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雑記:とうらぶ・文アル他、97

Last-modified: 2018-05-17 (木) 02:01:28

雑記:とうらぶ・文アル他、97

10月15日めも。

2018年の5月16日です実際には、あと、この日付けで見てたテレビの雑記を超久々に書いたのでなんかタイムマシンに乗った気分になりかかってるけど気のせいです、今日10日分くらい書けたらそれはそれで悪くないものの、なんかもう完全に無理にネタを絞り出しているような風体なので少し間を空けたほうが無難かな、とも思いつつ、まあまあぽちぽちやってく所存、明日また続き書いてもいいしね。
今手元にあって読んでいるのが「大正文学論」と「文壇資料 馬込文学地図」という2冊なんですけども、あと3日で返さないとならないのでまことにローペースです、うーん、トータルで50冊もいけばいいかなって感じだな…。
なんというか手軽に読める本が少なくて、それが図書館に置いてないみたいな状況なんですよね、友人の子牛のところにはだいぶ置いてあるみたいなんだけど。
あ、あまり手軽なやつ、当事者が書いている本は警戒して後回しにしているので(同時代に関しての情報を入れてからって決めてる)、本物の随筆みたいなものはそんなに読んでないし、まあそういう本だとそこそこ所蔵してるのかも。
いやまあ、文壇に関しての本って意味だけどね。
わりとコンスタントに読んでるのが新聞の本ですかね、こないだ1冊、現代につながる暗黒面!!! みたいなものに直面させられましたが、まあまあ、レベルも高いし文章も読みやすいし、いやそこは当たり前か。
 
なんなら暗黒面には直面させられましたが、大変文章は読みやすかったです、読んでいるうちにもうこいつ信用ならねぇな的な気持ちにさせられたけど、ええとそうじゃない、新聞の本はまあわりと好きです、多分肌に合うんだろうな。

10月16日めも。

そういやなんで新聞の本を読んでいるのかというと、毎日(日日)新聞の社長さん、名前が本山だったか山本だったか、いや、どっちの方もいますどっちかが改造の社長さんでどっちかが毎日の社長、あー、本山さんか、本山彦一さんか。
ええと、めっちゃざっくりと、この人が菊池さんに通俗小説書かせたんじゃないのかなー、ということを妄想しているからです。
これは正直なところ本気で妄想であって、証拠みたいなものはほとんど皆無なんですけどね、というかもともとは日日新聞の文化部部長だった薄田泣菫さんという人が書かせたのかな、と思ってたんだけど、どうもあれこれ見ててもそれらしいところがなくてねー、いや、なんかの理由で黙ってるだけかもしれないけど。
というか、どっちかというと作品傾向に関西ですでに展開していた「家庭小説」のルーツをほんのり感じるのでだったらまあ、彼かな、と見当を付けたみたいな感じです、というか昔から彼を調べていたわけではないんだけども(名前は知ってた、というか純粋に新聞の変遷を調べてたのでちょくちょく名前は出してた)。
 
あれです、芥川への弔辞読んだ人の一人って聞いて、いや毎日の社長さんが。
で、思ったよりは接触あったのかなー、と調べてみようとしたものの、なんというか毎日新聞のことからよくわからない、みたいな状態になったのでちまちまと見ています。
正直戦前の歴史を見ているとどう見ても毎日新聞と朝日新聞との両雄という風情だったので、毎日が凋落したのかがわからない(戦後は朝日、読売が二大)。
新聞の歴史っていうと「朝日新聞の歴史」になるのってちょっとねぇ、と言われてたんですが、うん、なんだろうね、まあ情報集めにくいです実際。

10月17日めも。

あと、これは本気でどう進めていいもんやら、というところからよくわからんのですが、日日新聞の薄田泣菫さんと中央公論の瀧田さんてひょっとしてつながってるのかな? ということを思わないでもないんですが、どっちもそこまで詳しく語られてるわけでもないものの経歴のそもそもが文化人なので若干の記録はあって(なんなら帝国大学出てるだけでも文学士って呼ばれてるよ、面白そうだと有名人扱いで記事になる)、多分あれ、上田敏さんの関係じゃないのかなー、と思うんだけど。
どっかしらで紹介された節がみたいな感じで二人とも曖昧に出てくる。
ただ、なにぶんにも研究されたことなんかはないんじゃないかな、多分、泣菫さんは芥川がファンってことで手紙にそれ書いてたりするし、わりと人気の高い詩人だったみたいだからそのままそっちの側面が強かったら研究あったのかもだけど。
(だいたい藤村と同じ時期に名前出てくる詩人です、三番目くらいかな。)
 
