Top / 雑記:とうらぶ・文アル他、98

雑記:とうらぶ・文アル他、98

Last-modified: 2018-05-18 (金) 03:12:52

雑記:とうらぶ・文アル他、98

10月25日めも。

リアルタイムは2018年5月18日、さっき日付けを越えまして、風呂に入ろうとしたら水しか出なかったので疲弊しているところです、ざざっと入ってしまおうと思ったのに、いやでも、5月でまだしもだったとしか。
(10月の日付けでなに言ってるんだって気もするんだけど、それが目に入るからなおさらぞぞぞっとするんだよ…。)
大変今眠いことになっているので、力尽きるまで打って残りは明日に…。
ここのところ毎日「10日分」ずつ量産して来たところですがついに力尽きたというか、しまった明日中に本も読まないと…。
 
ところで今手元に『大正文学論』というのがあるんですけども、中の一つがさんざん逃げ回っていた芥川晩年についてのネタだったらしく、気付かずに読みました、はい、騙されました心づもりする暇もなく、というか、わりと本腰を入れて逃げていたせいで細かい単語を知らずに芥川の文学論のタイトルを見てあああっ!? と。
なんかあれ、そもそも志賀さんがその論の信奉者だったらしいんですが、物語に筋があってはならん的なそういう感じの論争だったようです。
ただ、その論文の中でもすでに指摘されてましたが志賀さんの『暗夜行路』がすでに物語構造が存在し、ただしなんか心境小説に戻る部分もあり、別に混じり合っているようなこともなく、ぶっちゃけて半端、と。
芥川がなにを考えていたのかはわからん、的なことを言われてましたが、まあ、あの子はあの、江口カンなどの前例があるので、志賀さんのほうがマシかなって本当に思う、作品もちゃんとしてるほうだし…(好みではないけど一定レベルはある)。

10月26日めも。

で、と前日分の雑記の続きのつもりで書き始めてさすがに雑過ぎると反省したところなんですが、えーと、昔からなんか「芥川の醜態は志賀さんのせい」ということを言ってるんだかそうでもないんだか曖昧なあれがぽちぽちあったんですが。
まあ、志賀さんは志賀さんの作品があってスタンスがあって、評論の質としては全く感心しないんだけど芥川の晩年のコマネズミ状態が(ぐるぐる観覧車回してるみたいなあれ)、志賀さんのせいだったかというと…。
前日から跨いで繰り返すんだけども、ちょくちょく変なのに影響されて現代視点で見ても菊池さんやら、漱石さんやらが見たら普通に眉寄せそうなこと言ってるしなぁ。
なんなら婦人雑誌に書いてる久米さんにも嫌われそうな女性蔑視とか身分差別とか。
江口カンは社会主義どうのって言ってるわりには病気差別で白樺の作家さんと衝突したらしいです…、原本の確認取ってないけど江口&芥川コンビって聞いたんで、なんというかそんなデマで誰も作らねぇってなりました、なんというか、労働者に対しての同情通り越して興味すらあるように読めなかったからな…。
 
作品論の一つとしてはまあ別になくもないんじゃない、という範囲の「面白さ」の否定(話の否定って言われてます、あくまで言い換え)という立場で創作してくのも、まあ、経験としてはなくもないと思う。
芥川の文章ってなんか、どう読んでも分解とか分析とか出来ないし、彼が新しい手法に取り組むっていうならそれもそれでありかなって私は思う。
ただ…、なんか、態度が大仰で排他的で気持ち悪い…、志賀さんのことも論文では責めてたけどあの気持ち悪さって芥川のみに原因あるよね、なに考えてたんだろうあれ。

