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雑記:とうらぶその他、59

Last-modified: 2016-10-01 (土) 01:14:06

雑記:とうらぶその他、59

9月22日めも。

『美の巨人たち』世界遺産「春日大社」古都・奈良を彩る常若の聖なる社、テレビ東京で8月20日の放映です、リアルタイムだと9月25日です、のでだいぶ近付いて来てるかな、このあとあと2日分だけ日付が巻き戻って終了です。
で、それ使い切ったらどうするべか、適当に考えよう。
 
この春日大社というのは、えーと、日本で多分3番目の地位を持ってる神社のようですが、どうもどうしてそうなのかが今の私だとよくわからない。
藤原氏の氏神ではあるのでそういう意味なんだろうと思っていたんですが、片割れである興福寺(藤原氏の氏寺)がどうもそこまでの地位ではないみたいなんだよな、あくまでも大和国の支配者というか、いやまあ結構な地位だけど、桁が違う。
それと鉱山に伊勢神宮と共に祭られているのも地味に気になるんだよなぁ。
この神社がそもそも山の麓に作られたことからして、当時の建築技術では(平城京と少なくとも前後して作られてるはずです)かなり難易度が高かったはず、まだ山寺の類が日本にないんだよね、そこで建材そのものに傾斜を付けて巨大建築を作るって、その時点でなんでそんなことを試みたのか、建築技術はともかく、設計がただごとではないw
それと、この神社のみが深い特別な紅の色を保っている理由として20年に一回の建て替えがその理由として挙げられていたんですが、要するに資金だよね、金喰い虫の春日社に対して片割れの興福寺がせっせと貢いでいた記憶なんですが、今の資金源はどこなんだろう、それともあるいは、今も関係する土地を持っているのかな。
なんだろう、すごく面白かったし、なんとなく納得する部分もあったものの、調べれば調べるほどわからないことも出てくるなぁ、それとて面白いですが。

7月25日めも。

『和歌文学の世界 '14』#13「樋口一葉の和歌」の引き続き、というかあとこれが終わったらば録画された放送大学の講義は2回分です、他にも歴史系の番組があるので適当に交えていくか、それとも一気にやってしまうかを迷っているのですが。
(他の番組も微妙に興味薄いところに差し掛かってて停滞気味だったりもするのでどっちになるかは微妙。)
 
で、もう一本のまともなやつのほうをまず一旦講義の内容をざらざらっとまとめたあとで、まるで読書感想文を書くかのように再構成していたのでちょっと疲れました、なんというか、あまりにも綺麗すぎてちょっと興味が薄かったんですけども。
その綺麗すぎる世界が樋口一葉の世界そのものであり、綺麗というよりはあまりにも狭い世界だった、その世界をあらん限りの力を込めて全て表現していたのが彼女なんだろうという感じの、ぶっちゃけ、自分で書いててなんかちょっと騙されて今樋口一葉に興味出てきてしまったよなんだこれ?!
多分あれ、この講義でやりたかったのもあるいはそれだったんじゃないのかなー、と今となると思わないでもないです、彼女の通った学び舎の痕跡、彼女の読んだ和歌の中の自然の情景は彼女が師から習ったそのままの反映。
小さな地域の中の祭りの風景の光景、井戸が今も残るような住宅街、多分母子のみで暮らす家はあまり大きくなかったんだろうなという部分も。
そうして、自分の周囲には自分が才能で勝ち取った学び舎に通う権利を、生まれながらに有し、そこの経験をただ携えていけばいいのだろう学友。でも多分そこの差は、彼女の和歌にも小説にもない、長生きしていたらどんなふうになったんでしょうね、彼女は。

7月26日めも。

『権力の館を考える '16』#15「「権力の館」を語る-「適切な状況規定」と「新しい公共の館」-」で放送大学なのです、まとめて録画していた4講義の中の3つめ終了ですー、あとは和歌の講義だけー! 和歌の講義はまだ3本残っているのでそこまで油断は出来ないもののそこまで気張らなくても大丈夫だと思ういやなんか近代に突入してしまいましたけども(いまいち興味が薄い)。
で、二回ほど休まれた若い佐藤さんがこの講義に復活されていまして、そうだね、イランを扱った二回以外全部いるもんね、「御馴染みの佐藤さんです」と言われて思わずそうだね!! と言いました、なんだろうね御厨さんのお気に入りなんだろうか。
なんかいかにも将来有望って気もしますが、単独だとこう、毒が薄いというか。
そしてここでまとめと岸邸に関してのまとめをしていたのですが、金庫が寝室の側で金庫狙ってた場合にどうするんだよ、とか、政治家を引退してから10年も経ってから政治の舞台として御殿場に屋敷を作ったのはどういうわけだろうとか。
まあ、隠居するつもりはなかったんでしょうね、機会があれば総理大臣になりたいと言っていましたし、と語られていましたが、なんだろう、確かに近代史を見ると政治家ってのは半ば終身制みたいなところがあってどっちかというと人材の不足という気もしないでもないんですが、岸さんに関しては特に復活することもなかったんだろうなぁ。
ただ、それでも影響力はずっと持ち続けたということでもあるのかな。
 
