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*雑記:とうらぶその他、65 [#m1c1fa22] ***11月19日めも。 [#ne2b926c] 『僧侶と海商たちの東シナ海』選書日本中世史4の読了なのです、そういや家人のパソコンに入れていた本のレビュー分がやっと回収出来たので若干読んだ本の順番が前後していたところがあったような気もするんですがまあいいや別に直すほどのことも全く。 (というか気が向かないと見直さないので文章もなかなか直りませぬ、でも最近はマシになったのよ、昔は一発書きがまず出来なかったんだよね、あとから修正しないとまず駄目っていうかとにかく主語が抜けがち。) とりあえずまあ坊さんの中国渡航の本なんですが、重源が多分遁世僧の系譜だよねー、みたいなことをさらっと言われても。 やっぱりジャンル超えるといろんなもの拾えるよねぇ。 なんとなくこれ、仏教の内部の人だとめっさ読めるのが遅れた気がします…びっくり。 あとあれ、栄西の系譜がわりと禅宗をメインにしたため中国での修行が主になっていて(日本だとまだその準備整ってないしねー)、というところまではあんまり驚かなかったんですが、結局この系譜が東大寺の大勧進の地位を占めたってどういう意味だ。 前に別のところで勧進職(寄付募る人たちですね)は油蔵という備前にあったという領土を支配する機関から人材を得ていたみたいなことを聞いたんだけど、そことはどうやって合致するのかなぁ、いまいち備前の地位がわからない。 この本ではあくまでも記録に残ってる許可取ってる僧しか把握出来ていなかったんですが(無理もないよね)、前後の記録見てると勝手に行った人らはいたろうね、みたいな、で、若干は無許可と許可の狭間みたいな僧侶もいるよねっていう。 というか海商って言われてた人らを支えた日本側についても知りたいよなぁ。 ***11月20日めも。 [#b7d02b2f] 『寺社と芸能の中世』日本史リブレット080の読了なのですよー、そろそろ風呂に入らないとならないので火を付けてくる所存です付けてきました、で、たまたまなんとなくなんで借りてきたのかをさっぱりと忘れてしまったんですが、えーと、あれだ、職工と近い存在として芸能も位置してる時代だったからじゃないかと思います。 中世の初期くらいまではこの辺の特殊技能者が一緒くたで、中世の終わりくらいまでに少しずつ分離していったみたいな感じで語られていたんじゃなかったか。 そして借りて来てみたらどうも興福寺と春日社がメインで語られていたんですが、興福寺の内部の院が対立を起こしていてそれぞれが猿楽の座を呼びたがるので大変だったよー、みたいなことが単純な事実として語られていたんですが。 猿楽がこれよりもかなり前の時代に成立してるんならそんなに疑問はないものの、正直本の中でも触れられていたように素人がやってるのがメインだったりするんだよね。 芸能集団として成立したのすらそんなに前というわけでもなさそうなので、なんで揉めてんだよ? というのが院という単位で見えていないのならば、院をそれぞれ支えていた貴族のそれぞれの家のほうに事情があるんじゃないのかなー、という気も。 というか下手すると、院と猿楽集団が親類関係って可能性すらあるよね。 (職工が独立した家になってったのも要するに多分このあとで、別に貴族が貴種であるという意識も当時は薄かった可能性が結構あるのですよ。) というのもあくまで外側から見た雑感なので、もうちょっと猿楽や田楽に関しての本も読んでみるかー、と思ってるのですが。 足利3代の義満も猿楽の世阿弥を連れまわしてたし、それなりの出でもおかしくない。 ***11月21日めも。 [#oeffc00d] 『寺社勢力-もう一つの中世社会』の読了にゃす、そういやこの本だったのかが正直自信がないのですが前に『奈良市史』を読んでいてたびたび特別扱いで言及されていた「多武峰」がどうも大和国に唯一あった比叡山の末寺であり。 京都にあった興福寺の末寺である清水寺と並べて触れられていたのでようやっと意味がわかりました、清水寺はなんとなく知ってたけど、ああ、そもそも多武峰の存在があったから興福寺も気合入れて分捕りに行ったって認識でいいのかもなぁ。 というか多武峰ってあんまり多武峰以外の呼び方されてないんですけどね、あくまでも一大勢力って認識されてるせいでないことを祈ります…寺の名前よりよっぽど見るよ。 