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雑記:とうらぶ・文アル他、103

Last-modified: 2018-05-24 (木) 18:54:06

雑記:とうらぶ・文アル他、103

12月14日めも。

リアルタイムは2018年の5月23日、なんかさっきからぽちぽちと丸一日分ほど打ち込んでは捨てて打ち込んでは捨ててって2回ほど繰り返していたんですが、意味がないのもまとまりがないのも大していつもと変わらないような気もするんだけどねー。
なにかが駄目なような気がしてしまってね。
あ、2017年度分はここから10日分打ち込んだら終了です、これが終わったら2018年の2月分を書くんだ、そうしたら多分そろそろかっぱわにのぬいぐるみが届くんだよな! と考えていますだからどうした。
いや、あれですね、なんかやたらと大量に打ってて自分なりの嬉しさがあるんだけどそれをつらつらと眺めて「だからなんなのよ?」というのに耐えきれなかったのかもしれないな、嬉しいは嬉しいけど、冷静になると意味なんか特にないというのが打ち終わった瞬間にひしひしと迫るのかもね!
いやそれも含めてどうでもいいんだけどね。
また内容が全くないんですが、突っ込みして冷静になったという痕跡は別に残していても恥ずかしくないのでまあいいんじゃないかな。
 
あと、前からちょっとまとめたいなと思っていた「純文学以外」の文学の潮流に関してなんですけども、これがなかなか難物で、まず十万部到達の中間小説群。
そもそも大衆小説よりも前から時代小説みたいなものはあるし、多分新講談とその発展形みたいなものだと思うんだけど、哲学ブームや宗教ブームなんてのもあるしねー、このブームに嵌まると結構レベル高いもんでも売れるみたいなやつ。
文学史だと文学の傑作のない時代ってばっさりだけどねー、本はかなり売れてる。

12月15日めも。

前日分の雑記で、そもそもなんでまた文学の種類やそれ以外のいわゆる「読み物」が増えていったという時代をまとめていたのかというと、それが結実するのがどうも芥川や菊池さんやらいわゆる「新思潮」っぽいからなんだけどね。
その一つ前の時代、というか、新時代のトップバッターは白樺です。
境い目がどうも漱石さんによって作り出されたのではないかー、と思ってたら、一部の人が語ってたのでわりと今安心してる。
なら心配はいらねぇや!! という感じで軽く触れてくつもりでなんかすっかり忘れてました、鴎外さんも漱石さんの小説以降に「小説を本格的に書き始めた」っていう括りになるらしい。
自然主義が漱石以前の最後の世代ってことかー。
なんというかまあ、作家として認められた時期はほぼ同時代みたいだけどねー、けろけろけろけろ(雑誌に書いてても作家として認められてないってなかなか歴史が分岐していく難物案件だと思ってるよ、自然主義のがずっと前から作品書いてはいる)。
 
雑誌見てるとなんというか新思潮と結び付いて発展して、と大抵のところでなってるんだけども(名前出てるのは菊池さんと芥川ね、大抵両方いるか両方いない感じ、多分久米さんは婦人雑誌のほうにいるんじゃなかろうか、多分、あれこれ作家生活の初期からいるわって感じで他の作家より早い)、えーと、これがどういうことなのかはもうちょっと読んでいく所存。
文学史読んでると別に菊池・芥川はセットじゃなくても良さそうなんだけどね、出版社でも確定でもない、雑誌で見るとだなー、なんかセットっぽいの。

12月16日めも。

ええと、またまとまってない、というか多分新時代は漱石さんが切り開いてくはずだったんじゃないかと思うものの、実際のところはそうはならず、そういう意味であとを継いだのが芥川ってことでいいのかなぁ向いてないけど、向いてないけど。
向いてないと思うんだけどなんかとっても!!!
今、思った以上にその展開が胸に迫っています、菊池さんかせめて久米さん(ちょっぴり血の気が多くて喧嘩はするけどね!)がいてくんないと辛いじゃない!!
なんか、前日分で書いてた「菊池さんと芥川だいたい雑誌で一緒に書いてある、いないところは両方いない」の意味を噛み締めています、芥川が看板をやって実務を菊池さんがやるというスタイルだったんじゃなかろうかだいたいのところで。
そういや、日日新聞で友人や同世代の作家たちの原稿を取りに行って、泣き言言ってたなぁ、いや芥川がやらなくても…その時間で原稿書いてたほうが…。
菊池さんが芥川の紹介で入ってきて、そっちのほうの仕事ではわりと生き生きとしてた気がする、契約の時点で文芸記者もやるねーと言ってたし。
けど、その後どうなったのかがわからない、というかどうも、そういう順序で考えると泣菫さん日日の(文化部部長)と衝突していたような気がしてならない…。
芥川の小説もなんかやたら不調だしなぁ、なんでか菊池さん、通俗小説とか書くようになってるし、いや、戯曲載せてくれたのはむしろ優しすぎるというか、現代小説にしてくれというのはわかるんだけどなんで単行本ぽんぽん出してる人が通俗小説みたいな、当時地位認められてなかったもん書くことになるのか…。
 
