雑記:とうらぶ・文アル他、99 †
11月4日めも。 †
2018年の5月20日です、なんか一日半分くらい打ったのと、かなりだらだらと日付け組していたやつがさっぱりと消えました、あの、なんだろうこのテキスト文書みたいな超簡易なソフトが落ちる現象…。
一時期「ユーザー辞書」の破損を直せば大丈夫と信じていたんですが、一日に数回とか平気で落ちる、数分に一回とかのペースのところまで行っていた日々がまた再燃するのではないかと今恐怖に怯えています。
というかWindows10ではかなり頻繁に起こるみたいなんだけど、なんなんだろう一体、本気で、使いづらいどころの騒ぎではないよなぁ。
えーと、『大正文学論』という本を返して来たところで、冒頭の論文が面白かった記憶はあってものすごく期待したにも関わらず、めっちゃ明確な間違いは文学の外に関してしかない、みたいな感じの桁でした。
作品論て基本的に薄ら茫洋としていてなにが言いたいのかよくわからないな。
いや、経歴露骨間違いみたいなのは私のわかる程度のものはなかったんですけどね、漱石さんが若手だとか旧世代の小説家をめっちゃたくさん集めてリストが存在してたレベルとか、そういうこと触れないんですかね、漱石に特別に見出された選ばれた若手にしか見えないんだけども、と思いながら読んでいる章はありました。
特に悪意はないか、当人近辺から情報を取っている場合、漱石さんが当時朝日新聞の文芸欄を牛耳っていていろんな人呼んでるんだよん、てことを知らなかった可能性もあるんですが、あの、同時期にすでに業界の頂点と扱われていることがある人なので、ああ、なんか、その、伝聞ミスしてないかな、と心配にはなりました、どうなのかな…。
11月5日めも。 †
前日の続き、いやまあ、特に根拠とかがあるわけではないので「これだとだいぶ特別な未来が予定されてる人に見えても無理ないよなぁ…」というところだけで終えたいと思うんですけども極めてぶっちゃけますと、日記などを資料とした場合、別にいいと思うんだよね、日記に他にもたくさんの人が呼ばれていてその中の一人として、みたいなことを書く必要がどこにもない。
というか、わりと同時代には有名だったようなので(漱石さんの朝日新聞に呼ばれた人がそれこそかなりいるので、なんとなく皆知ってる)、それをいちいち日記で解説すべきとかそういうことは全く一切思わないです、うん、ない。
で、特別に言葉掛けられてたり、あとにもチャンスが! とかもなんの誇張もない、間違いも多分可能性は低い。
作家論として書いておくべきかどうかってのもわりと微妙。
ただ、個人的にはものすごい特別な扱いだったことが重ねて主張してあり、同じ立場にあったたくさんの作家が一切書いていないことと、なんとなく気持ちの上での齟齬がどうしてもありましてね。
同じようにずっと粘られていたというと二葉亭四迷さんなんかかなぁ、あとあれ、徳田秋声もかなり難航した組だよね、秋声は名前だけは作家論の中に出てた。
やっぱりこう、書いておいたほうが良かったんじゃないのかな…。
漱石さんて若手にな親切な人で、特に入れ込んでいた人なんてのも結構数が思い出せるので、数回特別視されていたということを身分保障に見えるレベルにまで強調するのは…作品書いてた場合にしてもよかった気がする(連載、書かずに終わりました)。
11月6日めも。 †
前々日分の雑記で、なんかよく考えたら名前を出していないのに、暈した意味がないくらい別の名前とか出してしまっていたんで、あれです、志賀さんの作家論でした。
いやそれ自体は精神世界の話や父親との衝突なんかをメインとしていて全く悪い内容とかではなかったんですけどね、漱石さんがめっちゃ親切だった! が繰り返されすぎていて、なんだろう、どう捉えていいものか…。
いや、これだけの激励のもと、ついに新聞連載を成し遂げたのだ、とかならそこが繰り返されててもいいんだと思います、原因と結果がわかりやすい。
