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雑記:とうらぶその他、67

Last-modified: 2017-01-16 (月) 01:05:00

雑記:とうらぶその他、67

12月9日めも。

『天平の僧 行基-異能僧をめぐる土地と人々』の読了なのです、というかとりあえず行基さんが空前の土木僧だということだけは伝わってきたんですが、どうもそれが出身地の近辺に渡来人の技術者がいるというところから、当人もその系統だったんじゃないのかなー、と推測させることになってたんじゃないのかなこれ。
ただ、個人的に中で語られていた系譜の中に「あれこれ、こないだ見た出雲国造の系譜に出てきた名前???」となってしまったので混乱しました。
だって出雲大社の本とほとんど同時に読んでたらなぜか名前が被ってたんだもん!!
まさか行基(奈良時代でいいんだよねこれ)と、出雲大社で出てきたものが被るって発想はあんまりないよねー、正直。
 
あとそもそも、やたらと土木関係の工事を行っているんですが、パトロン誰や、とか、工夫は一般信者かなぁ? とか、どういうルートで依頼されていたんだろうか、とかいろいろなところが曖昧になっていたんですが。
それでも結構、なにを作ったんだよ、みたいなところは記録があるのね思ったより。
聖武天皇がなぜ依頼したのか、というのはもうこれを見てしまうとあんまり違和感なかったんですが、当時の建築に関してがどうなっていたのかの分析みたいなものも見たいなぁ。
いや、ある程度までしか再現出来ないだろうってのはわかるんだけども(そもそも残ってるのは寺と神社くらいで、よっぽどでない限りは残ってないしね)、それでも全く残ってない時代でもなさそうだしなぁ。
あとは同時代の鑑真さんやら聖武天皇やらも読んでいきたいんですが、まとめれば少しは情報貯められるかしら、東大寺造寺司なんかも読んでみたいよね。

12月10日めも。

『NHK さかのぼり日本史(4』明治「官僚国家」への道、の読了です、とりあえずまあ、このシリーズはわりと嫌いではないんですが連続性を感じるか、と言われるとそんなでもねぇな、みたいなところが正直なところですかね。
あと前の巻がちょっと面倒かったかなー、というのもあるにはある。
人名がわかってなくても読めるレベルに押さえて欲しかったな、というのも大概贅沢なんですが、この巻に至ってその発想は捨てました。
私どうもこう、反体制というか、非中央政権寄りの立場から歴史を読んでいく癖みたいなものがあるんですが(多分生まれつきかなと思ってますマジで、あと前世と生まれる前の血統みたいなものもそんな)、この本は見事に明治新政府寄りでした。
どうも今まで一度も読んだことがなかったので、初めてどういう発想だったのかがわかったような気がします。
いやぁ、今まで知識人層からの視点で見てたみたい…意味不明のところがいっぱいあったんだよ、簡単に言うと、この時代には国外の高等教育を受けていたり、前時代の教育を受けている人物が結構いるんですよね。
が、中央政権から見るとなんか全然なに言ってんだか意味わからんみたいな。
この本でも、なに言ってんだこいつ、信じるんじゃなかった、という感じの展開をしていて、逆側から見ていたのでかなりびっくりしました。
 
非知識層が台頭し、知識人が放り出されるという展開ってそういやこの国ではこの後あったな、という気持ちになってしまい。
本の内容は多分かなり違う方向だったんだけどね、なんかもう頭に残ってないかな?!

12月11日めも。

『日本の美術22 茶道具』の読了なのです、というか茶道具そのものはわりと見ていて面白いので(理屈がいろいろあるし、素材がいろいろあるし、来歴が比較的はっきりしてるし、なんか哲学っぽい部分もあるんだけどねー、ちょっとくらいならまあありだと思うんだ)、それなりに間が持つかなとは思ってるんですけどね。
ただ、その本を読んだあとで感想が出てくるかと言ったら出てこないかなー、まあ。
 
