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ゲーム:刀剣乱舞、その26 のバックアップ(No.5)

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ゲーム:刀剣乱舞、その26

9月21日めも。

『日本刀全集(2 日本刀の時代の見どころ』読了、この本を読んでいて一番「あー…」となったのがあれ、豊臣秀吉がいろんな職人に天下一の称号を与えていたものの、刀鍛冶に対しては特になかったみたいな。
まあ、この時代だと堀川国広がいるので、彼だよね、みたいに言われてましたし、彼の経歴のどっかで引っ掛かって駄目って可能性もあるにはあるんですが。
微妙にね、なんか秀吉って刀が好きな気がしないんだよね。
もともとこの人の立場っていうか、身分考えたらそれも無理もないような気もするんだよなぁ、あれですね、農民って言われてますが、多分足軽というか、半農の地位だと思う、江戸以前はその辺普通に混ざってるしね。
(奥さんのおねさんとが恋愛結婚と言われてますが、彼女が下級武士の家って言われてて、彼女の兄が連雀商人って言ったらまあそういう階層ってほうが自然。)
だからあれだよね、衆道が苦手だったとも言われてるけど、だってあれなんか怖いんだもん…、めっちゃ人死ぬし、仕えてたのは合理的って言われてた織田信長だし。わりと旧式の礼儀とか因習に関しては守ってたと言われてるけど、そりゃ、武士の習いっていうよりこの当時の人はだいたい皆同じだよな。
なんというか、当人の発想も基本的に常道を引っ繰り返すみたいなところがあるし。
刀に関しても見分けるとか得意で業物の孫六(美濃の現代刀)を差してたって聞くし、まあなんか、様式美的な拘りには乗れなかった可能性はあるかなって気もしないでもないんだけど【一期一振】だけ普通に好きなんでわかりにくくなってるんじゃないかな。
 
てか、与太話の雑感だけ語ったみたいな感じになったので以下次号。

9月22日めも。

昨日の『日本刀全集(2 日本刀の時代の見どころ』引き続き、いや前のは内容が無いようですが、てかこの手の日本刀の本で蕨手刀や毛抜形太刀、刀子、直刀、横太刀などときちんと触れてる本って正直始めて読んだのですが、よく考えたらここまで基本的な本で触れてたら個々の他の本でそんなに特に触れることもないかー、と思い直し。
まあしかし、平安時代の刀と自称してる刀が平安末から鎌倉の刀ってのって今までもぽちぽち読んでるんですが、かなり多いよなぁ。
逸話の時代が合わない上、逸話の出所がわからないなんてケースもままあって、刀本体はまあさておいて長いことその言い伝えと共に「きちんと」伝来されてるんだよなぁ。
あとこれ。
【長船派の長光に正応(1822年)以降の年紀があり、左近将監に任じられている。来国俊、了戒、新藤五国光よりも少し時代が先になる、弓馬の戦いから主兵を太刀打ちに置くようになった時代と見られる。あー、これで時代が定められてるのか納得<日本刀全集2、96p。文章は微妙に変えてます】
で、この左近将監は近衛府の従6位、出仕してるよなぁこれ…、びっくり。
 
新刀、新々刀に関してはだいぶ細かくまとまっていてわかりやすかったです、水心子正秀ってねぇ、いつも前提として名前が出てくるんですよね、名前はよく見てたものの実は一度も基本説明読んだことがなかったんだよね…。
今読んでわかることもありますが早めに知っておきたかったことも結構あるなぁ。しかし技術は年代の経過による縦移動でなくて横移動、伝播だよね、年代推定の基準にしてていいのかなぁ、どうもそこが馴染まない(正直贋作の見分け技術だと思うんだよね…)。

9月23日めも。

『新訂 官職要解』読了です、まあ基本的になにしに借りて来たのかというと武器作る部署がどうやって存在してるのかなぁ、みたいな感じの目的だったんですが。
えーと、前にも雑記に一回書いたんですが。
宮内省の十三司に鍛冶(かぬち)、典鋳(いもの)が大蔵省に属してるみたいな感じです、で、この鍛冶のほうが木工省などの大工作業のほうに吸収されたっぽいんだけども、ううん、前に源平の頃に東大寺が燃やされた時には調査の人員の中にいたのは鋳物師だったんだよなぁ、あと、大工を兼ねてるのも鋳物師関係っぽかったんだけど。
その辺の機微みたいなものは正直よくわかりません!
あとそういや、ももまんが調べて来てくれた「東大寺造寺所」っていう部署に関しては特に出てこなかったなぁ、なんかここがお寺作ってるみたいなんですが、国に部署が巻き上げられたみたいです、どこに属したんだろうなぁこれ。
あ、そうそう、大蔵省に「典鋳(いもの)」がいたのは金銀銅鉄を扱い、貨幣を作るためみたいですねー、そういや貨幣っていつ廃止されてたんだっけかな…。
(国内の悪貨発行と規制のいたちごっこで、ついには貨幣価値が崩壊し貨幣が廃止、大陸から貨幣を輸入する形で復活したそうです、この創意工夫の歴史が、こう。)
 