しかしよくよく考えてみると「漱石氏には褒められていたのに」という強調をすることでそれ以降がなかったということの埋め合わせだったのかと考えると少し納得してしまったんですが、ああうん、ちょっくら大々的に世に出るチャンスを失ってしまったんだよな多分、とことを考えると(新聞連載ってなんか結構なことだったらしいし、志賀さんの場合だと十分キャリアの中で早いレベルだと思う)、その可能性は普通にあったのに! と言いたいのはわからないでもないや。
ただ、少しずつ前後が欠けているためなのか、なんかもう、連載なくても確立されているようにも見えるんです…業界での地位が…。
今これ書いてて初めて気づいたけど、漱石さんの親切さしか強調出来るものがないのも、連載が実際なかったと書いてるから問題はないんだ、とはこう、わかるんですけども、あの、なんの前情報もないと、志賀さんがこの前後どうなのか漱石さんの周囲がどうなのか知らないと、なんか、中堅に見えます。
…ていうか自然主義が同じお誘いで中堅扱いされもするからなぁ、ううん…。
11月7日めも。 †
『大正文学論』の話、えーと、有精堂というところの本です、著者名書くと思わぬ検索上位に来ることがあるのでちょっと割愛、気に入った人なんかだとほいほい名前書いてるのは「検索掛かってもいいや、熱意と人気は伝わるだろ!」みたいなマイナスになることはないんじゃないか的な発想です。
批判ちゃあ批判なんだけど、別にそれで直して欲しいとかはないからなぁ、だったらなんで愚痴を繰り返して整理していくのかというと、受け止める側としてどう受け止めたらいいのかをまとめておかないと単純に利便性が下がるからですね。
ただ、著者さんに見られたいとかはない、少しでも関係するところを見ているという類のの人が見てしまったとかだと若干申し訳ない感じではあります。
しかしこうして呟く以上、絶対的に避けたいかっていうとそれも卑怯だしなぁ。
間違えてる場合なんかはまあ仕方ないよね、て所存です、いや私の側の勘違い。
相手がプロならまあそれはいいんじゃないかな、人格の批判などはしたくないですが、相手がやたらと批判してる場合は気楽にやってます、批判の精度が低いなって思ったのは人格とはまた別の問題だしね、反対に言えば善意での間違えみたいなものは正直…多分気にしてないですかね。
気にしててもあー、で終わってる感じ。
だってしょうがないじゃないそんなの、あと、義務ではないのかと思ってるものが欠けてるものはわりとぶちぶち言います。
ただ、それも別に直して欲しいとかではないです、どっちかというともう少しアクセスしやすい総合情報があったらいいんだろうなと思うほうが強いかな。
11月8日めも。 †
『大正文学論』の話、で、なんか別の話で前日分全部埋まっちゃったけど。
いつもの愚痴よりは建設的だ、もう少し端的にまとめたい、えーと、特に面白かったのが佐藤春夫さん扱った章ですかね、あれは、作品論兼ね作家論かな、ご本が出るようでしたら是非読ませていただきたいです、おかげで面白かったはずの冒頭の論文が消えてしまったんですが(あれは、なんだっけマジで、文化論に近かった、良かったのに)。
すごい簡単に言うと「田園の憂鬱」って要するに甘美な特権意識から来る懊悩だよね的な、他になんにもなかったのだ! 的なご意見には賛同していなかったようなのですが著者さん、すごくよくよく考えるとその甘美な憂鬱成分に関してだけは全ての作品に共通していてもいいんじゃないのかなぁ。
いや、からかってるみたいな風情ですけども、崇拝とかとは全く遠いんだけど、著者さんちゃんと佐藤さん好きなんだよね。
なんか大正前期には芸術家こそが特別な身分であって、その甘美なる憂鬱も別に当時の風潮だよねー、と言われたら、かなり酷くていい感じー、大好きー。
えーとお名前書いておこう藤田修一さん、本はないけど論文とか読めるのあるかもしれないしなんかやたらと検索で別の人が出てきて…あれはなんでなのか。
で、あとあれ、青年なんて時代に関わらんと内向的だから内向的な作品がある分には別にいいんじゃないか的なことはなんの流れで語っていたんだったか。
今気づいたけど、あのスタンスの論文が一番レベル高かったの多分偶然じゃなくて、レベル高くないと許されないスタンスだったんだな。
冷笑スタイルの低レベル、ごめん、崇拝スタイル低レベル作品論のがマシだ!!!
