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雑記:とうらぶ・文アル他、88

Last-modified: 2018-02-12 (月) 17:35:01

雑記:とうらぶ・文アル他、88

7月17日めも。

リアルタイムで2月11日、今まで数時間掛けて書いていた分がさっぱりと消えました、一度も保存してなかったのが悪いっちゃあ悪いというか、いや、今打ってて気付いたけど数時間全く保存してなかったのはさすがに私が悪いような気もしないでもない…。
一日分が書けたら保存することにします、ちょっと長かった。
まあただ、だらだらだらだら打ち込んでいたものですっかり時間はあと50分くらいで日付け越えなんですが、現在はあれです、2018年です。
日付けの意味は果てしなくないです。
ある程度同時期のこと書けば打ち込む内容はだいぶあるような気もしないでもないし、一気に2018年の1月くらいまで飛ばす計画もさっき打ってた中にあったんですけども、なんかもう実現したほうがいいような気もして来た。
とりあえず文アルのイベントをしておりまする。
とうらぶもまだ続けてて、今日はログインだけでもしようかなって思ってて、fgoもやっててそれで打ち止めでする。あと小さなカエルが旅に出るアプリもやってるけどあれが始まったのいつだっけ。
 
『日本文壇史』の3巻をまとめてそのまま4巻は先にまとめてたので5巻をまとめてそれから6巻を読んだほうがいいよねー、とは思ってるんだけど、どの巻でなにが書かれてたとかそういう記憶はないです。
なんか4巻がセンシティブで詰まらんとか、5巻は良かったとかそのくらいで一体なにが良かったんだか悪かったんだかの記憶がもうない。
いやあれか、3巻は硯友社の興亡で5巻は樋口一葉さんの躍進か。

7月18日めも。

一応思い出したものの、なんかいまいちまだ取り掛かる気がしないので数日前まで読んでた、というか昨日(2018年2月10日)に読んでた『菊池寛-話の屑籠と半自叙伝』に関してなんですが、ものすごくざっくりと昭和6年くらいから始まり、文藝春秋から手を引くまでだいたい毎月書かれているやつです。
なんか最初に読むってたまに言われてるの聞いたことがあるんだけど、最終的に60万部くらいに達してたらしいから結構な影響力だったんだろうなー、と思わないでもない、まあ、文芸誌(いや文藝春秋は総合誌だけど)以外だとちょこちょこいってたらしいんだけどねー、そのくらいの部数。
戦前だと講談社『キング』の150万部が最高って認識でいいのかしら?
100万部突破したのは日本で最初っていうのは明言されてるのでまあ問題はないとして、どうもこの雑誌ってわかりにくいんだよねー、講談社もだけど、少なくとも文学史からは完全に抹消されてる感じ。
理由は知らんけどね、まあ要するに大衆向けだからってことなのかね。
 
そういや菊池さんがこの講談社の『講談倶楽部』から作家を新潮社に紹介していたらしく、一人二人ならともかく、何人もいたらしいので多分講談社とは普通に付き合いあったのかなー、と漠然と思ってたんですが。
この「話の屑籠」にもちょくちょくそこの社長が出て来ていて、野間清治さんていう人なんですが、基本的になにで出て来たかまでは覚えてないものの、何回か出て来る人っていうとだいたい文化振興関係の話だったので多分それじゃないかな。
亡くなった時点で身分を明言して、そこで匿名でした募金の話してたしね。

7月19日めも。

もうちょっとだけ菊池さんと講談社の話、そもそも『大衆文学の歴史』で何人かの作家を講談社から新潮社に紹介していたことを読むよりも前に、吉川さんの経歴が若干謎だった時期がありまして、というか今も謎なんだけど、やっぱり講談社に所属していた作家で新潮社っていうか朝日新聞で書くことになったんだよね。
あれ、それ以前にも書いてたっけ自信ないけども(多分この辺は調べればすぐわかる、朝日新聞を特に挙げてるのはそれが最大の出世作だから)。
吉川さんの場合、誰が紹介したのかというところがなぜか書いてない、担当編集が他の社と書くことを嫌がったとかそういう話はいろいろ書いてあるのに誰に誘われたとかそういうのがない。
ただこれ、他のケースみたいに菊池さんだった時は…。
ごめんな、担当編集者の気持ちもわからんでもないんだよね。
そもそも吉川さんはちょいいまいちなところがあって、個人的には講談という世界とはあんまり相性が良くなかったんじゃないかって思ってるんだよね。
簡単に言うと今になっても学者が読んでも多分古びてないです、まずこの資料とこの資料は押さえておいて、ここが曖昧、ここからは作家が自由にすべきなんじゃないかとか普通に作品の中に出て来るし。
 