あと、長船長光さんの役職が「左近将監」で従6位で近衛所属。
のちの刀工の受領に関しては、あー、まあ、なんとなくわかりました、介でも守って呼んだりそもそも任地に行かなかったり、なんか全体的にザルかった。
そういや前に中世のお買い物本で読んだ官職売買はあんまり載ってなかったね。
これ自体でどう、というよりは今後資料読む時の参考になるといいなー。

9月24日めも。

『法隆寺-聖徳太子の理想を伝える斑鳩の里』週刊 古寺をゆく01を読了、えーと、あくまでもこれは2巻東大寺、4巻興福寺を読むための前哨みたいな感じで手に取ったんですけどねー。権門寺院よくわかんないし。
本の類がないわけでもないんだけども、なんか方向性が限られてるので単独で通冊になってるほうがいろんな視点があっていいんだよね。
なんていうのかな、一番重要な部分しか取り上げないみたいなあれです。
いろんな寺が含まれてるシリーズだと他の寺に引っ張られて視点が広いんだよね。
(しかしそれが著者さんの好きな寺括りだとまた偏るのさ。)
あくまでも政治的影響に関して知りたい、というのが主旨なので、まあ寺院巡りって意味では邪道だからその傾向そのものに意見したいわけではないのですよ。
でも、例えば建築に関してもそのパトロンの意向、時代の流れ、このあとの影響があったほうが面白いし、仏教美術に関しても背景あるほうが素人には面白いよねー。
なんの話だろうね。
 
あとやっぱり本命じゃない、というよりさすがに法隆寺だと聞くことも多いので正直あんまり得るものがあったわけではないんですが、あるじゃないですか、法隆寺の謎とか「聖徳太子非実在説」とか、昔はトンデモだったんですが最近は地位が上がってるらしいんですが、個人的にはこういう法隆寺に残る個人の意識を見るに付けて(聖徳太子とは限らなくても一人の人物と見るか、非常に性格の近い人って感じだよねぇ)、なんともこう、なんというかこう、ううん。
謎ってのもあれ、途切れず使われてる施設だからなぁ、いつのものかまず不明よね…。

9月25日めも。

『日本の美術196 飛鳥・奈良建築』読了ですぅ、あれだね、今の時点でめっさただの妄想なんですけども、藤原京の段階で「たまたま瓦屋根で都を作った」(モデルにした中国の都市をそのまま真似したらそうなった)、のちに藤原京が膨張、手狭になったってことで次が平城京(奈良)なんですが、この時点から寺を都の中に一緒に作っていくというスタイルが始まったらしいんですがどういうことだろうね。
国分寺の本だと国分寺が作られた頃はまだ瓦屋根なんて宮殿にもなかったよ、ということなので藤原京が例外なんだろうけども、平城京はまたなんていうかこう、前の形式に戻ったってことでいいんでしょうか。
この少しあとに聖武天皇が出てきて、めっちゃ大量に都を作ったり国分寺を作ったり東大寺を作ったりとかいろいろしてるんですが、どうもなんとなくなんだけども、妄想なんだけども「瓦屋根」が全ての事情の源泉にあるような気がしてしょうがない!
あれだよね、平城京の時に藤原京から資材を運んだみたいなことが書かれてたんですが、どうもこれが瓦屋根なのではないかという思いが消えない。
ていうか瓦職工が皇室にも自由に使えなかったんだという気がしてならない。
 
もちろん全ては妄想です。
だがあれ、旧式って要するに伊勢神宮で20年おきに建て替えてるあの高床式だよね、瓦屋根って現代でも利用してるあれだよね、瓦屋根に慣れた人間ってそれ以前の生活に戻れるのかどうか死ぬほど疑問だよね。
ただ、これだと日本の歴史が瓦屋根によって大きく左右されたみたいな話になってすごくおもしろ(ry もとい、切ない感じになるのでただの妄想です。

