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雑記:とうらぶ・文アル他、85

Last-modified: 2018-01-18 (木) 18:21:15

雑記:とうらぶ・文アル他、85

6月17日めも。

リアルタイムは2018年1月17日、いろいろ余裕があるのでなんかしら文章を打つことを復活させたいなと思っているものの、なんというか、半年分くらい空いてるとなんかもう追い付く気もしないっていうか。
一応少しあとのリアルタイム時の日付けで20日分ほど打ってる分があるから、だいたい半年と半月くらいなのかなぁ…。
リアルタイムでも同時に打ったほうが絶対にネタがあるのはわかっているんですが、なんか2日ほど日付けを間違えて打ち込みしてしまった上、それを直そうとした時点で2日前にズラすべきところを2日後の日付けにしたかその逆のことをやってしまったので全ての気力が潰えてしまった感じで、あれも直したほうがいいんだよな…うん。
 
ところであと、最近【文豪とアルケミスト】の関係で記念館なんかに行く機会が増えたのでそこに関しての文章を打ちたいな、と思いつつ、リアルタイムでやるとまず間違いなくバレそうなので…いつも煩くてすみませぬ。
まあ多少ずらしてみたいんですが、あんまり時間が空くと「いつだったっけ」というのが記憶から蘇って来ない。
キャラなんかの話はほとんどっていうかほぼしないんですけどねー、というか、そもそもキャラの話というものを普段からしないんだけどな。
こないだ、誰が好きなのかフラットな態度すぎてでわからない、と言われたんですが、菊池さんが好きですよ菊池寛。
次に誰が好きかって言われたら…魯庵さんとか松岡さんとか、だって不安定キャラに好悪感情が発生しないんだもの…芥川さんとは趣味が合いそうです。

6月18日めも。

なんか適当な感じで前日の続き、えーと、いつかってことをなんとなくぼかしぎみにすると全て友人の牛うさぎと一緒に行動してるんですが(彼女は他の人とも行くことがあるみたい、私はあれ、うん…会話スピードが合う人じゃないとちょっと支障が…若い子と遊びに行ってたこともあるんだけども)。
牛うさぎってのは最近牛からうさぎについったのアイコン絵が変更されたためです、深い意味とかはそもそも最初から読み取れない気はしてた。
 
最初に行ったのは田端文士村の記念館でしたっけ、「最後の文士村住人」と呼ばれている近藤富枝さんの展示が特設展示だったかな、入場はそもそも無料で展示スペースなんかもそんなになかったです、文豪ストレイドッグスのコラボ? チラシがあったんですが、あれ結構あちこちでやってるよね。
元の人物とは違うよん、てほうがあるいはさっぱりしてるんかもねー。
個人的には頭が混乱するものの、話は面白いと思うんだよね、なんというかちゃんと展開していくのでたまにだけどアニメ見てました。
ただ、駄目なのよ、もともと名前を知ってるもんでどうしても…。
じゃなくて、田端なんですが、なんというか、なんだろ、とりあえず【芥川龍之介】は可愛かったです、結構渋い感じっていうか、厳めしい? 顰めつらしい感じの写真がいっぱい残ってるじゃん、あれどうも基本的に作った顔らしく。
〇〇女史と会った時に正体を見破られた、みたいな話もあるくらい当人と写真が別物だったらしいことは文章でも見る感じ。
田端の写真は全部こう、家族や友人の前なのかお人形みたいな可愛さだったね…。

6月19日めも。

で、まあ、近藤さん可愛いー(髪型がおかっぱストレートで薄紫色なんですよ、めっちゃお洒落なの)、とか、芥川可愛いー、とか、犀星さんの書いた弔文可愛い、なんで取ってあるんだよ可愛いからか! とか、平塚らいてうさんて著作権切れてないの?! とかそんな感じでめっさ煩かったですごめんなさい。
いや、なんというか人がほとんどいないってのもあったんだけどねー。
あと芥川の嫁の文さんも可愛かったよ、なんというか大層な美男美女カップル(あといわゆる賢婦人って言われるタイプの人で正直文さんは好きなんだけどね、ただ正直…田端さんところが特集してらしたラブレターが…あのラブレターのやたらと可愛い口調に見覚えが…いいんだよ、そういうのは別に! とは思えども)(あと気のせいの可能性もあるし、それと芥川が実際にそれを見たかどうかは私は知らんのだよね)。
その時点でほとんど近辺の話を読んでいなかったので「そもそも文士村ってなによ?」というのもわからないし、そもそも漱石さんの弟子扱いされてた文アルの設定の意味もよくわからなかったんだよね。
で、漱石さんには弟子と言える存在はいないのだ! 的な文章を子牛も私も見たりしてて、一応それにも一理はあるっぽいの。
そして芥川の場合は「木曜会」と言われてる面会日に一年ほどしか通っていないために確かに明言するのはあれなんだけども。
 
