月17日めも。

『日本古代中世史 '11』#8「受領と武士」、です、だいぶ前に見たままで忘れてたということを忘れてました、ええ。
で、この受領ってのは要するにあれ、国司の長官とか次官とか補佐官とかその辺の地位でいいんですよね確か、この地位がわりといい金になるのでぐるぐると公家の中で恩賞として与えられていた節があって特に任地に出向いたりしなかったよ、ということが語られているのはわりとこの講義とは関係ないんですが。
この回で聞いた記憶だと、要するに上官があっさり変化していっても特に運営に問題がなかった、ということはその時点で独立性が強いってことになるのかなぁ、とようやく。
この次の講義の9回でも触れられてましたが下司(げす)だっけか、国司の中に要するにもともとの土地の支配者であって、実際の税収そのものを請け負っていたような層がいて、それがつまり武士になったんだよーん、みたいな。
荘園が先にあって武力のある武士と結び付いたという説明も聞いたことがあるのですが(まあ下司からシフトしたってのはそんなに外してない気もする)、まあ、一律ではないってことでいいのかな。
 
わりと高貴な血筋の武士ってのもいるわけなんですがもちろん、それも土地の勢力があってこそ迎えられたって認識でいいのかなぁ。
この時代の前までは正規の武力っていうと北面の武士とか検非違使とかで聞いてた気もするんですがその辺の勢力はどうなっちゃったんだろう? などなど、今の時点で滑らかにつながるとは言いがたいんですが、そこに関してはまたおいおいだなー。
しかし、この回見てた時は国司から武士が生まれた認識なかったよな、不思議…。

8月18日めも。

『京都・国宝浪漫』#24 1200年の輝き・不滅の法灯 比叡山延暦寺の録画を(リアルタイムでも一度見ているので)、今見ているのですが。
あれですね、まずネット検索をしようとすると【比叡山 焼き討ち】という検索候補が出てくるということで有名なのですが、この番組を見るまでに京都の北に位置しているとはさっぱり認識してませんでした。
で、たまにお名前を見る三井寺(園城寺)さんがこの山の麓にありまして、いやまあそこは滋賀らしいんですけどね、かつても近江だったんですかね。
昔と今って地域区分違うこともたまにあるんだもんわからんよー。
 
で、あとは僧兵をたくさん有してまして興福寺(奈良の東大寺のお隣さん)と京都の清水寺を取り合ってガチ喧嘩してたり。
足利将軍に対しての強訴に三井寺さんが付き合わなかったので同じ天台宗なのに許せんって襲撃して、さすがにめっちゃ叱られてたり、まあいろいろあるのでやんちゃな印象があるのはどうしようもないことかと思うのですが。
ここが織田信長氏に焼かれたのがどのくらいガチかなぁ、と呟いていた人がいたんですが、荘園研究の人が「比叡山の荘園資料がそもそもない!!!」と言ってらしたんでかなりガチかなと思います。
いやそんな番組じゃなかったんですが、最澄さんは寛容で人を大事にするいい方でした、まあ、空海さんと比べると愛嬌は足りない気はするけどそんなことは宗教者には必ずしも必要ではないような気もするんだ。
というか、仏像やお堂は燃えてないのかね? 信長氏の趣味かね。

8月19日めも。

『日本古代中世史 '11』#10「鎌倉幕府と武士の成長」の放送大学引き続き、とりあえずこの講義が一番中心的なものなのでここをまず優先、んー、それが終わってまだ中世に関わってもいいと思えたら和歌のほうを先に済ませようかな。
まあ、ちゃきちゃき進めていかないとどこまで行けるかわかんないけどねー。
さすがにあと5回くらいならなんとかなるかな、いえ、真面目にやります。
しかしリアルタイムだと明日また図書館来るんだよなぁ(9月8日だから明日っていうか今日か、アラーム仕掛けておかないと)。
 
というかまあ、鎌倉幕府を要するに「武士からの忠誠」と「民衆への生活保障」みたいなところに別けた概念で図ったみたいなのがこの回だったんですが、当然のことながら前者はある、が、後者はどうかなぁ、みたいな感じで扱われていたものの、なんというかこう、だいぶ違和感が。
いや、この回の講師の人にはそんなに違和感ないんですよね、んー、どうだろそういう発想あったかなぁ、みたいなほうが正直すっきりする。
あれなんだよね、室町幕府や江戸幕府にはその「慰撫」の感覚は当然あってもいいと思うんですよその観点で説明するのもいい。
ただそもそもが東国にあった武士集団が民衆慰撫を目指したかどうかって言われるとなんかこう、現代視点ナイズされすぎてる感じなんだよね。
ただ、そういう説があることを説明しながらだんだん勉強してったんじゃないかなっていう言い方をしていたのは嫌いではないんですよね、というか、大きな集団組織がいたらそこに調停を持ち込むのが先で、そこに応える順序だと思うけどねー。

