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ゲーム:刀剣乱舞、その34 のバックアップ(No.5)

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ゲーム:刀剣乱舞、その34

12月10日めも。

『日本の美術73 備前鍛冶』読了、昭和47年だと…あんまり西暦換算してもしょうがないような気もしないでもないけど1972年、40年くらい前になるのかな、で、ざっくり読んで参考文献まで目を通したんですが多分この時点では備前伝に関しても結構本があって、今みたいにやたらと情報集めるのに苦労してたわけではないんじゃないかなぁ、図書館でも本なくて大変なんだよね正直。
(美濃伝なんかもあるいは苦労した可能性があるかもしれないんですが、これはかなりしっかりした研究者の人がいてくれたおかけであるいはこの頃よりもわかってるかも。)
ちゅーか、とうらぶのゲームが始まった頃に「古備前」の【鶯丸】が最古みたいな話が出回っていたんですがこれはあれか、古備前の友成が何人かいるという話か、あれだな、鶯丸そのものに古いという情報が全くなかったのでなんのことだかわからなかったんですが、だいたい事情が把握出来たんじゃないかなこれで。
本ではきちんと鶯丸に関しても触れられてるし、前に読んだ『御剣』でも特に古い側に挙げられていなかったものの、確かに古備前の友成が最古ってのも聞いたことあるな。
それもあんまり数見ることがない説なんですけどね、初期刀工を全部網羅的に並べるタイプの著者さんだとちょいちょい見てるな。
うーん、誰がどこを見たからあの伝言ゲームが出来上がったのか、不思議…。
 
で、あとは長船派光忠と親子関係だという長光は複数いるということでほぼ確定しているんですね、建長年間辺りと推定されているとか。
長船の洪水ってのもちょくちょく話を聞いていたものの、機会があったら東大寺の油倉との前後関係を調べてみたいな、あっちもどこかで衰退してるんだよな。

12月11日めも。

『京都 花の名庭散歩-四季折々の美を堪能する古都案内』読了、なんで借りて来たのかというと現在京都の地図っていうか地形を把握したいなー、と思っているのでその一環なのですが、庭に全く興味がないわけではないのですが、私にはなんというかあんまり芸術的感性みたいなものが欠けているのでこう。
主に気になるのが技術的背景、文化的背景みたいな残念なことになります。
どの季節にどの花が美しいのかみたいなこと言われても、どっちかというと美しくない庭と美しい時期の庭と両方見てたほうが「楽しい」って思う性質なんだよね。
というか、どうせなら庭に関しては年間通して見たいみたいなところはあります、そういうコンセプトで作られた庭のほうが好き(ここまでいくと、まあそこまで無粋って言われることもないようにも思うんだけどね)。
京都御所なんてのは挙げられていたものの、基本的にはわりと郊外が多く、五条から七条辺りに掛けてはほとんど紹介されていなかったんだけども、これどっちかというと平安京を作った時点からこの辺にお寺がなかったせいかな?
というより、今地図を見直してみたんですがやっぱり神社はほとんどない。
全くないわけではないんですが、ほとんどが寺院なんだよね。
で、歴史的に聞いたことがあるのが東福寺くらいで、それほどの規模ではない寺がほとんどのように思います、が、関わってる人物なんかは結構な有名人。
 
この本が面白かったとか、名庭巡りをしたくなったか、と言われるとそうでもないものの、普段読んでるのと違う人名や、有名人だけど知らない面が出てきたりする庭の紹介はそんなに悪くはなかったかな、美しいからってだけで残ってるんだろうね。

12月12日めも。

『中世の日記の世界』日本史リブレット50、すごく大雑把に語られていたのはあれですね、中世くらいに日記にある程度定型が出来て、その使用意図はともかくとしてある程度の範囲に公開することが前提とされたのではないか、ということなのですが。
それをぶっ壊す勢いで「台記」があるんだろうな、というのはなんとなく察しが付きました、数年くらい前に拝見したのが私は最初ですが同じ時期に見たある程度歴史好きの諸氏は多いのではないかと思います、すっげえ赤裸々に男色関係について語ってたり○○を殺させたのは自分だヨ、とか言ってたりするあれ。
というか、殺させたとかって別に事実とも限らないのでは、と思ったらば実行犯も男色関係がある人物だったようで、ああうん、話作っても仕方ないわそれ。
藤原頼長さんだっけか、この日記どこでどのように保管されてどのように世に出てきたんでしょうね、子孫の方だったとしたら内容確認した時に躊躇ったりしなかったのかなとかつい余計なことを考えてしまわないでもなかったです。
別に男色関係くらい特に当時は珍しくもないだろうけどさ、だいぶ低い身分まで食ってんぞおい、というか、逆に食われてたことまであるぞ、というのを具体的に書いてるとなるといくらなんでもさすがに珍しいよね!! となるよね。
紙って確かお寺さんなんかでは桐箱に入れてたりするし、どこぞの貴族が箱くれたからその箱の名前で文書の名前が決まりました、みたいな管理の仕方してるような気がするのですが、歴史の荒波を越えた「台記」、すっごい面白い気がする。
 
