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雑記:とうらぶその他、48 のバックアップ(No.2)

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雑記:とうらぶその他、48

5月8日めも。

『もっと知りたい神奈川県の歴史』歴史新書、読了ですの、あと少しで図書館が来るのでちまちまと急いでる感じではあります、別にこれ書かずに返してもいいんだけど、手元にないと書くのがめっちゃ精神的に億劫になるとかありますよね。
で、今年は全然本を読んでないなぁ、という感覚だったんですが、この本で一応41冊めです、シビアに読む量を設定しすぎてたからコンスタントに読む気がなくなっていたんだよなぁ、としばしの反省。
 
で、まあ要するに大雑把に歴史の舞台に登場するのは鎌倉幕府がぶっ千切りであって、それ以降も微妙に重要な地点ではあり続けるんだけども、近代史以降は結局のところ大型船舶の港としての意味が大きいのかなぁ。
すごく大雑把に言うと自然湊とは有利となる条件が違い、船舶が大きくなるってのは遠くから運んでくることが出来るって意味なんだよね。
この前に読んだ『あなたの知らない』の神奈川県の本でもそうなんだけども、江戸時代の話ももうちょっと知りたいんだよなぁ。
要するに鎌倉幕府の地として、かなり心理的にリスペクトしてた徳川政権がどのように扱っていたか、だとか東海道を支えるに当たっての負担や争いとかね。
この本の中でも何個か出てきていたんですが、地域ごとの争いが本当に延々と続くってのが今まで読んだ東海道の歴史の印象だなぁ。
その争いがやたらと揉めた幕末以降の神奈川県の成立くらいまでの時期に反映されてるような気もするものの、微妙に敷居が高い研究書に近い体裁の本でしか読めないんだよね、『江戸300藩』の番外みたいな感じで見たいなーww

5月9日めも。

『今昔:鉄と鋳物-日本刀・茶釜・大仏・鐘めぐり』の読了、てか、この本を読んでいる時点でだっけ、鉄鉱石を扱っているところで鉄と混ざって銅が存在していたり、銅と鉄をどうも同じ鋳型? あれ違ったっけかな、まあ同じ道具を使っていたりすることが気になっていて、友人のもものまんじゅうに聞いてみたんですが、「砂鉄には銅は含まれてないぽいぽい」と言われたんでちょっと興奮していたんですよね。
あれ、鎌倉時代の刀にはなんでか銅が含まれてるらしいんで。
で、実際に試してみた人もいたんですが品質の向上には何の役にも立たなかったらしいみたいな(ただ、特に劣化したというわけでもないんじゃないかなぁ、正直、この本読んでてもそんな感じだった)。
あと、別の本で出てきていたんですが日本刀は砂鉄から作った鋼でないと作れないらしく、どうも実際の刀工の方たちもなぜそうなるのかがわかっていないようで。
というか少なくとも銅が意図的に混入されたわけではないのだとしたら、なんらかの呪いか制作上の事情か、それかもともと混ざっていたのかどれかだと思うんだよね。
「のろい」ではないよ?! まじないっすね(同じ字なんだよなぁこれ)。
日本だとあんまり見ないですけども、中国だとちょいちょい生け贄とかの話あるよね、次期っていうか時代が違うせいもあるのかなぁ。
(んで、生け贄ならともかく、強度に関係しない金属の混入くらい別にありえないってほどでもないだろうみたいな。)
 
