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雑記:とうらぶその他、56

Last-modified: 2016-09-20 (火) 11:15:12

雑記:とうらぶその他、56

9月5日めも。

『奈良社寺案内』奈良大和路編 2016~2017年最新版、の読了ですねん、というかまた3日後くらいに図書館が来る感じなので手元の本を片付けなきゃならないんだけどもそもそも古い本のレビューがまとめてないのでさすがにややこしいことになるから書かないとならないみたいな感じです。
リアルタイムで9月19日、ちょっと2、3日落ち込み中です。
ところでこの本はなんでまた借りて来たのだかがさっぱりと思い出せないのですが、なんでだっけ、奈良の地理情報でも捕捉しようとしたんだっけか。
 
で、もう一つのブックレビューのほうを書いてる間にぼんやりと考えていたんですが、要するにこの奈良ってどちらかというと「外京」という平城京の外側部分(なんの土地かというと藤原氏の私有地)の側にメインが寄ってるってことなんだよなぁ。
というかよくよく考えたらあれなんだよね、平城京から平安京になるまでの間に都の中に寺を入れないという路線変更が行われたものの、なにがどうしてそういうことになったのかの経緯をよく考えたら知らなかったような。
正直なところを言うと比叡山クラスの寺があったんならわかるんだよね。
ただ、比叡山は要するに平安京の北側にあるし、後に横行してた興福寺の強訴も春日大社との関係が出来てからだよなぁ、確か。
元興寺なんてあれ、法隆寺に都と一緒に移動せいって行ったら拒否られたわけだし、よく考えたら具体的にどこと揉めてなんでそういう措置になったんでしょうね、そういや前にももまんと話してた、「造東大寺司」っていつ天皇に巻き上げられたんだっけか。
東大寺と揉めたってのが妥当なところなのかなぁ? わからん。

9月6日めも。

『完訳フロイス日本史(3』安土城と本能寺の変-織田信長篇3、情報を期待して読んでみたはずなのに、なんでかフロイスさんの癖ばかり記憶分析する嵌めになっているような次第ですこんばんは。
というかぶっちゃけ、この巻で確信したけど、この人の記述は建築物に関してはわりと丸呑みにしてしまっていいんだね? 書き方がかなり緻密なんで正直わざわざ「ここまで」でっち上げする必要もないしね。城郭研究の人が取り入れていた意味はよくわかった。
で、そういう非常に緻密な記憶力を考えてみると見たものには触れてるって分類すると結構わかりやすく読めるんじゃないかなぁ。
本能寺の辺りはそもそも伝聞にこういう内容がある、ということが判明してるようですが、これ、最初から読んでたら普通にそう判断出来てたなぁ、多分。
いやあれ、証明は難しいけど、文章の癖からなんかわかるよね。
(なんともわかりやすい人なので、ある程度折り合い付けられたらわりとw)
高名な医師である道三氏の話、細川ガラシャさんの話辺りは、まあ正直、疑う必要もないというか、間違えてたとしてもちょっとした取り違え程度だと思うんですが。
この人、自分が明智光秀の娘だってこと、なんか全然意に介してなかったんですね、なんか読んでてびっくりした…あと、あまりに思い込みが激しくて直情系なので言ってることに関しても、どこまで…信じていいものか正直よく…。
ただ、見た目とか態度は完璧だったぽいね、ここの記録の混乱はフロイスさんのせいじゃないね、というかフロイスさんのがマシだという気がするな?!
 
そして相変わらず阿弥陀さまだけはわりと好きだね? 高野山の噂は保留で。

9月7日めも。

『鬼伝説の研究-金工史の視点から』の読了、まずざっくりと気になったことというか、野武士という存在が山伏のことであり、もしくは炭鉱夫のことであると地域によってばらばらのことが伝えられているらしいんですが。
著者さんの言い分だとあれ、私もそんな感じなんだけども武士崩れの浪人のことを指しているような気がしていたんですよね。
ただ、どうも伝承が地域に残っている時代を考えるとだいぶ古く、そうなるとそもそも武士という存在が確定しているわけでもなく、刀持って武力があるなら武士扱いでなんか問題があるわけでもなく、なにかが破綻しているんだよね。
そもそも身分が確定しているからそこから逸脱する存在がいるのであって、身分が確定する前に曖昧な身分として扱うのだとすると、うーん、意味が違う?
で、著者さんは武士に準ずる身分だったのではないかという表現をしていたのですが職人であり武士であり、という可能性があったのだとしたら、多分そういう一員だったのかなー、と考えるのが妥当かなぁ。
これは今まで読んでる本考えると、いるって考えても別に問題気もするんだよね。
で、気になるのが「野太刀」ってのがあってこれが太刀よりも短い謎の存在だったんだけども、うーん、時期合致してる可能性もあるんじゃないのかなぁ。野太刀と野武士って両方知ってたんですけど時代被るって思ってなかったからなぁ、被るんなら関係してる可能性も皆無ではないような気もするんだけど、どうかしら。
 