というか、また台記で話終わっちゃったよ、一日2行とか公的立場になったら改まったとか、衆目の意識とかいろいろ面白い話あったんですよ、どうしても食われるww

12月13日めも。

『中世社会と現代』日本史リブレット033読了、前に「かつて日本は悪銭との戦いに敗れて力尽き、貨幣そのものが断絶した」という歴史を読んだことがあるのですが(規制と規制の隙を突く悪銭との戦いの歴史)、これが正直なところ金属加工系の本で読んだので時代がよくわかっていなかったんですが【本朝十二銭】が古代にあって以降、中世に至っても貨幣はなかったよん、というのが多分端的に事実だと思います。
加工技術あったと思うんだけどなぁ、謎いよなぁ、と不思議がってました、だよね。
この本朝十二銭ってのがあの和同開珎とかあの辺ですな、そしてどんな攻防があったのかは不明ですが日本の職人なら絶対貨幣とか作ったらあかんことして放逐されたりしたと思うんだよね! ともものまんじゅう(人)がろくでもないことを主張していたんですが、どうもそのろくでもない妄想と事実のどっちがマシかわからない。
河内国の辺りにいたという野良鋳物師らはあるいはその時期かもね!
で、そうなると鋳物師が特に蔵人に属してる必要もないような気がするんだけども、他の仕事していたのかなぁ、よくわからん。
源平の頃の東大寺炎上の時点で焼け跡検分していた藤原氏に付き従ってたのはどうもお抱えの鋳物師っぽかったんだけどね、なんでそこにいるの鋳物師、と突っ込んでる正直。
 
それとこの本が面白かったのが【顕密主義】という白河上皇の頃に成立したらしい密教を尊ぶあれなんですが、東大寺炎上ののちに揺らいでると何年くらいだかよくわからん。顕密主義に神祇信仰(伊勢八幡日吉春日とか)を入れると多分「権門寺社」だろうな。
若宮信仰ってのが王子、今宮と同じものだよん、てのは始めて聞いたんだけども、御霊信仰とも同根って言われるとますます、どこから涌いて出たのだこれマジで。

12月14日めも。

そういや私、この日にあれです、友人の子牛と一緒に同人系イベントに行きまして、そのあとで羽田空港に行って【燭台切光忠】の焼け身を見てきました、周囲にこう、ぽちぽちとそれっぽい人たちが…いたように思う。この日が最終日だったんですが、なにかしら関連商品くらい売っててくれればいいのにねー、みたいな話を。
まあうん、いろいろ難しいかやっぱり。
最近イベント会場にいらっしゃるようかん屋さんが上手いことやってるな、と思っております、ちょっとしたことなんだけどもコレクション心をくすぐるというかw
すごくざっくりと確かに焼け方すごく綺麗、もともと備前刀ってのは刀身が黒くてもものまんじゅう(人)に言わせると「マルテンサイトの状態になっているのではないか」というようなことを言われていたのですが(鉄と炭素が混ざり合った状態、急速で冷やすと完全に分離しない)、もしかしたら焼ける時にも上手い方向に働いたのかもなぁ、なんて思いながら見てました。
もう一本あったほうは…あれ、自信ないけど錆び止まってないんじゃないかな、あの状態だと研ぎに出すわけには行かないんだろうけど、下手すると崩れてしまうんじゃないかって心配になっちゃったなぁ。青銅なんかだとあの色で安定なんだけどね。
てか、やっぱりそうだ(>「鉄+青錆+進行」)、大丈夫かなぁあれ。
素人でも知ってることなのでどっかから指摘は受けてると思うんですけどね、ううん。
 
ええと、大和伝の包永「児手柏」か、大和伝は結構肌がざらっとしてる印象なのでその辺があの違いになるのかなぁ。燭台切光忠は刃紋の押形もあったんですが、華やかだったし、だいぶ小さいのもあれって使われて磨り減った刀の特徴だよね、面白かったな。