瀧田さんのほうはまあ、中央公論の社史を書いた人がざらっと関係した資料を集めてたりするんですが、あれ、私が見たものがない、という感じで結構零れてたので、網羅的にってわけでもないみたい。
いや、単純に有名だから省いたのかもしれないけど、漱石さんの周辺読んでると結構頻繁に出てくるよね瀧田さん。
なんだかんだと原稿を書かせるなんなら色紙とかも書かせるみたいな感じで、木曜会にはちょくちょく押しかけていたようです、松岡さん(新思潮第4次)だとちょっと自信ないけど、芥川や何人かの弟子たちの文章の中には出てくるよね。
あ、そうそう、芥川を溺愛してたってのも出てこなかったんだよな本に。

10月18日めも。

中央公論の瀧田さんが芥川を溺愛してたってのはなんか有名な話だったらしく、特に両方とも知らないんだけどさ、みたいな感じの漱石さんの弟子の人も言及していたような気もします誰だっけ(漱石弟子は真面目にいろいろ記憶混ざってて…)。
というかあれ、何人も触れてたので特に間違いとかではないんでしょうか。
なんか瀧田さんの本に載ってなかったんだよね。
彼本人の残した文章とかには出てこなかったのかもなぁ、芥川の文章にもそんなに親し気とかじゃないけど出てくることもあります、まあ、芥川の文章なんて親しくても親し気に出てこないから別にどうということもないんだけど。
いやそもそも、晩年くらいまで付き合ってたらしい鏡花に関してもろくに文章見付かりませんなんでお互い符号で文章送りあってんの?! となるんだけど親しいことがほとんど証拠に残ってないのだいぶ不思議だよなぁ。
(特定の人のことを干支で呼んだりするので文章がなんのことかわからない、いや、文アル面子なら頑張れば読める頑張れ。)
 
瀧田さんは一応芥川より前に亡くなってるんだけど、追悼特集に芥川の名前がない。
いや、確かもう病気ってほとんど引き籠ってる時期なんだけど、短文くらい寄せてもいいような、となるんだよね。
えーとあれ、菊池さんはいます、というか、名前が出てないだけかもしれないんだけど芥川、いや、あいつ略されることまずないだろ看板にされてること多いし…。
蜜月ではなかったっていう可能性を語って怒られることもないのかなって、ところで菊池さんの名前出したのは文藝春秋以降芥川の庇護者だからよ(同時代の扱い)。

10月19日めも。

ぽちぽち打ち込んで気付いたけど、要するに私は「文士の職場環境」みたいなものを知りたいなと思って新聞調べてるってことになるのかもしれないな、いや、もちろん一番知りたいのは菊池さんですけども、同時代の文士たちに関してもわりと知りたい。
芥川なんかは一応編集者が何人か語ってたりするんですけどね。
どうにも他人の前で喋り倒すような癖があるので(なんていうの、博識と見られたいからとかそういうのに行動は似てるけど、正直それと一緒にするのなんかなぁ、主張しなくたって周囲もかなりそういう面子なんだから知ってる…)、そういうことをしなくて済むような相手には親し気な様子を見せてたのかなーと思わないでもないんだけど。
ぶっちゃけその一人が書斎がないとか言われてたらしく、あの、あの、その、なんでそんな大胆なこと言うんだよ意味わかんねぇな、となってる。
確か新潮社の人じゃなかったっけ、電子書籍にもなっててネットで公開されてる人ですURLどっかやったけど探せるかな…(芥川関係を検索で探すとか無理ゲーだよなどう考えても)。
 
というか、文壇の様子ってのも、明治後期とかは結構詳しく語られてるよね。
一応研究みたいな体裁のところで言及されてるので、ちょくちょく見ますがあれはやっぱり『日本文壇史』辺りが元なのかな。
全ては信用してないけど通史がある分にはないよりずっといいと思ってるんだよね、時系列を転覆させるような新説に正直日常的に悩まされてるので。マジで。
漱石さんの登場くらいからって、どうなのかなぁ、個人の研究に引用や言及されてるの見たことないんだよな、全く信用出来ないだけ、て可能性も、あるかな…。