どうも【新思潮】の第4次そのものが漱石さんのところに出入りしていた面子にプラスアルファ程度で始められていたこと、芥川がそれ以前に小説を一切書いてないという点から、別に間違ってもないのか…てかどちらかを間違いと指摘するのだけが間違いってパターンね。

6月20日めも。

だらだら続き、なんてことも田端の文士村の記念館で年表を見て「ほらこれ、一年くらいしかない」みたいな会話したあとでちまちまと調べてったんだけどね、菊池さんがそもそも一高を退学にさせられた辺りから細かく年表にしていきたいんだけど、なかなかこう、うん、あれ。
これもあとになってから読んだんだけど、漱石さんの木曜会は芥川らが行った時点で古株の人らが世に出ていたため代替わりが起こっていて、かなり好き放題やっていたらしいんだけども…まあ、久米さん(すでに戯曲で世に出てる)と芥川(なにしてもどうやっても目立つ)が連れ立ってたら、そうもなったかもね…。
あと松岡さんというのちに漱石さんの娘さんと結婚した人もいたりします。
(松岡さんは久米さんの一高時代からの「親友」、大抵の場合は一対の親友関係を作るのが習慣だったらしいんだよね。)
 
ここに第一銀行の頭取の息子さんである成瀬さんが加わり、成瀬さんが菊池さんを呼ぶ!! と言い張ったために実際のところなんかいまいち統一性がわからない『新思潮』第4次が立ち上がることになったようです。
ようですっていうか、成瀬さんって絶対資金源として呼ばれただろう、成瀬さんのお母さんがどうもそういうことに理解があったらしいことが言われてるんだよね。
なんか松岡さんが菊池さんを呼ぶとか言い出したってこないだ久米さんの証言らしいのがついったで流れて来たものの、どう考えても成瀬さんなんだよ、なにしろ同人誌の会費を菊池さんの分まで払ってたの成瀬さんだし。
久米さん、成瀬さんのことを面子として認めてなかったのかなと心配になるわね…。

6月21日めも。

なんか田端の文士村から話が完全に『新思潮』第4次になってるけど、えーと、もう一回このままで、で、すごいざっくり、漱石さんの追悼号にて幕を閉じたらしいですよ、なんかねー、いろいろあったんだよいろいろ。
芥川も世に出てるし、久米さんも小説でも認められてるし。
成瀬さんは親が泣きながらアメリカに商業教わりに放り出してたし、久米さんが漱石さんの娘さんと結婚の約束を取り付けたものの(漱石さんの奥さんのお気に入りだったの)、当の娘さんが松岡さんのことを好きなのでふられたとかだいぶいろいろ。
成瀬さんが海外から酷いー!!! と泣いてるものの、その後放蕩生活になった久米さんのことを世に出たから同人誌に興味がないんだろうってだけで責めるのは止めてあげて欲しいし、帰国したあとも松岡さんにおめでとー! 顛末がこっちまで流れて来たよー(*´∀`*) とか久米さんに容赦がなさすぎたので、多分あんまり仲良くなかったんじゃないかと思うんだ、正直。多分。
なんでかってのは全く証拠はないんだけど。
久米さんはどうも木曜会の中でも揉めていたらしく(なんとなくわかる気もする、これに触れてたのは数年離れてた木曜会の人、いや、時期が合致してるだけだけど)、あと、『新思潮』の三次も巻き込んで一次と二次の人らとも揉めていたらしく(戯曲の人が触れてた、これも久米さんとは言われてないんだけど)。
新思潮三次の人に怪文書とか書かれてました、親友の松岡さんとも決裂したし。
 
