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雑記:とうらぶ・文アル他、82

Last-modified: 2017-11-29 (水) 01:48:25

雑記:とうらぶ・文アル他、82

5月18日めも。

一気にがーっと4、5枚(4、50日分)書いて、しばらくまたすっかんと忘れてましたリアルタイムで11月28日でございます、本読んでるのはわりとさくさく進んでるんだけど最近なんか文学の本はあんま読んでないような気もしないでもないです、新聞とか読んでるとどうしても文学…、いや、社会への影響とか芸術を軽く見たいわけではない、わけではないんだけど「あんたの述べてる内容は社会への影響だな?」という主題を使って天上の高尚さとかを強調したいがためによくわからん出来事を作り出されるとうんざりしすぎて貫通ダメージが蓄積してしばらく戻って来れないんですよ。
川端みたく「どのような本を書かれたかは話題などにならないため存じ上げないものの、純文学を書いていたんなら仕方ないよね」という、よくよくあとから考えてみたら嫌味だなこれ? みたいな内容はもちろん全然気にならないんですが、言い回ししか変えてないんだけど、正直やっぱり構造が嫌味だなこれ。
話がズレてる…わけでもない気がするけど、大衆文学の基準で売れなきゃ話にならんだろって言い草はとても好きです。
誰が誰に言ったんだかわかりませんがとりあえず直木賞の第一回選考の時点でそんな話してました、あれ、吉川さんがその場にいたの覚えてる。
 
覚えてない人がいらしたらあれ、直木賞って芥川賞の対です。
そもそも実は【大衆文学】という概念がどこから生じたのかがよくわかっていないらしく『大菩薩峠』を主に書いてた中里介山氏はとりあえず自分の時代の時にはないから大衆文学作家ではないわよ、と言ってたんですが実際そうだと思う。
なにしろ菊池寛氏が『真珠夫人』を書いた時点でもないもんな、これが大正8年だし。

5月19日めも。

ところでなんの話をしようとして前日分を書き始めたのか忘れてしまったんですが、とりあえず11月時点で気になってるやつだけどまあ、別に新しいゲームの要素とか展示とか新論文とかじゃないからここにまとめて詰め込んでおくんですが。
ここ数日調べたいな、と思ってるのは東京日日新聞を合併? というのかなぁ、まあ取り込むことになった大阪毎日新聞に関してなんですが、これがなんでかというと菊池寛氏や芥川龍之介が東京日日に迎えられた時点でのだいたいの経営方針みたいなものを知りたいみたいな感じです。
 
別になんの事情もないわけではなくて、なんかこれ、おかしな展開辿ってるんだよね、どうもその辺に関しては関係者が揃って口をつぐんでるようなんで、どこからどこまでが関わってるのかくらいは調べて行きたいなー、と思っている感じ。
というかあれ、芥川がそもそも東京日日と関わって、菊池さんのことを紹介して、その時点でまだ多少世に知られた作品が一作(もともと菊池さんが書いてたのは戯曲ってい演劇台本で、これは当時世に評価される土壌があんまりない、腕どうこう以前の問題がいくつかあったんだよね)あるだけの作家を、芥川と同時に新聞社との作家契約しようとしたみたいな話があったんですよ。
これは何度か触れてるけど論文になっててね。
菊池さんサイドから論文書いてた人は腕を見込んでたんだよー、とか言ってたけど、デビュー作として確かに良かったと思うけど『無名作家の日記』、当時から人気作家の芥川と同時にってなんか変やん、契約時点で実際まごつかれたらしいし(文芸部記者として雇われるつもりだった菊池さん、私もそれで妥当だと思う)。

5月20日めも。

前日分からの直近の続き、で、ここまでは何度かネタ振り的な意味で触れてるのですけどそこからちまちまちまちまと進めてる報告というかまとめというか、正直、何割かはあんまり関係ない出来事かなー、とか、今の時点で仮説だけど「仮説として残して恥ずかしいってほどではない程度」のレベルのものなんかも書いてく感じで。
ぶっちゃけ、過去の仮説は今はもう忘れてしまいたいものや忘れてしまったものなどわりとたくさんあります、たまにもものまんじゅうが覚えてるのでマジごめんマジ、子牛との情報のやり取りはわりと密なんだけど…たまにどっちとしたやり取りか混ざってる気などもしないでもない。
 