前にちょっと考えたことがあるんですけども、茶道具の価値ってちょっと日本刀のそれに似てる部分があって、来歴とか思想とか、あと伝承も多少だけどあるんだっけ(さすがに利休以降だとあんまりなさそうですが、江戸時代にもありえなくはないのかな)。
時期はずっと短いんですけども極端に高価なものがあるのも特徴だしなぁ。
その価値が独特というか、有名人が使ったから、というだけではないんだよね、思想そのものを反映しているものだから価値がある、その価値を共有する人たちが今の時代に至るまでわりと滑らかに連続している。
そういう意味では、途切れてしまっている刀の世界よりも強いみたいな部分もあるのかなぁ、ただ、実用品とはやっぱり言い難いところがあり。
そこまで何度も物そのものの意味が変わって来たわけではないという意味では要素がいくつか足りないみたいな感じかなぁ。
あれだよね、千利休を茶道の創設者とか、侘茶の創設者とか言う気風ってあんまり好きではないんですが(だって東山時代よ?! 数世代も前だわ)、しかし茶道具を見ていく時に全てが大きな思想の元に包まれていて、その中での価値だなー、というのは感じる。
そこの思想という部分を作ったのは利休なのかなぁ、とは思わないでもないんだよね。

12月12日めも。

『列島創世記-旧石器・縄文・弥生・古墳時代』全集日本の歴史1の読了です、リアルタイムで1月8日で、あと何冊かなー、ちょっとあれ、手元に本が溜まっているので急ぎがちに登録しないとなぁ。
(本を読む時間はまた別にあるので、そっちはちまちま進んでいくんだよね、たださすがに登録していない本が溜まりすぎるとちょっと停滞気味。)
 
この本は6巻の鎌倉時代の担当のシリーズを読んでどうも全体的に五味さんが監修に関わってそうだからー、みたいな感じで手を伸ばしたんですけどもね。
というか、それ以前の本ってあんまり信用してないというか。
網野さんはそれ自体はいいんだけども、学問体系という気はしないんだよなぁ、なんか視点が狭いような、いやただ、そういう学者さんって必要だとも思うのでそれ自体は別にいいと思ってます。
が、五味さんの場合はご当人というより、その裾野のほうが面白いというか、関わっているところはなるべく読んでいこうかなー、みたいな感じ。
なんか上手く表現出来ていないんですが、手法そのものが独特なんだよね、五味さん。
ただあくまでも中世の人なのでシリーズ全体に影響を及ぼしているとも限らない、と、いうことで1巻めを借りて来て、当たりだったのでこのあともぽちぽち借りて行こうかなと思ってます(*´∀`*)あはは☆
遺跡関係の本ってこう、わりと細かい道具一つ一つでその推測を立てていくようなところがあるのですが、ここの本では大きな括りとして生活を再現するのが目的であまり細かいところには踏み入らない、こういう大枠を詰めてく人も必要だよなぁ。

12月13日めも。

『日本の美術69 初期水墨画』の読了なのです、というかあれですね、多分禅宗は出てくると思ってたんだよ正直、というか、水墨画の名手って思われてたけど坊さんだからね! みたいなフォローも聞く感じだし初期はそれこそ禅僧が水墨画描く感じだし。
が、さすがに禅宗の歴史とか習慣の話をされるとまでは予想しておらず。
ぶっちゃけ、ちょっとだけ読んだ禅宗の本よりも詳しいじゃん!! となり。
あれですねー、初期の建築の本を読んだ時のほうが初期仏教の話がよっぽど詳しいみたいな現象と同じだね、禅宗を読みたかったら水墨画の本がいいよ! とまでは言わないけど少なくとも初期水墨画だと確実に出てくるわー(建築もほぼほぼ同じだ)。
 
ただこの時期に関してはまだ大陸から伝わって来たまんまとか、それこそ大陸で描いたものを運んで来たんじゃないかな、というものもあったりとか。
それこそ日本にいる間には名前が知られておらず作品がなく、中国でしか絵を描いたことのない人の作品なんてなんで本気で日本に残ってるんだろうね? 普通に中国の作品も日本に渡ってきて、それこそ模写の対象になってたりしたよん、ということが昔読んでいた東山文化の本にあったのでそういう意図だったのかな、という気もしますが。
まだこの時代には記名がそこまで一般的ではないらしく、僧侶が宗教目的であるというのもないでもないのかな? とはいえ、この時代のあとが江戸って考えると作者が名乗るのが当然になるという過渡期の一種ではないかなー、という気もするんだけども。
(いやこれ以前にも仏像だの刀だのには名前が刻まれてるんだけども、ある種の情報というニュアンスって気もしないでもないんだよなあの辺。)
模写が当然でそこから徐々に独自性が出てくるというのも、なんか過渡期っぽい。

