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雑記:とうらぶ・文アル他、89

Last-modified: 2018-02-18 (日) 19:07:29

雑記:とうらぶ・文アル他、89

7月27日めも。

リアルタイムが2018年の2月17日、来年1月前後まで「130日分」ほどすっ飛ばしまして(雑記104の辺り)、まあその間をぽちぽち埋めていきたい。
んで、前からぽちぽちまとめている『日本文壇史』の3巻なんですが、これの著者さんは伊東整さんと言って、なんかぶっちゃけ業界の話読んでると普通に出て来る、なんかその辺に関係者として出て来る。
どうもかなり近い時代に書いていたらしいので、なんかちょっと間違っていたり取り違えていたりしても、あんまり目くじら立てるもんでもないかなって、あれだ、同時代だとともかく、若干ずれた時代って独特の苦労があってなぁ、端的に言うと噂話やらイメージをどうしても取り込んじゃうんだよね。
イメージの取り込みは個人を扱った伝記だと正直同時代の価値があって、逆にあとの時代に資料になったりしてマイナスだけでもないものの、正直なところ群像スタイルだと一見客観性あるみたいに見えるから、間違ってると痛いっちゃあ痛い。
なのでまあ、目くじらを立てないということは鵜呑みにするということではなく、信用は出来ないと思いつつ、まあ、当時はこんな印象だったんだな、という程度の距離感を持つ感じのスタンスがいいかなー、と。
ぶっちゃけ同時代でも叱られて結構直してたりするらしいしね、それ自体も地味に聞きたかったりするんだよな、ていうか著者さんがもう研究されてる側だしな。
 
みたいな、とりあえず1巻の新聞の歴史(文字媒体がそのくらいしかない)、2巻が小説なかなか生まれないの歴史、3巻がまあ試行錯誤の時代ってところかなぁ、他で読んだ同時代の本の内容もわりと気楽っていうか、入れていけたら入れたい。

7月28日めも。

こないだ『新聞小説の誕生』という本を読んでいたんですが、多分これが文壇史の2巻相当の時期で、なんというか、政治記事がメインだったところに今で言う三面記事、なんて呼べばいいかな? 政治に絡まない一般家庭向きの記事欄が出来まして。
出来ましてっていうか、当時の新聞はそんなに枚数が多くはないので事件記事が書かれる習慣が出来た、という程度の意味なんですけどね。
なんというかそこに「続きもの」と呼ばれる殺人事件などに関しての情緒的な解説記事が出るようになったらしく…。
正直最初の頃は噂程度は含んでいたものの、比較的に元ネタに近かっただろうと思えるものの、読者の煽情的な記事を求める熱狂により…だんだんこう、しょうもない与太記事が増えてったよ、という流れになっていたんですが。
 
大雑把にこの流れを止めたのが【坪内逍遥】さん、なんだってさ、てか、彼は本当にその泥沼のような状況から、文化向上を願った人なのでまあ…なんだ、福沢諭吉さんみたいに、多少の発言のブレは許してあげて欲しいなぁ、と思っちゃったんだけど。
実際その観点で見ないとよく意味わからないんじゃないのかなぁ。
(菊池さんなんかも結構評価薄いんだよね、人情篤いとは聞いてるけどさぁ、ていう風情で、いやそうじゃなく、本当にそんなゴシップ捏造記事だけが娯楽だった時代から小説まで導いた人だって観点になれば意見も違ったと思うんだ正直。)
この辺の経緯が文壇史には載っておらず、実際のところ把握もされてなかったんじゃないかと思うんだけども、多分文士たちが七転八倒していた理由も、個々人の奇矯さだけでなく、環境をそう捉えたほうがわかりやすいんじゃないかと思うんだよね。

7月29日めも。

現代人からすると逍遥さんの「当世書生気質」は正直なところさしてあれというか、多分読んでもしゃあないというか、前時代からのしがらみから抜けてないというか、まあいろいろあるみたいなんですけども(文アルでも鴎外さんが言ってたよね)。
ていうか、その評価そのものも、正直なところ逍遥さんのそれ以前の読本や戯作って呼ばれる作品群の肯定と否定の繰り返しによって、あんたが言うな的な側面があるのも致し方ないところがあると思うんだよね。
それこそその議論を受けて立っていたのが鴎外さんだしな…。
彼、あの…なんだ、実は意外と庶民向けの作品読んでいたんじゃないか、それもそれとして評価していたんじゃないかと、思われる節があるんだよねぇ。
当人への評価がインテリ最高峰みたいな扱いだったので、あんまりその辺が剥き出しには出来なかったんじゃないかとも思わないでもないんですが、どうも、うん、滝沢馬琴の作品を発禁から守ろうとして奔走していた時の彼のコメントは、読んでない人が言うような内容じゃなかったです。
学生の作った同人誌でも結構気楽に評論してくれたみたいだしなぁ。
 