この回のまとめでは佐藤さんと御厨さんのテーマなしのディスカッションになっていたのですが、御厨さんが「君はがちゃわちゃが嫌いなの?」と何度か繰り返し聞いていて、最終的に佐藤さんが認めていたんですが、嫌ってたのは体育会系気質かなぁ、とふと。

9月23日めも。

『京都 国宝浪漫』#54 京に新たな国宝誕生 岩清水八幡宮、でktvで9月20日の放送です、BS11のほうでも同じ系統の番組見ていて京都KBSのサイトもほとんど同時に検索で出てくるので正直どっちが元かわからな…と思ってたらエンドクレジットに製作協力でこの2局が並んでたわ。
あ、最初から一緒に作ってたってことだったのね(あるいは途中から参加の可能性とかもありますけども、調べればわかるという説もありますとも)。
 
とりあえずこの岩清水八幡宮は少し前くらいからちょくちょくエンカウントするようになったんですが、神社の中では国内総合2位、たまにこの順位とか言ってることがあるんですけども時代で変わったり条件で変わったりするのでだいたいまあ妥当だろうという程度の意味です、本来の用語とかでは全くないです見ればわかると思うけど!
宇佐八幡宮とか鶴岡八幡宮とかもめっちゃ有名なのでいまいち省略出来ないので友人のももまんとは「いわはちさん」と呼んでいます、たまに託宣が下るのか変なこと言い出すとかいう評価もありますすみません、でも本当に変なんだよ客観的に見ても。
で、ここのいわはちさんが国宝指定されるようになったので、そのお祝い的におめでとー! 的な番組、いやー、やっとですかー、とか言われてましたが、まああれだよね、国内順位2位のわりになんか影が薄いというか、過去のあらゆる政治権力と縁が近いはずなのになんで現代になって急に離れたんだろうよくわからないw
というか「本社」と呼んでいたのでちょっと気になったんですが、内殿と外殿が中にあるの? あとこう、20年ごとに建て替えー! と言ってた春日大社と比べて研究者みたいな気質の方がじわじわ直してました、平成の大修理って、あ、滅多にやらないのね?

9月24日めも。

『古地図で謎解き!』#39 「関ヶ原の戦い」討ち死に武将の男気、いつどこでやってるのは書き写し忘れましたが同じ番組を前にも後にも見てるのでまた記録しておこう、それとあれ、この辺の番組はやっぱり大河ドラマの影響ってことでいいんでしょうかね? 正直BSとNHKとテレ東の歴史番組ならまだ間が持つんだけども(どこのBS局ってわけでもなくてBSならわりと全般、多分メイン視聴者層の純粋な違いだと思います、自分で書いててもむごい言い方だけど)、あんまり歴史題材の番組見ないのでこういう大河もろばれのものが多いのか少ないのかよくわかんない。
あ、いえ、この番組の場合、大河を意識してるのかどうかもよくわかなかったというか、ドラマ以前に作ってても不思議ではないような内容でした、正直ドラマとほぼ同系統だと思うけど、系統によってはこの傾向は昔からあるっぽいしなぁ。
(要するに大河ドラマもどこかしらの情報の系譜に乗ってるのよね、どこでどの情報を選択するかという連続性で個性はだいぶ出るけども。)
(だから上品に大河ドラマに乗っかった歴史題材番組と、もともと大河が採用した説を語ってる方は見分けつかない、うん、それがなによりです。)
 
まああれ、大谷さんと石田のみっちゃんはなぜ関ヶ原で戦ったんですか。
みっちゃんがハイパー不器用さんだったからで、そこで放置しておいてもどうせジリ貧になるんだから今の段階で加担したほうが一番マシじゃろう、みたいな思惑があったんじゃないかな、まあでも、友情もあったと思うよ、みたいな展開でした。
いいんじゃないですかね、外側から見てわかる範囲でこの辺が妥当なんじゃない? と触れるのが健全だよね、ただまあ、堅実すぎるという説もないでもない。身勝手。