11月9日めも。 †
現在2時半くらいとなりまして、深夜の、さすがにどう考えても寝たほうがいいのではと思いながら完全に目が冴えてしまいまして、これだからよくないんだよな、文章ももう少し早い時間に打ち込むほうがいいような気もするし。
いやだって現に身体だるいしさ、寝ろよとしか言い様がないのですが。
ああ、そういや敷布をセットしないと寒いかもしれないんだった、ううう、面倒くさい、身体が動く時間にやっておけば良かった(頭と身体の疲労が釣り合い取れないの正直どうかなって思うよ!)。
ところで前日分の雑記を書いていて佐藤さんの「田園の憂鬱」読んでもいいかなー、と思わないでもなかったんですが、なんだろう、こう、今一つもう一つ。
どうもこう芸術家が超越意識とか持つのって苦手なんですよね。
ただ、芸術家が芸術だけに打ち込むことしか考えられないということが嫌いとかそういうわけではなく、自分にはこれしかないからこれ! とか我が身を削ってとか、それ自体を直接賛美はしないけどそれくらい打ち込めることがあるのは、それだけ価値を信じられるのはいいことかなー、とは思うんですよ。
なんで他人を超越すんの、という一点がどうにも。
そういや本の中で芥川が人間は一行の詩よりも劣る、ということを言っていて、その鼻持ちならない意識は罰を受けたってやり込めてたんですが、なんでまた自分を除けて喋ってるものと思ったのかが私にはさっぱりわからないんですよね。
というか、歴史読んでもそうじゃない、命よりも記録のほうが残ってしまう、だから人は悲しい辛いってならないのかね、そう感じると他人より超越すんの? わからん。
11月10日めも。 †
『大正文学論』のところで章タイトルとか忘れました、いやまあ佐藤さん扱ったの一つだけだし複数あっても多分すぐわかるかなって思うし、藤田修一さんです、覚えておこう、だってああいうの好みだし私。
藤田さんが佐藤さんのことを好きなのは、結局のところ多分そこなんだよね、芸術家偉いってなった自意識可愛いみたいなやつ。
私にはそれ系の気持ちはあんまりないものの、嫌いかというとふーん? で終わってしまうし、自意識過剰可愛いー(*´∀`*) とか言われてたらその話はわりと聞いてみたい、だってそれって自意識過剰とは真逆の極めて外側に向いた感情の在り方だし。
私、内省に入ってるものよりも外界とびしばし通じ合ってるもののほうが好きなんだと思うんですよね、ただ、内省に入ってる人を愛でてる人というのはそこまで含めると立派に守備範囲に入るというか。
佐藤さんが好きだから時代そのものの受容史とか周辺の人間を頑張って調べてったんですよね、あのその、この情報が共有されにくい文学ジャンルで…いいじゃん。
(私に行動似てないかなって思ったけど気付かなかったことにします。)
あと、冷静に考えると権勢欲だのなんだのに突っ走った芸術家よりだいぶマシな結果になりそうじゃないですかどこまで行ってもさ…。
そして実際、青年が内省的ってのはどこまで足掻いても事実なので、なんだろう、佐藤さんに入門して生暖かく見守るモードに移行するかそれかあっさり卒業するのはどうも教育に良さそうな気がしてきたし私は失礼なことを言ってる気がする。
そして一生その自意識が変わらなかったのか、あー、あの、まあありかな…。
11月11日めも。 †
なんかあと3日分になってしまい、仕上げたくなってしまったんですがそれに意味があるかというとないというか、仕上げたら仕上げたでしばらく読み返す癖があるんですよ最新のかその前くらいまでしかだいたい読まないけど。
仕上げるっていうか10日分まとめて書いてまとめてWikiにぺたっ。
うん、ここで寝ます、明日明日…、かっぱわにのぬいぐるみを腹に乗せて、その前に敷布をちゃんとしてから寝よう…。
翌日です昼過ぎです、リアルタイムが2018年の5月20日、日曜日なのでさっきから『なんでも鑑定団』がやっています、あれが始まった時期はもう薄っすらとしか思い出せないんだけど、成人していたものだっけかどうだっけか。
あとかっぱわに(2018年2月中旬到着)は今日も可愛いです、母猫がさっきから話し掛けています、ちょっと中身が少ないのが気になっているらしいんですけども、だからってどうして外科医に預けることになるのかが謎に満ちています。
えーと、『大正文学論』です、私が読みたかったのはタイトルなんだったか全く思い出せないのでこのタイトルは1冊しかなかったので、そのうちまた図書館に行って棚を見てこなきゃならないかなってなってるんですが、そういや佐藤春夫さんの「田園の憂鬱」に対し、田園が書かれてない! という批評はあったものの、田園は舞台であり憂鬱がテーマなので出直して来いって感じに切り捨てられていて気持ちが良かったです、いや、そこが主題なんじゃなくてなんか妙に生温く同時代に迎い入れられたらしいのが本題だったんだけどね、批判はそんなのしかなかったみたいな。
つまり時代にフィットしすぎてて残りにくいことが察することが出来ますね?
