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雑記:とうらぶその他、68

Last-modified: 2017-01-28 (土) 20:32:25

雑記:とうらぶその他、68

12月19日めも。

『日本の美術43 浄土教画』の読了です、現在パソコンをあらぬところに持ち込んでいるのですが、電波が届かないので窓際にWifiを置かなくてはならず、その場合にUSB接続を外さないとならないのでまあ、なんですかね、わりとこう、つないだり外したりするような感じで進展しています。
いやあの、家でこの手の本の登録やレビューを進めればよいようなものなんですが、家だとどうしても邪念が入るのでこのような手段となり。
正直なところ、接続がつないだり外したりしなければならない状況は好都合かなという気もします、どうしてもゲームやっちゃうんだよね…!
 
ではなく、えーととりあえず「浄土信仰」の本を期待して借りてきたつもりだったんですが、どちらかというと私が認識していたのが「念仏信仰」だということがはっきりしたような感じの展開でした。
あれです、鎌倉初期の法然親鸞、少し遡っての空也ではなく、この世のどこかに浄土が存在し、そこに辿り付くための信仰のような全般で、あれだよね、こないだ修験道の本で見ていた補陀落信仰がこっちにも含まれているようだったんですけども。
その辺の関係がどうなっているのかは今の時点の私にはわかりません!!
というか、補陀落信仰って海の先に浄土があるという認識だったんですが「春日山にあるよ」と言われるともはやどうしたらいいのか、春日山ってあれだろ、春日大社だよね、その地に浄土が存在するので民間信仰の対象になったそうですなんの話だよ初耳だよ?!
いつまで経っても新鮮さが薄れないでいいジャンル、と言うべきなのか、もう少しくらいまとめて読ませてよと泣くべきなのか、大日如来降臨とは関係あるのか、以下次号です。

12月20日めも。

『足利義政と東山文化』読みなおす日本史の読了でっす、真面目な話、最近出た本だと完全に思い込んでいたので読み終わるまで、というより「昔の本の出版し直しですー」という文章を読むまで完全に気付かなかったのがどうかと思うんですが。
さすがにめぼしい東山文化の本は読んでいるはずなので、うん、読んでました、多分半年かそれ以上前だったかに読んでいて、確かこないだも二回め読んで気付かないなんてことをしでかしたような記憶です。
いやいつもはわりとこう、読んだか読んでないかがさっぱりわからないことが多くて読書メーターの登録に頼ってるんだけども、たまに自信があって図書館の予約をしてしまうことがあるんですよね、そういう感じに二度の間違えをやらかした感じです。
いや、この本の場合はそもそも新刊案内のところにあったんだっけ。
新刊だと思ったところまでは恥ずかしくないんだ、読み終わるまで完全に最近の本、というか、最近の流れを取り入れていたりいなかったりするな、と分析しながら読んでいたのがかなり恥ずかしいです、なに言ってんだよ、1990年が享年の方の本だよ馬鹿だろう私、なに言ってんだ私。
 
が、正直なところほとんど最近の本と比べて遜色がないというか、多分今まで読んだ中で一番ちゃんとしてるんじゃないのかな…せいぜん三番目くらいです…もっとたくさん読んでるんですけども、各々欠けてるところがあるというか室町時代大概に酷いんだよね。
とりあえず、時空を捻じ曲げて日野富子を活躍させるのは止めてあげて欲しいです、嫌なのは時空が捻じ曲がってる部分だよマジ!! この本では時空は歪んでなかったんですがなにをしたのかが結局わかりませんでしたよ、野心を心に秘め…、発動してなくない?

