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雑記:とうらぶ・文アル他、72 のバックアップ(No.4)

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雑記:とうらぶ・文アル他、72

1月28日めも。

『分裂から天下統一へ シリーズ日本中世史4』の読了なのです、前のページは今書き途中になっているので、そのままにして次のページになっているのですがこの辺がどうなるかは今の時点で特になんにも考えてないです。
続けばいいんだ、続かなかったらどうにもならんのよね、こういうの。
リアルタイムで3月3日、身体が痛いのです腰が辛いのです喉がなんか痛い。
風邪とかそういうの併発してないだろうかと思っているものの怖くて確認してない。
 
えーと、この本に関してはいわゆる戦国時代に関してを、まるっと「日本」という国が有意に形成されていく時期を鎖国ではなく国境線への意識(とはいえ、これも曖昧なところたくさんあるよね、曖昧なところで100%確実って言ってる段階でねぇなってなるよね)の完成として見るわりと稀有な内容なんじゃないでしょうかね、これ。
ただ、豊臣秀吉の朝鮮征伐に関してはこの文脈で見るのが正しいかなやっぱり。
すごく大雑把に、誇大妄想がすぎるみたいに言われているものの、むしろ戦力的には全然馬鹿にしたものでもないんだよ、そののちの清王朝(ヌルハチさんて言われてたあれ)のがよっぽど勢力的にも組織力においてもお粗末だったし。
明王朝がそんなので倒されたのは事実って言われたらまあ納得。
だがしかし、外交センスにおいてはゼロを通り越してマイナスであり、もはや問題外の域であり、戦局の進め方においてはもはや現実が全く見えてなかったよ、みたいな感じで総意みたいです。
そうね、これだけやれば確かに国内でも政権交代するわなって自然に認識出来て良かったです、とはいえ制度という意味ではほぼほぼ徳川に受け継がれたと、なるほど。

1月29日めも。

『日本の美術457 平安時代前期の彫刻-一木彫の展開』の読了なのです、これからこれを書けるところまでを書いて図書館に本を返しに行ってその帰りに買い物して来たいんですけども、の3月3日のひな祭りです。
その時になにか食べるものを買いたいんですよね、なににしようかな。
アイスクリームと半生チョコとラムネ購入です、ただいまです。
だいたい全部食べる予定ですが、甘いものには摂取制限みたいなものが自動で掛かるのでまあ大丈夫じゃないかなと思いますっていうか、食べないと頭が動かなくなるというか、自然な食事でそれだけ糖分取ろうとすると食事量がえらい増えるというか…。
 
じゃなくて、大雑把に前に読んでいたまとまった仏像のシリーズでは区切りがもっと細かかったので(大雑把に元号がメインみたいな感じ、昔の元号って確かなにかあるたびに仕切り直しみたいに行われてるんだっけか)、今回は改めてその時代の捉え直し、と思っていたんですが、どうもそれだけじゃなくてそこまで細かい時代区分が出来ない仏像なんかがまとめて出て来るって認識していいのかな、うん。
前に東京国立博物館でやっていた平安時代の仏像展の内容が、どうにもピンと来なかった理由がわかったような気もします。
あれだ、神社建築で中世分類だと題材に困るというか、中世に神社になにが起こっていたのかという話に終始してしまったのと似た部分があるのねこれ多分。
で、そこの区分って言えばご存じ聖武天皇時代(ってか大仏開眼とか東大寺落成とか立ち会った)の渡来僧鑑真さんとか、空海とか最澄などが予測されますみたいな調子です、仏像の作成者の名前がわかるようになるまでもうちょっと時代があるわけか…。