11月12日めも。 †
『大正文学論』の話、中で一つ「文藝時代」に関して取り上げていた章があったんですが、あれは、同人誌分類ってことでいいんだろうか、どこかの出版社が手掛けているということがまず挙げられているのに、と思っていたんですが、これ確か認可の問題であってそういやそもそも親元の「文藝春秋」も同人誌だっけ、総合誌にいきなり昇格しちゃったのが大正15年ていうことでいいんだよね多分。
(文芸誌のが下っていう認識があるらしいです、戦中に総合誌から文芸誌への降格が行われたっていう文面くらいしかその例が思い出せないけど、単純に認可が難しいってこともあるみたいだけどね、政治取り扱いまでが可能って意味だし。)
いやそっちじゃなくて、全部疑っているわけでもないものの、横光利一の時代遅れっぷりを滔々と語り尽くしている内容だったので、デビュー数年でよく言われてるやつだよね、当時の人がそれ言うのはともかく、なんでデビューが文藝春秋で一年も経たずに当人が代表格とされているような雑誌を持っていることに触れずに、なんか長年やって来た人がここで落ち目になったみたいな物言いなの?? という意味で、ちょっと内容が正しいのかどうかとか、頭に入らなかったし、なんかそもそも勘違いしていそうなのでそれで無難かなって気もする。
東さんと菊池さんの揉め事に関しての時期くらいしか参考にならないかなー。
芥川が新感覚派に対して非常に冷淡だったことと、なんというか、まともな資料が少ないんだろうなってことと、利一くんはなんか立場を誤解されやすいのかなー、てくらいは参考になるかなぁ。
出版社の人が最後は仕切ってたらしいので、この人が左傾化って言われる理由かな。
11月13日めも。 †
『大正文学論』の「文藝時代」の章の話、あのあれ、佐佐木氏は別格だったのだー!! 的なことが語られていまして、あともう一人いたけどそっち忘れたので割愛で、ただ、信用していないかというと可能性はあるかなと思います、だって、前年デビューとかいう子が多かったし、芥川の後輩なんだっけ佐佐木さん、それだと大正10年くらいまでに世に認められてても別に違和感はない…。
(念のため、掲載があっても世に出てるわけではないらしいからね、ちまちま兼業で書いてて徐々に名前が認められ、出世作があるまでカウントされないぽい、半面「文藝時代」だとガチの掲載初めてとかそういう、なんかいろいろズレてんな。)
ただ、それを語っていただくのにそこの認識がなさそうな人だとなぁ。
ちょっと先輩格だったので、もう特に所属を気にせず動いていたんだよね、という表現にしてくれていたらめっちゃ喜んで読んだのに。
なんというか、全体的に、参考にならないわけではないけど翻訳し直して情報取らないとな、となるので、もうちょっと他でなんとかして欲しいです。
しかし、なんか情報少なさそうなんだよなぁ。
馬込の文士村書いてた人が、左傾化したから解散したんだよ、と言ってたのは、すでに形骸化したのちに左傾化したって捉えたほうが良さそうとはなりました、そう、出版社の人が最後はほとんど面倒見てたとか、具体的な内容は良かったんだよね。
結局これ、なんで形骸化してったんだろ、あと、同じ本の別のところで触れていた前衛芸術の小説における許容っていう側面の論文読みたいんだけどどこで読めるのかしら、文体作るのに難航してたのかしら、そこが知りたいのに…。
Tag: とうらぶ・文アル雑記
(とうらぶ・文アル他、99)
- 雑記:とうらぶ・文アル他、100
- 雑記:とうらぶ・文アル他、101
- 雑記:とうらぶ・文アル他、102
- 雑記:とうらぶ・文アル他、103
- 雑記:とうらぶ・文アル他、69
- 雑記:とうらぶ・文アル他、70
- 雑記:とうらぶ・文アル他、71
- 雑記:とうらぶ・文アル他、72
- 雑記:とうらぶ・文アル他、73
- 雑記:とうらぶ・文アル他、74
- 雑記:とうらぶ・文アル他、75
- 雑記:とうらぶ・文アル他、76
- 雑記:とうらぶ・文アル他、77
- 雑記:とうらぶ・文アル他、78
- 雑記:とうらぶ・文アル他、79
- 雑記:とうらぶ・文アル他、80
- 雑記:とうらぶ・文アル他、81
- 雑記:とうらぶ・文アル他、82
- 雑記:とうらぶ・文アル他、83
- 雑記:とうらぶ・文アル他、84
- 雑記:とうらぶ・文アル他、85
- 雑記:とうらぶ・文アル他、86
- 雑記:とうらぶ・文アル他、87
- 雑記:とうらぶ・文アル他、88
- 雑記:とうらぶ・文アル他、89
- 雑記:とうらぶ・文アル他、90
- 雑記:とうらぶ・文アル他、91
- 雑記:とうらぶ・文アル他、92
- 雑記:とうらぶ・文アル他、93
- 雑記:とうらぶ・文アル他、94
- 雑記:とうらぶ・文アル他、95
- 雑記:とうらぶ・文アル他、96
- 雑記:とうらぶ・文アル他、97
- 雑記:とうらぶ・文アル他、98
- 雑記:とうらぶ・文アル他、99