12月21日めも。

『日本の美術81 古代の神社建築』の読了なのです、とりあえずこの前に読んでいた中世の神社建築の本が…うーん、外れとは言いたくないんですが、だって著者さん自体が悪いわけでは全くないし、みたいな迷いがないでもないものの、正直なところ面白い内容ではなかったのですが、なんというか中世に新しく出来た神社そのものが極端に限られるんだよね。
で、さらに言うと、古代に関しても神社建築はわりと古来の生活に密着した高床式であるとされていること、それとその後は今度は寺院建築の影響を受けてしまったことなどの事情により、要するにまあうん。
中世に引き続き、著者さんが悪くなくてもあんまり面白くない可能性はあるかなー、というのが正直な気持ちだったんですが。
そもそも宗教施設としてわざわざ「建築様式」として確立するのに周囲に埋没するような建築にするはずがなく(結果として埋没することはありそうだけど、その場合は確かに他の施設にまでその様式伝えないよな、ごもっとも)、その建築が一般的ではなくなったあとで神社建築として取り入れられたのではないか、と言われたら確かに納得。
個人的には高床式に近いのは、神に捧げる初穂を入れるための倉庫が宗教施設だったからなのかな、と思わないでもないものの、倉庫でなくなった後にも同じ様式が取り入れられていたらもう象徴的な意味合いになってるんだろうしねー。
 
そしてさらに寺院からの影響はもちろん存在しているものの、その影響をはっきりと認識する、確かに寺院建築はもともと大陸ルーツがあるから、日本に来て多少は混ざったもののわりとわかりやすいよね(寺院建築の研究はかなり進んでいるというのもあるし)、そしてそうして割り出したものを来歴に関わらず紹介、という、うん、悪くない。

12月22日めも。

『「街道」で読み解く日本史の謎』の読了なのです、この著者さんは正直数年前から見ているんですがあれです、大河の『八重の桜』よりも前に覚馬さんやら八重さんやらを扱っていた人だよね、ドラマと関係があるのかどうかは知らないけどねー。
(ただ、さすがにここまで狭いターゲットだと、なんらかの形で影響はありそう。)
 
で、一番面白かったのは善行寺の話だったんですが、そこに日本で最古の仏像というのがありましてそれを上杉氏と武田氏、で良かったっけ? まあ戦国大名が取り合いをした挙げ句に最終的に信長さんに持って行かれまして、秀吉だっけか、家康だっけか、まあ忘れたけどそんなくらいの時期に戻されたみたいです。
やたらと記憶が薄いですが、別にいいじゃんそんな細かいこと!! みたいな。
なんかその過程で善行寺が複数に分裂して、本家とか元祖とか乱立しているような状態になっていたりもしましたが、確かによくわかんない寺だと思ってたよそんな理由が…。
あと面白かったのが秋葉神社ですね!
とにかく火事が多かった江戸の庶民にめっさ愛されまして、明治政府が鎮火神社を作ったところ、皆それを秋葉神社だとしか認識しようとせず。
それが今の秋葉原の土地の元になったようです、そんなことがwww
などの結構他にも面白い話があったんですが、うーん、残念ながら街道で語る意味があったのってせいぜい経済関係の事情くらいかなぁ。
あれですね、街道によって示威行為をするとか、商売をするとか、統治を行うみたいなのはわかるんだけど一過性の移動だといまいちかなー、という感じの印象。
善行寺と秋葉神社はもう読めただけで全て許すくらいに良かったのでまあいいですww

12月23日めも。

『平城京のごみ図鑑-最新研究でみえてくる奈良時代の暮らし』の読了なのです、というかこれ自体はまあ古代で平城京というわりと特異な題材を扱ってはいるものの(すごくざっくり平安京の前が平城京、他にもあちこちに都あったりもするけどもだいたい奈良近辺、たまに大阪とか近江とか)、どっちかというと考古学の手法。
わりと新しい成分分析なんかに関しての本って考えたほうがいいのかねこれ。
というか裏紙に使われた手紙を収拾とか、障子に張り付いてる使い終わった紙から歴史史料が! とかいろいろ大変ですよね。
ここではまあ、寄生虫の卵が発見されると多分ここはトイレだろう。とか。
あと、木簡の表面を削って再利用したからその木片とか。
他にはあれですね、ごみ捨て場にした穴とか井戸とかそんな感じ。
 
というか最近貝塚がどうも単なるごみ捨て場というだけではなかったのではないか、なんらかの象徴的な意味合いがあるのではないか的なことを言われているのですが、この辺どうなんだろう正直。
いや平城京のごみもなんかなんとなく不思議な捨て方してる場合があるんだよね、前に江戸のごみ捨て事情を見た時とはちょっとだけ違うというか。
そういや東大寺の正倉院に「どういうわけだか公的書類が入ってる」というのをこないだ聞いたばかりなんですが、そういうのと木簡の木片の突き合わせとかしたりもしてるのかなぁ、いや、奈良の研究所なんで多分やってるよなその辺も。
そういや瓦がなぜか遠く運ばれて再利用されていたと不思議がられてましたが、瓦職人が少なかったらしいみたいな物の歴史の人とは連動してないのかなー?