1月30日めも。

『完訳フロイス日本史(6』ザビエル来日と初期の布教活動-大友宗麟篇1、の読了、なのですよ、家で打っておりますです、リアルタイムで3月13日です、この前の分は20数日分くらい丸々ゲームの内容でお送りしましたってもとはそっちが本題だったよね。
とうらぶもやってるます、ただ、新しい動きがなー、2.5次元って呼ばれてる舞台なんかではちょいちょい進展あるらしいんだけどさすがに見れる人が限られてるもんだからなぁあれ(ちょっと苦手です、どうしてもコスプレに見えちゃうの)。
えーと、じゃなくて、フロイスさんの日本史も様々なものを乗り越えて6巻まで到達したんですがここに来て、どちらかというと初期の事情や他の宣教師らに関して、あと、迫害が繰り返されて少しずつ取り乱していくところが見れるので、有名人そのものは出てこないけどむしろ1巻よりずっと内容が飲み込みやすいんだけどさぁ…。
ぶっちゃけ、信長絡み豊臣秀吉絡みっていう目的がなくて通しで読むんだったら6巻から手を付けたほうがいいんじゃないかと思います。
実際の時系列だとそちらのほうが早いので、ほとんど有名人しか知らない日本人向けに再編成する必要があったってのもわからんでもないんだけどねー、本そのもののハードルが上がっちゃってたよ。
というか、1巻の最初の時点ではこういう感じの記録が淡々と続いてたんだよね。
 
ただなんか、数々の苦難を乗り越えていくうちに正直だんだん偏狭になってったというか、実際のところ素直な人なんだろうなぁこれ。
フランシスコ・ザビエルやその同行者だったトーレスさんなんて人も出て来るし、当時のキリスト教徒が抱えてた問題もわかるしなぁ、というかこの巻は内容信用出来る…。

1月31日めも。

『破戒』島崎藤村、の読了にゃす、ぶっちゃけこの話そのものか有名だったものの特にどういう内容であるかを気にしたことがなく、なんて呼べばいいのかね、いわゆる「部落差別」を題材にしていることは読み始めてから気付いたんですが。
(時代が時代だったので、右傾化に関して語られてるのかなぁ、と思ってしまったんですがすみませんでした、だいぶ違ったわ。)
そもそも部落って言葉そのものがこの小説よりも後に出て来たらしいのでエタって呼ぶべきなのか、しかしそんな江戸時代の身分って全然ピンと来ないしなぁ。
作中では新平民と呼ばれていて、まあこれがなんとなくニュアンスがわかり、差別すべきでないという象徴であったはずがあっさりと差別されるべきと語られているのでなんというか、あんまり変わらんよなあその辺。
 
実際にその身分の方に取材をしたこともあったようですが、どっちかというと架空の人物を題材にしていて、ただ、実際にはこういうことは当時あったんだろうなというような反映は感じるものの。
なんだろうなぁ、上手く表現出来ているかどうか自信はないものの、この話、まんま吸血鬼として取り替えても軽い手直しだけで成立しそうというか…。
なんならラノベとして通用しそうなくらいどこかしらが俗っぽい。
自分の誤解だろうという前提で言ってしまうと一種「弱者萌え」みたいな側面も感じないでもないんだよなぁ、差別側が極端に醜く描かれているので(無意識の差別そのものまでは特に責めるつもりはないようですが、意図的に差別者から奪おうとしてる場合はそりゃもう容赦なく)、当人の意図と無関係に社会に変化は与えた気は、するけども。

2月1日めも。

『紅葉・露伴文学選』新注近代文学シリーズ、尾崎紅葉/幸田露伴の読了なのですよ、リアルタイムだと3月29日です、最近大層あれです、いろいろ本とか読んでいなかったなぁ、とかしみじみしているのですがなにをしているかというとゲームを。
【文豪とアルケミスト】なんですけどね、地味に中毒性が高くてな…合わない人は毎回合わない兵站方式です(艦これから始まってとうらぶも知られてるだろうけど、別にあれだけじゃないよなそもそもDMMの趣味だよなあれ)、合う人にはとことん合うんだやり込むんだ、やり込んだ結果がそこまで目に見えないから駄目な人は駄目なんだこれ。
 