激しく脱線してっちゃったけど、改めて考えるとこう、この…。

12月17日めも。

ええと、ええとなんだっけ、脱線がわりと強烈だったんでなんか本題のほうが抜けてしまったんですが、どの道その部分に関しては今は情報がないんだからこれ以上考えても仕方ないから切り替えたいんですが。
ていうか真面目にどこ見ればわかるんやこういうの。
(日日新聞はそもそも吸収された側で、その吸収した毎日の人が戦後に文士と一切の手を切ったって言ってたからなぁ、多分その代表格って菊池さんよな、まー、相手がどこに連載してても一切口出す権利ないみたいな関係だったからねぇ…。)
 
大正時代の文芸の百花繚乱状態は、要するに日清戦争と日露戦争を経た読書人口の増加からの展開だろうと思うんですけども、それに最初に乗っかったのが漱石さんだよね、小説は読まないけど漱石は読んでるみたいな人少なくなかったみたいだし。
彼の弟子も純文学じゃなくて各種職業に散らばってったらしいしなぁ。
というか、漱石さんも純文学に興味があるわけではないような気がしてるんだけども、なんというか、…それこそ小説技巧一本に書いてたところがあるし。
漱石さんの時代だと純文学しかなかったんだけど(いや分類が、純文学どうのっていう意識はない、一過性の通俗小説はもうあるけど、これが文学史からカウントされていないことには特に異論はない、一過性は一過性だ)、もうちょっと生きてたら多分それ以外のジャンルのほうを喜んで読んでそうだしなぁ。
芥川は漱石さんから小説書き始めたのになんでああいう方向に行ったんだ…?? まあいいや情報がないものを考えても意味がないんだ。
あとは小説外からの流入かなぁ、これは今西田哲学読んでるー、頑張るー。

12月18日めも。

どうにもまとまっていないんだけど、純文学においては単純に不作の時代、とまとめられていた時代の情報が必要なんだよな多分私。
不作とか言われてもなぁ、大正以前って自然主義と漱石さんぎりぎり白樺と谷崎までで、鴎外さんが小説に本格的に取り掛かったのもそんなに早くなかったんじゃなかったっけ明治末くらいには沈黙してたよなー。
芥川以外の大正勢は一切「純文学として」認めないって意味になるんだろうけども要するに、それ以前が日本の文学として最高峰とかそういうことになるんですかね。
というか志賀さん、結局明治だと世に出てないから切られる側になるのか。
 
いやすごく単純に、純文学が世を湧かせたという案件はないよねなんというか、芥川と漱石さん以外に特に思い当たらない。
ただ、それ以前に純文学が世を湧かせたっていうと、西鶴復刻である紅葉さんと露伴さんですかね、あれが純粋な純文学ってことならまあいいんだけども。
あとの人たちって業界内で評論の対象となっていただけというか、評論受けがいい作品なら大正時代にもぽちぽち出てるし、ただ、なんか文学史が特別に取り上げてるのは評論受けもあんまりよくない作品なので謎に満ちているんだけども。
やっぱりなんか、空想で時代を拡大縮小して解釈してないと出来ないざっくり具合なんじゃないかなって思うんですけどね、こう、自分たちがもっとも優れているのだという幻覚が見れない時代になってしまったのが大正と言われたらそう思うんだけど。
明治時代は下手すると食い詰めてお亡くなりになってるからなぁ…有名文士でも。
ガチ案件は一つだけど死に掛けはたまに聞くし、過去は良かった(幻覚)、かな。