そんなもん、非インテリが読んでどう思うかとかあるじゃんほら…。
もちろん講談倶楽部でそう書いてたわけでもないのだろうものの、詰まらないわけではないんだけどなんか面白くもない、てなるのはわかるんだ、レベルが合ってたとは全く思えないんだよね。

7月20日めも。

吉川さんと講談社と菊池さんの話。
それでもまあ、良さを認めてくれる人はいて、みたいなところでいきなり菊池寛がばーん、と出てったらなぁ、拗ねるってのはわからんでもない。
ただ、他の人たちが明言されてるのは事実で、誰かしらに仲介されていた記述があるので同じ人かなと思っても怒られはしないだろうものの、実際には菊池さんかどうかが書いてない。
なんで書いてないのかはさっぱりわからないです、あるいは別の人が仲介しててもおかしくないんだけど、基本的にある程度知られた編集者なら名前気を付けてるけどそういう意味で本気で名前がなんにもない。
新潮社側からその辺読めないかなとも思ってるんだけど、多分大衆雑誌なんだよね、ちょっと難しいかなって気もしないでもない(純文学雑誌に関してはいくつか本があります、編集さん扱った本なんかがある)。
どっかにはなんかしれっと載ってんのかなぁ。
しかし隠す意味もなんかいまいちわからん気もしないでもないし。
揉めたからあんまり明言しないとかそういうことなのかしら、まあ、菊池さんに楯突いたってことに…なるのか、あ、そうか、揉め事そのものは明言されてたから、誰が紹介したかも触れるとそれがバレるんだな?
どうだろう、そういう意味で伏せるってことはあるのかな。
 
まあなんか、講談社以外の仕事をなんとなくするようになり(大衆雑誌『キング』では比較的受けてたみたいです、これもわりとわかる)、なんとなく菊池さんとご縁があっていつの間にか親友でした、なんだろうシンデレラストーリー?(語弊

7月21日めも。

また強制終了されました、たまたまその直前に保存していて助かったのですが、まだ30分くらいしか経ってないのでさすがに怖いんだけど大丈夫なのか一体。
なにをどうしたらそんなにぽんぽんとメモ帳みたいなロースペックのものが落ちるの。
ただ私、この文章の形式がメモ帳でしか打てない仕様なのでもう少し頑張ってみたいと思うんだけどいつこうなったのマジで怖い。
 
えーとあれ、講談社と吉川さんと菊池さんとかその他もろもろ、な理由で前日の続きでまあなんとなく講談社のことを気にしていたんですよね。
よく見てたら『キング』に連載してるな菊池さんとかな。
映画化されていて、その主題歌がめっさ流行ったとか鉄道ジャンルで見たんだよ『東京行進曲』、その原作者でした、いやあれ、小田急で駆け落ちするっていう歌詞なので嫌われたとかなんとか、ただし戦時中にいい宣伝になったって作曲者にお礼していたりとかなんかこうそういう感じの話の。
そもそもこの映画は原作のラストが描かれる前に映画化し、興行成績的にもいまいちだったらしいことが言われてるものの、とにかく主題歌はめっさヒットしたらしいです、なんか文化の本でもちょくちょく見るからな。
原作者のこと見なかったんだけど、多分どっかでは触れてたのかもなー、なんとなくややこしい経緯があるし、受けたのは主題歌だけだしとかいろんな理由で触れてなくてもそう問題はない気がする。
ともあれ、キングで連載していたらしいのですよ菊池さん。
なんでやって思うじゃん、なあ文藝春秋社長、いやどこにでも書く人だけど。