12月24日めも。

『蓮如-乱世の民衆とともに歩んだ宗教者』日本史リブレット人041の読了、なのですよー、というか現在同じ部屋に人が寝ているので(出先です、パソコンは使ってもいいという許可は得ています、回線も自前)、まあキーボードを打つのに多少の気遣いもいるかなという感じなんですが、とりあえず蓮如さんです。
同時代に日蓮宗のめっさ喧嘩っ早い人がいらして、そういや本阿弥家のご先祖とぶち込まれた牢屋で意気投合してその後の関係が出来たとかも言ってましたが。
浄土真宗がこの時代にわりと親鸞の弟子から子孫(結婚可ですよ浄土真宗)の本願寺派へと主流が移ったとか。
そもそもその一つ前の時代に日野氏から妻を娶っていたりとか。
貴族の正妻がいたわりにはそのせいで追い出されてしまった侍女の子である蓮如がわりと早い段階から後継ぎとして扱われていたらしいとか。
まあそんな感じで展開していくのですが。
どう見てもさすがに信仰の人よりも政治僧のイメージが強くなることは仕方ないような、ただその目的に関してはそこまできな臭くもなさそうかなー、という感じですかね。
というか一向一揆と結び付いて民衆側にも加担していたというのが貴族との関係と同時なのがさすがにすごいような…。
 
あと私の個人的な興味としては貿易との関わりはどの時点で出来たんだろう、とか(本願寺派はその後そういう感じで戦国武将らに扱われてましたので事実は事実なんだけども経緯がよく)、建築好きの本願寺とまで言われる理由はなんでとか。
そういう感じのがいまだに読めません、本願寺派が巨大化したのはここ以降だよなぁ。

12月25日めも。

『神道はなぜ教えがないのか』の読了なのです、正直今の時点でこれが終わってやっと3冊しか登録出来ていない現状にとても絶望を感じるのですが、とりあえずまあなにをやっていたのかというとついったとゲームが主なのでもちろん自業自得なのですが、現在朝4時を回りましたので人はほとんどいなくなりました(>ついった)。
別に皆無じゃない辺り。
あとあれ、いやそうじゃないな神道の本なんですが。
最高でした、やっぱり史実的観点からいいですこの著者さん。
というかタイトルから無理もないんですが、社会問題の本だと思って手を取って、なんで結論がないんだと怒られてるんだな…、確かに結論ないな。
というか墓がいらない系の本は別にいいかと思っていたんですが、よく考えたらそこで埋葬の歴史語ってる可能性もあるのか。
結論がないって怒る人の気持ちが少しだけわかるような気もします。
どう考えても歴史ジャンルに来るべき人だと思うんですが、ひょっとしたら著者さんの目的ではないところがこのニュートラルな視点を生み出しているような気もしないでもないし若干迷う。
とりあえずあとの本も読む予定です、墓の本もなんなら借りてみよう。
(外れても特に問題はないのです、なんなら外れでも別に読み通してもいいくらいだし、もともと読みやすい文章だしねー、新書だし。)
 
ただ、比較宗教学の観点から原始宗教や提唱宗教などの概念に触れていなかったのはちょっと不満、そちらを学ばれたほうがもっと実りもあるんじゃないかしら。

12月26日めも。

『謎とき平清盛』の読了なのですー、家に帰りましたー、というかリアルタイムだと1月27日です、だいたい1カ月くらい遅れてる感じです毎度のこと些末ではあるんだけどなかなか年を越えない感じで。
ここの著者さんの本郷さんってわりとよくテレビで見るんですが最近。
あと経済が得意な人と、林先生の三人くらいが歴史ネタよく取り上げてる感じかなー。
ぶっちゃけると奥さんのが切れ味がいいんだけども、素人受けがいいのは旦那さんかもなぁ、という気もしないでもない。
 