12月14日めも。

『摂関政治 シリーズ日本古代史6』の読了なのですよ、とりあえずリアルタイムで1月11日で相変わらずあんまり本の登録が進んでないです、なのでまあとりあえず手元にある読了本を登録してしまって図書館に返して来ようと画策しているのですがキムチが届きましたので今母猫が仕分けしていたりします。
容器が足りなくなったら私が買い出しです、さすがにそのくらいはするよ。
いやいや、手伝ったほうがいいのかもしれないんだけども…こういうのって手伝うとわりと混乱するから完全に主導権ごと奪うか二人でやらなきゃならないくらい大量にあるかじゃないとなぁ、さすがに一箱なので。
しかし一人の作業としては重労働なので別のことくらいはするよと。
 
いやそうじゃなくて摂関政治なんですが、最近はこう、別に藤原氏の圧政とか専横政治だったわけでもないんだよ、みたいなところが語られているわけですが。
実際あれだよね、日本てほとんど政治システムの変更みたいなところないよね。
大雑把に言うと土地税があって、それをどうやってか取り立ててその金で国家事業するみたいなのが主なんですが、公共事業インフラみたいなことってその中に含まれていたのかどうかがよくわからない。
とりあえず、税金で寺や神社の行事が行われたことを皮肉ろうと思ったんですがよく考えたら寺や神社が地方の生活支えるインフラの担い手だったので、駄目だ、そういう意味では間接的にきっちり回ってるわという印象になり。
しまった藤原氏とか摂関家とかの話がすっ飛びましたが、私はあんまり権力者に興味ないです誰が権力握っても大差ないし、だったら有能なやつがいいみたいななんの話だ。

12月15日めも。

『北辺の海の民・モヨロ貝塚』遺跡を学ぶ001の読了なのです、というかシリーズ1冊目なので読んだことにもそんなに深い意味はないというか、えーと、私は古代史には多分興味がないということになるのかな、古代っても「鎌倉以前(最近は院政以前)」という感じで幅が広いんですが、まああれ、実際あんまり平安時代にも興味がないというか、とりあえずあれ、邪馬台国論争には興味がないというスタンスですが。
最近は邪馬台国一辺倒ではなくなって来たのでぽちぽち読んでもいいような気もしつつ、いまいち引っ掛かりがないみたいな感じです。
とはいえ、平安はともかく平城京の時代だのはぽちぽち興味出て来てるし、あと時代関係なしの仏教史や物の歴史なんかだとあっさり時代を越えていくのでそこまで時代単位には拘ってないんだけどね。
遺跡なんかでも、興味のある地域や遺跡単位で読んでいて、有名遺跡関係をほとんど読んでいなかったのが最近はちょいちょいとつまみ食いしがちみたいな。
とはいえ、最寄り図書館だとこのシリーズはほとんど入れてないので、そこで借りられるものがもう残ってないみたいな理由もあったりなかったり。
まああれ、多分スペースがあんまりないんだろうね…仕方ないね。
 
で、この本は要するにアイヌ文化に憧れていた人間が、現地住人くらいにしか知られていなかった遺跡を見つけ出して当面は当然アイヌ民族のものだと思っていたものの、その後、遺骨の特徴からアリョーシャン民族ではないかとか、いやいや血統はそれに近くとも時代が違うのではないかなどの経過を経てったみたいな話なんですが。
これ、ひょっとして現代の考古学の始まりみたいな立ち位置なのかな、面白かった。

12月16日めも。

『対馬からみた日朝関係』日本史リブレット041の読了っす、えーと、これが終わったらあとは、桓武天皇の本と神社の本はもう一度読むことにしたからそれを読み終えてからで、今日はもう少し寝ておきたいと思ったんだけどもそれも無理っぽいなぁ。
大宰府近くのところに住んでいるもものまんじゅう(人)がこの対馬の本の読書メーターへの登録を見て、あ、意外と知られてないんだ的なことを言っていたんですが。
うん、全然知らなかったです、というか、貿易やら外交関係に関してなんとなく対馬が出てくることは認識していたものの、それがどんなものかということを改めて考えるといまいちピンとこないみたいなところが正直なところなのですが。
北九州の土地争いからは離れたところで博多だけは分捕りにくるみたいなことが語られていたんですが、微妙にどうして対馬という土地になったのかという経緯がわからず、ここは単純に「半島と九州の間にある」という立地のことを考えると有利だったんだよという程度でいいのかしらね。
 