証拠とかはないんだけど、まあ、仲良くない人がいてもそんなに、そんなに。
菊池さんと芥川しか残ってないんだぜ久米さん(それで三人組扱いなのよね)。

6月22日めも。

んで田端文士村に戻るものの、そもそも「文士村ってなんぞや」という程度の段階で行ってたのでそんなに収穫とかがないんだよね。
そこで菊池さんが一時的に転居して来たんだよー、という展示になってて、これが他で見ると転居って形になってないがなってことで困惑したとかもあったね。
萩原朔太郎さんもいたんだけど湿気っぽい!! ってことでとっとと出て行ってしまったんだとー、これが比較的知られてるのは芥川の乱入事件があったからみたいだね、あの時点でめっちゃ朔ちゃんがスランプになってて詩人人生掛かってた的なことはわりとあとから聞きました。
あとあれ、芥川に朔ちゃんが「犀星よりも自分のほうが好きだよね」って形でちょっかい掛けられて犀星が怒ったのはもっとあとなのかな。
なんか芥川はたまにそういうことやるらしいのでそんなに気にしなくてもいいらしいです、されたほうはたまったもんじゃないと思うけど。
えーと、あと知ってるのが広津和郎さんと宇野浩二さんですな、どっちも文アルへの参入希望(同時代の有名人親友コンビなんでまあいけると思う)、宇野浩二さんと芥川は精神病院への入院の時点で手伝っていたりとかなりきちんと仲が良かったらしいのでちょっかい掛けたのはどっちだ、広津さんなんだろうか…。
広津さんはあれ大衆文学寄りのメンタル頑強男子だよ、宇野さんは精神病院に叩き込まれたところで察して欲しい、朔ちゃんと犀星と同じ組み合わせじゃねぇかよ。
 
…いややっぱり、田端ってただの点なので、芥川じゃなくて後期参入の人らで語らないと上手くまとまらないんじゃないかと思うけど…知名度って段階でなぁ、ううん。

6月23日めも。

あ、そういや田端全く関係ないんだけど思い出した話ついでにしてくんですが、久米さんと芥川は…なんか、あんまり麗しい関係って感じじゃなくて悪友っぽい感じなんだよね、芥川は一高時代は年上(菊池さんと同い年の人、その人と菊池さんがそのクラスでは最年長コンビだったらしい)の親友の井川恭さんて人がいて、久米さんはメンタルバランスの良い松岡さんて人が親友なんだけども。
なんか変に尖った会話みたいなの交わしてるんだよね、久米さんと芥川。
久米さんてのはなんともこう、なんだ、居丈高っていうか偉そうな人で、芥川は久米さんに対しての怪文書(求婚してた漱石さんの娘さんの家に届いた)が来た時点でも一応松岡さんに疑われてたりして、まあ、なんというかクールな感じだったぽい。
あんなになんにも興味持たない人間が怪文書なんか書かないよ、という調子で菊池さんと同意に至ってるんだけどどんなんだ。
久米さんは、菊池さんには「気が弱い」って表現されていて、あとになるとむしろ気遣いの人的な扱い受けることのほうが多いのよね。
なんか、これもこれでヒダがありそうな人なんですが。
芥川にとっては田舎の野蛮さを持った人、てことでどうも印象統一されてるらしい。
あと、なんかちょっともともと菊池さんに弱い感じです、久米さん、理由は全くわからんけども、やたらと喧嘩しまくってた久米さんに対し、菊池さんだけが気が弱いって言い切ってる辺りに源泉ありそう。
 
メンタル不安定と安定組と、そこに割り込む芥川の組み合わせ…もう一つかなー、とか前日参照で思ってたりしないでもない(菊池さんが急に接近されたって言ってんの)。

6月24日めも。

田端の文士村とか、そうじゃない感じのことをだらだら。
そもそもこの村に住み始めたのはえーと、陶芸家が最初だったのかな? 開拓されたばかりで地価が安い、というか、そもそも鉄道の開拓によって偶然出来た駅(線路の関係で人口と無関係に駅が作られたのよ)だったために利便性のわりに地価が安く。
陶芸家ってのは要するにかまど持ってたんだろうね。
で、その他芸術家が村にちらほらと集まるようになり、芥川の場合はどうも養父の方針なんじゃないかと思うんだけど、広くて明るい家を作ってたらしいです。
あと、犀星なんかもいたんだけどこれは金沢の芸術家などがこの地に集まって来てた関係らしくて陶芸家のほうの系譜なのかな?
で、ざっくり、芥川がいたために文士村へと変貌したらしいです。
文士村ってのは要するに、なんていうのかな、経済支援などがある場合もあるけども三文文士などが寄り集まってそれぞれの相互扶助を行うみたいな場所で、わりとこう、文士村からは卒業したりなんだりと入れ替わりがあったり。
田端の場合は芥川目当てで人が来ていたという、まあ、だいぶ他とは特徴が違うような気もしないでもないんだけどね…。
もともと芸術村だったのに文士村として知名度が上がってしまい、みたいな風情だったようです、ていうか芥川龍之介や菊池寛などが、て説明もテレビで聞いたことがあるよ知名度の違いがなんとも世知辛い(せめて室生犀星にしてあげて)。
 