7月22日めも。

コマンド使うと落ちるような気がしたのでクリック操作で行くことにしました、これで安定してくれるんならいいんだけど、まだちょっと怖い。
(Ctrl+「s」とかそういうの、保存動作なんだけどなこれ。)
えーと、なんだっけ、どこまで書いたっけ、あれか、吉川さんがシンデレラなのかどうかを確認するために講談社を見張っていたって語弊が激しいですが、菊池さんに講談社の外に連れ出されて菊池さんのそもそも言い出したネタで国民的小説とまで言われた『宮本武蔵』を書いたってなんか面白いじゃん。
いや後半は普通に知られてるんですが、そもそも菊池さんが宮本武蔵が好き。
直木さんががーっとそれに突っかかって、菊池さんは資料精査だの分類だのということが得意ではないので詰まっていたら、宮本武蔵にはそんなに興味がないけれど、資料扱うのは直木さん以上の吉川さんが助けてくれましたみたいなの。
菊池さんが逃げて、吉川さんと直木さんはわりと痛み分けみたいな感じ。
吉川さんはその時点の反省できちんと読んで小説にしましたって流れで、雑だけどこれでだいたいはいいはず。
 
この件を指して菊池さんが子分の吉川さんに資料を投げて書かせたとかいう言い方もされてるんだけどね、まあ、本当に資料の譲渡っていうかあーげーるー、みたいなことがあってもそれは別に不思議ではない。
菊池さんは言及したら全国から資料が送られてくる人だからね!!
というか、話の屑籠がまんまそういう内容だったんだよ、こないだの話、資料貰ったー、とか役所からも貰ってやんの、いやぁ、なんというか…。

7月23日めも。

なんの話だっけ、「話の屑籠」ですね、昭和6年から昭和21年までだっけかな、それこそ講談社社長の野間清治さんもなんかちょくちょく出て来て、これ、普通の知り合いっぽいなー、みたいな雰囲気、文化振興仲間みたいな感じ。
あと小林十三さんが出て来て、こっちは多分友人だよね、友人だからついでに文化会館作ろうよー、いいビルあったからー、とか、今度劇場作るとかそういう話してるんじゃないかと思うんだけどあくまでも菊池さんが文化支援活動ぽいことしか言及してないのでよくわからん。
ただ、その手の話題だけでかなりの頻度で出て来るんだよなあの人…。
なんというか、この随筆の寄せ集めだけでもそれなりの資料にはなるんだろうけど、そこに書かれてないから、みたいに使うのは危険かもなー、という気がしないでもないんだよね、まあそもそも、小林十三はあれだよな、劇場作る時に菊池さんに台本書いてー、と頼めば良かったんだろうけどそういうことしないから友人だったのかなぁ。
安価で庶民向けの劇場作ってまたブームにするから楽しみにしててね、的な感じの会話とかは、ちょっとこう、可愛い、さらに菊池さんがそもそも芝居が庶民には敷居高くなっているよなー、って愚痴ってて相手がそれ聞いたからそういう話してるとか考えると、どっちもなかなか可愛い。
 
この二人の友人関係なんてのは聞いたことは特にないものの、単純に文藝春秋に雑誌を書いた時点で文学青年だった小林さんがめっちゃ喜んでそれ以来の仲ってことになるんじゃないのかな、いやだって資料ないからよくわからん。
定期的に会ってて世話話もしてるとは思うんだけどねー。

7月24日めも。

さてあと、なんの話だっけか、「話の屑籠」ですね、あと、人名でそんなに何回か出て来た人、というと、完全に手元にいるって人たちはどうもそこでは取り扱わないような、気がしないでもないかも。
久米さんに関してが数回と、利一くんが軍事関係の仕事で…一回だっけ?
川端は出て来たようなそうでもないような(利一くんや川端は、普通に菊池さんから生涯離れなかった、という表現をされてます、多分ゲームの元がその辺なんだろうね、ただ仕事する先は正直全然違うのでどういうニュアンスなのかは今の私にはよくわからない、私の修行不足って意味でござる)。
文藝春秋の社員関係に関しては本当に全くなかったんで、そういう意味では線引きされてたんじゃないのかなぁ?
そういやあれ、成瀬さんに関しては死去時点で言及してたなー、『新思潮』の第4次がそれだけ特別だったって意味なんだろうなあれは。
 
