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雑記:とうらぶその他、54 のバックアップソース(No.2)

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*雑記:とうらぶその他、54 [#e1d162c4]

***8月16日めも。 [#c73e8d94]

『日本古代中世史 '11』#9「中世のはじまりと院政というシステム」、の放送大学、あれま、やばい、この前の回の第8回をなんとなく薄っすら見たような記憶がないでもないんだけどもほとんど全く記憶に残ってないな!?
みたいなことになったんでなんとなくの記憶ででっちあげる予定です。
いつものことなんですがそれでなんの意味があるのかとかそういう正しいことは気にしないで下さい、実際ちまちまと記憶が戻ってるとかちゃんとした説明も出来ないわけではないんですけども基本的にはただの趣味です。
 
で、この回で説明されていたのでせっかくなので参考にさせていただきたいんですが院政を行っていたのが白河→後白河→鳥羽→後鳥羽で良かったでしたっけか。
そういやこの天皇のお名前って普通に地名なんですね、醍醐天皇の時に醍醐寺の方が「うちの寺が名前の元ネタなんですよ(*´∀`*)」と言ってまじかぁぁ?! とびびった方はとても多かったと思うんだよね、てことは他も地名でいいのかあれ。
それで今、白河天皇で良かったっけか? と思って検索してみたんですが、あれだね、天皇位そのものはもっと間にいろんな人が挟まっているので上皇として政治を行ったラインナップのことなのかもなぁ。
他のところでは「治天の君」って言われてたんですけどね、そこそこわかりやすい。
しかしまあ、見事に人名とかぐだぐだだけで済んでますが要するに荘園制になると天皇の税収がなくなるからまず荘園の回収をし、さらにそれをばら撒いたんだよ、ということが説明されていたんですが、そこからなぜか武士が出てきてたんですが。
院政と武士ってやっぱりセットでいいんだろうか、もうちょっとまともなの書こう。


***8月17日めも。 [#if396bd7]

『日本古代中世史 '11』#8「受領と武士」、です、だいぶ前に見たままで忘れてたということを忘れてました、ええ。
で、この受領ってのは要するにあれ、国司の長官とか次官とか補佐官とかその辺の地位でいいんですよね確か、この地位がわりといい金になるのでぐるぐると公家の中で恩賞として与えられていた節があって特に任地に出向いたりしなかったよ、ということが語られているのはわりとこの講義とは関係ないんですが。
この回で聞いた記憶だと、要するに上官があっさり変化していっても特に運営に問題がなかった、ということはその時点で独立性が強いってことになるのかなぁ、とようやく。
この次の講義の9回でも触れられてましたが下司(げす)だっけか、国司の中に要するにもともとの土地の支配者であって、実際の税収そのものを請け負っていたような層がいて、それがつまり武士になったんだよーん、みたいな。
荘園が先にあって武力のある武士と結び付いたという説明も聞いたことがあるのですが(まあ下司からシフトしたってのはそんなに外してない気もする)、まあ、一律ではないってことでいいのかな。
 
わりと高貴な血筋の武士ってのもいるわけなんですがもちろん、それも土地の勢力があってこそ迎えられたって認識でいいのかなぁ。
この時代の前までは正規の武力っていうと北面の武士とか検非違使とかで聞いてた気もするんですがその辺の勢力はどうなっちゃったんだろう? などなど、今の時点で滑らかにつながるとは言いがたいんですが、そこに関してはまたおいおいだなー。
しかし、この回見てた時は国司から武士が生まれた認識なかったよな、不思議…。


***8月18日めも。 [#d4169e2c]

『京都・国宝浪漫』#24 1200年の輝き・不滅の法灯 比叡山延暦寺の録画を(リアルタイムでも一度見ているので)、今見ているのですが。
あれですね、まずネット検索をしようとすると【比叡山 焼き討ち】という検索候補が出てくるということで有名なのですが、この番組を見るまでに京都の北に位置しているとはさっぱり認識してませんでした。
で、たまにお名前を見る三井寺(園城寺)さんがこの山の麓にありまして、いやまあそこは滋賀らしいんですけどね、かつても近江だったんですかね。
昔と今って地域区分違うこともたまにあるんだもんわからんよー。
 
