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ゲーム:刀剣乱舞、その35 のバックアップ(No.3)

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ゲーム:刀剣乱舞、その35

12月20日めも。

『出雲国風土記と古代遺跡』日本史リブレット013読了ですの、まあ書いてるのは新年明けての1月2日ですが、読み終わったのは12月の半ばくらい? しばらく文章書くみたいな機能が死んでいました。
すごく大雑把に、えーと、多分最初に銅鐸の大量発見があったのかな。
どうも昔から出雲系の土地に銅鐸が存在しているのではないか、というようには目されてはいたものの正直「これ」がなんだかわからない、というわりと重いハンデが存在していたので推測するくらいしかなく。
で、確かだけど出雲自体からは見付かったことなかったんじゃないのかな。
見付かったら見付かったで、いまだかつてないほどに大量、積み重ねられてなんか出荷前みたいな勢いで同じ型から抜き出したみたいなものまで一気に出てきた、みたいなそんな顛末だったんじゃなかったかな。
そのあとに銅剣が見付かって(どっちも偶然だったはずだけど、前の発見があったら出てきた時点であー、という納得くらいはあったろうね)、で、その辺で真面目にひょっとしたら出雲にも文明あったんじゃない?! みたいなノリで探し出されたのが出雲大社のとこにあったという「異様にぶっとい柱の跡」なんじゃないかなー、と思ってるけどなんか間違ってるかもしれません、順番はこれでいいような気もするけども。
これ書いてたらどうしても気付くんだけど、出雲大社に痕跡あったんならもっと早くに気付けても良かったよねー、要するに存在ごと舐め腐っていたので見つけられなかった、みたいな話なんでしょうね。
 
で、なんだ、でも「風土記」なんだよ本は、ようやっと真面目に分析かぁ…うん。

12月21日めも。

『日本の美術6 刀剣』佐藤寒山・編、で読了でーす、いつも著者名を削っているのは入れてしまうと検索で出てきてしまうという理由があるんですが、出てきても気にしない! というすごく古いものや決まった著者さんの場合はこんな感じで。こんな感じで。
ええと、以下読んでた当時のついーと。
「64p、大典太 光世の項目で童子斬安綱、三日月宗近、一期一振吉光、数珠丸恒次とともに天下五剣と呼ばれた(前後若干の略)。とある出典はなし、佐藤寒山氏は刀剣業界では重要人物。前にも一回一期一振が天下五剣に入ってるの見たことあるな」
 
てか、そもそも時代で違ったとかも見たことあるんですけども、なにに載ってるのとか、そもそもこの「天下五剣」ってなんよ、とかがよくわからない。
まあきちんと数えてみると5振り以上あったよん、みたいなこともよくあるのでそんなに気にするものでもないのかもしれないですけどねー。
あと面白かったのが【平野藤四郎】について、ああ、やっぱり藤四郎吉光の最高作って言われてるの平野なんだね(一期一振は別カテゴリみたいなところあるし)。
てか、徳川家に差し出した「享保名物帳」では【厚藤四郎】が最上位だったっての、なんかこう、なんだろう、前田家のほうが安全だと思ったんじゃなかろうな…。
それと【山姥切国広】に関して載ってたのは他にもあったんですが、こっちのほうが詳しいんじゃないのかなぁ、まあ、いわゆる本歌? の刀見たことないんだけどねー、これも刀工最高の出来って言われてるのか、ややこしい立場だよなぁ正直。
あと巻末に前から言っていた三条宗近と藤四郎吉光の刀は特に悪意のない贋作があるよ、というのがはっきり載ってました。まあ、そうだわな、3百振りだしな。

12月22日めも。

『石造物が語る中世職能集団』日本史リブレット029読了、あれですね、東大寺の炎上(源平)の後の復興事業のために大陸からやってきた伊行末? だっけか、石工集団がいまして、だいたいそういう近辺の話だったんですが、これが鎌倉の要するに初中期くらいから鎌倉末くらいまでに活躍して、その後消えてしまった、らしいんですが。
どっかで聞いたよね、これ、多分若干始まった時期は早いんですが、刀工の粟田口派がだいたいこんな感じだよなぁ。
てか、そこで作られてるものがどうも独占事業っぽかった上(中央で活躍しているのを伊派、鎌倉や箱根の東国で活動しているのを大蔵派って言うらしい)、その後の日本の意匠の中にも見事に取り込まれているのでなんというか消滅したようにも見えない。
要するにどういう変化をしたのかなぁ、と読みながら考えていたんですが、あるいはこの辺は石造物の歴史そのものを辿れば出てくるのかもねぇ。
 
本の中では中国のどの地域の出身であるのか、どうも僧侶がよく留学していた地域とは違うっぽいなとか、そういう感じのところにも触れていたものの、要するに日本に渡って来たのはあくまで大陸の技術の一系統であり、日本に渡って来てからしばらく経ってのちに日本ナイズされていった、と受け取ればいいんじゃないのかなこれ。
私はどっちかというと中世というそもそも職人そのものが(実はこれ、今と意味違うらしいんだけどね)現れた時代の職人のあり方みたいなところが読みたくて手に取ったものの、「また東大寺か!」というのは否めないし、なんで分派が大蔵派なんだよ、それ日本の省庁の名前だろ!! みたいなところも気になります。気になるよね?!
てか、石工ががっつり作品に名前残すんだよね、地位や考え方も知りたいなぁ。

12月23日めも。

『趣味どきっ!開け!世界遺産』#4「金閣寺・銀閣寺」、で、NHKのEテレにて放送中(てか、地味にこのEテレって言い方が通じなくて結局教育テレビって言う嵌めになるんですけどね、どういう意味だろEテレって)。
ええと、さっきまで第6回を放送してました。
そうそう、この放送のまとめが微妙に書き辛いのもちょっと別の事情で毎週火曜日を費やしていたせいか、で、第5回が石見銀山と醍醐寺、第6回が富士山で、第6回は来週に再放送があるのでもう1回見れるかな。
一応第5回も2度見てるのでなんとかなるとは思うのですけどもねー。
 
で、正直なところあんまり放送をきちんと覚えていなかったので、こっちの柔らかめの内容でもいいほうを先に書いて、ブログ用のものをあとにしようかなと思っていたものの、なんとなく金閣寺や銀閣寺のデータを見ているうちに薄らぼんやりと思い出せたのでそちらに転用しまして、とりあえず3代将軍義満と8代将軍義政が祖父と孫だったかどうかを確認していたのですが、あ、やっぱり勘違いじゃないな。
てか、6代義教の時点でまだ親子だったのか。
要するに兄弟相続が4代、5代、7代とで行われたって意味だよね、本当にヤバいな足利将軍家。まああれ、どっかで年数を稼いだのかなー、とは思うんですけどね。
でも初代から3代くらいまでの間、南朝の存在もあって安定してなかったんだっけか。
あと、今まで結構銀閣寺は「書院造」に関してメインで触れられていることを多く見ていたように思うんですが、確か庭作りだったんだっけか。まあ、建築の本見てもそこまで重要視されてなかったようだしなぁ、ちょくちょく重点って変わるのね。

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