9月26日めも。

『東大寺-大仏の慈悲に包まれた天平の大寺』週刊 古寺をゆく02を読了、とりあえずこの寺を「京都にあると思ってた!」という複数意見に対してはあるあるという同意をせずにはいられないんですが、多分これ東寺(京都)と混ざってる。
あと南都ってのを奈良(平城京)というところまではそんなに違和感なく受け入られるものの、大和国と言われた時に一応近畿にあるとは思ってたんだけどみたいな。
まあそんなレベルからわりと最近始めた身なのでわりといろいろ新鮮です。
さすがに教養がないって域に達してるような気もしないでもないけど気にしない。
そもそも南都に寺院が出来たのってのは元興寺が最初、ということでいいのかなぁ、藤原京以降の都にはなんだか初期計画の段階から寺を都の側や内部に作るらしいんですけどね、元興寺ってのは飛鳥寺の系譜ってことでいいんだろうか。
飛鳥寺ってのは飛鳥宮の段階で近くにあったんだと思う、多分。
いやすみません、寺ってこう、位置が変わってたり名前が変わったり難し…。
で、その北側に作られたという興福寺は藤原氏の氏寺で、どこの山寺が元なんだかがよくわかんないよ的な、あ、この本ではないです、飛鳥・奈良建築の本ですよ。
そしてさらにこの興福寺が立派だったせいなのか、それに対抗して「俺のほうが豪華」みたいな感じで東大寺が作られたらしいんですが細かい真偽は知らん。
そもそも金鐘山寺という聖武天皇が息子を悼んで作ったという時点ではそんなことしない気もするんだけども、そこから作り変えた段階ではありうるんだろうね!
 
てか、相変わらず寺の中にある仏像ぶっち切っててすみません、大仏は行基(民間出身、どちらかというと怪僧分類)が近江で失敗して、良弁があとを継いだんだよな。

9月27日めも。

遺跡を学ぶ034の『吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓』読了です、そういや私、温羅(うら)伝説って薄っすらと聞いたことがあるかなというレベルだったんですが、これがあれ、桃太郎伝説の元になっていて「黍団子」と吉備の語呂が気になって仕方ないんですが(ももまんが言うには江戸時代にはそういうお土産があったらしいんだよ、でもそんなこと言われても知らないよ!)、まあこの温羅さんが製鉄技術をこの地にもたらしてくれたみたいなことが言われてるそうなのですが。
温羅さんがこの後どうなったのかはわからないんですが、どうなったの…。
なんで鬼扱いされるようになったのか、ものすごく気になるんですけども。
(桃太郎伝説の歴史的検証してる本は実は図書館に並んでるので見たことはあるけど今は読みたくないです、だがしかし、鉄の話でどんぴしゃという気はする!!)
というかそもそもこの本で出てきた古墳は要するに誰が埋められてるのかよくわからんってことでいいんでしょうか、ものすごくでかい石に全面に模様が刻んであり、それを不意打ちで見せられた人が言葉も出ないほどに驚いていたんですが。
いけるいける、あれ、現代人でも「妖魔が封じられているんです」と言われたら「ですよね」と答えるしかないと思う、迫力ありすぎる。
それと墓の中には丹(朱色の染料、墳墓にもたまに使われているものの量は基本的に少ない)が多く使われ、鉄器が少し、土器が少し、みたいな感じでサイズのわりには少ないみたいな感じの認識でいいんでしょうか。
 
ただ、人が不明のわりには90m級でだいぶ大きいんですよね、東国だともっと大きいのあったけど、西国だと下手すると最大級じゃないのかなぁ、不思議。

9月28日めも。

『日本の美術88 銅鐸』読了です、そういや『鉄の考古学』って本と一緒にこの本を電車の中で読んでいたんですが、なぜかやたらと『鉄』の本を読んでいると注目を集めていたのはなんでしょうね、『銅鐸』に持ち変えると視線が逸らされるのw
(多分あれだよね、ゲーム関係なんだろうか違うんだろうか的な。)
まああれなんですけどね、一応両方ゲーム関係のつもりではあるんですが、銅鐸の本は借りてみるまで気付かなかったんですが昭和48年なので出雲での大規模な出土よりも前なんですよね、一応出雲寄りの土地で分布してるんじゃないのかなー、ということは推測されているんですが、本当に国内で作ったのかどうかなんていう議論もあったようで、出雲の近辺で作られたっていうことで今はもうまとまっているのかな?
というか、型を使って複数の銅鐸を作っていたのではって仮説はまだないのか。
仮説というより、溝の深さが変わったりするそうなのでまあ妥当な説だよね。
あと、この本の時点ですでにわかっているのが「逆さに埋められていたのではないか」という部分、ここで出てきていた小銅鐸に関しては、のちの研究で楽器で祭事の道具ではないかというように進展しているみたいな。
ところでこんなに真面目だとさっきまで書いてたブックレビューと見分けが付かん。
 