12月15日めも。

昨日分の日付けのところで一日間違えました「羽田空港に行った」のは13日でしたよ、日曜日で展示の最終日。まあリアルタイムからははるか離れた書き方してるから忘れててもどうということもないんだけどね!
で、この日付けの段階であれが始まりましたプチイベント。
平均レベル30のマップと、平均レベル40のマップで錬度上げしてねー、みたいなあれ、一応曲がりなりにも初日組でトータルでも2ヶ月くらいしか放置してないと思うので(雑記は一応埋めてるけど何度か放り出してます)、まあ、そんなにレベル低くないので要するにあれでした、今レベル上げしたい子がそんなに人数いなかったよ。
【後藤藤四郎】と【物吉貞宗】はレベル1で残してるんですけども、これは錬結要員なんだよー、1日2回なるべく一つずつ上げていくようにしてるんですよ。
まあ数日くらいどうすんだこれ、みたいな感じで睨み合っていたものの、レベル上がりすぎてカンストしかねないかなーという勢を桜付けに回す感じにしました。
あと【青毛】を貰って日本号さんに装備したよ! 【白毛】は御手杵さんが乗ってます蜻蛉切さんはちゃんとした馬に乗ってます格差じゃないよ足が遅いんだよ!!
もう一頭貰ったのなんだっけ、栗毛だっけ黒毛かなんかだっけ。
蛍丸にあげた気がします、蛍丸は普通の馬でもいいと思うんだけどね。
 
が、やっぱり飽きました、うん、検非違使も最近普通にべっちべちやれるしなぁ。
6-4ででも遊ぶか、だがしかし、短刀たち育ててるんで面子が心もとないというか、レベル上がりすぎてて低レベル向けの遊びが楽しめなくて残念なのですよ。
とりあえずももまんにはここで活用して貰うしかない、うん。

12月16日めも。

『日本の美術65 上代の寺院建築』読了、「上代」ってのは鎌倉以前ということで納得しました多分、日本刀で聞いた「上古」ってのも多分似た意味だと思うんだけどこれはちょっと違うかもしれないけどそこまで離れてないと思う! みたいな。
まあ相変わらず手探りで失礼致します、日本史に関しては専門教育受けたことないんだけども、正直、どこのジャンルってのがなさそうなんでこれはこれでありなのかなー、と思うんだけどもたまに基礎知識が欲しくなることは、ある、のでそういえば高校講座見ようと思ってたんだよ忘れてた。
 
そういや私、法隆寺と飛鳥寺が混ざっていたんですが、元興寺の前身って飛鳥寺でした大変失礼しました本当にごめんなさい、法隆寺は移転してないんだすみませんでした…。
ちょくちょく名前変えたり移転したり、移転してから名前変わったりするのでルーツみたいなものがよくわからなくなるんですが、後ろ盾がいる寺が残るかっていうとそんなことはなくて結構ぽんぽん消えるんだよね。
変わりにむしろ権力から離れた寺ががっつり残っていたりするのもなんか不思議だよなぁ、聖徳太子発起の法隆寺も多分この括りだよね。
あ、あと、福岡にある「崇福寺」の記憶がまだ若干残っていたんですが、この本の中に天智天皇御願の近江崇福寺(668年)というのが出てきたのでこれが元寺だよねー、みたいな話になりました。
てか、近江って多分だけど東海道、東山道の合流点として意味があるんだよなぁ、博多の意味も海外からの入り口だから、ある意味で同じニュアンスなのかしら。まだちょっとこの辺は勉強ですね、てか、建築の話全くしてねえwww

12月17日めも。

『趣味どきっ!開け!世界遺産』#2「東寺・平等院・熊野古道」を見ていたのですが一体なにが理由でなのか流し見してしまい、あれだな、多分密教が現世宗教寄りなんだよーん、みたいな側面で話が進んでいたんだと思うんですけどね。
仏教ってまあ一応、大乗仏教なんてのは民衆を救う立場ではあるものの、基本的には修行と自己鍛錬みたいなところがメインだしね。
密教だと加持祈祷とかいろいろあるので、他の本なんですけども(日本史リブレット「中世社会と現代」)、これが権力者によって囲い込まれた、と言われるとなんとなく改めて納得。
あとあれかな、平等院鳳凰堂はよく覚えていなかったんですが、藤原道長が発起人だとあれか、どう考えても権力の真っ只中ですね、本当にありがとうございました。ていうか、わりと国家がどうのというのを越えて個人の意思の反映の予知が出来て来たということになるのかなぁ、よく考えれば神社ってほとんどそういう側面ないしな。
(いや勧請してくるのは現地の人間ですけども、ちょっと違うよね。)
 
で、熊野古道に関しては道に特徴がある、ということなのかな、私はここが修験道? 山岳信仰? などが入り交ざったちょっとよくわからないところなので踏み込んで欲しかったのですが、あくまでも主題が「道」と言われてしまうと確かに道に意味があってそこを歩くことそのものに意味があるってされたんだっけか。
ただこう、全体的になんとなく個人の願いを聞くような次の時代たというか、土台みたいなものとして捉えるほうが意味が通りやすいのかもなぁ、と正直。
てかこのシリーズ、信仰の段階みたいな側面扱うの? 侮れないね…。

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