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雑記:とうらぶ・文アル他、86

Last-modified: 2018-01-20 (土) 17:00:41

雑記:とうらぶ・文アル他、86

6月27日めも。

『日本文壇史』の2巻と3巻をちまちまとまとめればならない(記憶が薄れていく自分のために)、と思うもののかなり危ういレベルまで記憶が消えかけていて、少なくとも4巻の段階で「花袋と独歩さんがいちゃいちゃしてた」ということを書いておいて良かったです、あれの時期は、覚えてるから!!
ていうか『文學界』ってなんとなく彼らが中心だったかのように書かれてることもないでもないんだけど、多分これ、有名人をあとから挙げただけなのよね。
つか、面子をつらつら見てくと成功してたんだろうな、とつい思うものの、雑誌の頃に知り合いになっただけでまだ誰も特に成功しておらず、藤村が認められたのもあくまでも詩文の世界らしかったので。
のちの有名人をそれなりに含んでたのに不遇だった同人誌なのか…なるほど理解。
まだこの同人誌がどうなったか知らんのだけどねー、て、2巻だっけ3巻だっけ、そもそも1巻時点でまだ逍遥さんすらいない、いなかったっけ、いなかったな確か、2巻の段階だと確実に出て来るんだけどねー。
【坪内逍遥】さんはあれだっけ、新聞記者はしてないんだっけ、なんで教授の身分になったんだっけ、というのが正直なところさっぱりわかりません。
なんかよく考えたらこの人に関しての本は読んだほうがいいような気がして来た、というか、彼を読むとむしろ同時代の事情わかるよなどう考えても。
 
彼もこう士族身分であって、早稲田大学の文科の立ち上げをしたのは確かあったよねー、4巻か5巻くらいでかなり早稲田がその分野で衰退していて、逍遥さんの授業すらまともに聞かれなかったって出て来たような気もするな…、ううん。

6月28日めも。

前日からのだらだら続き、えーと、『日本文壇史』の1巻にてそれなりに新聞社は出揃うものの(朝日新聞だけ遅い、なんかあれ、通史で見てると突然湧いて出るみたいな風情なんだけど、どうも関西で発展したのちに満を持して関東に乗り込んできたので他とは違うみたいなのよね)(こないだ読んだ本だと秘密の国からの融資受けてた、融資受ける条件とか内容とかはそんなに隠さなくてもいいのかもしれないけど、朝日新聞の現在の傾向考えると若干「うーん」となるので大々的に語られてないのも多少わかる)。
なんというのか小説が出て来るまでにしばらく時間が掛かる。
 
と言っても、いわゆる創作とかフィクションは別にすでにあるんだよね、江戸時代の娯楽っていうかかわら版とか歌舞伎、文楽、能楽辺りかな、あれだ、馬琴の「八犬伝」などの読み本みたいなやつもあるよね、あの辺はほとんどファンタジーみたいな内容だわ。
あとあれ、小説の前に翻訳小説やら、翻案小説やら、どっちが先なんだかよくわからんのもあったりします、なんか初期の探偵小説で名前を聞くことがある黒岩涙香さんなんてのもいるにはいるんだけど、どうもこう、翻案でゴシップ記事みたいな…、なんて表現したらいいのかな。
ひょっとして海外の有名小説のねた紹介みたいな内容ってところか。
とりあえず現代人から見ると小説という体裁には全く届いてないものということは間違いないみたいです、というか、そもそも読む習慣というものもあまりない。
読む講談ってのもあるにはあるんだけどねー、これが現れるのも明治の中期くらいになるわけで、なんかこう、江戸時代よりも退化してるような気もしないでもない。
あれなんで1巻リターンズしてるんだろう私、以下続く。

6月29日めも。

なんだっけ、新聞に小説載せるべきよ、ということもなんか日本の政治家が欧州の思想家から言われてたんだよね。
これ、何回か見てるんだけど何回見ても覚えられない。
どっちもそこそこ知ってる名前だからこそ、逆に誰だっけどれだっけ…と見る感じになるんだよ、小説に対して指示出せる人っていうと大隈重信の系譜だろうとは思うんだけど、どの人だったかしら。
いや待て、大隈さんが新聞に「お金出してよー」と言われてたのっていつくらいからだっけ、おうわかったって感じで何社か無造作に前足で押さえてたよね。
(この表現で伝わると思うけど私は大隈さんがわりと好きです。)
(政治関係のところで見ると悪魔かたまに大魔王みたいな扱いされてるけど、いわゆるかなり極端に合理主義なだけで商人らにとっては唯一話が通じる感じでありがたがられてる、ただし、若干どころでなく合理主義が過ぎるのでたまに敵味方や既存勢力を無視って行動することがあるので同時代人が嫌ってたり好きな人物が嫌ってるから自分も嫌いじゃ!! と分にはいいんじゃないかなって思ってるよ。)
 