すごく簡単に新聞社と作家契約をしたその時代(何年だっけ、大正の5年とか6年とかその辺だっけ大正7年にはもう日日で菊池さん記事とか戯曲連載してるし)の直近の人を挙げると、例えば朝日新聞が夏目漱石氏。
多分日本で一番売れたんじゃないかなー、と言われてる『猫』の作者さん、同時代人気は圧倒的、作家年齢はさしてないけど一瞬でトップクラス。
とか、身分わからないけど東京日日が森鴎外氏に原稿頼むことがあったようです。
営業成績的にはなんかぶーぶー文句言われてたとか時々見るんだけど、とにかく日本の小説そのものの最初期の人やん、学識トップクラスじゃん。
芥川ならいいよ、当時からすでに崇拝者がいて当然みたいな扱われ方してるし雑誌も新聞も手玉に取るみたいなことするし。
なんで菊池さんがこの辺と同列になるのかっていう、そういう違和感が。
大正8年(『真珠夫人』)以降はまあうん、同列でいい同列で、だがしかし。

5月21日めも。

んで、なんでまた菊池寛氏をそんなに東京日日(及び大阪毎日)にかなり熱心に呼び寄せようとしたのかというのを調べようとして、まあ当然呼んだ当事者である薄田泣菫氏という元詩人なのかなー、と思ってちょこちょこ書いてるものを読んでいたものの。
「なんか違うわこいつ」とわりとすぐになりました、元詩人ってのが違和感あるくらいにまあ俗物っていうか、その俗物感覚を生かした随筆で売ってらした人らしいです、なんというのか、特別な地位にいる人たちを見下すことによって得る優越感のお裾分けみたいな内容で、一応あれ、世の中をずばっと切るみたいな体裁だったらしいし、たまには…そういうのも…あったんだけど至極たまに。
あと女性を認めるくらいならば戦争をしたほうがマシみたいな文章があまりにも多すぎてたまにエキサイトしすぎて本題がどこかに消えてました。
…多分、それが受けたんじゃないのかなぁ。
この辺は青空にあって見ればわかると思うけど読んでて単に辛い。
たまに単に業界人エピソードとか、女性に対してでも軽い揶揄とか、それこそ鋭い観点の皮肉っていうあるにはあったんだけどね。
芥川、本当にこの人のこと好きだったのかとしみじみと思ったんだけど、まあ、結構そういうのとも付き合ってるんだよなぁ…、しかも結構阿諛追従も使う…。
 
芥川龍之介がこの泣菫氏にファンレターみたいなの書いてるのは普通に残ってるので、菊池さん扱ってた人がそれ読んでうすきみわるっ、て言ってたけどね。
菊池さん宛てに書いてた幼児返りしたみたいなやつじゃないです、思春期ぽいやつ、ただまあ、なんか…ちょい怖いんだよな、熱情の発露、なのかなぁ?

5月22日めも。

薄田泣菫氏を引き続き、この人は元詩人で藤村とか、えーと誰だっけ、なんか同時代で知られた詩人らと一緒に活動していたこともあるし詩は本当にいいと思うんですが、東京日日新聞の文化部にいたと思ったら『サンデー毎日』というところにいつの間にか移っていたので、当時の感覚としてはよくわからないんだけどねぇ。
今の時代だと文化部部長から娯楽誌ってあんまり…、いやでも、それこそ創刊してほとんど経っていない時期や初期だと腕を見込まれてってことも十分あるのかなぁ、とか考えたりしないでもなく。
実際のところどうなんだろうねその辺、泣菫さんそのものの情報がそんなにあるわけでもないから多分雑誌や新聞社のほうから調べないとならないんですけど、それも難しいんだよね実は、いや、東京日日がなくなっているので…。
(大阪毎日と一緒になって毎日新聞になってるから、残ってないわけでもないんだけど、ていうか不可能ではないです、まとめられてないから生資料に近いものを漁ることになるもので、なんかここをそこまで突き詰める価値があるのかなぁ、とどうしても。)
なんかねぇ、芥川が泣菫氏及び奥さんに怒ってるみたいなんだよね。
これがなんなのかが全くわからんのです、ていうか、菊池・芥川両氏が契約の解除を申し出て来たみたいな内容があって、菊池さんが辞めて芥川が留まってるところを見ると「菊池さん絡み」な気もするんだけど、あくまで全部妄想です。
 
ただもちろん、芥川が泣菫さんらに怒ってるのも(悪意なくてあれ書かれるのも怖い、という感じの文章が残っているので…ははは)、そもそも最初からなんか変わってた作家契約なんかと関係あるかどうかわかんないしなぁ。