あとはまあ、もう少しこの著者さんの本を読んで、修験道の初期くらいの話を少し知りたいかなぁ、どうもいまいちぼやけてるんだ修験道の認識が。

9月8日めも。

『権力の館を考える '16』#9「軽井沢の館」の放送大学の引き続きです、んー、なんかテンションが全体的に落ちてるので次どれ見ようかなぁ、と迷ってるんですが、この講義の次の回が大阪城天主(天守閣って言ってたっけ? まあいいや、城郭研究の人にそういう呼び方は後世のものだよって釘刺されたのですw)らしいのでそれを見てもいいんだけどもみたいな迷い中。
この回一体なんの話をしていたのかというと、うーん、終戦間近の工作が実はこの地でされていたみたいなことが一応の軸ではないかと思うものの、その後賑やかな軽井沢というイメージになったことも触れているには触れているし、最近は一時のブームのようなものが去って、また静かな土地になりつつあるんじゃないかって言われたら、なんとなくわかるようなそうでもないような。
 
なんとなく印象に残ったのが細川屋敷…じゃないな、細川さんの別荘と徳川家の別荘が隣り合っていたところなんですが、細川氏がどの系譜かはわかるものの、徳川がどなただかとかはわからないんですけどもね、慶喜さん(15代)の血筋でいいのかしら…。
山の上のほうには政治家を引退した重鎮がいたり、下のほうには現役政治家がいたりとか、この地に実際に海外使節が来たりなどということが語られていたんですが、まあ少なくとも、これだけ人数がいたら実際にその準備は整ってるのはさすがにわかる。
そして、非公式の終戦の算段までが行われたという流れのようなものも、なんとなくわかる、かなぁ、なんとなくの展開って気もしないでもないんだけどもね。
そういやあれ、ここからさらに逃げるってことも検討されてるって言ってたし、一応は首都東京を意識しての発言か、あ、そうか、この回語られてたのは距離と集合か。

9月9日めも。

『せいこうの歴史再考』#11 千利休~大阪・京都~、で私、どうにも侘茶を千利休の発案だとするのが納得いってなかったんですが(そもそも侘茶そのものは足利8代将軍の義政の時代のものだし、茶釜なんかを考えると彼以前にも簡素なものは誕生してたって聞くし)、庶民向けの茶を考案したのは彼が始めてだよー、と言われると納得。
それ以前がせいぜいが有力町人、豪商止まりだったんだろうなというのは事実ってことでいいんじゃないのかなぁ。
んで、彼の発案したその辺にあるようなものを茶道具として使えばいいんだよ、というのも、華美になりすぎたことへの反動なんていう気取った感じではなく、この道具ならば庶民でも実現可能! というところを前面に押し出されると普通に格好いー!! となるしねー。
あれか、確かにその観点はなかったし、あるいは茶釜なんかの(痕跡が残りやすい)千利休以前の変遷も、階級が完全に上流階級のものから町人のものへとなりつつある表れだったのかもしれないし、それがこの時期に一気に庶民まで巻き込んじまえ、というところまで行くとなると、うん、今の茶道の源泉が千利休って言われるのも納得。
道具なんかは全く拘らないけれども、作法はそんなに敷居が低くないよ、けども、それは豪商でも将軍でも公家でも同じだよというのは好印象だなぁ、画期的。
 
そもそもこの人はどうも堺の豪商らしく、田中次郎さんて人らしいんですが足利将軍の同朋衆である千阿弥さんの孫だったそうなのでそこから「千」と名乗ったのだそうですが、そうね、千利休のほうがいいと思うわ、賛成。
堺の絶対的な商業力の中でだんだん伸しあがってったんだって、うん、なかなか。

