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雑記:とうらぶその他、56 のバックアップ(No.1)

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雑記:とうらぶその他、56

9月5日めも。

『奈良社寺案内』奈良大和路編 2016~2017年最新版、の読了ですねん、というかまた3日後くらいに図書館が来る感じなので手元の本を片付けなきゃならないんだけどもそもそも古い本のレビューがまとめてないのでさすがにややこしいことになるから書かないとならないみたいな感じです。
リアルタイムで9月19日、ちょっと2、3日落ち込み中です。
ところでこの本はなんでまた借りて来たのだかがさっぱりと思い出せないのですが、なんでだっけ、奈良の地理情報でも捕捉しようとしたんだっけか。
 
で、もう一つのブックレビューのほうを書いてる間にぼんやりと考えていたんですが、要するにこの奈良ってどちらかというと「外京」という平城京の外側部分(なんの土地かというと藤原氏の私有地)の側にメインが寄ってるってことなんだよなぁ。
というかよくよく考えたらあれなんだよね、平城京から平安京になるまでの間に都の中に寺を入れないという路線変更が行われたものの、なにがどうしてそういうことになったのかの経緯をよく考えたら知らなかったような。
正直なところを言うと比叡山クラスの寺があったんならわかるんだよね。
ただ、比叡山は要するに平安京の北側にあるし、後に横行してた興福寺の強訴も春日大社との関係が出来てからだよなぁ、確か。
元興寺なんてあれ、法隆寺に都と一緒に移動せいって行ったら拒否られたわけだし、よく考えたら具体的にどこと揉めてなんでそういう措置になったんでしょうね、そういや前にももまんと話してた、「造東大寺司」っていつ天皇に巻き上げられたんだっけか。
東大寺と揉めたってのが妥当なところなのかなぁ? わからん。

9月6日めも。

『完訳フロイス日本史(3』安土城と本能寺の変-織田信長篇3、情報を期待して読んでみたはずなのに、なんでかフロイスさんの癖ばかり記憶分析する嵌めになっているような次第ですこんばんは。
というかぶっちゃけ、この巻で確信したけど、この人の記述は建築物に関してはわりと丸呑みにしてしまっていいんだね? 書き方がかなり緻密なんで正直わざわざ「ここまで」でっち上げする必要もないしね。城郭研究の人が取り入れていた意味はよくわかった。
で、そういう非常に緻密な記憶力を考えてみると見たものには触れてるって分類すると結構わかりやすく読めるんじゃないかなぁ。
本能寺の辺りはそもそも伝聞にこういう内容がある、ということが判明してるようですが、これ、最初から読んでたら普通にそう判断出来てたなぁ、多分。
いやあれ、証明は難しいけど、文章の癖からなんかわかるよね。
(なんともわかりやすい人なので、ある程度折り合い付けられたらわりとw)
高名な医師である道三氏の話、細川ガラシャさんの話辺りは、まあ正直、疑う必要もないというか、間違えてたとしてもちょっとした取り違え程度だと思うんですが。
この人、自分が明智光秀の娘だってこと、なんか全然意に介してなかったんですね、なんか読んでてびっくりした…あと、あまりに思い込みが激しくて直情系なので言ってることに関しても、どこまで…信じていいものか正直よく…。
ただ、見た目とか態度は完璧だったぽいね、ここの記録の混乱はフロイスさんのせいじゃないね、というかフロイスさんのがマシだという気がするな?!
 
そして相変わらず阿弥陀さまだけはわりと好きだね? 高野山の噂は保留で。

9月7日めも。

『鬼伝説の研究-金工史の視点から』の読了、まずざっくりと気になったことというか、野武士という存在が山伏のことであり、もしくは炭鉱夫のことであると地域によってばらばらのことが伝えられているらしいんですが。
著者さんの言い分だとあれ、私もそんな感じなんだけども武士崩れの浪人のことを指しているような気がしていたんですよね。
ただ、どうも伝承が地域に残っている時代を考えるとだいぶ古く、そうなるとそもそも武士という存在が確定しているわけでもなく、刀持って武力があるなら武士扱いでなんか問題があるわけでもなく、なにかが破綻しているんだよね。
そもそも身分が確定しているからそこから逸脱する存在がいるのであって、身分が確定する前に曖昧な身分として扱うのだとすると、うーん、意味が違う?
で、著者さんは武士に準ずる身分だったのではないかという表現をしていたのですが職人であり武士であり、という可能性があったのだとしたら、多分そういう一員だったのかなー、と考えるのが妥当かなぁ。
これは今まで読んでる本考えると、いるって考えても別に問題気もするんだよね。
で、気になるのが「野太刀」ってのがあってこれが太刀よりも短い謎の存在だったんだけども、うーん、時期合致してる可能性もあるんじゃないのかなぁ。野太刀と野武士って両方知ってたんですけど時代被るって思ってなかったからなぁ、被るんなら関係してる可能性も皆無ではないような気もするんだけど、どうかしら。
 
あとはまあ、もう少しこの著者さんの本を読んで、修験道の初期くらいの話を少し知りたいかなぁ、どうもいまいちぼやけてるんだ修験道の認識が。

9月8日めも。

『権力の館を考える '16』#9「軽井沢の館」の放送大学の引き続きです、んー、なんかテンションが全体的に落ちてるので次どれ見ようかなぁ、と迷ってるんですが、この講義の次の回が大阪城天主(天守閣って言ってたっけ? まあいいや、城郭研究の人にそういう呼び方は後世のものだよって釘刺されたのですw)らしいのでそれを見てもいいんだけどもみたいな迷い中。
この回一体なんの話をしていたのかというと、うーん、終戦間近の工作が実はこの地でされていたみたいなことが一応の軸ではないかと思うものの、その後賑やかな軽井沢というイメージになったことも触れているには触れているし、最近は一時のブームのようなものが去って、また静かな土地になりつつあるんじゃないかって言われたら、なんとなくわかるようなそうでもないような。
 
なんとなく印象に残ったのが細川屋敷…じゃないな、細川さんの別荘と徳川家の別荘が隣り合っていたところなんですが、細川氏がどの系譜かはわかるものの、徳川がどなただかとかはわからないんですけどもね、慶喜さん(15代)の血筋でいいのかしら…。
山の上のほうには政治家を引退した重鎮がいたり、下のほうには現役政治家がいたりとか、この地に実際に海外使節が来たりなどということが語られていたんですが、まあ少なくとも、これだけ人数がいたら実際にその準備は整ってるのはさすがにわかる。
そして、非公式の終戦の算段までが行われたという流れのようなものも、なんとなくわかる、かなぁ、なんとなくの展開って気もしないでもないんだけどもね。
そういやあれ、ここからさらに逃げるってことも検討されてるって言ってたし、一応は首都東京を意識しての発言か、あ、そうか、この回語られてたのは距離と集合か。

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