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雑記:とうらぶ・文アル他、77

Last-modified: 2017-09-30 (土) 09:32:48

雑記:とうらぶ・文アル他、77

3月19日めも。

リアルタイムで9月29日、昨日打っていたものが「一般社会と乖離してるよ!?」と言われたんですが、普通に通史読んでればそうでもないし(要するに皆読んでないんだよね☆)、ぶっちゃけ教科書にも載っていたので(教えちゃ駄目っていう指示っていつまで有効だったんだろうねあれ、一応今はないはず)(私の教師の一人はそれ我々生徒に告げて来たし、別の教師に聞いたら「誰が言ったのー?! そうだけどね!」と答えて来たのでなんだまあ、そこまで厳重に秘密でもない、まあ気まずい話題ではある)、なんというかいろいろ考えて、私が悪いんじゃないんじゃないかなぁ…正直。
ひょっとしたら、今の中高生って近代史普通に習ってるのかしら、気になる。
 
そこまで妙に隠すからなんか新しい歴史を特別な力でつなぐことにもなるのかなぁ、という気もしないでもないんですが、教科書があっても読まなきゃそこまでだな、と思い出したのでなかったことにしようと思います。
いや、近代史以外でもいろいろいろいろいろいろいろいろあるもんね。
個人的には鎌倉時代とか平安時代とか、あれがだいたい200年くらいってのが多いんですが、あの垣根を越えて話をごっちゃにするのとかだいぶ苦手で思わず逃げたな。
「なんとなく昔っぽい」の精神、私にはちょっと許容範囲に限度が…。
なんちゃって平安! なんちゃって江戸!! とかは全然よろしくてよ!!!
そうじゃなくて平安時代の雰囲気に浸るつもり(そのキャラが平安時代所属)で、昭和の高度経済成長期の風情を醸し出されると、待って、待って、もうちょっとだけ待ってお願い予想外!!! としか、電気がない暮らしが同じ…いや電気は、あるかな…。

3月20日めも。

9月29日(半年くらい開いてるなー)、11時半くらいです、本日は夜勤です、ところで一日前分の雑記を書いていたんですが一体どこからどこまで配慮しなければならないのかということで悩んでいたらなんか脳内がぷっつん、といったので、正直気にしないことにしてました。
だよねー、江戸時代の前が平安時代でも別に誰も困らないもんねー。
いや、平安時代と認識してるのかどうかも不明なんだけどね正直、平安時代って言葉は聞いたことがあると思うんだ、あと、幕府は江戸幕府と室町幕府と鎌倉幕府があるって知ってると思うんですよね。
ただ、並べて貰うとミスる気がしなくもないんだ幾分。
各幕府がだいたい200年くらいなんてのは言えば通じる気もしないでもない。
この、場当たり的な歴史認識に付き合うの辛いんで、止めたほうがいいと思って!!!
場当たりっていうか、ハンドスケールっていうか、年号の数字だけなんとなく頭の中に残っているものが一つ二つあるみたいなの。
いやしかし改めてしみじみ、ここまで曖昧だと、新しい歴史事実くらい作っても罰が当たらないという認識もわからないでもないな…。
そういや、刀関係で、そもそも逸話が歴史に当て嵌めようとするとどこにも嵌まらなくて逸話消滅みたいなケース…結構あるみたいですね…。刀工よりも退治された鬼のほうが時代が先みたいなの(鬼が死んだあとに生まれた刀に鬼退治伝説)。変わんないな?
 