10月27日めも。

芥川の晩年に関してのあれです、本は『大正文学論』、論文って読んでますがスタイルがそんな感じなのでそう呼んでるだけです表題は「「話」のある小説、「話」のない小説」です、まあこの論文でも若干ダメージがあったものの、生の情報得るよりも多分だいぶ軽減されていたんで良かったのかな結果的に。
まあただ、志賀さんの作品や作品論はともかく、批評は真面目にねぇなと思います、芥川への評論はまあ珍しく読んでることは伝わってきたけど、読んではいるな、うん、としか言い様がないです。
白樺箱推しで武者さんもお好きな人があまり読んだことないですって言ってらしたんだけど、ああー、まあ、うん、私も芥川の批評、別の同時代の作家のところでしか読んでないですから多分似たような理由かなと思います。
ただ、プロの作家でそういう評論がないかというとあります、多分どの時代においても結構満遍なくあるので、雑誌が依頼して雑誌が原稿受け取ってたらどうこう言うことでもないよね。
芥川の場合は、読んでないとかの内容じゃないです、感情論でしかない「またなんかの影響受けたんだな」ていう認識です。内容はないので略していいと思います。
ただ、めっちゃ考え深げなイメージが先行していて、正直面倒くさい。
論文においても、芥川のことを責めているような感じはさしてなく、非常に個人的にはこの子は面倒臭い子なんだから、変な影響与えないで欲しかった的な態度だったんじゃないかな、そういうふうに捉えてもそんなに問題ない感じで読めます多分。
 
ある意味でその態度で志賀さん責めても、話半分だよな、自己責任だろうよ。

10月28日めも。

で、と書き始めて、またなってねぇ接続だなと反省するわけですが。
ここで菊池さんです、ちまちまと芥川周囲に志賀さんのせいにしていたり志賀さんのせいでは…ないんだけど、みたいな態度の人がいたりするんですが(探してるんじゃなくてそっち見るからなんか嫌な予感がして芥川の晩年から逃げてたという順番、なんだろうなあの怨念)、菊池さんの場合は多分覚えてないです。
もしくは覚えていても気にしていないです多分。
なんでかというと菊池さんの志賀さんの多分芥川の死のあとくらいに完成した『暗夜行路』(そもそも前半で連載が止まって、何年経ってからか知らないけど出版社違うところでだらっだらと再開してたようです、連載してることが業界の反応からわからないので私も小首傾げることになってます…)に対して。
主人公を助ける女性キャラの人物造形が雑、ていう、なんともな批評を寄せているからです、なんか、雑っていう評論が他にもあったようです。
あと、いつのことか知らないけど天上の作品みたいなのもあったらしいけど(要するに批評も薄い称賛も内容がない)。
なんか伝聞調なんですがこれは松本清張が菊池さんと文藝春秋の2代め社長の本で脈絡なくいきなり語り始めて結論がなかった情報ソースなのでご容赦下さい。
なんか出版社読んでても暗夜行路の雑誌連載への言及から見たことなくて…。
 
菊池さんは純文学を読まないらしい人なので、なんなら友人付き合いしてる後輩のも読まないですたまに言及されてる、志賀さんの作品をちゃんと読んでた時点でファンなんだろうなと、そして内容から、作品以外に含むところがあるとはとても。

10月29日めも。

ざっくり『暗夜行路』に対して私が付け加えるならば(読んでいないんですが、その前提で)、雑、というか、物語的な部分と心境小説としての部分が雑に混在しているということを聞いて思い浮かべるのが中間小説なんだよね。
で、改造って実は中間小説がずっと載ってたんだよね。
賀川豊彦さんて人なんですが、これがまあ、話題になるわ話題になるわ、もう業界全体を引っ掻き回すような大正を代表する売り上げに大論争だったらしいんですが。
改造に書くんならその構造でも、個人的には間違ってはないかな、と思います。
菊池さんの批評に対して志賀さんが「読者は気付かない」って返したらしいのも、ぶっちゃけ実際に改造読者だとそうだったんだろうしな、とは思うし。
ただ、見えるところで言うかそれ? とはしみじみと。
読者レベルに合わすと辻褄よりも勢いってのはわかるしね、どっちかというとそう答えるべきだったんじゃないかと思うんですが、まあ、志賀さんが駆け引きや政治らしいものをほとんど出来なかったらしいのはあちこちで見るのでまあ。
なんか原稿が最高額だったらしいんですけどね、志賀さん。
同じ価格だったのが谷崎らしいんだけどね、谷崎は新年特集などでわりとよく見ました、志賀さんはいるのかいないのかが私にはわかりませんあるいは原稿料が高かったせいなのではないか、新潮が絶対無理ってことは中央公論と文藝春秋と改造しか無理よね。
 
中央公論とはどうも仲違いした様子がちらほら(瀧田さんの性格だと無理もない、新人ピックアップもだいぶ本数大変だし)、文藝春秋には載ってません一覧に名前ないので多分複数対談の末席で一回、改造は断続的で上記の様子、仕事してんのか志賀さん。