8月20日めも。

『日本古代中世史 '11』#11「中世前期の神仏と文化」の放送大学引き続き、出来たらこの先もなるべく早いうちに見てしまいたいんですが、よく考えたら図書館に返す本を1冊でも2冊でもいいからまとめてしまうのが先かなぁ。
ただこの回の講義に関してはもうほとんど知らないところはなかったんだよね。
いや前半に出てきたえーと、あれです、三井寺(正式には園城寺)のことを「寺門」って呼ぶらしいことを知ったんですが、あれま、比叡山延暦寺を「山門」って呼ぶのは知っていたんですが愛称なんかじゃなくてそもそも山門系寺院集団って使い方するのか。
なんか今の時点でそう呼ばれてるからって認識してただけなんですが、なんかちゃんとした本読むときちんと出てくるのかもなぁ。
というかここの講義を三回ほど担当していたのが本郷和人、という人なので、この人の名前はちょっとちゃんと覚えておこう、なんかで本読んだことあるかなぁ。
あとあれ、「院」というのはちょいちょい出てきてなんのことかわからなかったんですが、大寺院の中にある小さな独立寺院だそうです。
たまに神社の中にあったりもするよねー、お寺の中に神社があることもありますが(ところによっては明治の廃仏毀釈で壊されてるけど、地域によっては無事なんだって)。
 
あとあれ、そもそも八幡神はもともと祭神が今とは全く違った、宇佐八幡(今の大分)から勧請されて岩清水八幡宮となったのちに神応天皇やら神功皇后やらを受け入れた、と言われていたんですが、あれ、そうなんだっけか。
そもそも「三韓征伐伝説」がこの八幡神社とくっ付いたのはこの時点とのことなんですが、あれま、そうなんだっけ? なんか全然祭神違うのは知ってるんですけどね。

8月21日めも。

「律令制とはなにか」日本史リブレット073、の読了、えーと、あと1時間くらいで図書館が来るのでとりあえず6冊ほど積んであるんですが、まあだいたい頭に入ってる本もあるのである程度は後回しにしても大丈夫かなぁ。
あれ、同じ系統の本を何冊も読んでいる途中だったり、逆にほとんど読んだことない本だとちょっと頭の中がややこしく混線してることがあるんですけどね。
 
本の感想の中に実例が多すぎて逆にわかりにくいような、ということが触れられていたものがあったんですが、まああれだ、実際どの程度施行されていたのかわからない場合(中国に元ネタがあって、ところによっては丸写ししたのではないかという状況)、実例を引くしかないんだろうというのも思わないでもないし。
その実例も十分に数を揃えてからの分析傾向が出てくるみたいなことになるべきものなので、この本の段階だとあれです、資料は揃ってると思ったんですが分析がいまいちかなー、というのが最終的な印象で。
ただ、資料の集め方の段階としてはいいんじゃないかなー、というのが雑感。
近い時代などをやってる人や、この律令制そのものをテーマにしていたり、古代の組織図などをやってる人にとってはいい資料になるんじゃないかな、この本そのものが、というところではありました。
が、まあ、本そのものが面白かったのかというとなんか微妙。
特にあれ、天皇の中国化の段階は理屈がわかるにはわかったものの、律令制の資料の中から読むものではなかったというか、他の資料の補足的に解説される分野だった気もするんだよね、聞きたかったのは組織論かなぁ、だがしかし資料あるのかその辺…。

8月22日めも。

「ここまでわかった 戦国時代の天皇と公家衆たち-天皇制度は存亡の危機だったのか?」歴史新書y057、です、というかこれ普通の論文集みたいな作りだったんですが、いつも分厚くて大きな本の読んでたのでこんな体裁で出来るんだ、と拍子抜けww
このタイトルもまー、どうなんだ、と思わないでもないものの、じわじわと知られていけばいいってことなのかなぁ。
いや、私ここのレーベルよく褒めてますけど全部が素晴らしいと思ってるわけでもないです、が、既存説に捉われない発想をしているという時点で一部だろうが評価に値するし、わりと普通に学者がいるやん、てのもあります。
昔だったらまだ新書で書けるような人じゃない気がするww みたいな感じで評価しています、それ自体が間違いになってもいいじゃん、同じ間違えを量産するより、違う間違えをぽちぽち作ってくほうがはるかに進歩は早いじゃろ、という発想。
 
で、まあざっくり面白かったことを適当に抜書きすると「源平藤橘」の姓(かばね)をルーツを特に持たない武士たちが名乗っていたのは朝廷の儀式のためだよん、とか、その姓が縦軸管理されてるので名家が他にいると地位の限界があるよ、とか。
たまに聞く逸話ですが、単純にこう理解したほうが合理的だなぁ。
あと信長が位を求めたのか否かという話で英検3級みたいなものなので、特に放棄したとも思えないし放棄しなかったことに意味はないんじゃないかな、とか。だろうね?
それとめっちゃ気になったのが「家門安堵」の制度、ご存知大荒れに荒れた応仁の乱の各家の内乱連鎖の時に、この制度が崩壊したともなんとも見なかったんですが、普通触れててもいいよねど真ん中だよね?! どうなっていたのか今一番気になってる。

