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雑記:とうらぶその他、47 のバックアップ(No.3)

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雑記:とうらぶその他、47

4月18日めも。

『冶金考古学概論』の読了、本自体はわりと面白かったんですが、ちょっと正直結論にまでは到達していなかったのかな、という雑感。
ていうか冶金って鋳物のことに関してでいいんでしょうか、鍛冶はなんとなく違うような気はしているんだけどもねー。
(大鍛冶/小鍛冶の概念は基本的に金属関係だと半分くらいの場所で見ません、扱ってる人でも「お互いのこと知らなすぎて、本当に一貫した流れだったの?」と触れてるの見たことあるしねー。)
(大鍛冶が冶金ってことでいいのかしら、金属精製と鋳物、になるのかなぁ。)
なにもかも自信がなくてすみません、そもそも金属の歴史って分野があっちこっちに行くから統一意思があるんだかないんだかわかりにくいんですよ…。
 
本の中で気になったのが鉄の加工のために銅を取り除こうとしていたのか、いや、これ逆だったかな…、とにかく銅と鉄の混入だったんですが。
確か鎌倉時代の日本刀って銅が含まれてて、それを試してみたものの特に意味がなかった、強度にもなんにも影響がなかった、と言われていたんですよね。
で、ももまんに聞いてみましたところ砂鉄にはCuないかも、みたいな。
そういや本の中で銅を加工した炉かなんかで鉄も扱っていたらしいと言われてたんですが、ある程度加工の仕方が近いのかな(ど素人なのでそこからわかりません!!)。
どっちかの理由で混ざっていたってことはあるのかなぁ、と、ただ、あくまで単語レベルで飛びついたので今の時点でたいぶ頓珍漢なこと言ってる可能性はあるんだけどねー、で、そうなると次はどこを読むべきか、金属難しい。

4月19日めも。

『完訳フロイス日本史(1』将軍義輝の最期および自由都市堺-織田信長篇1、ルイス・フロイスの読了です、途中正直読んだのを後悔したほどでしたが、というか別にすっ飛ばしてもいいくらいだと思うんですが、阿弥陀像との出会い以降は普通に読めるんじゃないかと思います。
すごく大雑把に「多分嘘は付いてない」。
が、勘違いであってもあとで訂正しない、噂などをそのまま書く、みたいな癖はあるようです。これは多分キリスト教で嘘はいけない、という戒律があるせいじゃないかと思うのですが、微妙に誤魔化す方法とかはあるんだよね…。
中で気になったのが人名が出てくる出てこないの差がかなりあること、仏教をやたらと論破した論破した、と詳細を書いていることがあるわけに、ところどころですぽんとその記録が消え、その宗派がどれだけ悪辣であるか「のみ」書いてあること。
一番激烈に悪口を言われていたのが松永秀久氏と法華宗ではないかと思うんですが(あと名前が出てくるのは一向宗くらい)、この辺りと接触するとなにがあったのかの記録が消滅しますww
一回だけvs法華宗で「たった三語で黙った!」と書いてあったんですが、他で言い負かした時のような詳細記述が全くありませんでした、ていうかあんたら、普通に足利将軍の庇護あるんだよな…みたいな、なに言ったんだろうね、論破出来たかなぁ。
 
などと考えるのも詳細書いてある時のやり方が特に他派との交流なさそうな言い回しだったからなんですけどね、法華宗は「お前ら大概にしろ」と怒られたほどの議論好きだったそうです、いやー、状況証拠しかないけど。あと、松永氏はなにしたのマジ。

4月20日めも。

ねむいです、リアルタイムです、転居がぽちぽちと進んでいる感じで死んだように眠っておりました、で、この家にだけBSがあるのでさっきから見てるのですが(午前2時半くらい)、『プレミアムカフェ 丹下健三-いにしえから天へ地平へ』てのがやってまして、今の人たちにはもう伝わりにくいのかなー、と思わないでもないものの、私ちょっと丹下健三さん苦手だったんですよね、わりと最近まで。
なんというかこう、拝金主義というか成金建築みたいに見えてたんだよね。
(荘厳さが旨っちゅーか、まあ威容を押し出すってのは実際言われてるのよ、で具体的には私の住んでいる地域から目に見える形で「新都庁」があります、あれはなんかこう、やっぱり威圧感あると思う、都庁ロボとか言われてたけど。)
私の母親も現代建築の事実上の祖みたいな存在である、ル・コルビジエが苦手なんですよね、すごく大雑把に言うと四角い建築を始めたみたいな人です。
少なくともそこからそういう建築が世界に広まってったみたいな人ね。
要するにわりとこう、冷たい印象があるからだろうって気もするし、まあ、私はそこに共感は出来ないものの理解出来る。
 