12月19日めも。

とりあえず前日分を読んで既存の文学史みたいなものは当てにしないほうがいいんだろうな! という結論になったわけですが、いや、個別の作家論みたいなのは多分普通に読んでいくけどねー、そういうところでも「歴史」を語っていると一体これはなんのことを指しているの? ということが多すぎて諦めました。
自然主義の時代だと単純に媒体が書いてないだけだったんだけどね。
白樺だと「vs自然主義」と表現されていた案件が、相手が国家主義者だったことがわかってこれを、これが?! という感じに暴れてたら慰められました、えーと、根岸派として分類されることもある短歌の人で要するに右の人で、反自然主義でした。
根岸派ってのはなんかよくわからないけど、露伴先生とか子規さんとか何人かの出版社の人とかが数えられてるのでよくわからないけど、特に付き合いとかがあるとかではなくて地域が近くて他の派閥に属してない程度の意味らしいです。
つまり参考にならないという意味でいいのかなこれ、無所属の派閥か。
 
あ、こういうの名前出してないけどだいたいちゃんと覚えてるからね! 手持ちの記録を確認しないと正確な本のタイトルや人名は出てこないことはよくあるけど。
たまにど忘れして検索するのが大変なこともないでもないです。
いや、真面目に検索に引っ掛かるのが嫌なので…油断すると掛かるし…。
(有名人は掛からないしかしマイナー関係によって掛かる。)
検索除けの記号どうのを入れてもネット上では普通に掛かるので、まああんまり意味はないですね、検索順位は下げられるけど、ついった検索もまあクライアントによって掛かるけどなー。

12月20日めも。

今回分も絶賛内容がないようなわけですが、こないだ「キングの時代」を見つけて昭和初期から(キングの影響力って言うとそのくらいからでいいんじゃないかな、一応大正15年の創刊ではあるけど、婦人雑誌や少年雑誌だとそれなりに部数出てるもんらしいし、語られてないけどねー)、戦中くらいまでの時代がつながってしまい、自然主義くらいまでは明治の雑誌の本でだいたいわからなかったところが埋まり、埋まるとちゃんと文壇史があてになることがわかったのでそこまで困らず。
あとは明治時代の初期の作家たちの階級問題と、それと明治末期から大正末期くらいまでってことになったんだな。
で、なにかを読もうと思っているものの、どうにもいまいち輪郭が掴めてない状態がここまでとこの前の≪102≫の雑記なんじゃないかと。
いや、どこがわからないかってことしかあくまでわかってないです、なにかが煮詰まったとかは本当にないんだけどね。
ただ時々、漱石さん関係の研究の人たちが芥川をどう扱っていいのかということで悩んでいるというのはなんとなく意味がわかった気がする、確かにわからんね?
 
一応漱石さんと同時代の西田哲学とか(ここの弟子の人たちが一部プロ文の論争に関わってました、昭和初期くらいからかなぁ、なんか昭和3年よりあとのような気が)、一応前に宗教ブームに関してはちょこちょこ読めたので、あれの個別のを読めたらいいのかなぁ、親鸞ブームって結構人の幅が面白そうだったよね、白樺も一部参加。
あと、白樺の長與さんて人を読むとどうも時代がぴったりでいいような気もするものの、社会背景わからんで読んでいいかわからないし、ううん。まだ危険か。

12月21日めも。

というか今ぽちぽち打ってて気付いたんですが、要するにカテゴリ分けをやけに明確にしたがるという日本人…? いやそうでもないな、どこの国でもあるし、ううん、ああ、歴史初心者特有のあれだ。
カテゴリはっきりしてるとわかりやすいんですよね、教科書なんかでは一旦カテゴリを決めておいて、それから徐々にそれを外していくという方向に進むものなのですが、歴史ジャンルだと「定説」って呼ばれてたりもするね。
この定説は正確無比でなくてもいいんだよね、ただ、ある程度レベル上げていく時点で邪魔にならなければ最高だし、邪魔になるならほいほい捨てられる必要がある。
ここの「定説作り」の部分が文学史というものを書き連ねていく時点で上手くいかなかったんかなー、というのを、あれ、私が気付くべきなのってこれだっけ??
本来同じものとして語られるべき事情が、別のものとして語られているのでわかりにくい、もっとごちゃっと混ざったものとして認識されていないのではないか、という感じの結論になってるんだな、要するに。
要するにここも雑誌が媒体になっているはずなので、いやでも新聞も媒体として立派に成立してるんだよな、それらを横断俯瞰的に見た研究、小説ではなく「読み物」全てを含めて把握しようとしないとそもそも駄目なんだな。
というか、詩をやってないのちょっとまずい気がしてきた、国文学も読むべきか。
(明治の雑誌の本読んでると、小説よりも国文学と詩のほうが優位なんだよね、あれは大正に入ってすぐには変化しない気がする。)
 