9月25日めも。

『和歌文学の世界 '14』#14「近代短歌の世界」です、えーと、あとこれが終わったら1回ですがすでになにをやっていたのかの記憶があんまりありませんというか、前回でやっと講師の方の手法(和歌の内容に触れ、次に作者の世界そのものの中で和歌を探すという、双方向からのアプローチ、それがわかればどこ見るのか最初から掴みやすいな、と思った矢先の交替でした、いや守備範囲の時代考えると仕方ないんだけども!!)にやっとこ馴染んだところだったんですけどもねー。
なんかこう、これがいつも見てる文学論なんだよね、『和歌文学の世界』は前半を担当していた方が珠玉に面白くてちょっと埋もれてたけど、後半扱ってた方もちゃんと面白かったんだな。
いやあの…実物があるものを理論的に分析するのは見るのが好きなんですけども、文学をずっと語られるのはかなりレベルが上がらないと面白さに辿り付くの難しいのかもしれない、いやでも、どこにでも事情がわかると面白くなるという側面はあるはずなんだ今までの授業を下敷きにして、和歌って悪くないかも、と思ったのを思い出すんだ私。
 
みたいな感じでことほど失礼かつ無礼なんですが、そもそも素養がないところをいきなり後半から見始めて名前くらいしか知らないのに面白かった! という部分がすごいのであって、当然のことながら真面目に学問として取り組んでらっしゃる人が悪いわけではないのです、私のほうに受け取る素地がないってのが問題なだけで。
だからえーと、違う、近代短歌の世界は古来からの言葉を本歌取りの要領で使い、それでいて新しい世界の言葉も同時に使うという世界観なのか、石川啄木? 正岡子規? どっちだっけの窓ガラスのおかげで作られたジャンルか、ちょっと興味湧いた。

9月26日めも。

『せいこうの歴史再考』#13 ペリー~横浜・久里浜~、BS12のトゥエルビで9月19日の放送、正直ある程度知ってる時代だからまあいいかと思っていたんですが、この番組はいつも視点が違うんだからもうちょっと信用してれば良かったかもなぁ。
(私が知ってることを「あれ」と思うことがちょくちょくあるけど、私が知らないことが結構語られてるみたいな感じの配分です、守備範囲が違うのね。)
 
そもそもなんでペリーが…横浜じゃなかったな、横浜は開港した側だよね(神奈川宿を避けて横浜村で、の横浜)、えーと、浦賀か、浦賀に黒船でやって来たのかというと中国との交易のために太平洋の新ルートを開拓していたからだ、ということが語られていたんですが、あれ、その前年の開港の打診がクジラ漁なんだっけかな?
なんかで聞いたことがあるんですが、まあいいや、で、その前年の段階でフレンドリーに語りかけたものの全く相手にされなかったため、まずは日本が外圧に弱い国だ、ということを歴史を調べて検証し、そのために黒船という当時の最先端技術と大砲などの文化を持って威圧外交に来たんだよーん、みたいな展開でした。
威圧に、弱かったっけ? いや、明治以降は常に実際そんな感じでしたけども。
そこまで威圧されてへろへろと従ったような記憶が、あったっけ、どうなんだろう。
番組の初っ端の時点で「近っ?!」とせいこうさんが驚いてらしたんで、あれだ、那須与一なら弓で狙えたかもしれない、みたいなことを考えてはいたものの、実際にはそれやってる間にさっさと逃げられたんだろうな、小さな船は起動までが早いしな。
そして現地で測量を重ねに重ね、上陸してからもどんどん文化を見せ付け、しかしその地にあるものも観察した、と、うん、頭いい人だったんだろうね。

9月27日めも。

『和歌文学の世界 '14』#15「現代短歌の世界」です、これが終わったら録画分終了です、また別の機会に放送大学を見続けることもあるかなー、と思うんですけども、とりあえずさすがに録画機能はないと無理だな! という気持ちでいっぱいですさすがに、ていうかこの和歌の講座は冬にもう一回やるんですけどね。ううん。
(途中で録画をミスったためにたまたま取れたので、講義の途中から見ました。)
 