で、これで政治小説みたいなのをいくつか持って帰って翻訳してー、の、ここから小説めいたものが出て来るのが『当世書生気質』の逍遥さんか、翻訳のほうの人から出て来たっていう認識でいいのかなぁ。
繰り返すんだけどどうも逍遥さんの身分がいまいちピンと来てない。
んであれ、山田美妙さんだの二葉亭四迷だのがちまちまと言文一致っていうスタイルで文章を書き始めるものの新しすぎて無理って元禄生まれじじいに拒否られる、と。

6月30日めも。

ところで「言文一致」ってそもそもどこぞの…なんだっけ言語学者だっけ、違うな国文学だっけ国文学ってなんだよという勢いで自信がない域ですが(だって学問の意味って明治と今とでどの程度違うのとかいつ出来たのとか本当に、仕方ないよね?)、まあなんか学者どもが言い始めてたみたいです。
あとに時代になって揶揄として使われるようになった「美文」というのもやっぱりどこぞの国文学の教授らが使っていたようなことが言われてた気もします。
なんでこんなに曖昧なのかというとちゃんと覚えてないからです。
まあ、概念としてそこまで間違ってるというほど踏み込んでないのでおいおい。
(自分が覚えられるようにするために打ち込んでおく程度の。)
実践で始めたのが山田美妙さんでこの人が【尾崎紅葉】さんの幼馴染で、なんだっけ、硯友社でいいんだっけいきなり。
まあなんか、そういう感じの文化結社だっけ単に学校新聞から始めたんだっけ。
東大予備門時代ってことでいいんだっけ、紅葉先生は確か帝大のほうにも行ってるんだよねなんでか年表から消えてるけど、とかいろいろ思い出せず。
 
すごく大雑把に山田美妙さんがえいやっ、て感じで始めたものの、なんかこう、性格が悪くて嫌われていたりとか残酷小説と言われる部類がいまいちって言われてたりしました、別に残酷でもいいんだけどさー。
残酷な展開にしておいてなんも文学的な意味がないとすごいぺらい。
そういうのが好きな人もいるとは思うものの、それってかなり拙い読者層なので、ぶっちゃけまだそういう人は小説読んでないんだよん、と考えると多分わかりやすい。

7月1日めも。

元禄(生まれ)じじいどもが若干新しい流れについて行くことが出来ず、引き気味だったところにまず西鶴研究! てところで正直なところ娯楽という点で衰退していた明治初頭の流れを、江戸まで引き戻そうとしたってのは、ぶっちゃけこうやって流れで見てみると明らかに正しいんだよね。
そりゃまあ、前進するだけの素材もすでに世にあるものの、それを受け入れる素地っていうか多数派がまだまだ全然付いて行けない場合はしょうがないよねぇ。
ここの層がいなくなった時点で明治の教育を持った層が一足飛びで娯楽を引き継いだ、というのは別にあとから見るとそんなに不思議でもないなー、と。
 
んで現れたのが紅葉先生と【幸田露伴】さん。
ぶっちゃけるとこの二人って、江戸文化という素地はあるものの、エリートではないもののそれぞれ教育を受けているし、そこまで古い家に縛られているわけでもない。
江戸気質みたいなものはチラ見えするものの、あくまで人情寄りというか、人情に基づいた激情によるというか、古い慣習だから従わなければならない、みたいな発言って結局のところ両者ともにないんだよね。
けど、新しい時代に対しての賛美もない、過去、江戸の文学に対しての研究から入ってるんだから、多少の古い気質はあるだろうものの、まあ、別になぁ。
ぶっちゃけ江戸末期の馬琴とかあれだからね、『水滸伝』を換骨奪胎して『八犬伝』を作ってたみたいな人だからね、奪胎されすぎてどこがどこだかわからんよ!? てレベルで、数人の主要人物を性転換するつもりでイラストを先行で宣伝したら人気が出すぎてこの際ってそれで作品でっち上げたという伝説が、いつ見習っても古くないよ彼。