8月23日めも。

『日本古代中世史 '11』#12「中世社会の変質と南北朝内乱」の放送大学引き続き、ていうかあとこの講義も残すところ3回なのでそんなに急がなくていいような気がしてくるんですが激しい勘違いなので急いで下さい。
まああれ、これともう一つの講義を全部片付けたら残りが10くらいの数になるのでそこまで急がなくてもいいんだけどね、そこまでは数日で片付く量じゃないよ…。
というか和歌の講義の続きを見る前に借りて来た後鳥羽上皇の本をまとめてしまわないと多分頭の中で混ざるなぁ、若干時代はズレてた気はするけど。
 
まあこの講義ではあれ、南北朝の天皇家がどうやって別れたかとか、鎌倉幕府がそれを放置して両派を交互に即位させていたので後醍醐天皇にがっでむされて何回か失敗の末に新田義貞とか足利尊氏とかの協力を得てなんとか倒したとか。
その後わりと考えなしの政治を、戦に協力させたあとなのに継続させたので結局見捨てられたので権力が空白になってしまって足利に期待が集まったとか。けど足利が分離してまた争い始めたとか。
そもそも地方領主も開発がそろそろ行き詰っていてそれ以上の分家が出来ず、再統合の動きがあったものの当然分家からの反発があったとか。
なぜか中国も朝鮮半島もちょうど揉めてる時期でしたとか、少し前に元寇があったら今度は倭寇って存在があったけど多分現地の人もいたよね、とか。
全体的にわりとこう、ごちゃっとカオスなことしか伝わってこなかったんだけども、応仁の乱の前にもあるいはこういう土地の争いあったのかなぁ? こっちの時代の行き詰まりはよく整理されているのでちょっと羨ましい気がする。

8月24日めも。

『日本古代中世史 '11』#13「地域社会の形成と応仁の乱」の包装大学引き続き、です、そういやこないだ読んでいた足利義満(なんとなく尊氏と義満は書かなくてもいいような気もするんだけど3代将軍)の本でもともと天皇と同じ血筋だったために当人の振る舞いがたとえ専横的であってもあまり周囲に気にされなかったよ、みたいなのを書き写し損ねていたんですが。
なんとなく尊氏の段階でなくて義満の段階で足利将軍家が固まったような傾向があるのもあるいはそれでなのかなぁ?
通字っていう、家単位で継いで行く文字もここで「義」になるんだよね。
まあそれはこの講義で聞いたことでもないんですが、南朝が吸収され、足利将軍が守護を任命することによって各地を支配し、というのはまあ前回の内容なんですが。
(守護と国司って被ってんじゃね? と思ってましたが、一応守護は警察で国司は納税かな、ただし実際にはもろに被ってるみたいです。)
各家の相続に介入してその力を弱め、ということを義満、義教(6代)、義政(8代)とで行っていたものの、義政の時代はそのせいで応仁の乱を引き起こしてしまい、みたいに語られていたんですよね。
正直、その意見に関しては周囲の意見に引きずり回されていたタイミングを見ているのでどうなのかなぁ、と思えないでもないものの。
 
この時点までに各地の開拓の規模が大型化し、都落ちした家が地方で再起を図ることが十分可能だったんだよん、という説明に関してはかなり納得。
というか前回鎌倉末期を聞いた時点で期待してたけど、この人の農地認識いいね!

8月25日めも。

『京都・国宝浪漫』#25 乱世を見つめた阿弥陀如来 日野富子と法界寺、の録画消化なうです、前に比叡山の番組を見てからなんとなく録画するようになったんですが、いまいち基礎知識みたいなものが理解出来てないと頭に入って来ないなー、となったことが一度ありまして、その後阿弥陀さまがわりと初期の「利益を約束してくれる仏様だ」ということが認識されましたので再チャレンジ。
どこの国もそうなのかもしれないんですが、日本の宗教って初期のものがどうもこう、いくつかの意味で現世利益向きじゃないんだよなぁ、神道も仏教も。
(まあこれの中にもいくつか種類があるんだけどもね、仏教はインド原産で日本に入ってきたものは基本的に中国色が強いです、朝鮮半島から入ってきたのもそこは同じ。)
 
で、あと、日野っていうと日野富子がまず思い出されるものの、あれこれ、彼女がどうも罪をおっ被せられただけなんじゃないかなぁ、みたいに言われてたのはこの番組ではなかったっけか、見落としてしまったかな。
あれですね、あの、罪の被せ方が杜撰というか、なんでこんなんで通用していたの今まで!? みたいな感じの精度なので、わりと若手の方とか女性の研究者さんは昔から擁護してたんだけど、女って本当に感情的で馬鹿だよなぁwww みたいな嘲笑と共に受け流されていたようです、ていうか実際にそう言ってる本を読んでますぜ私。
あ、出てきた出てきた、そうそうこの当時の情勢見てて個人の責任…? というか将軍の妻でなにをどう働き掛けたの?? という時点から謎いんだよね、清らかな聖女だって言ってるわけではないのです、それを無理に突っ込むと歴史と時空が歪むんだ。
といういつもの話ですみません、阿弥陀堂と鴨長明くらいしか見所が…。

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