で、あれです、大河ドラマで平清盛が題材で「えっれぇ画面が汚い」ということで有名だったんですが、普通に見てた人はわりと面白かったよー、とざくっと褒めてたのよね。
マニアがマニア心満たすためだけに評価してるみたいな感じじゃなく。
あと、とりあえず天皇の前で切腹とかはさすがにない!! てのは真面目に賛成です。
ひっくり返るような騒ぎになっちゃうよなあ、と思ったんだけどこの辺も最近の中世研究の賜物か、ただまあ穢れを嫌う、血と死はもっての他というのは平安物の作品なんか見ててもちょいちょい出てくるよね。
そしてこっちは多分中世研究というか院政の辺りを読んでいると感じるのが、上皇なら可能なことが天皇だと不可、だいぶ不自由な存在だったみたいなの。
ということでさすがにないなー、というのに同意です。
てかこの本が一番面白かったのってやっぱり世代を遡って源平の争いというのを最初から検討し直したところなんじゃないですかね。
大河ドラマを目当ての人にさりげなく別時代刷り込んでいく精神は純粋に褒めたい。

12月27日めも。

『死の国・熊野-日本人の聖地信仰』の読了なのですよー、あれです、熊野三山ってのは私には長いこと謎の存在だったんですが、今回読んでわりとその意味合いがわかったような気がします。
というかここにあるのがどうも寺のような気もする、という感覚持ってる人って他にもいて、多分罪悪感持ってるんじゃないかと思うんですが、いや私もその口だったんで、なんかだんだん話聞いてると寺院のような気がするってなる人もいるんじゃないかと思うんですが。
ぶっちゃけ研究者の人も現地の人も別に叱って来ないんじゃなかろうかこれ。
というかかなり初期の段階から普通に仏教と関わってるんですね。
他にも仏教との関係が深い神社というのはあるんですが、それこそ八幡神社とか、あっちはもう比重が多すぎてあっけらかんと語ってる。
が、この熊野はなんとかして神社単体で語ろうとした人たちがいた、その痕跡を何度か読むことになっていたようです。
無理だと思うんだよね、実際なんのことかさっぱりわかんなかったし。
実は仏教とも関係があるんです! というミニコーナーの言及に受けてる場合じゃなかったです、なんだ初期からがっつりじゃん、しかも仏教の浄土信仰系の人たちここの地に普通に来てるんじゃない、とかいろいろな観点から。
あんまり無駄な労力は使わないでくれたらいいなって思います…。
まあ、廃仏毀釈でなんか一緒くたになってるのが駄目だって言われてたのは知ってるんですけども、あの廃仏毀釈がただの暴挙だったって意見が今一般的だしね。
 
というか、この本そこそこ古い上に新書なんですよね。なんで見付けられなかったの私。

12月28日めも。

『日本の美術13 水墨画』の読了…あれ、あとこれ合わせて3日分になるのかな。
ちゃかちゃか終わらせてしまって別に借りて来た文学作品のを1月1日分にしようかなぁ、あれですね、DMMゲームの『文豪とアルケミスト』というのを初めてみまして、とりあえず読んだのはその1冊なんですけどね!
まあさすがにご縁があるのでもう少し読んでみたいです。
なんというか、読んでいて楽しいってのが重要というか、なにかきっかけがあって読みやすくなってたらそれに越したことはないからねー。
 
というかあれ、雪舟さんに関してがやっぱり結構な比重があったんですが、彼より前の人たちはなにか事情がない限り記名している節がない。
雪舟さんの場合はかなり堂々と記名してるよん、というのはあれですかね、欧州なんかで言われている芸術家の誕生、個人意識の醸成なんかと同じ系譜って捉えていいのかなぁ?
あとあれ、工芸品と芸術品の狭間でもこういう変化って起こるんだったっけかな。
そして私、長谷川等伯が雪舟の弟子の弟子みたいなの全然知らなかった上、狩野派も似たようなところから出ていて突っ伏しちゃったんですけども、よく考えたら時代近いわ、確かにそういう系譜で考えると雪舟が僧侶ではあるけれども専門絵師だった、と考えたほうが滑らかにつながるのかもしれないなぁ。
あとあれ、阿弥号を持った時宗の人物なども多少含まれているんですが、これやっぱり微妙にニュアンス掴めないんだよね。
阿弥号を持っていても僧侶というより普通の生活してるよ、家族もいるよ、というところまではわかるものの、時宗であるということでなんかメリットあったのかしら?

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