で、まああれです、現代短歌は風刺を行います、と言われていたので正直なところわりと軽い調子で見ていました正直なところ。
いやほら、風刺ってどちらかというと安全圏から行うものという意識があった、というのもどうかなと思うんですが、日本で戦後で風刺と言われるとそこまで重いイメージがどうしてもない。
というかどちらかというと当人が真剣であればあるほど、どうしても滑稽なものになりがちという認識すらあったのですが、とても残念ながら(私が)、扱われていたのは戦争の時の被爆体験に関してでした。
そこでえええっ?! となってしまったのは何回考えてもちょっと恥ずかしいよなぁ、今多分、過去の不幸な出来事を話されても風刺にはならないよね。
ただ、そうだ、話して欲しくないと、世間が沈黙を守っている「気まずいこと」を語るのだとすると今でも十分風刺になるのか。
例えばあれ、最近だと災害地でのボランティアの暴走だとか、善意だったり正義だったり、それ自体を語ってはならないような社会がまずあって、それを打ち破るために必要だったのが現代短歌だったのなら、それは世界を変える力を持ってるって言えるよな。

9月28日めも。

「戦国 三好一族―天下に号令した戦国大名」なのです、今日明日中に図書館に返す本を読まないとなー、となってます、あと、そこにある100均ショップにもちょっと寄って行きたいし、他で見ないタオルが買いたいのです、あ、お金下ろさないと。
で、まあ大雑把に三好さんたちです、応仁の乱の少し後くらいの時点で足利将軍家で後継者争いが起こりまして(まあ細川家が傀儡を仕立てたとも言うらしいけど)、その時点で片方の足利が逃げ出したのが阿波だったと思うんですが、そこの細川分家(阿波細川家)の家臣だそうです、三好さんたち。
徐々に京都で地位を上げてったって認識でいいのかなぁ。
もともと三管領の細川氏も、足利氏とかなり近い親類である斯波氏と、関東に強い基盤を持つと思われる畠山氏と、実力で足利の遠い親類としてのし上がった細川氏みたいな配分だったのであるいは細川氏とそんなに立場が違うわけでもないのかしら。
 
そもそも伯父が実権を持っていたのでそこから奪ったのが三好長慶(多分この人が一番有名、三好四兄弟はこの人が長兄、三好三人衆はこの人の死後の後継者が蔑ろにされた状態)、そして足利将軍の13代義輝を放り出しまして、さらに三好長慶の死後にこの義輝が殺されるようなことにもなったよ、みたいなのがわりと普段から聞く時代の話。
このくらいの時代から織田信長がちょこちょこ顔出す感じだしね。
だが、その前にも細川氏だの三好だの足利だのの系譜がごちゃごちゃになった戦乱があったよー、みたいな感じの本でした。
ところで鉄砲導入したのが雑賀衆に根来衆って、宗教関係だよねそれww
前者が日蓮宗で後者が浄土真宗だったかな、間接的関係かもしれんけども。

9月29日めも。

『美の巨人たち』堀尾吉晴 国宝「松枝城」謎多き鉄壁の城、なのです、毎年やっている夏の建築シリーズの最後の回でした、で、この回を見ていてなにが不思議ってなんで城主の方はあんなに真剣に攻め込まれることを心配していたんだろう一体? という部分だったんですが、島根県と書いてあってもよくわからなかったので藩名で調べると松枝藩と言われてしまいまして、あー、そうだよねー、と半笑い状態に。
そうしてなにがいつあったのかがさっぱりわからない!
というか、地下に井戸はあるわ、やたらと破風が多いわの堅固な城は結局一度も攻め込まれたことはなかったそうです、あ、うん、多分そうだと思ってたけども。
 
もともとこの城がいつ作られたのかよくわからないために、昭和10年(終戦が昭和20年だよー)の時点で一度認定された国宝指定が戦後に取り消されてしまったらしく、いやこの辺のところはよくわからないんですが基準が変わったってのは聞くよね。
その記録が城を作った直後だろうと推測される地鎮祭のために使われたと思われる札が見付かりまして見事解決しまして、若干言い回しを自分に馴染みのあるものに変えてるんですが、うん、確かに作った直後にやるよねその手のことはw
少なくとも作られた時期よりも前の日付もないよね、と言われたらそれも納得。
あと、なぜか江戸の比較的初期に描かれた天主の絵図とはなんか違うのでそれも謎、というようなことが言われてたんですが、城の改築って確か許可いるよねぇ? 減築に関してはそうでもなかったんだっけか、いやまあ、そのうち記録が出てくる可能性とかもありそうですよね。
ところでなんでこの近辺で「真田丸」の新資料とか出てくるの、なんの土地なの。

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