トーハクでは「伝えられていた」という表示になってました、童子切だっけあれ。

3月21日めも。

普通に【文豪とアルケミスト】の話を、多分。
ところでこれ書いてる頃からなんか6カ月くらい経ってるので、その間に調べてたこともいろいろいろいろあるんじゃないかなと思うんですが、とりあえずあれかなー、芥川とか菊池さんとかがわりとメインのままなんじゃないかな。
菊池さんに関しては3月時点で(もともと日付けがめっさズレてるんだけど、これ書いてた頃に追いつくかどうかくらいまで書いてたのは覚えてるんだなんとなく)、どの程度まで調べてたかなー。
さすがにこの人が「文壇の大御所」と呼ばれる存在だったのはちょっと調べたらわかるんでもう知ってたんじゃないかと思うんですが。
「大御所」という呼称そのものが菊池さんのことを指してたんだよね、みたいな、普通名詞じゃないんかい、という事実については聞いてたっけ。
で、そのあとで秋声くん(徳田秋声)が、大御所って尾崎紅葉から間が空いて菊池寛くらいだよね、という表現をしていたんだったか微妙にニュアンスが違ったか。
これも子牛(@ついった)から聞いたんですが、これ聞いた時点では意味がわからなかったんですが、出版社を軽く横断するような支配っぷりのことを指すらしいです。
 
てか、今これを書いて初めて思ったけど、大御所のハードルやたらと高くね?
これだと正直どう考えても一時代に一人以上は難しそうだし、時代が空くのも正直わからんでもないなぁ、夏目漱石さんが長生きしていたらそこまで至ったかも、くらいで他にいないよなぁ。今とは全然意味合い違うのね、ふーん。

3月22日めも。

【文豪とアルケミスト】について、だらだら。
ところで日付けが毎度毎度、ものすごく離れているのでその間に来た新キャラの話などはあまりしない感じになっているんですが気にしないで下さい。
とはいえ、3月時点でいたキャラとかもほとんど覚えてないので世話がない。
ていうか実際どんな感じだったっけか、とうらぶは正直、じわじわと単純作業をする心持ち以外が特にないんですが、ほとんどゲームとしての形式は似ている文アルに関しては小ネタがぽんぽんイベントのたびにぶち込まれるのでそういうのが好きな人間には楽しいですね、比べんなってのは重々承知なのですが「欲しいのは話なの!!!」という部分だけ伝えたいだけなのです。
声があったら嬉しいけど、なくても別に気にしないんだー。
あと、歴史ネタがよろしいです、主ネタとかそういう感じの。
仲が悪い主の場合に揉めるとか時代ズレてるよねー、とか人外会話とかの。
7面みたいな感じでいいんだー、だがしかし、声優さんの動員考えるとどう考えても難しいのはわかるんだけどねー、て、さすがになんの話よこれ。
 
あとあれ、いつスマホが来たんだかの記憶が曖昧なんだけど、確か…6月とかそんな時期じゃなかったっけか、駄目だな、なんの意味もない感じになってる。
(文章をなんで打たなくなったのか、という意味で思い出そうとしたら3月とは全然違う時期でしたっていうオチ。)
そういや、この頃、同人誌作ってた気もしないでもないな、それでか。

3月23日めも。

【文豪とアルケミスト】とまあ適当な話だらだら。
主にこれを前に書いていた時期である3月から、だいたい半年くらい経っている9月までにどんな知識が増えたかなー、と思い出そうとしているんですが、なんだろう、新聞社に関してがなんとなく理解出来るようになった感じかなぁ。
菊池さん(菊池寛)が芥川と一緒に東京日日新聞と契約としていたみたいな話は、高松大学の論文で読んだんですが、この新聞てどんなもんかなぁ、というところから調べなきゃならなかったのでだいぶ時間が掛かった感じで。
東京日日新聞と、あと大阪毎日新聞ってのがその時点で資本元が一緒になっていて社長も一緒だったんじゃないかと思うんですが、もともとは資本が近いものの別の会社。
ただ大阪毎日新聞のほうが吸収する形だったので、そもそも日本で一番最初に日刊新聞になった「東京日日新聞」の名前を残したということらしいです。
この辺はちょっと名前が出て来ると大抵混乱しているので、まあ、大雑把に「毎日≒日日」って認識でいいみたいね、みたいな感じ。
菊池さんが契約していたのは大阪毎日新聞のほうじゃなかったかな。
あとこれ、大毎と呼ばれていることもあるようです、そんなには見ないけどねー、見掛けた時は便利だと思ったものの、日日も毎日も特に名前被ってないからあんまり定着しなかったなぁ。
 