10月20日めも。

大正の初期くらいから昭和くらいまでの文士の生活の話ってことになるのかないや、新思潮とかが出てきた時期ってことでいいのかな、えーと、新思潮ってのはそもそも菊池、芥川、久米を輩出したのが第4次なんですけどもこれは第3次にも参加してるんだけど確かその時点では創作ほとんどしてないので同人活動においても下積み時代がさしてないんだよな芥川みたいなところまで一気に言うのどうかなと思うんですが。
菊池さんは京大卒業、時事新報の社会部に就職し。
ええとそのあとで中央公論の編集の人がお家に来まして、なんか潰れちゃった雑誌に投稿しようとしていた小説が手元にあったので渡したんだよん、的なあれが『無名作家の日記』なんですけども。
あのあれです、芥川がやたら性格の悪い悪役で出てたので、瀧田さんが青くなって心配してたってやつ。
この作品に関しては「あれはフィクション」ってことを言いきってるらしいんですけども、なんというか、菊池さんと思しき人の感情が生々しすぎてえええ、となった瀧田さんのほうが正常だと思うし。
やったら華々しい存在だった芥川を思わすそういう作品って世にどういうふうに受け取られたのかねってのも気になってるんだけどね、つか、その作品発表してから年複数冊ペースで単行本出してるし…うっわ大出世作。
 
というこれ、正直客観的に見て芥川が中央公論に頼んだんじゃないの? ということ考えるんだけどね、ちょうどよくかなりゴシップ風味の強い傑作が戻ってきたところでって話上手すぎるじゃんちょっと、誰もそういう話しないんかね。

10月21日めも。

大正中期くらいの菊池さんと芥川の話。
前にも多分この話してるんだけど、で、中央公論に載った菊池さんの『無名作家の日記』を芥川がいろいろ一緒に仕事してた日日新聞の泣菫さんにおずおずと見せたらば、なんかほとんど即決みたいに菊池さんも社員として呼ぼうみたいな展開になり。
(芥川を社員にするって話はちょっと前から進展してた。)
これが同僚時代なんだけどね、二人の。
芥川はそれでなんか同時期に進めてた慶応大学の講師の話(なんか進まなかった、帝大だからか有名人だからか)のほうを慶応大学で働いてた小島くんにごめんね別の話が決まっちゃって! みたいな感じで告げてるんだけど、ものすごい浮かれてて正直人の心ないんかいって感じだった。
芥川らしいというのかなんというのか。
 
で、これはまあ前に書いてたので、要するに私が調べてるのはこの毎日≒日日とか中央公論に関してなんだけどね。
ぶっちゃけると瀧田さんや泣菫さんが直接書いててくれないと、まあ情報取れる場所ってあんまりないんだよな、一応最初に菊池さんところに訪ねてったっていう編集の人がその後の瀧田さんとの展開を書いてたり、日日新聞だと泣菫さんの側が芥川の手紙を保管していたりである程度は補足されてたんだけどねー。
これ、あくまで菊池さんの研究の人がそれぞれ調べてくれてるから(多分片方は芥川研究から情報を得て)、掘り返されたって感じだよな、というか、芥川の泣菫さん宛ての手紙を読んだのは繰り返しますが菊池さんテーマの論文です、いえーい。

10月22日めも。

というかそういえば「瀧田さんが芥川を溺愛してる」から「多分なんかしらの形で許可を取られるなり手伝ってるなりしていてほぼ間違いなく存在を把握してるんだろう菊池さんの小説」を「投稿に送った雑誌が潰れてしまい、手元に戻ってきた段階」で瀧田さんに話ししてもそんなに違和感ないって話なんだよね。
まあ、問題はその場合、特に問題なく明言されててもいいはずなんだ。
芥川が友人らを出版社に紹介するとかめっちゃ日常だったし、あとになるともっといい雑誌に紹介するのにー! とか普通に言ってるし。
てか、これだと菊池さんのところに瀧田さんではなく、別の編集者が来て、その後、三人で会食したみたいな流れがわりと明確に示されているというのもまあまあわかるかなっていう感じになる。
そこそんなに重要? となるじゃん、しかも当日の会話とか、ぶっちゃけ一切描かれてない、会話のほうがまだしも意味あるじゃん。なんで編集長ではない人が最初、そしてしばらく作品を書いたのちに改めて編集長が菊池さんを呼んだのかとか、その流れを外側から見たところだけきちんと正確に書き記したのかっていう。
繰り返しますが、当時は別に普通の出来事のはずです、紹介とか。
問題は、その場合に隠す理由もないはずなのにそう説明しているところが全くないってところなんだよね、関係者全員そう言ってないって辺りで、まあなさそう、となるのもわからんでもないんだけども。
 