5月23日めも。

ところで菊池寛氏の話に戻るのですが、彼は東京日日とはのちに再契約に至ってるんですがその時点での文化部部長が「時事新報時代、菊池さんのことを可愛がってた社会部部長」でした、名前出てこないけど千葉さん…いやこの人、新聞読んでるとぶっちゃけあっちでもこっちでも見掛けるし、文学評論でも知られてるらしいし、あとあれ、わりと初期の文藝春秋にいました。びっくりした。
大手新聞社の部長クラスを渡り歩く人がなんか気楽に?! と思ったんだけど、その後、発行一年めに文藝春秋が開いてた講師の中に徳田秋声氏がいたので全部吹っ飛びました、他講師が菊池さん、芥川、久米正雄、山本有三(全員同級生で山本氏は『新思潮』3期の参加者)だったんだけどどうなのよそれ。
なんで明治硯友社がおんねん、しかもいくら好調でも同人誌一年め!!
みたいな風情なので他にも私が知らんえれえ面子がおるのかもしれません、まあ、菊池さんが日日に戻ったのは普通にこの部長さんならいいよー、という側面はあったんでないかね知らんけど、別に無理はない。
ただこの千葉さんが呼ばれたのが菊池さんが辞めてそんなに経っておらず、戻って来たのがだいぶあとなのでそのブランクの意味はわからぬ。
個人的には千葉さんは菊池さんのことを可愛がってたってだけではなく、夏目漱石氏の危篤の時に菊池さんに対して「せめて文学の素養のあるあなたが」という依頼をして来た時点でもう好きです、人としてすでにして尊敬出来んじゃん。
 
ただ、文学どうので知られてるかっていうか、どうなんだろ、社会部部長だし、どうもやっぱり菊池・芥川両氏になんか関わってるのかなぁ、と薄っすらね。

5月24日めも。

ざくっと少し巻き戻して状況説明なのですが、菊池さんは呼ばれた時点では「ただの新人作家」で冠はなんもない、のですが、大正8年の時点で『真珠夫人』の連載を行いまして、この連載中に20万件ほど契約数(東京日日、大阪毎日合算)が増えまして、連載終了直後の元旦に100万件突破したという新聞史における一大エポックがあったりするのですが、超絶単純計算で「5分の1」が増えたっていう。
新聞の歴史では別に連載小説が、とかは語られてないです、出版関係で部数とか語るところだと「キング」って雑誌と一緒にたまに触れられてたりする感じだし。
大正デモクラシーの本読んでると大正デモクラシーの輝かしい成果として新聞読む人が増えたんだよ!! という感じに語られていたんだけど新聞連載、だいたい半年くらいです、長期連載なら別に無関係の要因いくらでも考えられると思うんだけど、半年でその数が増えたんだとさすがに他の要因考えにくいよな…。
 
という感じなので、菊池さんやその相方の芥川(日日にとっては少なくとも完全にそうだよね、紹介者にして前後して契約した同級生)に対して特別な態度をその時点で取るのはまあ、別に全く不思議はないというか、取らない人間は首切って飛ばすべきだと思う純粋に経営の観点で。
この菊池さんが辞めたことに関して菊池・芥川両氏の地位が上がったので契約見直しの申し出があり、で済ませられている段階で、なにかはありましたよね? としか言いようがないんだよね、しかも有責が日日新聞側のやつ。
菊池さんこのあともばしばし新聞連載してるし、けど、最初の機会を与えて数回の連載を経て「半年の枠」を与えたのは東京日日なんだよね、なんもなきゃ引き留めるよ。

5月25日めも。

で、菊池さんと東京日日の間になにがあったのかはまあ多分どこでも触れてないんだろうから(菊池さんが通俗小説の作者としての虚名に悩んでいたという話もあるけども、これは別に日日が悪いわけではないので除外、無関係ではないかもだけど)(繰り返すんだけどこの時代には大衆小説って言葉がない)、じゃあ、せめて菊池さんがなんの目的でもって招聘されたのかがわかればいいなー、というのが当面の目標なのです。
そしてそれを実行や選定をしていたのがどうも泣菫さんらしく。
ただそれは、どうも彼の立てた「プラン」ではなかったのではないか。
 