この辺の話、誰か検証してないのかなぁ、鎌倉の刀は今は全く再現出来てないってのがそもそも鉄材料の部分が違うっての、検証されてたら面白いと思うんですけどね。

5月10日めも。

『完訳フロイス日本史(2』信長とフロイス-織田信長篇1の読了っす、で、信長氏が出てきたのってこの巻でいいんだっけか、なんか空中楼閣みたいなえらい構造してて「そんなことあるかよwww」って言われてたって城郭研究者さんの本で笑われていたのってここで良かったんでしたっけか。
レビューサイトでも言われてたんですが、地味に気になる呼称の違い。
信長氏の場合はなんでかずっと信長呼びなんですよね、呼び捨て。
これが好意なのか悪意なのか軽視なのかなんなのかは正直よくわかんないなぁ、松永秀久とか基本的にかなり嫌ってるように思うんですが、ずっと地位名呼びなんだよね、ぶっちゃけ信長氏とどこがどの程度違うのかとかよくわからん。
そこまで好意的ではなかったように思うんだけどね、というか、フロイスさんの言動で少なくとも信長さんに気に入られた可能性は低そうだしなぁ。
あ、でもロレンソ修道士は最高でした、ロレンソさんめっちゃいい(*´∀`*)
ロレンソ→フロイスの順番で喋られるとかなり見劣りするので逆のほうがいいんではないのかな、と思ってしまったものの、ロレンソさんは日本人なのね。
この人だとだいぶ気に入られるんじゃないかなぁ、と思ってたらば、実際そのあとも信長さんが機嫌損ねるたんびに老骨に鞭打って出向いてたしねー。
ここまでの人物だとなんかしらの前身があるように思うんだけど詳細不明だったな。
 
あとはなんだっけか、微妙にフロイスさんは事態の中心にいるわけではなさそうなんですが、聞いてる情報はそこそこの精度なんじゃないのかなぁ。
でも、伝聞と自分で見たことの区別がなってなくて信用していいかわかんないww

5月11日めも。

放送大学の『日本古代中世史 '11』#1「古代中世史を考える」の講義を見たのですが、いつだったかなぁ(現在リアルタイムだと7月20日)、4月末くらいに放送していたらしいのであるいはこの日付くらいの頃だったのかも。
ちょくちょくこのチャンネルは見てはいるものの、かなりの勢いで気が削がれるのでなかなかまともに最後まで見れることが少ない、という。
本で読むのは苦手ではないんですけどね、若い頃だったら聞けてたかしら。
それともあるいは年齢による集中力の欠如というか、ながら聞き出来るほどの理解力がもうないか、いやでも昔からだったかなぁ、とか余計なことをいろいろいろいろと。
 
すごく大雑把にこの回は「時代により自然形成されていったはず」の博多近辺についての内容だったんですが、一応大宰府なんかは古代の都と同じ構造って考えてもいいんじゃないか、と思えないでもないものの、一旦その機能が衰えてったあと、ということだと確かにそんな感じか。
あと、古代中世史というのは古代→中世の連続性に触れるという新しい軸で作られた視点だということなのですが、それで初回に出てくるのが博多って。
チャレンジャーだよね五味さん! まあ好きなんですけどね、五味さん。
監修して下さったご本はいつも大変楽しく読んでおります、でもご当人の選ぶテーマがいつも隅っこすぎてわりと人よりも隅っこ寄りの私もたまに付いて行けてない、まあだからこそこの冷静な視点を保てているのかと思うと頼もしくもありますが。
防衛に特化した博多近辺の古代から中世の流れってのはこの後研究進んだんでしょうか、出来たらそういうの読みたいなぁ。

5月12日めも。

前日分日付に続きまして『日本古代中世史 '11』#2「列島の原始から倭国へ」を見たのですが、今のところ全然記憶が蘇って来てません、なにしろ見てから2ヶ月くらい経ってるしな!!
わずかな記憶は特に目新しいものないなー、だったんですが、よく考えてみれば前回の博多は中世まで至らないとはいえあまり見慣れない長いスパンで変化を取り扱っていたものの、さすがに今更古代遺跡と中国の歴史書の突合せ(放送大学のページを開きながら)で目新しいことなんてそうそうないよな!! という結論にならざるをえないっていうか、そもそもこの講義、2011年のものだしね…多分私の読んでる本のほうが幾つか実際に新しいこともあるだろしうなぁ。
 