あれですね、あくまでも出雲関係の資料として青銅と出雲の関係みたいなものが周辺事情からわからないかな、と思いながら手に取ったものの、古代の段階で資料に「なんじゃいこれ、楽器かどうかわからんけど叩くと音は良いね」と書かれていたくらいしか新規の内容はなかったよ仕方ないよ。
ただ、大きな発見の前としてはだいぶ堅実でこの後の研究に生きてるなぁ、とも。

9月29日めも。

考古学選書9『鉄の考古学』読了、です。
ええと。
【『本朝鍛冶考』(1795年刊、鎌田砂妙)伯耆国安綱、備前一文字以下十数工、粟田口久国、吉光等、来父子、備中青江、貞次、相模国行光、正宗、貞宗、広光、助貞、越中義弘、則重、出羽国月山、筑前左定行、大和当麻尻掛、千手院手揆保等。備中鍛冶は国の鉄、相州は鎌倉浜砂鉄を使う、粟田口は宍粟千草出羽鉄なり、皆口伝に存せり】
以上『鉄の考古学』窪田蔵郎の120pからの引用なのですが。
ぽちぽち略ってます、主に目当てだったのは粟田口のところにある「宍粟千草出羽鉄」ってやつなんですけどねー、あと、粟田口出身の刀鍛冶が近江で鉄砲鍛冶に転身したんだよみたいな文章があったものの、なんのことやらよくわからない。
ていうか地味に気になるんだけども、なんで備前のとこに長船ないんだろう。
安綱ってのはあれだよね、「天下五剣」の童子切の人みたいなんですが、最古面子の中に挙げられることもあるんじゃなかったっけか、なんか僕が今見てるのとはだいぶ別の系統の資料見てる風情があるよなぁ。挙げてる刀工の基準もちょっとわからないし。
あと気になるのが備前の刀材料への言及がない、なぜだ、知らなかったのか。
備中より正直産鉄で有名で、備前寄りに鉄取りに行ってるような話を聞いたこともあったので、なんか不思議なんだけどもどの辺の情報だったのかなぁ。
 
うんまあ、文献、考古学、科学と三つ取り扱った感じの鉄の歴史の本は始めてだったので良かったような気がしなくもないんだけども、ばらばらでくっ付いてなかったというか、単語から概念から一つずつ独立していたので悪くはないけど評価もしにくいね…。

9月30日めも。

『特別展 東山御物の美-足利将軍家の至宝』読了ですよー、三井博物館? ええと、三井記念美術館か、わりとあそこは好きです、「ぐるっとパス」を購入した時はいつも行きます、入館料が高いわりにはパスで無料で入れるんだもん…行くだけでかなり元が。
要するに展示目録ですね、区内の施設だと図書館には結構あります目録。
で、ざっくりと刀剣目当てだったんですが、うーん、言及なしか。
あれですね、「東山御物」という表現はそもそも散逸したのちのことではないかな、と言われていたのに納得。確かに。
それと東山文化というと概ね足利8代の義政以降なんですが(日野富子旦那)、この東山御物に関しては3代・義満が収集したものも多く含まれてる、うん、了解。
茶道具がすでにちょいちょいあったんですが、侘茶がこの頃に発祥してるから、そういう意味で辻褄が合うとは思うものの、これ以前にあったという闘茶だと茶道具みたいなものはあるのかないのか(いや今書いてて気になっただけですが)。
闘茶ってのは要するに香道みたいなものでお茶の種類を当てるみたいなゲーム。
いかにもサロン文化っぽい気がするものの、侘茶が現在のスタイルです。
そういやよく考えたら闘茶のある場所だとサロン文化もありえるのかなぁ。
 
というか今思い出すと、本阿弥光悦が俵屋宗達などと組んで歌と水墨画を組み合わせた色紙みたいなもの作ってたんですが、あれってこの辺の時代が発祥かなぁ。
まず大陸から来た水墨画が収録されて、間に日本人だかそうではないかは不明ながら日本で描かれた絵があり、日本人が描いた絵が、というのはわかりやすい。
少なくとも禅宗美術に関しては東山がその源泉って表現でいいような気がする。

Tag: とうらぶ
(ゲーム:刀剣乱舞、その26)