そういやこれ、こないだ見掛けてまたどっかに出て来るだろうと思って見失ったんだけど、中野重治と芥川って結局田端での縁の関係ってことでいいのかしら? 続く。

6月25日めも。

えーとね、重治と芥川に関しては「プロレタリア小説書かせたらいいもん書くんじゃないかなー」て誰かに言ってるやつと、それからあと、死ぬ少し前に芥川が重治に結構な金額を渡してたらしいこと辺りなんだけど。
どっちも有名人だしまた出て来るだろ、と思ってたらなかなか出てこない…。
芥川が社会主義運動関係の人らと多少の縁があったらしいのは、すごいぽちぽちと、出て来るような出てこないような、微妙な感じ。
確か田端にも身分隠してたけど誰かいたんじゃなかったっけかな。
白樺から大杉栄のことを託されていたってのも白樺系の司書さんから聞いたことがあって、さすがにこれは聞いたらわかるレベルにガチなんだけど、どうにもよく全体像が掴めない、あ、文藝春秋は別にプロ文とは対立してないです、一系統とはなんか妙にど派手に喧嘩してたらしいんだけど…文学否定してくる派閥ってどこのことを指してくるんだかがよくわからなくて「ひょっとして文藝春秋読んだほうが早いのか…」と思ったりしないでもないんだけど、まあ今後おいおいと。
 
ていうかやっぱり田端の話に固定されないんだけど、そこでなにかを作ってたってわけではないんだよね、結局。
あくまで芥川が住んでた土地ってだけで、一時期文藝春秋が来たり…同人誌を作ってたんだっけかそういや? あるいは関東大震災後に文藝春秋が来てたことも無関係ではないのかもしれん、狭いところでかなり無理して作ってたみたいだしねー。
あ、そういやあれ、東京東側でインフラ残った数少ない町だったようです、田端、多分水田だった関係もあって水源近かったんじゃないのかなー。

6月26日めも。

田端ばたばたで水源の話。
あれ、もともと水田だったんだよーん、というのを鉄道切り開く段階で聞いたことありまして、あと時々田端住人の口から出て来る「湿っぽい」という証言、朔ちゃんが田端出てっちゃった原因ですが。
むしろ陶芸家や芸術家が暮らしてたのは水が良いという理由もあった可能性もあるし。
(あと、水田だったところは土も細かくて良いらしいの、農薬使う前の話だけどね。)
多分だけど芥川が住んでた区域だと湿気も関係なかったんじゃないかなー、高級住宅街ってあとから町ごと作ったケース除いてだいたい高台にあるみたいなの。
それと、「河童」ってあれ、近所にあったんじゃないですかね、伝説。
江戸時代に幾つかの話があったらしいから、田端の辺りだともとがどういう地域になるかなー、郊外なんだけど、まあ、条件的にあってもおかしくないんだよねいろいろ。
いや待てよ、伝説じゃないかな伝承になるかな、というか本当にあるかどうかわからないし、下手するとああいうのその場のノリで出来たりするので自信とかないけど!
 
で、それで関東大震災の火災は免れたけれど芥川が自殺してしまって文士村は崩壊。
陶芸村はどうなったのかなー、金沢勢はどうしたのかなぁ、と考えないでもないんだけど、そもそも「関東大震災の被害地域」を重点的に狙ったアメリカ軍の空爆にて村もだいぶ焼けてしまったんだとか。
まあ、東京の東側圏内だからなぁ、ううん…。
なんとなくふわふわっとした、掴みどころのない、多分空襲時点で残ったものだけ、移動したものだけが詰まった記念館だとしたら、まあ、仕方ないよね、うん。

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(とうらぶ・文アル他、85)