で、そこに出て来た最初のキャラが徳田秋声でその師匠が尾崎紅葉でそのライバル(同時代の作家さん)が幸田露伴でこの二人を合わせて紅露時代って呼んでいたらしいというのがなんかいきなりイベントでぶっ込まれて来たんですが。
個人的に興味を持ったのは文学そのものがまだぴよぴよと黎明期をしてるはずなのに大衆文学として位置付けられているところだよね多分。
幸田露伴は私でも読めないんですが、「紅葉先生も普通に難しいよー!」と言われてますな、まあ、そもそも小説というものがこの時代に存在しないのね要するに。
大衆向けっていうと講談とか戯曲とかになるような江戸時代を発掘し直してたらしいとかそういうのも軽く触れられてるし、文章そのものにも試行錯誤の痕跡が普通に見えたりとか現代人が見ると普通にわりと興味深いんじゃないかなぁ。
ただ、次の世代の評論がくっ付いているのでなんかこう…、ううん、時期的にはまだまだしょうがないんだと思いはするんだけどね。
評論って言ってるけど、分析というレベルに達してないし、その発想もなさそう。

2月2日めも。

『応仁の乱-戦国時代を生んだ大乱』なのですよ、最近売れてると評判の歴史題材の新書としては破格の重版を重ねてるよーん、という感じの展開をしているのですが、正直なところこの本を読むの? 無理くない?? というのが歴史近辺をもともとの趣味とする層からの実感だったのですが。
読書メーターを覗く分には思ったよりずっと真面目に読まれてる気もするなぁ。
まあ、許せん騙された的な意見も見ないでもなかったけどねー(なんにも嘘は書いてないので言い方どうかなとは思うけども、まあ、難易度が高すぎだって素直に書けないプライドの発達してないお年頃って普通にあるよね)。
 
まあ、すごく大雑把に言うと資料的にはうーん? と思う細かいところはちょいちょいありました正直、あくまでも奈良の興福寺視点の資料がメインなんでもちろん仕方ないんだけども、ただ、今まで読んでる本と圧倒的に違っていて時空が歪んでなかったし、時代がぽんぽんすっ飛んでいて全然説明がつながってないところもなかったんですよ。
というか今まで読んだ本の中で時空が歪んでない本のほうが少なかったんだよね(時代が多少抜けてるだけっていう応仁の乱じゃなくて東山文化の本が一番まともだった)、時空を歪めないために必要な作業がそもそも興福寺の高僧らによって書かれた資料を当人らの立場やどのような意図でもって記録しているのかという部分から解きほぐすことだった、というのはまあわからんでもない。
新書でやることかなー、というのは若干思わないでもない。
ただ最近の新書ってこの手の研究途上だよん、みたいな内容もあるしなぁ、とか様々な思惑はあるものの、売れたんだから別にいいんじゃないかにゃ。歴史にとって勝ちだわ。

2月3日めも。

『聖武天皇と仏都平城京』天皇の歴史02、の読了なのです、というかこのシリーズはなんかの巻を引っ掛けたんで読もうと思ったはずなんですがどの巻だったっけマジ。
とりあえずこの巻は大当たりだったんで読んだことに後悔はないんだけどねー。
(というかさすがに歴史趣味初めてここまで立つと「妙なところはあるが、それと引き換えにする程度の利点もある」本くらいまでしか引っ掛からないけど。)
 
最近だらっだら読んでるのでこの巻がどこから始まったのかの記憶が薄いんだけどねー、光明子がえーと、藤原不比等の娘でいいんだよね確か、で、これが聖武天皇の奥さんなんですが藤原系の正妻って初めてなんだっけか自信ない。
天武天皇系として見做されていて、それが逆転したのが桓武天皇でこれが天智天皇系として復活したみたいなことが言われていてー。
この二つの天皇に共通しているのが土木にまい進したみたいなことでいいんだろうか。
都そのものが行ったり来たりしてはいるものの、基本的には藤原京(天武・持統・藤原不比等)→平城京(聖武天皇・光明子)→平安京(桓武)が中核という認識で良いのかね、で血統や当人の自称としては桓武天皇の時点で天智天皇系(←天武系からの揺れ返しみたいな感じで)が復活。
その間の事情を埋めるのが確かに仏教ちゃあ仏教だよねこれ、そしてその信仰の動機として挙げられていたのが政変の粛清のせいで祟られて怖かったよというような展開です、というか、意外と実際にあれこれ起こるまでは信じてないのねこの当時の人ら…。
聖武天皇の時代の行基とか、桓武天皇時代には平安新仏教がにょきにょき出て来る感じで、仏教って元から民衆の側向いてんのね、悟り開くどうこうが庶民化してないだけで。

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