が、建築関係を読み始めてからある時点で「日本の建築家って基本的に強い日本の時代の人だけど、丹下健三だけが敗戦の日本の建築家なんだよね」と言われて、あああ! とものすごい勢いで納得。
すみません、私も強い日本の時代の世代なんだよね、なのでどうしてもシンプルな方向のものに心引かれてしまうんですが、負けている時代だからこそ、強いところを見せたい、と言われてそれがわからんというほどでもないです。うん、申し訳なかった。

4月21日めも。

『信長の城』の読了ですん、とりあえずあれですね、最近私とうらぶのゲームの中でよく大阪城を下りているのですが(なんかそういう設定なんだよ!)、上るんなら岐阜城がいいです、岐阜城、ほとんど現存してないらしいけど山肌を使った多重構造みたいなものすごいSF感でした、偶然にもフロイスさんだったんだけどね。
池がその辺にあるだの、通路を覆うみたいな部分があったりだとか。
あとあれですね、重臣たちは近くに住む必要はなく、直臣は家族で移住すること、などということで揉めていたってのは何度か聞いたことはあったんですが、あー、こういう構造だったのか。
なんというか城下町が発展するための前段階みたいな、進化の過程みたいな説になっていたんですが、流れ的に実に納得。
幾つかの城が同時に取り上げられていたんですが、順番に見るとわかりやすい。
ところで重臣に対比する存在として「直臣」が取り上げられていることがあるんですが、ああうん、個人的に、というかゲームの単語として気になっているんだけどどうなんだろう、必ずしも皆そういう使い方をするわけではない、とは思うんだけど。
 
あれです、馬廻りとか小姓なんかがメインです(親衛隊みたいな存在って最近たまに触れられてますが、小姓と馬廻りはそんなに役が歴然と別れてるわけでもない)、あと諜報関係とかの人なんかで構成されてる集団っぽいんだよね。
なにかを思い出すと思ったらそうか、信長の家臣をメインで本書いてる人だ、お互い研究を読んでいそうな気もするのですが城の構造って家臣の構成によって変化するもんだよね、ちょくちょく発掘も進んでるし、今後も期待したいなぁ。

4月22日めも。

『出雲と大和-古代国家の原像をたずねて』の読了ですねん、とりあえず出雲系が邪馬台国を作ったんじゃないかな!! みたいなのはいまいちかなと思いますが、三輪山に関してはああうん、ああうん、だいぶ古くから出雲系っぽいあれ。
ただ、本拠地が出雲(ええと何県だっけ、島根県だね)で大和の地に都を構えなくてはならないみたいな合理性が全然感じられないんだもんマジで。
三輪山はどんなに離れてても「採掘にいったんだろうな、出雲だし」で納得するんだけどね! 出雲と吉備はそれぞれなんか鉄加工の技術持ってた形跡あるしねー。
ところで私、この本を読んでいて出雲と吉備が国境を接していると言われてええええ?! となってしまったんですが、なんで東半分消えてたんだよ私、三つ(備前、備中、備後)に分割されてたって知ってたじゃない…。
ももまんにも今更?! と驚かれました実にすみません。
というかそういや、出雲のお使いで伊勢に来ましたー(*´∀`*) とか備前の刀工かなんかがやってたような気もするあれなんだったっけ、隣国か、そうか。
 
あ、あと面白かったのが卑弥呼の後継者のように書かれている伊予は別の政権の女性首長じゃないのかなぁ、みたいなのも興味深い。
こないだ読んでいた本で伊予=神后皇后ではないのか、という説があり、なにこの突飛なの? とだけ思っていたんですが、実在しているとすると本当に時期が接近していて、確かにまあ、夫よりよっぽど立派な君主やってるよなぁ、一理ある気がして来た。
ただどの土地で展開するのかという論拠が違うみたいなんですけどねー、細かいことは気にしないでもいいと思う、仮説は否定されるためにあるんだ。