で、そういう前提を踏まえてみると(ていうか、正直踏まえて欲しいんだよね、文アルさんよろしく!)、ううん、どっちの立場もわからんでもないなっていう。
逍遥さんはなにしろ自分が次世代の指導者なんで、どこかに傾かないように導いていかなくちゃならないから安易に真似てはならないと強めに言う。
既存の文化は文化として評価したい鴎外さんは若干反発する、と。
別にそれはそれでどっちも悪くないんじゃないのかなー、と、まあ。

7月30日めも。

で、なんかこう、文壇史の3巻相当の時代になかなか辿り着かないんですが、個人的には硯友社に関しては内田魯庵さん(私は知らんかったけど、本当に仲がいいのは四迷さんだったのね、親友って感じで普通にくっ付いてた)の硯友社に関しての文章のほうが出来が良くほどほどに距離もあって良いんじゃないかと思うんですが。
ただ、文壇史のほうが出版社への影響がどの程度あったのかがわかりやすい、というより、文芸関係の出版社がどのくらいあったのかがわかるんじゃないかなー。
 
えーと、最初から「読み物」がメインで中新聞(これは多分制度上の話じゃないよね? 大新聞は政治取り扱いが可能な新聞、小新聞はそれがない娯楽用の新聞、小新聞から初めてのちに政治取り扱いも可能になったのが確か読売新聞さん)(届け出制で確かお金が掛かるんじゃなかったかと)なのが読売新聞。
読売新聞はわりとどこの派閥って決めてる様子がなくて、えーと、わりとなんでも載せてるみたいなんだけども…新思潮の時代になるとあんまり記憶にないなぁ。
硯友社っていうか、紅葉先生と露伴先生を招聘して客員にしていたんだよな。
確か文壇史の6巻かな、そこで紅葉先生と関係悪化して契約解除になるみたいね(それが本の解説に載ってたので)。
なんか大概伝聞形式であれですが、読売新聞はまだまとめて読んだことがなくて…、てか、白鳥さんが所属してたはずだからそんなに悪いこともないか。
いやなんか、硯友社相当の時代が語られてても、なんかどうして売れたのかという分析とか(私がやってたやつは私が勝手に出した結論)、どのようにネットワークとして機能したかとかのプラス側面が語られてなくてなぁ、なんか、妬み中心というか…。

7月31日めも。

前日分からの続き、正直なところ、文壇史の中では露伴先生と紅葉先生の関係なんかはともかく(なんかよく逃げてたっぽい)、硯友社に関しての隆盛についてはどうにも内容が面白いとは思えず、なんだろう、なんか…若い作家らの嫉妬フィルターを通して見た歴史みたいになってるんだよね。
個人的なエピソードがあちこちに散らばってるのはもともとだし、同じ話も出て来ることはあるものの、さすがに同じ欠点(多分実際には一回)が何度も繰り返されたかのように数か所に分散して記述されてると、なにこれ、としか。
紅葉先生にはどのような長所があり、その長所の裏返しとしてこういう悪いところがあったよ、という魯庵さんの文章のほうがいいよってのはそういう部分。
 
ただ、こないだ「文壇」に関してを分析した文章を読んでいた時、文士というのは役人になりたくてなれなかったインテリの集団であり、社会の攻撃から自分たちを守るために文壇を作り上げ、そこで社会を夢想した、ということが語られておりまして。
その夢想した社会がそもそも歪んでいたために個人の問題しか取り扱えなかった、というのが純文学だという、かなりの棘があったんですが(意訳ですけどね、ただ趣旨は多分違えてない)。
そういう意味だと紅葉先生はそもそも役人になりたかったわけではない実家が町人でたまたま学業が得意で、なんとなく学生時代に始めたかわら版もどきがが成功してトントン拍子で出世してって文士が人間扱いされてない時代にも別格として扱われた紅葉先生って意味では悲哀ある文士として存在の条件をどうもほぼ満たしていない。
文壇は彼のことを生涯嫉妬し続けたよ、という記録としてはありなのかなー。