この日日=毎日新聞と契約することになった経緯は、高松大学で「菊池寛」で検索出来るので…ちょっと読み直してたので翌日分に。

3月24日めも。

高松大学>「菊池寛と新聞」中西靖忠
紹介ページがどうもなく(もしくは見付けられないだけかな?)、この論文そのものはどうも高松短期大学のほうで書かれたみたいなので細かいことはわからないし、リンクとしてこれで形式正しいのかどうか自信ないんですが、論文てわりとこういう形式でダイレクトリンクになってるので気にしなくてもいいのかな。
下手するとグーグルにも直接引っ掛かってくるよね…。
というより、論文の場合はタイトルと著者名があればいいはずなんだけどね、基本。
これ、前にも2回くらい読んでいるのでさすがに今読んで初めてわかったー、という内容も特にないんですが、よくよく読んだら京大の学費出してくれてた成瀬さん(一高時代の同級生)のお家って同郷なのかこれ、とかちまちま小さいことは。
あと、時事新報に久米さんを紹介したのが大正7年だったので、あ、普通に社会部の時だったのね?! というのが新発見。これ時期わからんかったんだよな。
 
えーと、論文のすごく大雑把な流れとしては菊池さんが時事新報に入り、そしたらなんか芥川が接近して来て、さらに芥川が付き合いのあった日日新聞(毎日新聞)にわりと軽い気持ちで紹介したところ、菊池さんともども招聘されることになったみたいな経緯と。
『真珠夫人』と『火華』という毎日=日日新聞に掲載することになった大衆小説くらいまでの時期の紹介。同じ人がまた別の時代に関しても書いてるけどね。
私が半年以上前に読めたから、事前知識みたいなものは特にいらんのではないかなと、人物扱った論文てわりと読みやすいよねもともと。

3月25日めも。

前日分の雑記の続き。<菊池寛と新聞、について
私が菊池さんに関して本格的な文章を読んだのは多分これが初めてに近かったのでだいぶ今でも影響されてると思うんですが(しかし、ここでは菊池さんと芥川は普通に親友扱いなんだよなー、てか、情実としては単純に十分だよなこの量と密度)、ただ、これ読んだだけでもやっぱりなんか微妙に引っ掛かるんだよね。
多分その主原因の一つが毎日新聞の泣菫さん(薄田泣菫)て人に対しての妙にべったりした芥川の手紙なんかもあると思うんですが、あれ、当人が不安定な時期なんだろうな、とも思うんだけど、やっぱりなんか単純に気持ち悪いんだよね。
しかし、最初に送られた「貴方の詩を学友たちが好きだった」は別にいいよね。
あれも前に読んだ時点ではなんとなく苦手だったんですが、今読んだら、そもそも世に名前を知られた詩人への手紙としてはむしろ情感籠ってて悪くないや。
あとのがなんかこう、なんか、ぞわっと…。
菊池さんが絡んだ辺りから、なんかしゃきっと戻ってる感じなんですが、正直記憶していた以上にだいぶ軽い紹介だったのね、菊池さんの『無名日記の作家』が中央公論に載った前提で、どうでしょう、悪いものも書かないですよという。
 
論文にも触れられてるんだけど、やっぱり「芥川がモデルとしか思えない人物への恨み」がつらつらと述べられているので中央公論の社長が大丈夫?! と驚いたって言われてるよね、まあこの小説、時期が意図的なのかいろいろズレてるんだけどね。
で、そしたらなんか、菊池寛を毎日新聞に呼ぶ計画が発動、したという展開。

3月26日めも。

前々日分の雑記の続き。<菊池寛と新聞、について
多分私が「なんとなく釈然としない思い」を抱いたのは菊池寛が毎日新聞に招聘された時の彼の待遇が当人らが驚いているようになんだか妙に良いこと、それからあとの芥川の崩れっぷりにあるんじゃないかなー。
この論文から見える分だけだと正直なんとも言えないんだけどね。
これ、よく読むとわりと知られた菊池さんの「睡眠薬事件」なんかの時期にも被ってるんだよね、若干時期の言及が違ったんですけども小島政二郎『眼中の人』だとそもそも芥川から受け取った睡眠薬を飲みすぎてこん睡状態に陥ったあと、そのままその地・蒲郡に留まってそこで「火華」って作品が生まれたってあるんだよね。
この書き方だと時期を間違えた可能性もほぼない。
んで、あくまでその蒲郡に訪れたのは芥川やその小島さんて人と同行した講演会のためだったので、構想なんかはあったにしろ、なんというか偶然生まれたように見える。
あとあれ、『眼中の人』にはその事件の時点まで女遊びを全くしないと思われていたということも書かれてるんだよね。
 