10月30日めも。

『暗夜行路』、引き続き。
すごいぶっちゃけると改造のレベルに合わせる場合、物語性を加えるという選択をした場合って身も蓋もないことを言うと売れるべきなんだよね、もう少し言い方を変えると広く世の中に受け入れられるべきだった。
だって数年前の別の天才作家巻き込んだ論争に自分が逆らって、もともと一番高い読者レベルだったのだろう中央公論で連載していたにも関わらず後半になってから読者レベルを低く見積もって、とするならそれ以外に正解になる方法がないじゃない。
 
出版業界サイドから見てると話題になってる作品って他の出版社見ててもなんとなくわかるんだよね、見たことないんです『暗夜行路』、時期がわからないんです。
連載する前の準備してるとまで新潮関係の編集者の本で言い切られてました…。
(話題になっていない場合、ここの時期じゃないなと判断するのは私もやりました、正確に連載時期聞いて首を傾げました、同じく編集もろもろ読んでた子牛も前に連載時期告げたところ首を傾げてました、長期連載ってわかるよな。)
批評が多かった、という意味ではないです前に勘違いされましたが、批評がものすごく多かった改造連載の中間小説の作品は社会現象になる程度に売れました。
連載終わった時期を正確に覚えてないんですが、それから数年経った昭和10年ほどになると比較的名前を聞くようになりました、理由は不明です、それ以前は理由はわかりませんが、頑張らないと見つかりません…武者さんと一緒に行動してて武者さんが新聞の一面になってても名前出てこないとかが昭和3年です。
推論とかは避けます、というかわかりませんなんだろうなこれ!

10月31日めも。

前日の続き、なんかもう雑導入ですみません、しかしなに言っていいやらわかんないのここのやつ、芥川に話が戻り。
晩年にめっちゃ愛想つかされていたらしいです、多分作品論のせいで。
そうして、志賀さんに責任があるような内容な曖昧な恨み言もどきをわりとぽちぽちと見ることになったのも、まあ、志賀さんの作品論そのものが悪いとかではない以上、芥川の関わり方がおかしい部分を志賀さんのせいにしてもな、としか言い様がなく。
しかしその後の彼の連載を見ていると、なんだろうね、そういうスタイルの作品書くのにその前の作品論いらなかったんじゃないかなということは考えてしまうし、しかしやっぱり自由なんだよね、数年で意見変わることもあるし、半端と言われるとはいえ『暗夜行路』は心境小説に行きつ戻りつしてたらしいし。
そういや単純に白樺箱推しの人は『暗夜行路』はフィクション分類だねー、と言及されていたという、確か武者さんのあれを語っていて、普通に出会ってたらこんななんかどす黒い感じのわだかまり持つ必要なかったんだろうなと思わずにいられず。
女性キャラ雑くない?! くらいは思った可能性はあるけど、まあ、なんか主人公を助けるご都合キャラみたいな人ぽいです、まあ、それは文学作品で雑にしないほうがいいんじゃないかなって思うポジションだけど、致命的でもないし。
 
ここまで書いて、菊池さん、メンタル強いのか周囲でぶちぶち恨み言言ってたのを全く聞いてなかったのかその可能性もわりと高い好きなもんしか読まないこの人。
あと、芥川に対して周囲の人間は、どうしてそんなに複雑な気持ちを抱くんだろうなってここまで書いて思いました、志賀さんも多分覚えてしかないよな。

11月1日めも。

雑導入ですが、全てほとんど読んでなくてすみません、芥川の晩年の作品論とやらも相変わらず読めてないですだってその近辺に対してのどす黒いオーラ怖い(漱石さんの弟子読んでてもぶち当たるって真面目になんなの)。
あと、松本清張氏の小説においても、志賀さんがあまりにも謎の登場をしたのでなんかしらの含みがあったんじゃないかと思うんだけど、含みはどこに行けば読めるんだろうかってことがまずわかりません、芥川に関係しているのかどうかもわからん、いや、芥川の晩年に関してのどす黒いオーラは結構なエンカウントで読めるけどね!!
あと菊池さんの経歴読んでると普通に出て来るし芥川。
だからもう、職場同じなので単純に協力者なので、文学論とか心情への推測通すと距離が可変するみたいなんだけども、なんならパーティの返事が同じみたいな括り方を「あんまり関係ないところ」でも読めるので、ややこしい感じですよね。
パーティの返事が同じってのは改造が出来たばっかりで山師扱いされてたんだよんという文章で読んだんですけども、あれは確か雑誌研究の本。
 