私今、なんの話をしてますかね? なに読むって言ってる??

12月22日めも。

ええと、あの、詩の本はまだよくわからないながら明治の国文学雑誌みたいなまんまのタイトルの本を見つけたと思うので(自信ない)、まあそれを読んできたいと思います、というかあれ、文芸雑誌よりも国文学雑誌のほうが数が多かった気がする、日本語どうすんだよー、とい議論をしていたのがそこです。
言文一致とかを言ってたのがそのジャンル、なんでか文学史では省かれてるけど。
というか今の時点で薄ら茫洋としていて国文学の本とやらでなにを読むのか全くわかっていないところはあるものの、まあなんだ、なんとなく読めるんだろうって信じてる。
あとざくっとした話をすると、あくまでも雑誌って切り口だしなぁ。
どこかの媒体に向けて作られていたものをまとめたって意味だろうし。
果てしなく無味乾燥でどう読むのかわからない可能性はまあまああるけど、いや、その部分だけ心配していこう取って食われることはない(その心配はいつもいらない)。
 
確か大正時代のごった煮状態の情報がないとかそういうことをぽちぽちと書き込んでいたような気はするんだけど、そういや前にタイトルを書き写した…日露戦争の本も読みたいですね日清戦争の段階だと確か文士にはまだあまり縁がないはず。
日清戦争で従軍したのは確か新聞記者ですね、朝日新聞がなぜか大量に記者を送っていたのが確かそこだったような気が、ところで朝日新聞いつ生まれたの(知ってるけど、いや、財政状態が良すぎて不思議でね…いや事情知ってるけど)。
そういやあと、文学史には丸っと無視されているものの、婦人雑誌と少年雑誌がすでに結構ペイしてるんだった、いや、作家の経歴が消えるんだけど実はそっちで書いてるぽいんですよね、経歴消すだけならともかく書いてない扱い止めて欲しいよね…。

12月23日めも。

ええと、大正時代の空白期を埋めるためにとりあえず新聞、雑誌研究の概説(あるかなぁ?)、明治時代の国文学雑誌、多分明治末くらいからの少年雑誌と婦人雑誌、詩に関してのわりとまとまった研究、くらいかな。
戯曲からでもなんとか時代がなんだけど、これは大正時代だけを抜き出して読むとか当面出来なさそうだしなぁ、詩はわりと整備されてそうなんだけどね。
少年雑誌と婦人雑誌ってのも、ありますかね、ないのかしら。
なんというか中央公論、改造、比較的やり込んでる人だと文藝春秋や新潮社なんかも取り扱ってくれるものの、なんかあとが存在していないかのような扱いのことも少なくないんだよね、中央公論で自然主義と反自然主義が討論してるんだ、いやしてないけど、みたいなよくわからないぐるぐるしたの見せられたのもこないだ(雑誌に載ってないと確認取れたか、雑誌に載ってるとは思えない発言があったかだろうな)。
雑誌結構他にたくさんあるようなので、なんというか、わからないなら無理に知ってるところに当て嵌めて違っても否定しきれないという状況は止めて欲しかった…。
どこでやってんだろう、という疑問書いてありゃ信用したのに…。
 
ところで私はなにをやりたかったのかと今自問自答したんですが「大正という時代背景がわからなければ新思潮、特に第4次勢がどんな受容のされ方をしたのかがわからない」という方針を忘れないようにしようと思います。
ていうかさすがになんでそれを忘れたんだ私、どこまで混乱してたんだ私。
しかし、漱石さんの世に受け入れられたところまでは比較的簡単に認識出来るんだよなぁ、単純に現時点で分析足りないのかね、あれで大したもんなんだな。

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(とうらぶ・文アル他、103)