で、睡眠薬事件のあとからお座敷遊びを初めて、関東大震災まで2年くらいだっけ、まあ数年しかないんだけど愛人がいて当然みたいな生活になってる。
文藝春秋を作ったのもこのあとだよね。
なんか、こう、論文で触れられていた洋行断念そのものが著者さんの見る以上に大きな痛手だったんじゃないのかなぁ、なにがあったかはわからんのだけどね…。

3月27日めも。

前々々日分の雑記の続き。<菊池寛と新聞、について
で、ただ、私の雑感そのものはいいとして(私にはどうでも良くないけど、いわゆる方針というか指針にはなるから)、そもそもこの全体的な違和感が時事新報社にいた時点ではもちろん全くない。
菊池さんが毎日新聞に呼ばれた、という時点から、その数年後の睡眠薬事件までで考えるとだいぶなんか薄気味悪いことになるんだよね。
 
要するに確かに『新思潮』っていうそれ自体はだいぶ世に知られた同人雑誌出身ではあっても、基本が戯曲(シナリオを雑誌に載せるみたいなもんです、わりと一般的だったけど評価はそんなに一般的でもなかった)だった菊池さんを、小説を一作しか書いていない時点で結果的に作家待遇で呼び寄せ。
当時はだいぶ地位が低かった通俗小説を書かせたみたいな展開になる。
正直、菊池さん本人がかなりちゃんとした内容にしようという苦心があるようなんですが、モデルにしていたのが金で売られた貴族の女性であった白蓮さんと言われていたりとか、展開が今の昼ドラのようだったりとだいぶ…ううん、正直低俗だよね。
当人も特にそれを評価している様子がなく、同時期に世に認められた『父帰る』の戯曲などが次世代に残るかなぁ、などと口にしているというのが他所にあったんですが。
(あとで多分評価を変えたのがこの辺の揺らぎの原因かなという気も、とりあえず売れなきゃ意味ないよなって、そうだね、貴方の人生だと本当に。)
論文でも薄田泣菫氏が若干揶揄されてたんだけど、まあ、『眼中の人』見ればね…。

3月28日めも。

高松大学>「菊池寛と新聞」中西靖忠
について、のラスト。
毎日新聞からまだ作家としての名前もないのに好待遇で呼び出され、通俗小説を書くことになり、書いた時点ではまだ納得もしていたものの、その後、その作品が世に受けすぎたためにむしろ虚名に苦しむことになり。
(論文の中に毎日と日日の契約件数の実数が書いてあるけど、どう少なく見積もっても15万以上は菊池さんの連載小説目当てで増えた読者じゃないかな…連載終了後半月の時点の元旦に「100万部数突破」になりました、新聞では初。)
 
要するにもし、そういう葛藤があり、洋行を望み、その数年越しの計画が頓挫することになり、傍目には自殺未遂とも見えるような「睡眠薬事件」にまで至っているんだとすると、あのあれ、芥川がべったりとした心酔の手紙を送っていた泣菫氏によって引き起こされたってことになるんだよね…。
その後、二人ともが毎日新聞との契約を解除なり変更しているんですが、なにがあったのか、どういう葛藤があったのかは不明ながら、ねぇ、うん…。
そのことが、なんというか全く触れられてないのってどうなのかなぁ、と傍目には、芥川が紹介したって言っても芥川には全く責任があるわけでもなし、別に責任を感じるような必要性も全くないんだけど、正直責めたりしたことがあるとも全く思っていないんですけども、下手すると、当人たち同士で会話したこともなかった可能性があるんじゃないかと思うと、なんか…こう、微妙なんだよな、どうしても。

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(とうらぶ・文アル他、77)