まあただ、やっぱり芥川が掲載頼んだって可能性もあるかなって思う。
で、下手すると会食の時点でそれバラされてるよね、会話書いてないし全く。

10月23日めも。

中央公論と日日新聞と菊池さんと芥川とかっぱわにの話。
嘘ですかっぱわにはいらないです、可愛いですよねあの子(2018年の2月に来たぬいぐるみを見ながら、いやしかし、ぬいぐるみ注文はもうこの日付くらいにしていたような気もするなんかえらい待った)。
 
前日のまんまの続きで、誰かを紹介することが当時の風潮的にも、というかそのくらい現代でも明治の終わりくらいから(雑誌が出来た頃)普通にあったと思うけども、芥川的にも全く日常的であって特に書き記すことを避ける理由がない場合。
ずっと黙ってるとしたら「菊池さんに隠してた」以外ないような気がするのよね。
芥川が、当の菊池さんに紹介したことを言えなくて隠した。
妄想です、証拠自体は全くない、ただ、よくわからないことが書かれてあってタイミングよすぎて、その後の態度見ててもまあ辻褄合わないことはないかなって、芥川の態度がなんか待ってましたみたいに自分の転職活動と重ねて菊池さん作品を差し出してその後浮かれてて別の就職頼んだ後輩が煤けるほどに話聞いてないって。
(いや、話進んでなかったからしょうがないけど…えええ、なにあれ?! みたいな風情で主に態度にショック受けてた、小島くんです、私的に準レギュラー。)
大正8年くらいまでわりとなんかずっとべたべたしてるんだけど、芥川的には新聞合わないとか不調とか言われてたらしいんだけどちゃんと芥川側で読んでないです、だがしかし、多分時期は間違ってないです菊池さん研究の人が言ってたからね!
さすがに同じ論文で扱ってるので時期勘違いするほうが難しいし。
そういう感じの時期を調べたいんですよね、日日新聞とか中央公論とか。

10月24日めも。

新聞を調べる理由とか出版社を調べる理由とか、菊池さんとかかっぱわにとか間違えた違うよせめて先に芥川書こうよ。
ところでたまにしか言わないですが芥川だけ呼び捨てなのは昔からです、作家認識が強いとなんかこういう呼び方になります太宰とか、作品以外の認識が強い人には歴史人物なんかでもわりと敬称付いてますどっちもわりとなんとなくです。
というか知名度高い昔から知ってる作家以外はやんないです呼び捨て、芥川とか太宰とか三島とか川端とか、好悪とかはあんまり関係ないですそこに関しては。
 
で、日日とか中央公論とか時事新報とか調べたいわけなんですよね。
あと単行本出すのに新潮社とご縁が出来たのかなんなのか『真珠夫人』の頃までにはなんか関係出来てたので出来ればその辺りも、新潮社の誰と仲いいんだか真面目によくわからないんだけどね、二代目社長には大衆雑誌の先行きについて相談されてたよね、商売敵に見えるんだけど菊池さんどの出版社ともそんな感じだしな…。
(そうでないところは潰れました! というか生き残ったところとは仲いいよって話、多分新潮社に仲違いした編集さんはいる中村さん。)
なんでそういう限られた目的があるのに新聞の歴史から読み始めるのかということに関してはあんまり気にしないで下さい、いつものことなので、というか朝日新聞も読売新聞も文士全般に興味があるのならば別に読んでて損はないんだよね。
あと、前から気になってるんだけど芥川、なんで漱石さんのいた朝日じゃなくて商売敵の日日なんだろうね、そこは普通に商売敵です。
そういうのもいつか出会えるのかしら、さっぱりわからん。

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(とうらぶ・文アル他、97)