9月10日めも。

『美の巨人たち』 山口仙之助・正造/富士屋ホテル「日本発の本格リゾート」で8月13日の放送分です、なんか最近、この番組ちょっと方向性変わった? 面白いんですけどね、前より好きかも。
(美術品単体ではなくて、複数の作品から時代を描くみたいな感じ、好きだなぁ。)
で、この回の大雑把なあれとしてはそもそも日本人向けにホテル作る気は全くない、日本人から金を搾り取るというのは親が子から金を奪うようなもの、みたいなことが初代の口から語られていたものの、ちょっとどうかなぁ、なんかあれ、ちょっと言い訳めいて聞こえるんですが、まあ当時の世相的には必要だったのかもなぁ。
というより、実際にそういう批判受けてた可能性もあるよね。
そしてその返事としてお前らのために外貨搾り取ってやるんだよ、みたいなやり取りがあったってほうが私は好きなんですけどねー(*´∀`*)ははは
まあ結局この時点、というか明治初期だよねやり取り見てると。
明治初期の日本人では完全な上流階級でもなければ泊まれそうにないホテルを箱根、だよな確か、うん、箱根ですね、に建てたため、結局有名建築として今もがっつり残っていてそれで十分お客さんが呼べ、実用に耐えてるんだから結果オーライ立派立派w
 
そして初代とそれと娘婿がいまして、この二人がどうも趣味があんまり近くなかったようなんですが、その違いを万遍なく詰め込んで建物の形からコンセプトから全く違うものを詰め込んだらしいんですが、意外と全体的に悪くないです、いけてる。
徹底的に外側を向いて外国人を喜ばせようとした初代、なんとなくリリカルな趣味で内向的だったらしい娘婿、結果オーライ。というか架空の国の屋敷っぽいここww

9月11日めも。

『新TV見仏記』#10 播州姫路編、で、8月26日のBS12のトゥエルビの放送分です、相変わらずどういうチャンネルだかわかってないけどね!! あと、播州ってのがまあ播磨なんだろうなということはなんとなくわかっているものの、この「播州」というのが読めてません、番組の中で呼んでるけどなんか聞き取れなくて…いやうん、検索すれば済むことなんですけどね。
で、もう一つぶっちゃけまして、この土地がどういう来歴を持ってるのかがさっぱりわかっていないもので、ただひたすら仏像を眺めてるだけです、さすがにこう、慶派くらいはわかるんだよあの運慶とか快慶とかの、というかあれは一通り見たら誰でもわかると思うんだよ、描写方法からしてかなり別物だし。
が、知識的にはそこくらいで止まってまして、江戸時代の仏像が出てきても、あれ、これがそうなんだ?! みたいなことになるんですが、これ見に回ってるお二人も同じ反応してるよ、経験積んでもわかるものではないのかなぁ、わからん。
が、必ずしも仏像だけが映されるというわけでもないものの、基本的にお寺は名前しか出てこないし、いや参拝料金とか参拝時間とか期間とかは出てくるけども。
少しだけ知識がある寺院建築も特に出てこないので取っ掛かりがない!
 
中で一つ、斑鳩寺というのが出てきまして、慶派がずらずらっと十二神将で並んでいたり5メートル弱くらいのお釈迦さんの伝承の身長で作られたんだよん、という仏像が3体あったり名前からしてもどう考えても普通じゃない寺すらそのままスルーでした。
いくらなんでも普通の寺じゃないことはわかるけども、なんでだよおお?!
あとあれ、他の寺の檜の如意輪観音のお前立ちが色っぽかったです、あれいいなー。

9月12日めも。

『古地図で謎解き!にっぽん探求』#28「広重「名所江戸百景」の鎮魂歌」、8月31日のBS11イレブンの放送分、これ確か夜8時くらいにやってるのでリアルタイムで見たんじゃなかったっけか。
他にもぽちぽちと歴史番組があるんですが、人物メインのはいまいちなー、みたいな感じでいとうせいこうさんのだけ続けて見てる感じです(これがお隣のBS12)、あと京都の番組もいまいちパス気味、はははw
で、まあ歌川広重さんという人に関しては日本人なら知ってるよね正直、何度も絵を見たこともあるんじゃないかと思うんですが、黒船の襲来なんかと近い時期だったんだよん、というのは知らなかったし、元火消し? だったかな、の家に生まれたんだよーん、ということも知らなかったし、安政の大地震のあとに名所観光絵図をぽちぽちと出して幕府から倒壊した施設は書いてはならない、と言われていたために構図に工夫を凝らして、嘘にならないように、けれど復興しているところを伝えるように、という調子で絵を描いていったんだよー、と分析されていて、あ、こういう見方があるんだなー、とすごく納得、確かになんか変わった角度から描かれてるんだよね。
そこの記録とを兼ね合わせての解説なんて初めて見たんですが面白かったなぁ。
 