で、ええと吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の候補地だったっけか(北九州の候補地ですね、実際結構な規模の都市があるのは単純に事実)、岩宿遺跡…はなんだっけ、十五文字の文字が刻まれたかなり露骨に格の高い剣が出てきてなんで東国に?! みたいなこと言われてたところだっけ、いやごめん違った。確か読んでるけど記憶ががが。
三内丸山遺跡、は確かきちんと読んだことないんだよなぁ。
今度きちんと読んでみるか、遺跡としては有名ですよね、この三つってどれも。
それこそ番組見ながらぽちぽち打ってれば良かったように思いますが、今書き出してて気付いたけど近畿は名前が挙げられてないんだな、てことは番組内で語られていたのは多分ですが大和政権により、その他地方の政権が少しずつ統制されていくみたいな流れかなぁ、いやでも三内丸山遺跡は青森だし、大和政権下に入ったのだいぶ遅いよねぇ。
むしろそのためにこの並びなんだろうか、いやすみません、思い出せてないな!!

5月13日めも。

リアルタイムで7月20日、先ほど友人らと(ついったで)話していて、私が振袖火事と明暦の大火を別のものとして認識してしまっていて、あれー? と思ったらば「八百屋お七火事」と振袖火事がごっちゃになっていて、明暦の大火→振袖火事の順番になっていた模様です。
ごめんね子牛!! ありがとうももまん!!(なにを間違えたのかを検証してるの付き合ってくれてたんだ)
 
で、こないだ子牛と話していたんですが、そもそも新刀の隆盛のきっかけになったのが明暦の大火(振袖火事、一応書いておこう…)だったという説があるらしく、結構な数の刀が燃えたために必要になったと言われたらまあ確かにそうだろうな。
それと言われて気付いたんですが『享保名物帳』ってなんか微妙に半端な時期に作られているんですよね、初期でもないし中期でもないというか、単純に将軍の趣味なのかな、と思ってあんまり気にしてなかったんですが、明暦の大火ののちに刀匠がぽこぽこと誕生し、その整理のために作られたのがこの名物帳だと考えるとちょうどいい感じの間隔なんだよね。
他に各国(藩というか国)の刀工の把握なんてのもされていたと思うんですが、将軍の気質ももちろんあったにしろ、新刀の隆盛が先にあった、と考えても多分そんなに問題はないんじゃないかなぁ。
てか、有名どころの刀工って時期がやたらと固まってたりするんだよね、その時期を尚武の意識の高まりみたいに説明されて一旦信じていたものの、明暦の大火って言われたほうが正直よっぽどすっきりするよなぁ。いろいろ面白いもんだよね。

5月14日めも。

前々日分からの引き続きで『日本古代中世史 '11』#3「飛鳥の王権から律令国家へ」を見ていたのですが(見終わってわりとすぐに書いてます)、うん、まあこれも特に目新しいものがあるわけでもなく、というかあくまで2011年の講義なんだからそんなにぽんぽん新説出てこないよね! みたいに考え直してはいるのですが。
この講義の中で出てきた飛鳥の宮周辺の建物に微妙に瓦が使われているぽいのが地味に気になるんですが、定説では藤原京で始めて「寺院以外」に瓦が使用されたみたいなこと言われてるはずだよねぇ。
とはいえ、遺跡かなにかが出てきたった可能性がないでもないしなぁ。
なにしろ読んでる時間スパンが長いのでなんともいえない。
飛鳥の地にちまちまちまちまと歴代…なんて言うんだっけ? 大君? まあ後の天皇の宮が作られてった結果、比較的網羅的に土地が整備されてったと認識してもいいのかなぁ、で、そこに見えていた瓦の建物は実は寺院ってことでもいいわけだし。
なんかすっきりしてないけどね!!
 
ざっくりと隋に「日の出る処の太子」という手紙を送ったとかその前後でごちゃごちゃと勢力範囲が変わってたとか、朝鮮半島とのつながりが絶たれ、大陸と半島が手を結んで攻め込んで来るかも?! と戦々恐々としたりとか。
あ、たまに聞いてるんですが地味に覚えられません、てか面白くない。
法律(大宝律令)が出来たんならその実施の如何、貨幣が出来たのならばその過程と体制と流通の如何、都が出来たのならばその働きに関してが聞きたい!! のが性癖なのでなんとも言えませんが、まあいい、その手の本読むのに参考にしよう。

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