ええとだからつまり、私生活を出すというよりはどっちかというと業界を出していくみたいな体裁ってことになるんだな。
自分の関係してる人でも社会に対して文化活動として意義があれば出すよん、いい例えになる時は言及するよ、という程度の認識でいいんじゃないかしら。
ある意味で私生活切り売りするようなことも全くしてないし、友人そのものの宣伝みたいなこともしてなかったってことだよなぁ。
まあ、ちょくちょく若い作家褒めたりとか古い作家の行動を嫌ってたりはあったけどねぇ、売れっ子ならともかく、違う場合にトドメ刺されてないといいけど…。

7月25日めも。

なんかいまいち主題みたいなもんがぼけやたままであと2日分書いたら一旦〆るわけなのですが(毎回10日分ずつ)、「話の屑籠」のあとに収録されていたのが昭和3年くらいの時期に書いていた「半自叙伝」で、これが、なんて言えばいいんだろう、芥川のことが書いてないんですよね、なんで書かれてなかったことを先に言うのかというとかなり複雑な内容だからなんだけど。
あのなんか、よく覚えてないみたいなこと言って行事をぱらぱら思い出してたあとに幼少期が始まっていろんな学校時代の思い出が語られたわけですけども菊池さんの学校時代はどこに行ってもかなり酷い、まともに勉強してやしねぇ。
そしてあと、どうもクラスメートとかをほとんど覚えてない模様です。
早稲田の時点では、どうなんだろう、ほとんど誰も覚えてないって言ってるけどあれどうなんだ、そこそこは行ってたみたいに触れられてることもあるんだけど。
(その時期は名前が違ったらしくてそれですぐには結び付かないって言ってたけど、それはまああるとは思う。)
 
いや違うんだ、その半自叙伝は、なんというかすごく綿密に「青木」さんに関して語り、作家としてある程度成功するまでを語り、直木さんとの出会いを語り、そのあとで芥川はその頃から放置してたごめん、みたいな感じでぱったり、と行くみたいな構成です。
芥川を放置してたみたいなことしか書いてない。
というか、高校時代はほとんど付き合いない、どこそこでまあ付き合うようにはなった、みたいな、すごい曖昧な感じなんだけど、なんか本気で感情の動きがさっぱり。
というか明らかに一番書かれてたの「青木」さんなんだよね、マント事件の。

7月26日めも。

だらだら続き、マント事件に関してはまあなんか思ったよりだいぶん大きな事件になったんだよねって意味でいろいろ言われてると思うんですが、見事に物の弾みで罪押し付けちゃった勢いで考えなしだった、で綺麗にまとまっており。
作家すげえなって思ったんだけど、現在ネットで調べられるやつ見てても関係者がだいぶおり、いや、その人たち怒らなかった? とならざるを得ない。
ただ全く逆に「半自叙伝」では菊池さんから「青木」への入れ込みや愛着みたいなものが全く綺麗に払しょくされていて、こちらも物の弾みで庇ったのであって、別に他意はなかったよという内容になっており、庇うは庇ったけど、で終了している。
(いや、正直他の部分でだいぶあー、てこと書いてたけどね…、あんたそれ完全に嫉妬だよみたいなの。)
 
ここまではいいんだ、なんでこれは直木さんと芥川とつながるように書いてあるの、直木さんはその時点で当然ご存命、芥川が死んだばっかり、芥川との関係までで筆を置くって書いてあるのになんで芥川が最低限なの。
みたいな意味で、なんも書かれてなかったんだろうなー、あれって。
死んだ直後に書けって言われても、無理は無理だよね、で、そのまま書けないまんまで結局なんも書かないまんまで逝っちゃったのかなぁと。
というか、振り回してくる言動のエキセントリックな顔のいい男が好きだったのかなぁ…、芥川は人にはそんな感じだったけど菊池さんとは調和してたみたいだから、物足りなくなったのかなぁ、とか。
正直妄想ではあるものの、これは全く萌えません、いやマジで。

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(とうらぶ・文アル他、88)