7月2日めも。

なんでしたっけ、明治の「元禄生まれじじい」どもと新しい時代の教育と、とりあえず硯友社が紅葉先生を抱えて傑出するものの、それ自体がまだ黎明期であってメディアその他も特に整ってないって認識でいいのかなぁ。
『日本文壇史』の中に出て来た『女学雑誌』というものを調べてみたんですが、これがまず機関誌なのかそうでもないのかがよくわからない。
ただ、そもそも小説を載せるために作られたわけではなく、政治雑誌から分岐して女性教育を意識した内容であるという認識まではしてもいいのかなー。
政治関係の機関誌ってのはそれぞれが新聞を使って論争していたところから、なんか不便だわっていうわりと当然の発想にて機関誌が出されるようになりまして、しかして機関誌のほうの歴史はよく知らん仕方ないよね!!
(新聞との境目が曖昧な時代までは比較的わかるけどあとのことはわからん!)
ある意味でそっち系から派生して来たところが、そこも軽い読み物としての小説や詩文を載せるようになったんだよん、という理解でいいものか。
 
まああれ、これを主催していた方だどうもあらゆる方向からなんかしらの癖があったらしく、そもそも文学の歴史でもなんか名前聞かないんだけどもまあうん、なんだ。
女子教育を担当しておきながら生徒に手を出すのってどうかと思う。
最初に生徒だった嫁と結婚したのは許すよ別に、年齢近かったり年上の生徒とかもいたらしいし、ただ、それ以降は他所に行け、せめて学校以外の女にしろとしか言い様が。
この明治女学院の学長? だった人との不仲から『女学雑誌』に書いてた教師たちが作ったのが『文學界』なんだって、これはネットで調べたけどわかりやすかった。

7月3日めも。

で、ちょいとそもそも『文壇史』の内容ではないことも出ているものの(ただ、今回は基本的には載ってるものに関してを他所から補ったものが多いのです、当社比では一応真面目)、完全に脱線した話をするとどうも明治の20年代くらいからだっけ「読む講談」と呼ばれるようなジャンルが存在していて、これは多分、逍遥さんやら鴎外さんなんかだと多少関わることもあったんじゃないかなぁ。
文学史だと出てこない、というより、かなりあとの時代になるまで関係ないとされているものの、実際のところはそんなに離れた存在でもないんだよね。
小説のような体裁が整うまでにはだいぶ時間が掛かるものの、これもこれで独自の進歩をしていくような感じ(昭和初期に大衆文学と呼ばれているような作品群の土台となる一部です、他にも系統あるけどここが一番大きいんじゃないかな)。
岡本綺堂という人の説明によると寄席で行われる落語の中に「人情もの」と呼ばれる部類の作品があり、その作品を速記者が記述することによって読める体裁にしたんだって、で、ここから舞台化なんてのも行われているようです。
(舞台芸能に逍遥さんと鴎外さんが結構関わってるので多分知ってるっていう話になるんだよね、外部の人が受け入れられるようになるまでには時間が掛かるものの、人間関係そのものはわりと早くあったとか。)
 
これ自体の概要そのものは聞いているものの、小説の歴史とはいまいち切り離されているので、出来れば人間単位で再構成し直して欲しいんだよね…。
具体的に言うと逍遥さんvs鴎外さんとか、ありだと思うんだ。
小説の内容にも多分それ以外の芸能ってきっと関わってるしなぁ、勿体ない。

7月4日めも。

んで、『日本文壇史』の2巻だったか3巻だったか相変わらずよく覚えてませんが、【鴎外】さんが参戦して来たんだよ、評論が主で。
お医者さんで、初期はほとんど小説を書いてなくて、そもそも小説という概念そのものがまだ薄ぼんやりしているもので西鶴だとか人情ものだとか日常ものだとかそういうくらいしかないみたいな感じです。
あんまり語られてはないけど歴史題材ものってやっぱり講談が元になってるんじゃないかなー、と思うし、日常を題材にしていても樋口一葉さんなんてのはちょっと突出しているというか、下町題材でもちゃんと完成されてるよなー。
私、あの時代の小説ってもんをほとんど知らない時は一葉さんの作品価値ってよくわからなかったものの、あとから見ると本当に女性ってこと無関係にすごい完成度なんだよね、鴎外さんが一葉さんのことをむしろ尊敬に近い思いだったって聞いたこともあるけど正直納得なんだよなぁ。
鴎外さんはあれ初期に「舞姫」を書いたくらいでね。
止めないけどぉ、別にいいんだけどぉ。
同時代人が怒り狂って評論書いたって言われてるらしいからなんかすごいよね。
 