8月1日めも。

まあとにかく、どんな感じで紅葉先生が世に出て、どのように出世して、どう業界を牛耳ったのかっていう面に関しては(なぜそう出来たのかは特になしで)、比較的に客観的に書かれてるかなと思います、そこの記述は歪んでる感じもなかった。
というかその前提がないとさすがに嫉妬を抱かれる理由も不明になるしねぇ。
で、5巻なんかに書かれてる欠点だと、あー、ありそう、いかにも成功した人はやりそうって意味で結構悪くないんだよね。
いやうん、いいや、鵜呑みにしないほうが、てだけで。
 
これ書き連ねてて気付いたけど、この本は要するに業界の人々の証言や記録が主で出来上がってるので、なんというか…あちこちで恨み言聞いて分散しちゃったのかもね。
そういう意味で、まあ、著者さん自身がどうこうってわけでもなさそうかな。
田山花袋なんかにもこの歪みを感じることがあり、彼が硯友社に属していながら少しずつ排除されていく理由がこの本では正直よくわからん。
性格悪いって書かれてるけど、いやぁ、あとから出て来る花袋ってかなり性格おっとりしてるよね(紅葉先生もそう、時代が近くてもなんか書かれ方が違う)。
まああれか、花袋も要するに一時代を代表したことがあるから嫉妬の対象なんだよん、と受け取るのがいいのかしらね、この場合は。
花袋場合は近代の教育機関では習っていないようなんですが、結構な旧家の出身で、いわゆる藩校のようなところで教育受けてたっぽいからなぁ。
ここに関しては前も触れたことがあるけど、貧乏で教育を受けたことがない、という記述がかなりシリーズの前のほうにありました、学校じゃないからな、ドンマイ!

8月2日めも。

なんか脱線しがちだけど、えーとあと、博文館がすでにあったりとかここはあれ、日清・日露の時代に躍進した『太陽』の存在で地位が確定したものの、基本的にはなんでも扱う結構緩い感じの出版社なんじゃないかな。
ざっくり社史見てみたけども、ぶっちゃけ商売人がやってる出版社な感じ。
別に非難じゃないです、大抵そのほうが長生きするんだ。
ただ個人的には何巻で登場したっけか、新潮社のほうが出発時点からなんとも好ましかったけどね、媚びず奢らず地道堅実(新潮社になるまでには紆余曲折、だがしかし、文藝春秋なんかとはまた違う感じ、一回も派手には目立ってない)。
春陽堂に関しては、少なくとも文壇史ではあんまりイメージないかも。
ここもそれなりに雑誌出したり本出したりもしてるみたいなんだけどねー。
 
そういや博文館とこのドラ息子が硯友社の人の恋人を「奪ってった」のでその芸者さんを蹴り倒したのが『金色夜叉』の元ネタだよってのは5巻でしたっけね、これは。
いや芸者さんじゃないのか、よく通ってた料亭の女中さんで芸者さんの格の女性たちっていうか、まあ、責めてもしゃあないとは思うけどな!
個人的にはあまりにも関係が近いところではそれはよろしくないよ、芸者ならともかく女中さんだよな一応、みたいなことがないでもないので紅葉先生だけが悪いとは思わないものの、失恋したほうもすぐに次…。
いや、そこに関しては失恋したあとでなら、それはそれでいいか。
なんとなく同時並行っぽい空気も感じないでもなかったけども。
というか、金色夜叉もヒロインが完全悪ではなさそうだから、まあいいのかな。

8月3日めも。

というか本当に3巻なんだっけ、ああ、硯友社に関してか、というレベルの記憶なのでしょうがないんですけども、というか「紅葉と露伴しか売れなかった、それからぽちぽち硯友社の名前が知られて来た」というのがかなり歴然とあり。
まあ同時並行で鴎外さんと逍遥さんがちゃんちゃんばらばらしてるけど。
別に嫌ってはないと思います、鴎外さん、逍遥さんのこと。
ただ、なんかこう、対立するんだよね、なんかが。
鴎外さんも教育に携わることはあるものの、どっちかというと逍遥さんのほうが教育者でもって、意見の変化を経すぎていまいち受け入れられなくなっていった、というのがちょっと悲しいんですが(多分菊池さんが評価してないのはそれで、生徒がほとんど彼の授業に出てなかったらしいとか聞くと、まあ無理もないよなその態度も)、だが、彼のいた早稲田は別にレベル落ちてないんだよなぁ。
文アルはこう、二人の軋轢の方向に行くのならばまあ、もうちょっとこう、背景から行こうじゃないですか、ていうか二人とも戯曲にがっつり関わってて、ここに関しては文士はこの二人の名前以外がまず出てこない感じだからな!!
 
