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雑記:とうらぶその他、63 のバックアップ差分(No.1)

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10月30日めも。

『通貨の日本史-無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』の読了でっす、ねーむーいー、とりあえず夜間拘束に若干慣れたような、逆に疲れが出てきているような感じの今日この頃です、眠いのは徹夜に近い状態だからですがリアルタイムで11月23日早朝、6時過ぎ、今の時点でまだ寝てませんお気になさらず。
寝る時間をずらすのもありっちゃあありなんだよね、でも今日には図書館に行かないととかいろいろ考えていることもないでもなく。
じゃなくて、えーと、最近ぽちぽち読んでます貨幣の本、通貨って言ったほうがいいのか(タイトルを見ながら、貨幣だと金属のあれだしな)、なんとなく最近通貨の本を読みなれて来て米は普通に通貨としてあり、みたいなのが半ば脳内で常識となりつつあるのですが、あとあれ、布もいけるかなと思います、絹とかだいぶいい感じだと思う。
 
ただまあ、米は食べてしまうし、絹も使ってしまうんだけどね。
青銅がやっぱりいいと思うんだよね、青銅、実用性そんなにないし、というのもわからんでもないのですが、日本に青銅器時代がなかったってのは最近どうなのかなー、と思わないでもないんですよね。
鉄があるなら鉄になるのはわかるんだよ、でも鉄が手に入らなければ代替になるはずなんだよね、そして鉄ないところもあったのはわかってるんだよね、なのに実際祭事用以外全滅っぽいから青銅器時代がないって発想もわかるんだけどもね。
ただ、神具以外は全部溶かしたってこともありえるんじゃないかなー、と、とりあえず銅が枯渇した時代があったことは確かのようです、で、既存の銅が回収された可能性みたいな、中国の宋銭だって銅輸入手段って言われてたんだよどうなんだろ、マジ。


10月31日めも。

『法然対明恵』の読了です、えーと、読んだ理由は予約した本が少なかったのでちまちまと図書館の棚で漁った中にあった感じです、そして法然さんの本をあと1冊と奈良の寺の本を借りているのでちゃきちゃき片付けないと内容が混ざるという理由で急いでいます。
隣駅にある図書館に寄るのに30分くらいは余裕が欲しいしな!!
あと、ゲームもあと一週はしたいです、仕事前になにしとんのじゃって感じですけども、ちゃんと現地ではやってるのでそれ以外の趣味も用意したいなっていうか。
  
というかそんなことやってたらあと5分で炊飯器も空にしてから出掛けたいので急ぎたいところなのですが、とりあえずこの本では明恵さんという、まあまあ聞いたことはあるような気もするんだけど時代とか思想とかは自信がないみたいな方が扱われてまして、彼の来歴や法然さんに対して批判をぶったなどという部分は覚えられたんですが、40年くらいのズレによって鎌倉時代がどのように推移していたのかとかそういう部分のほうが面白かった気もしないでもない。
正直なところ、相手がどんな人間であっても分け隔てなく受け入れていた法然さんと、あくまで高僧として権力者にちやほやされていたという前提を聞いてしまうと、ううん、法然さんが必死で庶民と対峙したから世が収まって、そこで綺麗ごと言っていたんじゃなかろうか明恵さん…みたいなことを考えてしまわないでもない。
ただ、「悪人往生」という一見反省しなくてもいいみたいなことを聞いたせいでなんかの問題が起こるだろうってのはまあ予想出来る範囲ではあるし、そこに釘を刺すための批判の展開であるという立場もわからんでもないかなあ。
とりあえず鎌倉仏教の初期は各寺が行き来してた認識でいいっぽい。


11月1日めも。

『法然』別冊太陽・日本のこころ178の読了、そもそもこの「別冊太陽」ってのがなんなのかはわからないんですが、時々見掛けたり実際借りて来たりはしてるかな。
正直目新しい説まではないんだけど、視点が好意的かつ客観的なのでポイントは高め。
多分あれ、読み手に媚びるようなテイストがほとんどないんじゃないかなと。
 
で、読んでいて気になったのがわりと丁寧な本なので黒谷という念仏集団が存在している辺り、これが京都の地名で法然さんは先に比叡山に所属したあとでこの地に至っているのかな? どうも当人の思想に関しての師というものはいないようなのですが、だいたいずっと同じ人に付いていたらしいので、まあ民間の導師みたいなものだと思えばいいのかしら。
法然さんが鎌倉新仏教の祖という扱いをされているんですが、どうもこれを見ている分にはそもそも雑多な民間宗派のようなものが存在していて、ただ、その宗派そのものは十把一絡げのあまり大きな集団でもなかったんじゃないのかなー、みたいな。
比叡山に後ろ盾もなしに所属してそこから下山して、そこで受けた正規教育によって民間習俗の延長上にその数倍の規模で展開した人だったんじゃないのかなー、となんとなく。
まあ前後の話を見ていてそんなところが無難じゃないのかな、という程度の話なんですが、で、東大寺の大勧進である重源(高野山出身)とか九条兼実とか、多分ですがこれ自体もわりと新興勢力と結び付いたのではないのかな、ともやっぱり。
そしてこの辺の人たちは鎌倉幕府の源頼朝ともつながりがあるんですよね。
生前の法難が興福寺で、死後の法難が比叡山が主導しているというのも、なんとなくその間の仏教とは違う部分での政治勢力の変化って気もするしなぁ。
当人はひたすら民衆に向いた教えだと思ってた気もするんですけどね。

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