すごく要するになんかしらのわだかまりが存在し、私が見てる本なども浸食しているのだろうこと「だけ」はわかるものの、それがどこからどこまで同じわだかまりなのかどうかとかそういうことからよくわからない。
嫌な気分だったらなんか言っておけよその原因ごと、それで、八つ当たりかもしれないけど私は嫌いだ!! くらいのことを言ったほうがのちのち文学史を浸食しないんじゃないかって思わないでもないんだけども私はゲームの話はしてないです。
ただ、リアル【文豪とアルケミスト】だよなぁこれ、とは正直前から思ってる。

11月2日めも。

雑導入で菊池さんの話、ていうか菊池さん、志賀さんのこと多分作家として好きなんですよね実物にはあんまり関わらないようにしてたんじゃねぇかって疑ってるけどだってあのあのあの、ほら。
大正6年のことでした、多分、大正7年かどっちか(あいまい)。
日本一の作家だ的な志賀さん評論が菊池さんの手によって書かれていまして、私はこの評論すごく好きなんですが何とも言えずに優しくて、友人もそれを読んでその上で「でもこれ菊池さんがいい人なんだよね」って言いまして。
私もそう思うんですよね、この評論を書いた人の作品を読んでみたい、絶対素敵な作品を書くと思う、んだけど、果たしてこの評論されている側の人はこういうことメインで書いてるんだろうかいや多分違うよな、と。
旧弊のしきたりでは妾を若い男に寝取られた老人は嘲笑われただろう、しかし妾は自分の愛人である若い男と、若い男との間に妊娠して生んで老人に認知されて財産を得た息子とともに死んだ老人を今も敬っているみたいな作品があって。
(妊娠した時点で老人と妾に性交渉がないので最初から老人は知っての上。)
 
老人笑いものにしないところに感動をしていたんですよね、優しいって。
そこが本題かなーこれ、と思うんだよねそれ読んだだけでも。
ただ、菊池さんの作品は読んでみたいよね、ていうか作家として新人枠だったろう志賀さんへの評論はもう少し表現を手直ししないと迷惑では、となるんだけどね、時事新報の上司は菊池さんのいいところが余すところなく出た評論を載せちゃった気がするんだよね、あと、菊池さんはまあ業界に疎いんだよね、直してあげてよ上司さん。

11月3日めも。

雑導入の志賀さんの話、というか、前日分の雑記の評論を、だいぶあとになって小島くんという個人的には準レギュラーの人がいまして、なぜか志賀さんに見せて知らなかったと言われたという話があるんですが。
菊池さん死後ですほぼ間違いなく、時期が明言されてないけど。
そして志賀さんにその評論を見せたということは『芥川龍之介』という小島くんの本に載ってました、この小島くんは芥川と菊池さんに連れ出されて東京近縁の食べ歩きに付き合っていたらしいです、店員へのチップの額が半端という蕎麦屋の逸話だけ知られてると思うけど食べ歩きだったみたいあれ。
小島くんて人は芥川の弟子として世に知られ、菊池さんの手元にいます最初は喧嘩してたんだけど。社員じゃないのに毎日文藝春秋に来る面子として数えられてた。
小島くんは芥川への本の中ですごいがーがーがーがー文学論みたいなのを語ってますけどももう構造がなってなくてなんかの切り貼りで元ネタの論旨がばらばらだったので割愛です頭良くなかったらしいのは周囲から言われた内容でよくわかります、からかわれてるのを見兼ねて他の人が止めてくれてるけどそれも含めて気付かない…。
文学論はいただけないけど、彼が死ぬまで苦しんだんだろうことはわかる。
 
ただやっぱり、芥川の作品論に関しては弾みだったんだろうな、だから菊池さんも志賀さんもさして気にしないんだろうな、という感じの結論になります。
というか、なんで志賀さんに菊池さんの評論見せた話が芥川への本に載ってんの、そして、菊池さんと知り合いになる前の君がなんでそれ持ってんの、というのはまあわかんないよね、という話になります、永久にわかんないよな、口割らずに行っちゃったし。

Tag: とうらぶ・文アル雑記
(とうらぶ・文アル他、98)