4月23日めも。

『富士山文化-その信仰遺跡を歩く』の読了、とりあえずえっと、そうだな、批判はもう他のレビューでしてしまったので(そもそも数行くらいしかなかったし、そこまで引きずらなくてもいいんだけど「その一群の情報に触れてないの?!」というショックはあったんだ)(要するに修験道の寺院をスルーしていたという、その寺院富士信仰の関係者だよ多分…)、いやなんか、結局触れてますが詳細は省く。
面白かったのがあれですね、もともと江戸の庶民のシンボルは江戸城だったのに、いつの頃からか富士山になったんだよね、みたいな。
その二つが並ぶというのが現代人にはわかりにくい気もするのですが、東京タワーと富士山、みたいに並べるとあら納得。
なにかの風景の隅っこにちょこんと描かれるらしいんですが、そこの扱いの違いにも変遷があるみたいなの。
そもそも江戸の初期には富士山を特別視するみたいな発想がなかったらしいんですけどねー、要するにかなり離れた土地から来たよそ者集団だし仕方ない気もしないでもない、徳川系だと東海だっけか、出身地ですが富士山の記憶は薄い。
 
で、本の中では語られていなかったものの、江戸城は明暦の大火で天主が燃え落ちたはずだし、そもそも東京だと普通に富士山見える土地がちょこちょこあるんですよね(私も渋谷区から見たことあります、駅でぼやっとしてたら見えてびっくりしたw)、やっぱり古い形の富士信仰がなんらかの触媒になったんじゃないのかなぁ。
世界遺産への文化遺産登録もあまりに観光重視になりすぎてしまって申請した県内に拘ってしまって歴史的価値が分断、と言われたらまあうん、まあ。

5月4日めも。

『奈良市史』通史3の読了です、最近ぐたぐたと立て込んでいた、というよりはなんか全体的に文章関係の全てにやる気を失っていて(決まっていたことは済ませたものの)、まあなんとか復活出来そうかなぁ、だいぶ遅いけど、みたいな感じのリアルタイム6月30日です。
パソコンというか、マウスとキーボードの挙動がおかしくなりつつあります。
マウスとキーボードはそんなに複雑なものじゃないし、パソコンだな、そろそろ限界ってことになるのかな…。
 
で、奈良市史通史3巻なんですが、ここに来ると「江戸時代における比較的都市圏から遠くはないものの(江戸と上方が二大拠点)、基本的には一般的な都市、ただしどこの藩にも属してはいない」みたいな若干特殊なだけの都市って感じかなぁ。
もうこの時代になると観光特化していて、その少し前の時点の各種産業の揺り篭というか、幾つかの産業の初期の代表的産品の発祥の土地になっているような雰囲気、あれですね、この近世の前の時代である中世において、寺や神社が「座」や「市」のパトロンになっていたという関係がある以上、奈良に職人がいたのは至極当然。
ただ、近世になると各地に有力な支配者が存在し、その庇護下で産業が発展していくともう価格競争で太刀打ちできない、みたいなことになるわけか。
ある意味で寺社の特権的立場が失われていくのと土地の地位の低下ってのが連動していたと単純化して見てもここはそこまで間違いでもないのかもな。
てか、寺を支えるための土地として扱われていたってことでいいのかなぁ? 藩でもなく直轄地でもなさそうなことだけはわかったんだけども。

5月5日めも。

『あなたの知らない神奈川県の歴史』歴史新書、の読了、です、リアルタイムだと7月13日、なにかやらなくてはならないことがあるのにかなりあれやこれやと放置しているような状態なので特にやらなくてもいいはずのこれからやってます。
あ、さすがに通販とか自治会の集金とかはちゃんとやります…。
それが遅れたのは反省はしているのです、予告したものとか途中のものとかはいろいろあるんだよなぁ、と考えるもなんか数が多くて把握していない。
 