そしてそもそも幕府の火消し役人の家に生まれたんだけども、両親の死と共に若くして火消しの役を継いで、歳の離れた叔父が生まれたので彼に家督を譲って絵師の仕事に専念してー、のこの活動ってのは、あー、うん、自分が守ってたこともある江戸の町への思いは当然あったんだろうなぁ、自然な発想だよねそれ。
安政の大地震は知っていたものの、他と連動して考えたこともなかったよなぁ。

9月13日めも。

『古地図で謎解き!にっぽん探求』#46「「吉原遊郭の事件簿」絢爛と悲劇の色街」です、まあいいや前日の雑記の引き続きです、日付は1週間後です、吉原はさすがに知らん人もいないのではないかと思うんですが、あれだっけ、島原と吉原の二箇所だけが公認遊郭なんだよね、島原はなんか発生時期がよくわからなかったり、実際のところは半公認の事実上の遊郭とか結構あちこちにあったりでややこしいんだけどね。
あとあれ、よくよく考えたらあんまり古地図使ってなかった? と考えてしまったものの、よく考えたらもともと戦国時代には葦原と呼ばれていて「でもあしは悪いって意味でしょう、それでよしと変えて吉原」とかちゃんと地図使ってたね、日本橋の辺りにあったんだよね(日本橋のほうの記録なんかで読んだことが)。
で、浅草の地に移って来たと言われてたんですが、確か二箇所の代替地を幕府から言い渡されてその頃にはもう観光地だった浅草寺の近くにしようってことで浅草にしたんじゃなかったっけ、なんか芝居小屋も近くにあったんだよな。
 
それと、仙台高尾の話ってあれ、えーと、実話だったっけ。
実際にそこで上げられてた仙台藩の伊達家の人は隠居していたけども、なんか記録合わなくね? とも言われてた気がするんだけども、ただ番組の中でもそう伝えられています、という言い方してたしそこまで問題でもないのかな。
太夫がどうやって決まるのかという部分は、ちょっと期待したんだけども触れられてなかったなぁ、これ、前から気になってるんだけど微妙に語られてなくて残念。
綺麗なだけでもないよねー、というのも定番で、投げ込み寺の話もされてましたが、ああ、こっちでも年齢だけはちゃんとお寺で記録してくれてたのか。

9月14日めも。

『歴史と人間 '14』#9「マルタン・ゲール、メノッキオ、そしてピナゴへ-民衆の生きざまを掘り起こす-」の放送大学、いつ以来だったかしらまあ気にしない気にしない、それとあと、現在が9月20日リアルタイムなので、地味に日付が迫ってきましたね、いや、途中で15日分くらい抜けてるんだけどね。
(いや、その分使って別のこと書くつもりだったんだけど、戻したほうがいいのかなあ、どうかなぁ、とか考え中、でもナンバリング直すのが面倒臭い。)
 
で、ざっくりこの回は頭に入って来ないかもと心配していたんですが、あんまりその心配はありませんでした、庶民の歴史を書き記すというか、「ニセ亭主事件」「チーズと蛆虫」の宇宙論による異端審問。
そしてもう完全にランダムに選ばれた人物は周囲と同じ生活をしていただろう! という推測のもと、周囲のだいたいの生活を再現して語られていました、まあ、そうでなかったらむしろなんかしらの記録に残ってるだろうしな、逆説的。
あれですね、そもそも歴史の記録って特別な人間だけじゃねぇかってことで、庶民の記録を残そうぜ、と要するにあとの時代に歴史家が試みた実験的行動なのだそうですよ、ところでニセ亭主事件は映画化したのがそもそもの元らしく。
そこで大物俳優とか使ってて、そのリメイク版では「偽者である亭主」がリチャード・ギアだったそうです、正直私はわりと好きな顔です、夫がそんなんになって帰ってきたら気付けよさすがに!? みたいな感じの気持ちになりますよね。
チーズと蛆虫の人は結局焼かれたそうなんですが、なにが悪いんだなにが、という気分になります、いくら二度目でも、偏狭だよなぁ、さすがに。

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(とうらぶその他、56)