というか、さすがに教養や情報精度などを見ていると只者とも思えない一族なので、ここに関しての研究をしようと思ったらもうちょっと進展するんじゃないのかなぁ。
この本はあくまで外側から見たものなのであんまり詳しくなくても、どっかにすでにその手の研究した人がいるかもしれないねー。
いやいっそのこと、土地の人に聞いてみるほうが早いのかな。
あれだよ、外交の関係でちょいちょい手紙の文面を改ざんしていたのがバレて関係者が処刑されてしまったらば、日本国内に他に禅宗の高僧くらいしか人材がいなかったんで困ったって、対馬はどうやってそのレベル保ったんだろうね、すごいなww

12月17日めも。

『桓武天皇-造都と征夷を宿命づけられた帝王』日本史リブレット人011の読了なのですよー、あれです、相変わらず登録が進まない中での出勤日です、これが終わってもあと4冊残ってるんだよー、せめてももう1冊2冊くらいは進めたい気がするんだけどもどうなんだろうあともう、なんか義務化してるのもよくない気もするんだけどね!
ただまあ、やっぱりまとめて積みあがっていくのは楽しいは楽しいんだ、まだ。
 
この本は要するにあれ、桓武天皇は生母の身分が低くー。
おかげでこの人の血統に天皇位をつなげていくにはだいぶん血が流れたよ(そしてその時点で藤原百川が台頭したよ、みたいな)、そしたら空前の祟りブームになっちゃって、新しい宗教が求められるようになりました、みたいなそんな展開が。
個人的には祟りだなんだというのはあんまり信じてなかったんですが…。
なんだろう、あまりの展開にちょっと信じる人が出て来ても無理はないような、みたいな内容のオンパレードにびびる嵌めに。
あれを合理的に解釈するとなると、誰か祟りをプロデュースして自分たちの地位を高めようとした宗教人がいた、ということになりそうなものなんですけどね。そのくらいなんかすざましい内容が。
しかしいくらなんでも御所のど真ん中に雷が落ちて、そこにいた大臣が死んだってのは、ねつ造しようがないので…うん、無理もないという結論になるなぁどうしても。
私もこの時代に生まれてたらさすがに神社行くよ、さすがに怖いよマジで。
そもそもこの時代に台頭したのって天台宗に真言宗という、最澄や空海、あと修験道の役小角って聞いているのでなんか違う気がしないでもない。

12月18日めも。

『日本の神社がわかる本-有名神社95社の縁起・祭神・御神徳』の読了なのです、正直この本を褒め称えたいと思ってもなかなか難しかったんですが、要するに「もともと神社の歴史という分野が複数のパーツに分断されていて」、一つか二つの分野しか把握されていないことが少なくない中でほとんど全てのパーツを把握していたよ、というところが素晴らしかったんですが、多分この著者さんは芯がある人というより、わりとこう、いろんなジャンルをふらふらとあちこち浮気してる人なんじゃないのかなー、ということを考えていますがあくまでも誉め言葉です。
タモリさんが言ってたんですよ、人間は芯があっちゃいかん、ふにゃふにゃしてないと駄目だって、芯があるとどうしても考え偏るしね。
そしてそうじゃないととてもじゃないけど神社の歴史ってつながらないし!
そもそも神社の本において神話との関係に触れているところから少ないところがあるんですが、これも仕方のない部分があって、祭神ってわりと中世に近いくらいの時期に取り替えてるみたいな事情があるんだよね、古代の話じゃないんだよな。
今の時点で祭神の入れ替えの事情に関してわかるというわけではないんですが、平安時代の中期よりもあとだとさすがに政治的な理由だという以外には判断しずらいよなぁ。
なんというか、神社の中というより外の世界に影響されやすい存在ってことなのかもね、ただ、宗教としてはむしろ好ましい側面と言えるのかもしれない。
 
まあとりあえず、もう何冊か読んでみたいです。
正直、今の私が読んだから血反吐吐く勢いでもう少し早い段階に読んでおきたかった、となりますけども、初学者向けかはなんとも言えない、そもそもの構造がわかりにくいよね。

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