というか、今までの話と同じ論文にあったんだけど、芥川が紹介したのって他にもいるんだよね、二人が実際に原稿書いてたのかな、久米さんと…あと一人忘れたけど、いや紹介したんじゃないかもだけど、芥川は他所にもちょくちょく人を紹介していたらしいので別にそこはそんなに不思議でもないんですが。
菊池さんの時だけ妙に素早く奪取されたのはなんでかって話なんだよねこれ。
多分ある程度関係していると思われるのは営業部が森鴎外氏はお堅すぎるということで評判が散々でセールス的に良くないとかそういう内容なんですが、そして、当時の新聞連載自体は別に馬鹿にされるような要素ないんですが。
菊池さんが連載していたのが「絵入り小説」と言われる部類の、まあ、なんというか、ピンクっていうか昼ドラっていうか、部数良くなるよみたいな。
しかし、それ書かせる目的で京大出身者を作家待遇、しかも芥川の親しい友人を、ということになると最初から「絵入りで筋は通ってる小説」が目的だったと考えたほうが通りがいい。その方針立てるとしたら誰かなー、という可能性をね、調べてるわけです。

5月26日めも。

前日分の内容を引き続きっていうかもう一度、ぶっちゃけ、ピンク系の連載(当時は直截的描写は駄目です、構わんと思うよ!)をすると部数が上がると言っても、別に正直、お金になるのだから世にはそういうのを書く人はぽちぽちおられるわけで、明治の後期くらいになるともう登場してる感じで普通に文学作品よりも受けが良いけど仕方ないじゃないねそういうの。
で、菊池さんが書いた『無名作家の日記』だとまあ、書けそうではあるゴシップ系も情念系も(ピンクはまあ要相談、あの話男しかいないよ☆)、だがしかし、普通に嫌がってるんだよね、当然だよね京大出身者で別に雑誌に掲載出来る人が当時することじゃない、繰り返しますけど大衆小説というものがない時代、通俗小説ってのはもっと地位が低いんだ、皆さん検閲的な意味でエロは書かないけど近いニュアンスはある。
嫌がるというか、そこまでやる意味が菊池さんの場合そんなに特にない。
だって新聞記者で食っていけてたし、総合雑誌なんかにもぽちぽちと載ってるし、新聞に前後篇で書いた戯曲は舞台化したし。
こういうこと考えるとまあ、作家の身分とか専属状態とかヘッドハンティングにもそんなに違和感はなくなるものの、というか流れで考えるとそれしかないんだろうものの、日日新聞の側にも、「そこまでやる必要あるの?」だよねこれ。
ピンクいの書く人雇えばいいじゃん、いるんだし。
 
ただのピンクい小説で人を呼ぶっていう発想ではなく、それこそ尾崎紅葉氏の『金色夜叉』を意識したような作品(インテリも読んでた)を目指したんだと思うんだよね、でなきゃ数年越しで手間掛かりすぎなんだよ、で、やるとしたら誰よ? が主題なのです。

5月27日めも。

前日分引き続き、要するに「通俗小説ではない新しい新聞小説を作ろうとした」のだとしたら、そこに選ばれたのが菊池さんだとしたら(選んだのは間違いなく薄田泣菫さん、目的は推測だけど選んだは選んでる)、この話、あとあとになると公表してしまっても良かったと思うんだよね、本来なら。
成功しなかった時のことを考えて、いろいろ保険を打ってると思うと、『真珠夫人』と同時期に古い戯曲の上演なんてことをしているのも、そのきっかけとなるように別の前後篇があったのもなんとなくわかるし、これ、全体的にちゃんとしたプランニングなんだよね、ざっくり言うと冒険なんだけど人の心はあるというか、通俗小説のままで菊池さんの連載が終わってしまっても、戯曲の世界で生きて行けてたと思うんだ。
というか、そう思ってみるとなんかそれっぽいこと言ってるんだよね菊池さん。
あくまで全部推測なんだけどこの辺、京大出身の雑誌に載せてる新人をわざわざ作家として呼んで、その次の戯曲が舞台化したあとに「絵入りの通俗小説の半年間の連載」という流れにそう推測すること自体はそんなに叱られないと思うんだわ。
 
ただ、繰り返すんだけどこれなら本来は成功したら公言すべきだった。
それが日日新聞から菊池さんが去り、そのことを日日側が引き留めることも出来ない、芥川だけは残るものの、そのほとんど前後した時期に菊池さんが信頼する前職の上司が文化部部長になってるという流れを見るとねぇ。
なんかしらの一つの流れになってる可能性は…皆無じゃないんじゃないかなぁ、と、で、とりあえずは日日新聞を調べて、今は大阪毎日を調べてようとしています、ここの社長が日日を手中にしたからね、…これっぽいかな、実業寄りの人物みたい。

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(とうらぶ・文アル他、82)