で、なんか文学から語ると小説だけ読んで小説の評論だけやっていたみたいに描かれているものの、医者の仕事も戯曲の関わりもある上に東京美術学校にも教えに行っていたので、マルチっていうか、切り取らないと確かに意味がわかりにくい。
しかし多分それって、当時の芸能や文化そのものがそういう不可分のものでしかなかったってことだと思うんだよなぁ。

7月5日めも。

えーと、硯友社(これはちょいちょい触れてるので略す)、『女学雑誌』とそこからの派生である『文學界』と、あと逍遥さんとそれに続いた「原文一致」の実践者である山田美妙さん、逍遥さんに影響を与えた二葉亭四迷。
ちょい離れたところから鴎外さんが参戦。
それとあと、露伴先生が北海道からえんやこらって帰って来たヨー。
なんか【田山花袋】は硯友社系、というか紅葉門下として出発したわりにいまいち遠ざけられていたとかそんなくらいかなー。
これが『文學界』に混ざるみたいな感じの認識でいいんですかね。
正直、紅葉先生の性格描写がブレてるせいでどうもいまいち花袋が紅葉門下からハブられていく経緯がわかりにくかったんだけども、要するに教養って意味で周囲と馴染めなかったって意味ではないかと思うんだけどね。
ただ、紅葉先生ってぶっちゃけ帝大に行ってるんだよね。
泉鏡花とか徳田秋声とかも、多分問題なく会話出来るよね。
そうなるとまあ、逆に士族出身でいわゆる藩校で教育を受けてしまったため、新時代の教育とも若干反りが合わず、そういう意味で不協和音になりかねないってちょっと硯友社からは遠い江見水蔭辺りに任されたってことなのかなぁ、と今は認識中。
 
とはいえ、花袋そのものは学者だの新聞記者だのが回りにいるようになるわけで、単純に水が合わなかったっていう程度の話なんじゃないかなと思うんだけどどうだろう。
秋声なんかもそこそこ浮いてるんだけど、まああれは、なんだ、そんなに悪くない意味でずるいっていうか可愛らしい甘ったれタイプだったぽいからな…。

7月6日めも。

これでだいたいラストだっけ、相変わらず『日本文壇史』の2巻だったか3巻だったかわからないというか、硯友社がそもそも文化結社なんだよん、てのも意味がわからないし、『女学雑誌』がどうも機関誌だったと聞いたような気がするし、その次の『文學界』は同人誌なんだよね、制度無関係にそこからしか同人誌って呼ばないらしいんですが、なんかそういう文面は見たんだけど見たまま覚えたので意味はわからない。
みたいなところは今後ぽちぽちと進展していこうかなと思っておりまする。
 
で、あとあれだ、忘れてた、二葉亭四迷さんはなんか逍遥さんが小説書いた辺りでふらっと寄ってって、まあそんな若者は他にもいたもののこの人だけ逍遥さん本体に影響を与えたってことで特別視されているようなのですが。
まあ、かなり初期に小説書いてるって時点で名前残るのもわからんでもないけど。
なんかこう、小説は男子の本気でやる職業じゃないよねって朝日新聞に入っていたようです、あれ、漱石さんが朝日新聞で小説関係仕切ってる時期にすれ違ってる…、だけじゃないな、なんか呼び出して言い含めて小説書いて貰ってたんだよね確か。
ぶっちゃけこの二人に関しての年齢差などはわからないものの、かなり破格の高級で雇われた人みたいだし、力関係って意味では漱石さんのほうが強かったのかな。
調べればいいんだよ調べれば年齢差くらい、なんだけど面倒臭い!
まあ物理的にはすれ違った以上の関係はあるものの、関係性に興味を抱くほどにはさして縁があるわけでもないのでテンション上がらないってのもあるかな。
なんか2巻想定だとしたら露伴先生と紅葉先生の行き違いみたいなところを触れておくべきだった気もするけど、また次でやりまする、以上で終了ー。

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(とうらぶ・文アル他、86)