で、あとは僧兵をたくさん有してまして興福寺(奈良の東大寺のお隣さん)と京都の清水寺を取り合ってガチ喧嘩してたり。
足利将軍に対しての強訴に三井寺さんが付き合わなかったので同じ天台宗なのに許せんって襲撃して、さすがにめっちゃ叱られてたり、まあいろいろあるのでやんちゃな印象があるのはどうしようもないことかと思うのですが。
ここが織田信長氏に焼かれたのがどのくらいガチかなぁ、と呟いていた人がいたんですが、荘園研究の人が「比叡山の荘園資料がそもそもない!!!」と言ってらしたんでかなりガチかなと思います。
いやそんな番組じゃなかったんですが、最澄さんは寛容で人を大事にするいい方でした、まあ、空海さんと比べると愛嬌は足りない気はするけどそんなことは宗教者には必ずしも必要ではないような気もするんだ。
というか、仏像やお堂は燃えてないのかね? 信長氏の趣味かね。


***8月19日めも。 [#ie534bb7]

『日本古代中世史 '11』#10「鎌倉幕府と武士の成長」の放送大学引き続き、とりあえずこの講義が一番中心的なものなのでここをまず優先、んー、それが終わってまだ中世に関わってもいいと思えたら和歌のほうを先に済ませようかな。
まあ、ちゃきちゃき進めていかないとどこまで行けるかわかんないけどねー。
さすがにあと5回くらいならなんとかなるかな、いえ、真面目にやります。
しかしリアルタイムだと明日また図書館来るんだよなぁ(9月8日だから明日っていうか今日か、アラーム仕掛けておかないと)。
 
というかまあ、鎌倉幕府を要するに「武士からの忠誠」と「民衆への生活保障」みたいなところに別けた概念で図ったみたいなのがこの回だったんですが、当然のことながら前者はある、が、後者はどうかなぁ、みたいな感じで扱われていたものの、なんというかこう、だいぶ違和感が。
いや、この回の講師の人にはそんなに違和感ないんですよね、んー、どうだろそういう発想あったかなぁ、みたいなほうが正直すっきりする。
あれなんだよね、室町幕府や江戸幕府にはその「慰撫」の感覚は当然あってもいいと思うんですよその観点で説明するのもいい。
ただそもそもが東国にあった武士集団が民衆慰撫を目指したかどうかって言われるとなんかこう、現代視点ナイズされすぎてる感じなんだよね。
ただ、そういう説があることを説明しながらだんだん勉強してったんじゃないかなっていう言い方をしていたのは嫌いではないんですよね、というか、大きな集団組織がいたらそこに調停を持ち込むのが先で、そこに応える順序だと思うけどねー。


***8月20日めも。 [#s6d7f467]

『日本古代中世史 '11』#11「中世前期の神仏と文化」の放送大学引き続き、出来たらこの先もなるべく早いうちに見てしまいたいんですが、よく考えたら図書館に返す本を1冊でも2冊でもいいからまとめてしまうのが先かなぁ。
ただこの回の講義に関してはもうほとんど知らないところはなかったんだよね。
いや前半に出てきたえーと、あれです、三井寺(正式には園城寺)のことを「寺門」って呼ぶらしいことを知ったんですが、あれま、比叡山延暦寺を「山門」って呼ぶのは知っていたんですが愛称なんかじゃなくてそもそも山門系寺院集団って使い方するのか。
なんか今の時点でそう呼ばれてるからって認識してただけなんですが、なんかちゃんとした本読むときちんと出てくるのかもなぁ。
というかここの講義を三回ほど担当していたのが本郷和人、という人なので、この人の名前はちょっとちゃんと覚えておこう、なんかで本読んだことあるかなぁ。
あとあれ、「院」というのはちょいちょい出てきてなんのことかわからなかったんですが、大寺院の中にある小さな独立寺院だそうです。
たまに神社の中にあったりもするよねー、お寺の中に神社があることもありますが(ところによっては明治の廃仏毀釈で壊されてるけど、地域によっては無事なんだって)。
 
あとあれ、そもそも八幡神はもともと祭神が今とは全く違った、宇佐八幡(今の大分)から勧請されて岩清水八幡宮となったのちに神応天皇やら神功皇后やらを受け入れた、と言われていたんですが、あれ、そうなんだっけか。
そもそも「三韓征伐伝説」がこの八幡神社とくっ付いたのはこの時点とのことなんですが、あれま、そうなんだっけ? なんか全然祭神違うのは知ってるんですけどね。

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