て、なんの話よ。
まあこの際、紅葉先生と露伴先生のその距離感はなに、というのも、いっそ踏み込むのならば避けられてるのかと思った、までお願いします。
だって、本当に、逃げてくから、露伴先生!!
作品見せてーって共通の友人から原稿の一部見せられて紅葉先生が言付けたところ、露伴先生原稿ぶち破ったからね、文壇史に載ってたからね、なんでよ?!

8月4日めも。

硯友社に関しては棚上げして(またどっかで機会があるといいけど、硯友社で本出そうね、今しか多分機会はないよ!!)(いやなんか、結構続いてる明治有名人の乙女ゲームにも紅葉先生出て来るんだっけおめでとうございます)。
ええと、文壇史に載ってた露伴先生の奇行っていうか。
なんか本当に逃げ回ってる感じです。
しまいには鴎外さんとこに殴り込みを掛けて(比喩)、最終的に一緒に仕事をするようになったんですがこれもよく意味がわからない。
確かに同業者だけど、なんでまた、と思ってたらご縁なかったところで押し掛けましたってありました、露伴先生、ごめん、あの、人付き合いが薄いとかそういう感じの人ではないんですねって正直思わないでもなかった(仙人みたいなイメージあるよね)。
というか、鴎外さんもそんなにぽんぽん外に門戸を開いていた印象でもないんだけど、特定の時期からはなんかあれやこれやって積極的でもあるよなー。
この辺の変化に関してもそのうち読めるといいなぁ。
いや鴎外さんとの話がしたかったわけではなく。
 
露伴先生があまりに紅葉先生から逃げまくるので、なんでやって思って呟いていたら、「それは嫌っているのでは、いや、嫌いではないけど合わないってあるし」とかまで言われることになってしまったんですが。
気のせいじゃなく、紅葉先生の死後はかなり頻繁に口にしてんだよ、彼。
というか、私の紅葉先生の聞き覚えがそこなので、まあさすがに間違い様がない。
あとやっぱり、同じ組織までは属す、付き合いも被ってる、なんで逃げる。

8月5日めも。

で、ゲームの話になるのですが【文豪とアルケミスト】、あれなんだ、紅葉先生と露伴先生の距離感は、なんかよくわからない、紅葉先生が浮かれててもなんか露伴先生ってろくに返事しないし、ていうか落ち着かないし。
他所に出した手紙では「のろけてんですか」とまで言われるような数々の、なんだあれ、なんだあれ、文アルは彼らのことを一体どうしたいの?! とまで思わざるを得ないんだけど、あの逃げまくる元ネタの露伴先生が悪感情ではないのだとしたらそれはまあ、なんかの好意の暴走なのだろう、という判定をするところまではいいんじゃないかと思いますっていうか、私も言わないようにしてたけど、そう判断して怒られる筋合いはないよ!! とは正直思ってるし。
 
2018年に『五重塔イベント』が復刻し、そこで新しいエピソードが追加され、再会直後がついに描かれることになったんですが!
会話もろくにしねー、うん、わかる、わかる。
ネコがなにしてんじゃ?! と怒ってる気持ちは死ぬほどよくわかる、というか代弁してくれてありがとうネコ、多分皆同じ気持ちだと思う。
というかもう、文壇史に書かれたことが全てだとはほとんどの案件に対しては思ってないんですが、珍しく「ここに書かれた以上の情報はもうないんだろう、あったとしても書かれたのと同種のエピソードがあるだけだろう」としか言い様がないこの二人に関して、どうするつもりなのか、今後なにか展開があるのか。
いや実際のところ、紅葉先生のが先に世に出てたからファン的反応なのかねぇ? 同題材勝負の時とか露伴先生どうも体調まで壊してたしな、もう突っ込んでいいよね。

Tag: とうらぶ・文アル雑記
(とうらぶ・文アル他、89)