あとあれ、この本だと三井寺(園城寺)と延暦寺との関係も面白かったんじゃないのかなー、というかこれもこの本だったか実は自信がないんですが、さすがにこの本で触れていたことは間違いないんだ、最近仏教の本やたらと積んでいたせいでね…。 どうしても時期によって読みたい本が違うのでジャンルが被るんだよねぇ。 まあ大雑把に、円仁と円珍という系統がありましてそこから天台宗のトップの地位を交代で出すみたいなことになったようですよ。多分。 が、たびたびっていうかなんとなく理由はわからんでもないんだけど、三井寺のほうを権力者が贔屓する傾向があり、巨大な力を持っていたのは比叡山延暦寺のほうだったので延々長いことごたごたごたごたしまくったみたいなの。 そりゃそうだよね、片方だけが完全に強かったら争いなんかすぐ終わるもんな。 それと浄土信仰(念仏仏教)の最初の一人として空也が挙げられていて、ああ!! と納得、だよねー、この人に関しても読んでこよう。あと比叡山の良源もチェック予定。 ***11月22日めも。 [#qdfdba77] 『鎌倉幕府と朝廷 シリーズ日本中世史(2』の読了にゃす、とりあえず私どうにも南北朝だの鎌倉末期だのに興味が持てないなー、ということを長いこと思っていたんですが(あと五摂家が全然覚えられないというか、これも流し聞きしてた)、どうも今まで聞いてたのが論点ずらして展開していたせいじゃないのかなー、というのをこの本で。 いや、面白いとか納得がいった、というほどではないんですが、正直なんとなくこのラインで語ってってくれれば理解出来るんじゃないのかしら、という期待のようなものが。 もうちょっと話聞いてもいいかもって普通に思えたという感じなんですよね、今。 で、五摂家と九条兼実に関してはほぼほぼ理解出来たんじゃないかなと思います、むしろ五摂家が分離してくよりも前だ兼実さん! みたいなの。 いやー、九条家っていうなんか変わった家が五摂家の中にあって、そこが鎌倉幕府に対しても好意的だったのかなぁ、という思い込みしてました。 あ、うん、それは私が悪かったのです、完全に一方的にやらかしてるだけだわ、さすがにこんな勘違いさせるような説明してる人なんかいるわけがないよ…。 というか九条兼実さんとなんだかエンカウントするようになって、だいたいどんな感じの人であって、ということはなんとなくわかるようになって来ていたんですが、あれだよ、幕末の三条実美だわ多分。偶然にも名前が似てる(いや時代違うけど同族なんだな)。 あれです、三条さんは能力そこそこ人柄まあまあでまともに新政府の話を聞いてくれる人ということで台頭したんですが、能力かなりあるまともに話を聞いてくれる九条家のほうがそりゃはっきり台頭するわな。 ちょくちょく仏教界関係でも九条さんらの名前聞くけど、ようやっと話つながった感。 ***11月23日めも。 [#b639c19a] 『日本の美術44 貞観彫刻』の読了ー、他の時代の巻と一緒に読んだつもりだったものの、1冊取りこぼしていたことに気付いたのでリリースしたのですが、やっぱり間が空いているのでだいぶ忘れてしまってるなぁ。 まあでも、ここのシリーズで他にも仏像の本(古い時代の彫刻ってほぼ仏像だよ!! と言われてるのですが、うんまあそうなんだろうな、仏像以外の人物とかも一部あって、鎌倉時代くらいだっけ? に一応工芸品が出来るみたいだけど残存したものも正直かなり少ないよなぁ当たり前なんだけども)はあるので、そうも言ってられないんですけどねー。 というかそもそも平安時代が「400年くらいでー」というところからまともに認識したことがないんですが、長いな平安時代、幕府がだいたい長くて250年くらいらしいのでだいぶ長いな平安時代。 そしてそのうちの100年の宇多天皇の頃くらいまでが美術史としてこの貞観時代と呼ばれることがあるそうなのですが、事実上、美術史って言っても建築と仏像くらいしか残っていないような気がするんだけどもどうなんじゃろう。 日本刀がまだだっけかこれも曖昧、上古刀はちょこちょこあると思うんですけども。 あと私、さすがに平安京を作った桓武天皇に関しては覚えたんですけども宇多天皇と言われてもさっぱりぽんなのでなんでそこで区切られてるのかはわかりません。 それと鑑真さんの連れて来た仏師がいたんかなぁ、というのはちょうどこないだ読んでいたので気になっていたんですが、確かに中国のほうに残っていないとなんとも言えないよなぁ、というか定朝さんってこれよりもあとになるのかしら。 まだわりとこう、中国様式に近いって言われたらそんな感じ、でもいいよねこの辺。 &tag(とうらぶ雑記); (とうらぶその他、65) #taglist(tag=とうらぶ雑記);