で、本なんですが、さすがに鎌倉幕府が出来たくらいの時点から主に語られ始めているので特になにを言うようなこともなく、続いて室町幕府が京都に戻り、足利政権下で強い自治意識を持ち(この辺の時代が詳しい本があるのならば読んでみたいけども、出来ればある程度まとまってるもので読みたいなぁ、論文みたいなのなら見るんだけど)。
その後、戦国武将の先駆けみたいな存在である北条早雲が来て、その後の江戸時代に関してはわりとこう、小田原藩くらいしかなくてあとは直轄地だったよー、みたいなの、まあ東海道沿いの話みたいなのも楽しいっちゃあ楽しいんだけども、こんなコンパクトにまとめた本ではそこをピックアップしなくてもいいしね。
『もっと知りたい』のほうで触れてくれてるかどうかは気にしておこう。
私はちょくちょく甲州街道なんかの本を読んできているので(こっちも直轄地)、代官が地域の税金を扱うのも常識の範囲内って意識だったんですが、必ずしもそうというわけでもないのかなぁ。
仕方ないんだけど県単位の本だとボリューム違うし、無理やりまとめたみたいな本のほうが面白い傾向はあるかもなぁ。いい内容でした。

5月6日めも。

リアルタイム7月13日引き続き、ところで最近この辺の雑記をざっぱりと書いていないのですがだいたい原稿にかまけて別の文章を書けなくなったとか、途中までやっていたもののシステム上の効率が悪くなってやりたいことが出来なくて途中で放り投げたくなってしまったりとか、だいたい無計画性が先に立っています。
で、一日に何日分もまとめて書いたりしてるんだよね、なんの意味もないです。
最初からそんな特になんの意味もないので気にしないで下さい。
あと、日付がばっさりとすっ飛んでいるのは一部で「ねんどろさん日記。」というのを書いているためです、多分その辺のメニューにあるけど。
それもそれで全然日付が正しくないので、日付を飛ばしながらやっているほうがよっぽど真面目に出来るような気もしないでもないんですけども、まあ気にしないでおきます、あと、各種案件で日付が抜けてるのでどこからどこまでの日付が存在していてしていないのかがさっぱりわからなくなっていたりとかもします。
 
ゲームに関してはとりあえず5月くらいになにやってたかなんてさっぱりぽんと記憶にないので手帳を探しているんですが、手帳がない、なんでや、という以前に手帳にゲームのことが書いてあるんかよ、みたいな感じですがなんとなく書いてます。
わりと忘れてると書いてなかったりもするけど、この時期なにをしていたのか、ということをちまちまと見てましたが多分同人イベントですね。
【極】の発表みたいなものって少し前だった気もするけどいつくらいだったかなぁ、別に特に焦るようなこともなく、適当に淡々とやっていたんじゃないかなぁ、実装が5月17日ってなってるね、さすがにもう記憶がない、書いておいても良かったかな。

5月7日めも。

とりあえず日付が抜けた分のファイリングナンバーとか、もう一つ平行している(つもり)のねんどろ関係の日記とか、新しく作っていくつもりの同人関係のファイルとかどうしようかなみたいなことをわりと延々と考え込んでいます。
なんかね「5月17日めも。」と「5月18日めも。」だけが間がすっぽり抜けて存在しているんですが、これがあれですね、【極(きわめ)】が登場したとか【7-1】が実装されたくらいの頃の日付で、この頃にはまだ真面目にやろうとしていたんだなー、みたいな痕跡ですね。
その後、わりとぽんぽんとついったに書くようになったり、公式コミュニティに書き込みをするようになってってここの雑記に吐き出す必然性みたいなものが薄れたんだな、としみじみと実感しているところです。
なのでまあ、別にここを埋めていかなくてもいいんですが、なんとなくぽちぽちと打っているのはそんなに大した意味はないです。
合理性がある行動はその合理性がなくなったら止めればいいんだけれども、なんとなくやってることはなんとなく破綻し尽すまで続ける、みたいなのが身上です。
 
あと、さすがにこの日付だとゲームの(7月中旬くらいの時期の)ことを書くのが気が引けるので、リアルタイムに近い日付でどんなに間が開いても気にしない方向でまたぽちぽちと打っておこう。
それと、上でも言ってるんですが、自分がやってる二次創作に関してのまとめみたいなものが作りたいので続けられるところまで作る予定です。
それよりも放置してることもたくさんあるんですけどね、たくさん。

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